藤井聡太物語(3): 衝撃のプロデビュー(2016年度の戦績)

前回は、藤井聡太少年の物語の第二回目として、奨励会時代の成績をまとめました。この第三回では、プロデビュー戦から破竹の快進撃で、世間に衝撃を与えた足跡のうちi
、2016年度(2016年10月から2017年3月末まで)の戦績をまとめます。

1.新旧天才対決

2016年(平成28年)10月1日、藤井聡太は、14歳2か月で正式に四段となり、史上5人目の中学生プロ棋士、史上最年少のプロ棋士となりました。今までの最年少記録は14歳7ヶ月で、1954年(昭和29年)8月に四段となり、史上初の中学生プロ棋士となった加藤一二三が保持していました。その記録を62年ぶりに更新したものですから、新しい天才が誕生した、という事で、世間の注目を集めました。

藤井四段のデビュー戦で、この二人が対決する事になったものですから、世間の関心はいやがうえにも高まりました。まるで、「作ったような」という言葉がふさわしい運命的な組み合わせが生まれたのです。実は、加藤九段は前年の順位戦の結果、C級2組からフリークラスへと降格していたので、この二人が順位戦で対局する事はありません。しかし、竜王戦第6組の組み合わせ抽選の結果、二人は対局する事になったのです。これは、将棋の神様が、きっと二人の対局を望んだ結果だと思います。

①かたや、史上最年長勝利記録を目指すかっての天才少年「加藤一二三」76歳、対するは、史上最年少勝利記録を目指す新しく誕生した天才少年「藤井聡太」14歳、年齢差も62歳ならば、プロ棋士としての史上最年少記録を塗り替えたのも62年ぶり。なにもかも好一対の二人は、2016年(平成28年)12月24日のクリスマスイブに、日本将棋会館の特別対局室で対局しました。特別対局室は18畳の広さで、そこで2局行われることもありますが、この日は、加藤VS藤井の一局だけでした。マスコミの取材は50名を超えており、それに対応できるように特別室での対局となったのです。

注: 二人の年齢さ62歳6ヶ月は、それまでの記録58歳7ヶ月を大幅に上回る新記録です。

②振り駒の結果、加藤九段の先手となりました。記録係の合図の後、両者一礼、そして、カメラのシャッター音が鳴り響く中で、加藤九段は7六歩と角道を開けました。藤井四段は、いつもの通り8四歩と飛車先の歩を伸ばしました。森下卓九段は、この8四歩について、「私はそれだけでも、藤井ファンなんです」、と絶賛しています。なぜならば、「8四歩は、相手が何できても受けて立つ、という王道の手」だからだそうです。

注: 森下九段は、タイトル奪取こそできませんでしたが、今までに6回タイトル戦の挑戦者となっており、また、一般棋戦でも8回優勝している強豪で、現在は日本将棋連盟の常務理事として重責を担っています。

③先手をとった加藤九段は得意の矢倉戦法に誘導しました。「矢倉を制する者は棋界を制す」と言われた時代に、加藤はその最先端の思想、手法、定跡を切り開き、天下を取りました。藤井四段も、「正攻法で教わりたい」と述べていた通り、加藤九段の注文に堂々と応じて、相矢倉の戦いとなりました。加藤は悪くない展開だと思っていましたが、わずかに攻め方を間違えたそうです。

④終盤で、藤井が上目でちらりと加藤を見ました。加藤は、その時、藤井が、「先生、私の勝ちでしょう?」、と目で語りかけたように感じられた、と後日対局を振り返った時に述べています。そして、110手目でついに加藤九段が投了し、藤井四段がデビュー戦を勝利で飾りました。戦いが終わって、二人はそれぞれ、感想を述べました。

藤井: 『戦いが始まったあたりからは、加藤先生の大局観の差を見せつけられて、苦しくしてしまったところもあったんですが、最後は何とか勝ちになって良かったです。いろいろ反省点もありますが、加藤先生と実際に対局出来て、とても勉強になりましたし、もっともっと強くなりたいと思いました。竜王や名人といったタイトルをいずれは取りたいという思いは強いんですが、まずは自分の実力をあげる、という事を当面の目標として頑張っていきたい、と思っています。』

