鳥越憲三郎の倭族仮説とはどういう説か

長江文明を日本列島へ伝えた人々を、越人ではないかとした。この越人とはどんな民族であったのだろうか。倭人とはどういう関係にあったのだろうか。

魏志倭人伝では、倭人について次のように記している。

「倭人は帯方の東南大海の中にあり、山島に依りて國邑をなす。・・・男子は大小と無く、皆黥面文身す。・・・その道里を計るに、当に会稽の東治の東にあるべし。」

倭は島国で、倭人は皆、入墨をしている。しかも入墨の本場である江南地方の東方に位置している、と言っている。

また魏略逸文(「魏略」という原本は失われているが、文章の一部が別の本に引用されて残っている場合、逸文という)では、

「以前に倭人は自分たちは太伯(春秋時代の呉国の始祖)の末裔である(つまり呉の国からやってきた)と言っている。」

魏略は、魏志倭人伝の種本であったと考えられており、その本では、より明確に長江下
流域・江南地方の出身であったと記述していたという。

しかし、倭人と言う表現が出てくるのは、魏志倭人伝およびその関連の史書だけではない。

倭人について壮大な仮説を提唱している古代史・文化人類学の鳥越憲三郎の説を学び、知識を得ておきたい。

倭族とは何か

縄文晩期、稲作を伴ってこの列島に渡来した弥生人は、中国の史書などで「倭人」と呼ばれ、「倭国」を形成した。

ところが同じ倭人の称をもつ部族が中国大陸には既に存在していた。

中国後漢時代の王充(紀元27年~1世紀末頃)が著した、「論衡(ろんこう)」という思想
書によると、紀元前1,000年、周代初頭の記事として、「周時天下泰平にして、越裳(越人)白雉を献じ、倭人鬯艸(ちょうそう)を貢す」という文がある。この越人と倭人はどういう関係なのか。また、鬯艸とは霊芝(マンネンタケ)のことで、不老長寿の霊薬として珍重されていたものという。

鳥越は、倭人はこの霊芝を、四川省巴県の西方の辺境、玉龍雪山という高山で採り、献じたとしている。(筆者は、この文章こそ、西日本の縄文人が江南地方にコロニーをつくり、日本から持って行った霊芝を献じたことの証だと解釈する。日本でもこの霊芝はよく産出するからである。)

話を鳥越の著述に戻す。この中国大陸にいて、鬯艸を貢した 倭人とはどこに住んでいたのであろうか。

鳥越は、その倭人の住地を探し求める調査研究の結果、長江上流域の四川・雲南・貴州の各州にかけて、いくつもの倭人の王国があったことを知ったとしている。

彼ら倭人は新石器時代の初めごろ(10,000年前?)、雲南省の滇池(てんち)か、または周辺に点在する湖畔で、水稲の人工栽培に成功したとみられる。(鳥越は、最近の稲作の長江中流域発生説を採らず、多元的に各地で発生したと考えているようである。)

そして、倭人の文化的特質の中でもっとも顕著なものは、水稲農耕を営み、増水や洪水から炊事の火を守るため高床式建物を考案したことだという。

倭人はその稲作と高床式建物を携え、雲南から各河川を通じて、東アジア・東南アジアへ向けて広く移動分布した。

そうした文化的特質を共有する民族、つまり日本人と祖先を同じくするものを鳥越は、「倭族」という新しい概念で捉えている。

それら倭族の中で、長江を通じて東方に向かった一団の中から、さらに朝鮮半島を経由して日本列島にまで辿り着いたのが、日本における弥生人すなわち倭人であると鳥越は言う。

鳥越憲三郎のイメージを、筆者が大雑把ではあるが地図に落としてみると、次図のようになる。

倭族の日本列島への渡来

倭族は、雲南の周辺の大河(メコン川やサルウィン川など)の上流から下って東南アジア各地へ移動分布したが、長江を下って東方に進出した倭族もいた。

彼らの最古の遺跡が有名な河姆渡遺跡であり、杭州湾を挟んで対岸には羅家角遺跡がある。これらの遺跡はともに越が都をおいた紹興に近く、それらの遺跡人の後裔が越人、いわゆる倭人であったと見てよかろうと、鳥越は言う。

発音の面からみても、「越」の発音は当時の上古音で「wo」、「倭」も上古音で「wo」であり、すなわち類音異字に過ぎないというのである。

また、上海方面にあった呉の領域にも、下図の紫で示した6,000年前ごろの遺跡が点在する。

鳥越によるとこれらの遺跡についても、雲南から下ってきた倭族が残したものと言う。

長江下流域に達した倭族の一部は、さらに山東半島に向けて北上し、周代には、徐・淮(わい)・郯(たん)・莒(きょ)・奄(えん)・萊(らい)などの国を作った。

漢族は彼らを異民族として「東夷」と呼んだが、それらの国は言うまでもなく倭族が築いた国であった。

ただ、それらの国は小国であったので、周や斉に討たれ、最後には呉によって統一される。

その呉も春秋時代末には南の越に打たれて亡びる(紀元前473年)。呉の滅亡を契機として呉の遺民だけでなく、呉の領民となっていた上図の国々の民たち、すなわち倭族も、稲作文化を携えて朝鮮半島の中・南部に亡命し、さらにその一部が日本列島に渡来して、いわゆる弥生人になったと、鳥越は考える。