加藤: 『途中ではいいと思っていましたが、渋い手と鋭い手をうまく差されて苦しくなりました。大局観が優れていて、終盤の寄せが速いのには驚きました。初めて戦ってみて、大変素晴らしい才能の持ち主だと思いました。』

⑤藤井四段の感想は、謙虚で前向き、飽くなき向上心をうかがわせるものです。一方、加藤九段の感想は、率直に、自分の最年少記録を抜き去った藤井少年の才能を認め、良き後継者を得た、という感慨があふれるものでした。

⑥この対局の模様はインターネット中継などで放送され、藤井の勝利は、テレビのニュースなどで全国に報じられました。藤井の連勝街道はここから始まり、やがて、テレビのワイドショーなどを席券して、全国的な藤井フィーバーへと発展していくのですが、この時点でそこまで予測した人は一人もいませんでした。もっとも、正確に言えば、師匠の杉本七段だけは、「もしかしたら・・・」という期待を抱いていたかもしれません。

藤井少年のさわやかなデビューは、実は、将棋界にとって「救世主」とも言える出来事の始まりだったのです。藤井少年が、史上最年少で5人目の中学生プロ棋士となる直前の2016年夏頃に「不正疑惑騒動」が起こり、将棋界に深刻な衝撃を与えました。一流棋士の一人、三浦弘行九段が、「竜王戦挑戦者決定戦などで、スマホ等でソフトにアクセスし、指し手の参考にして勝っていたいたのではないか」、と疑われ、竜王戦七番勝負の挑戦者が交代し、三浦弘行九段は公式戦欠場という処分を受けました。(この疑惑騒動は、結局、思い違いで、三浦弘行九段の潔白が認められ、将棋連盟会長以下の執行部が退陣し、2017年2月に新執行部が発足して収拾しました)。

彼が、将棋界にもたらした明るい光については、これからも、その都度、まとめていきたいと思っています。

2.藤井四段、新人連勝記録に並ぶ

2017年1月26日、藤井四段は公式戦第二戦を迎えます。そこから勝ち続け、3月23日にデビュー以来10連勝を飾り、新人連勝記録に並びます。新人連勝記録は、生涯一度しかチャンスの無い記録ですので、10連勝目にはわずかながら取材陣が現れますが、二戦目以降は、ほとんど取材陣は現われませんでした。ここでは、公式戦2勝目から10勝目までの記録を眺めます。

(1) 2連勝 (2017年1月26日 棋王戦予選、関西将棋会館)

①藤井四段のプロ2戦目は、関西将棋会館で行われた棋王戦予選で、豊川孝弘七段との対局でしたが、取材陣はほとんどいませんでした。先手番の藤井は、角換わり戦法から、いきなり桂馬を跳ねだして仕掛けました。そして、85手目で豊川七段が投了し、藤井四段が2連勝しました。豊川は、「おやじギャグ」の大家として知られており、対局後の感想戦で、「そうたったのか」とつぶやいたので、思わず、藤井がクスリと笑ったそうです。

②豊川孝弘七段は1967年(昭和42年)2月生まれの51歳。1991年(平成3年)24歳で四段昇段、2009年(平成21年)にB級1組に昇級し七段となった実力者です(現在はC級1組)。長い間、関東奨励会で幹事を務め、熱血教官として後進の指導に当たっていました。NHK将棋講座も担当し、NHK杯で禁じ手の二歩を指して反則負けした事でも有名です。豊川は、この後の藤井ブームで多くのテレビ番組に解説役として出演する事になり、ダジャレを連発して、将棋界のダジャレ王と呼ばれるようになりました。

(2) 3連勝 (2月9日 竜王戦6組ランキング戦、関西将棋会館)

①藤井四段のプロ公式戦3戦目の相手は浦野真彦八段、会場は関西将棋会館、取材陣はほとんどいませんでした。この対局も角換わりとなりましたが、先手の浦野は「居王に棒銀」というプロでもなかなかやらない珍しい戦法で揺さぶりをかけました。一方、後手番の藤井は今回も桂馬を跳ねだして急戦となりました。乱戦のさなか、飛車角交換となり、角二枚を持ち駒にした藤井がその一枚を自陣に据えました。これが、攻防に利く「角」となり、48手という短い手数で、藤井の勝利となりました。藤井は、今までの常識を超える桂馬と角の使い方で連勝し、才能の一環を示しました。

②浦野真彦八段は1964年(昭和39年)3月生まれの54歳。19歳で四段昇段、2012年(平成24年)に勝数規定で八段に昇段、B級1組まで昇った実力者ですが、2014年以降体調を崩してC級2組まで降級し、2016年度(平成28年度)を最後にフリークラス宣言をしてフリークラスへ移りました。浦野は詰将棋作家としても高名で、その分野での最高の栄誉である看寿賞を二度受賞しています。そして、詰将棋の縁で、藤井が小学校2年生の終りに、詰将棋解答選手権に参加して好成績を挙げた時、藤井の非凡な才能に注目したそうです。

③なお、浦野は、東海研修会に指導に行った時に、そこで世話役の人から「この子は、最年少棋士になるって、言ってるんですよ」と、当時小学校2年生だった藤井を紹介されました。浦野は、最年少棋士になんかなれるわけがない、と思いながら、飛車角の二枚落ちで、藤井少年と対局して敗れました。浦野は、この時、藤井の集中力に驚かされたと言っています。普通、子供は、対局中にじっと将棋盤を見つめているなんて事は出来ないそうです。自分が指すと、こちらが指すまでの間、まわりをきょきょろ見まわしたりするのが普通の子なのに、藤井は、じっと将棋盤を睨みつけるように眺め続けていたので、とても驚いたとの事でした(参考文献11.羽生善治と藤井聡太、普通の子供が天才になる11の「思考ルール」、横居歩、双葉社)。

④その時の子供が、宣言通り最年少プロ棋士となって、自分の目の前に現れ、自分を負かしたのです。浦野八段もある種の感慨に襲われたのではないでしょうか?

(3) 4・5・6連勝 (2月23日 NHK杯予選、関西将棋会館)

2月23日、藤井四段はNHK杯の予選に臨みました。NHK杯は早指しの棋戦で、その本戦は、毎週日曜日、Eテレで午前10時半から放映されますが、本戦出場者は50人に限定されます。序列上位であったり、タイトル保持者等はこの50人にシードされますが、残りの棋士は予選から勝ち上がる必要があります。予選は、勝ち進めば一日に最大三局指す事になります。藤井四段は、この日、勝ち進んで、デビューからの連勝記録を6に伸ばしましたが、この日も取材陣はほとんどいませんでした。

①4戦目の相手は、3戦目と同じ浦野真彦八段でした。後手番の浦野が、途中から定跡をはずして攻め込みましたが、藤井は手堅く受けて、今回も87手という短い手数で勝ちました。なお、浦野は、詰将棋の縁と、藤井に連敗したというところから、藤井が連勝を伸ばすにつれて、藤井について感想を求められる機会が増えてきましたが、前述の参考文献11の中で、次のように述べています: 『二度負けましたけど、悔しさは全くなかったですね。藤井さんの場合は、最短でスパッと気持ちよく負かしてくれる。むしろ、さわやかな気分でした。私が対局した時は、29連勝までいくなんて、全然、思いませんでした。』

②5戦目は、北浜健介八段との戦いとなり、後手番の北浜はゴキゲン中飛車を採用しました。中盤での激しい戦いの後、127手目で藤井が勝利をおさめました。

1)北浜八段は1975年(昭和50年)12月生まれで現在42歳、1994年(平成6年)18歳の時に四段に昇段し、2013年に勝数規定により八段昇段。棋士と学業を両立させて、早稲田大学社会科学部を卒業した、という異色の経歴を持っています。

2)北浜もまた浦野と同じように詰将棋の名手として知られており、2007年の詰将棋解答選手権で優勝しています。そして、詰将棋の関係で、藤井の才能は小学校低学年の頃から認識していました。

③6戦目(NHK杯予選の3局目で、予選の決勝戦となります))の相手は、反対側の山から勝ち上がってきた竹内雄悟四段。二人はテレビ放映されるNHK杯本戦出場をかけて戦いました後手番の竹内に作戦は四間飛車、一方、藤井は、居飛車穴熊作戦で対抗します。竹内の急戦に対して藤井も強気で応じて激戦となりましたが、最後は藤井が押し切り、111手目で竹内が投了し、藤井の6連勝となりました。