朝鮮半島における倭族

呉の滅亡で流民となり、朝鮮半島に渡った倭族には、当然幾つかの集団があったに違いない。

朝鮮半島中部に上陸し、先住の濊(わい)族や貊(ばく)族を征しながら最初に築いたのが、「辰国」である。辰国が対外的に認められると、民族としての呼称が生じ“韓族”と呼ばれることになった。その辰国から派生する形で「辰韓」「弁辰(韓)」の二国が生まれ、母体の辰国は「馬韓」と呼ばれるようになる。

一方、朝鮮半島南部に上陸した倭族は、半島中部の倭族すなわち韓族に統合されることを嫌い、「加羅(または伽耶)国」を作った。これが魏志倭人伝にみえる“狗邪(くや)韓国”であり、彼らが入墨の習俗を持っていたので、古称の“倭人”の称で区別されたと思われる。

後漢書や三国志に

馬韓は—その北は楽浪と、南は倭と接し、辰韓は東にあり—
弁辰は—辰韓の南にあり、その南また倭と接す—

とあるのは、上記のことを説明していると考えられる。

さらに鳥越は、馬韓・辰韓・弁辰などが倭族が築いた国であることを立証するために、それぞれの国の神話に着目する。

まず、馬韓諸国を統一して建国されたのが、百済である。建国者は扶余国の王族の一人である。(扶余族は、もと黒竜江上流域にいたモンゴル種の遊牧狩猟民であったと見てよいが、紀元前二世紀末、中国東北平原に南下して、先住民のツングース系の諸族を征服し混血して、主農半猟の民族としてを扶余国建てた。)

そのため、百済の神話は、馬韓の“先祖が海を渡って来た”神話が消し去られ、北方民族の生活環境–豚や馬が登場する–を反映した神話に置き換えられた。

一方、新羅には、朴(パク)、昔(ソク)、金(キム)の各氏が伝える三種類の神話があるが、その中の昔氏の神話を例に取ると、卵を箱に入れて海に浮かべ、辰韓の浦に漂着したと言う先祖の行動そのものになっている。

すなわち、新羅の神話では、倭族の行動がデフォルメされて神話として残り、百済では、征服者扶余の神話に置き換えられたと、鳥越は説明する。

倭族仮説の評価

以上、難解な鳥越の首記参考文献3冊をまとめ、要約して説明したが、鳥越の“倭族仮説”ともいえる説には、いろいろ問題がある。

①稲作の起源が、長江中流域だけでなく、多元的に、雲南でも10,000年前に開発されたと、この説は言うが、研究ノート07でも調べたように、雲南での稲作遺跡の年代は、ずっと遅く4,000~3,000年前程度である。説はこの事実と明らかに矛盾する。

②稲作が、長江下流域から北上して山東半島へ、さらに海を渡って朝鮮半島に伝わり、朝鮮南部から北部九州に伝播した、という考古学の知見を具体的に説明する仮説となっている点は評価される。

③しかし、山東半島から朝鮮への稲作の伝播時期が、春秋時代末の紀元前473年とされていることは、最新のC14年代見直しの流れ、すなわち、菜畑遺跡や板付遺跡の年代は3,000年前とされてきていることには反するものである。
(この点について、意外にも、鳥越は最初の著書「原弥生人の渡来」の中(p97)で、もし板付遺跡の年代が2,900年前と言うような場合は、周代の初め、成王(前1063~25)に討たれた淮国か穆(ぼく)王(前976~20)に討たれた徐国から倭人が流民化したのかもしれないと記述している。)

④倭族が先住の濊(わい)族や貊(ぱく)族を制して朝鮮半島に国々を築いたというが、朝鮮半島で7,000年前から櫛目文土器を作っていた原住民は、どんな民族だったのだろうか。韓族がこの説のように倭族の変名だとすると、朝鮮族はいなかったのかという疑問が残る。

⑤韓族が倭族の変名で、かつ日本列島の弥生人=倭人も倭族だとすると、それもせいぜい遡っても3,000年前の出来事だとすると、言語などにもっと近縁性があってもよいのではないか、などいろいろな疑問が生じる。

筆者は、稲作が長江下流域から山東半島を経由して朝鮮に伝わり、それから北部九州に伝播したと言う、稲作伝播の定説部分については同意できるが、それを担った人々が、雲南を故郷とする倭族であった。彼らこそ倭人(=越人)であったとするこの壮大な仮説には幾多の無理があるように感じられる。

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