1)竹内1987年(昭和62年)12月生まれで30歳、2013年(平成25年)、奨励会の年齢制限である26歳に達する直前に四段に昇段しました。竹内の師匠は、「聖の青春」で有名となった村山聖の師匠でもあった森信雄七段。名伯楽として知られ、一門には、糸谷哲郎八段(竜王位を獲得した事がある)、山崎隆之八段(NHK杯で2回優勝等、棋戦優勝8回)等々の強豪がそろっています。

④藤井四段は、この日の3連勝で、デビュー以来の公式戦連勝記録を”6”として、羽生善治、渡辺明と並びました。なお、有名棋士達もデビュー早々から勝ち星を重ねる、という事はほとんどありません。例えば、大山時代を引き継いで、中原時代を築いた中原誠十六世名人は、デビュー戦から2連敗しました。また、二人目の中学生プロ棋士の谷川浩司(十七世名人資格保持者)は、デビュー戦でいきなり負けています。

(4) 7連勝 (3月1日 王将戦予選、関西将棋会館)

①藤井四段の公式戦第7戦は、3月1日関西将棋会館で行われた王将戦の第一次予選で、相手は有森浩三七段でした。デビュー以来の連勝記録が、羽生や渡辺明を抜き去るかもしれない対戦でしたが、世間的な関心は低く、取材陣はほとんどいませんでした。先手の有森が、向かい飛車で、早めに角交換をした後、穴熊に組みました。有森が飛車を移動させて動こうとするところで、藤井が自陣に角を据えます。藤井の特徴の一つは角使いのうまさ、この角が攻防手として良く働き、中盤で大差がつきます。そして、72手目で有森が投了、藤井は、これで7連勝、羽生や渡辺の記録を抜きましたが、まだまだ誰も注目していませんでした。

②有森七段は、1963年(昭和38年)2月生まれで現在55歳、1983年(昭和58年)20歳の時に、四段に昇段しました。1994年度(平成6年度)には、B級2組まで昇級しましたが、その後、健康を害して休場と再出場を繰り返しました。2000年(平成12年)に勝数規定により七段に昇段しました。2006年度(平成18年度)にフリークラス宣言をして、順位戦から離脱しています。

(5) 8連勝 (3月10日 新人王戦、関西将棋会館)

①公式戦第8戦は、3月10日関西将棋会館で行われた新人王戦で、相手は、藤井と同期で四段に上がった大橋貴洸四段でした。角換わり腰掛銀から、先手番の大橋が藤井のミスに乗じて優勢になります。観戦者の誰もが藤井大ピンチと見ていた局面で藤井が、角をわざと香車で取られる場所に逃げるという鬼手を指します。この応対に大橋が間違って、形勢は逆転、144手という長い手順の末、藤井の勝利となりました。

②将棋においては、ミスのゲームだそうです。いい手を指して勝つのではなく、最後にミスをした方が負けるゲームです。「勝因となった一手」はありませんが、「敗因となった一手」はあります。藤井の強さの秘密は、大きなミスをしない事、劣勢になっても粘り強く差して相手のミスを待つことが出来る事、という点にあると分析されています。その特徴が、早くもこの対局で出ていて、逆転に成功したのです。

③大橋四段は、1992年(平成4年)9月生まれで現在25歳、2016年(平成28年)24歳の時に、藤井と二人、同期で四段に昇段しました。藤井とは、三段リーグで対戦し敗れています。なお、藤井が2012年(平成24年)10歳で奨励会入りした時、大橋は20歳で、すでに三段でした。2015年(平成27年)、大橋は新人王戦で決勝戦まで勝ち上がりましたが、菅井竜也六段(現在は王位)に1勝2敗で惜しくも敗れてしまいました。

(6) 9連勝 (3月16日 竜王戦6組ランキング戦、東京将棋会館)

①9戦目の相手は、所司和晴七段、竜王戦6組ランキング戦の3回戦、対局は東京将棋会館で行われました。新人の連勝記録に近づいてきたので、取材陣が、少し現れるようになりました。角換わり腰掛銀の戦いで、先手の藤井の攻撃に乗じて所司も反撃し優位に立ちかけましたが、チャンスを逃してしまい、そこからは藤井がうまく攻めて快勝します。

②所司は、1961年(昭和36年)10月生まれで現在56歳、1985年(昭和60年)23歳の時に四段に昇段。2005年に勝数規定により七段に昇段、そして、同年、C級2組で降級点2点となったところでフリークラス宣言をしました。プロとなってからの戦績はパッとしないのですが、所司門下からは、渡辺明棋王等多数の有力棋士が誕生しており、西の森信雄七段と並んで、現代の名伯楽として知られています。

注: 1.所司門下の有力棋士: 渡辺明棋王、松尾歩八段、宮田敦史六段(「詰将棋解答選手権」のチャンピオン戦において過去6回(第1回 – 第3回、第5回 – 第6回、第10回)優勝しています)、石田直裕五段、石井健太郎四段、近藤誠也五段、大橋貴洸四段。

2.森門下の有力棋士: 村山聖八段(故人)、糸谷哲郎八段、山崎隆之八段、大石直嗣七段、千田翔太六段、澤田慎吾六段、増田祐司六段、安用寺孝功六段、片上大輔六段、竹内雄悟四段、西田拓也四段。

③また、所司は普及活動にも熱心で多くの著書を出版しています。藤井も幼い頃に将棋教室で参考にしていた『決定版駒落ち定跡』は、初心者向けの名著の一つに挙げられています。

(7) 10連勝 (3月23日 棋王戦予選、関西将棋会館)

①藤井のデビュー以来の連勝記録が、従来の記録と並ぶかどうか、という10戦目になると、取材陣も少しは現れるようになりました。そのような注目の中、関西将棋会館で行われた公式戦10戦目の対戦相手は、8戦目と同じ大橋四段でした。年齢が10歳も上の大橋でしたが、藤井が入室する前に下座に着いて、藤井を上級者として立てていました。後手番となった大橋は、三間飛車の作戦、藤井が穴熊に組み上げる前に積極的に仕掛けていった。藤井は、じりじりと優位を築いていったが、大橋も入玉を狙って粘る。しかし、127手目で大橋が投了して、藤井が10連勝を達成し、今までの記録に並びました。

②デビュー以来10連勝の記録を持っている棋士は以下の二人です。

1)松本佳介六段: 1971年(昭和46年)12月生まれで現在46歳、1995年(平成7年)10月に23歳で四段に昇段、竜王戦では活躍し、3組まで昇級しましたが、順位戦では振るわず、C級2組から昇級する事が出来ないまま、2012年に降級点が2点となったために、フリークラス宣言をしました。なお、2008年に、勝数規定により六段に昇段しました。

2)近藤正和六段: 1971年(昭和46年)5月生まれで現在46歳、1996年(平成8年)10月に25歳で四段に昇段。「ゴキゲン中飛車」と呼ばれる現代の一大人気戦法を開発し、2001年度に升田幸三賞を獲得しました。2004年度には、37勝8敗、勝率.8222の成績で勝率第一位賞、また14連勝で連勝賞のダブル受賞。さらに、同年順位戦でC級1組にも昇級しました。2007年に勝数規定により六段に昇段しましたが、順位戦ではC級1組のままです。

③前項で述べたように、デビュー以来の連勝記録を持っていた二人は、いずれも20歳になってからやっと四段になっており、プロになるのに大変苦労した、という共通点を持っています。これに対し、藤井四段は三段リーグを一期抜けして、史上最年少でプロになったわけですから、対照的と言えます。

④藤井四段がデビュー以来の連勝記録に並んだ、という事は、報道によって広く伝えられました。このため、慣例上、すぐには発表されないNHK杯予選での3連勝も明らかとなり、史上最年少プロ棋士の藤井が10連勝を達成したという事で、空前の藤井フィーバーはここから始まった、と言えるでしょう。

(8) 10連勝の足跡

日本将棋連盟は、4月から翌年の3月までを「年度」という単位でくくって、将棋大賞等の表彰を行っています。藤井四段は、2016年10月にプロ棋士になりました(四段に昇段しました)ので、2016年度が、プロ入り初年度となりました。その初年度に、いきなり、デビュー以来10連勝というタイ記録を打ち立てました。その記録の足跡を、下の表1にまとめて示します。

 表1 藤井四段 10連勝の足跡
 勝利  対局日  棋戦の内容  対局相手  結果
初勝利 2016年12月24日 第30期竜王戦 6組1回戦 加藤一二三 九段 △後手 110手 勝ち
2連勝 2017年1月26日 第43期棋王戦 予選2回戦 豊川孝弘 七段 ▲先手 85手 勝ち
3連勝 2017年2月9日 第30期竜王戦 6組2回戦 浦野真彦 八段 △後手 48手 勝ち
4連勝 2017年2月23日 第67回NHK杯 予選1回戦 浦野真彦 八段(2度目) ▲先手 87手 勝ち
5連勝 2017年2月23日 第67回NHK杯 予選2回戦 北浜健介 八段 ▲先手 127手 勝ち
6連勝 2017年2月23日 第67回NHK杯 予選決勝 竹内雄悟 四段 ▲先手 111手 勝ち
7連勝 2017年3月1日 第67期王将戦 1次予選1回戦 有森浩三 七段 △後手 72手 勝ち
8連勝 2017年3月10日 第48期新人王戦 2回戦 大橋貴洸 四段 △後手 144手 勝ち
9連勝 2017年3月16日 第30期竜王戦 6組3回戦 所司和晴 七段 ▲先手 107手 勝ち
10連勝 2017年3月23日 第43期棋王戦 予選3回戦 大橋貴洸 四段(2度目) ▲先手 127手 勝ち

①この10連勝の中で、2回対局した棋士が、浦野八段と大橋四段の二人いますので、実際に戦った棋士は8人になります。この8人の中で最高位は、初戦で対戦した加藤九段、タイトルを8期獲得(名人1期・十段3期・王位1期・棋王2期・王将1期)し、タイトル戦にはこの8期も含め24期登場した強豪です。ただし、藤井四段と対戦した時には、C級2組から降級してフリークラスとなっており、、全盛期と比べると気力はあっても棋力はかなり落ちています。

②残りの7人についても、かっての強豪か、あるいは、プロ入り間もない若手棋士であり、トップクラスの棋士はいません。その意味で、10連勝は凄い事であり、世間的にも注目されましたが、藤井四段の実力については、まだまだ、評価が高いという程ではありませんでした。従って、この時点で、彼が、この後、29連勝という大記録を打ち立てると予想している人は誰もいませんでした。

藤井四段の2016年度の公式戦の戦績は、10連勝という素晴らしいものでしたが、彼は、このほかに、非公式戦でも戦っています。一つは、彼の実力を世間に認めさせるきっかけとなった「炎の七番勝負」(AbemaTV主催)であり、もう一つは、「獅子王戦」(ニコニコ動画)です。これら二つの非公式戦は、3月末までに行われましたが、結果がすべて放映されたのは4月に入ってからでした。非公式戦での状況は次項以降で解説します。

3.炎の七番勝負

藤井フィーバーに火をつけた一つが、インターネットテレビ局AbemaTV(アベマTV)で放映された「炎の七番勝負」です。

2017年2月、アベマTVは、将棋チャンネルを開局したのですが、その準備段階で記念企画が検討された結果、アベマTV開局と同じ頃にプロデビューした藤井四段に登場してもらおうという事になったのです。番組の表題は「藤井聡太四段 炎の七番勝負」です。対局相手は、10代の若手棋士から40代のタイトル経験者、A級棋士で、最大の目玉は、羽生三冠(王座・王位・棋聖)との対局でした。

藤井四段は、デビュー戦前の12月中旬、師匠の杉本昌隆七段を通じてその企画を知らされました。いきなりトップ棋士らと対局する機会が与えられてかなり驚いた様子でしたが、教えてもらう喜びで承諾したそうです。7人のメンバーは、順次紹介しますが、錚々たる顔ぶれであり、新人棋士は、「2勝したら大殊勲、1勝でも殊勲、全敗でもやむを得ない」という前評判でした。実際に、第一局の放送前日までのファンによる予想投票は、右の通りでした: 0~2勝 44%、 3~4勝 43%、 5~6勝 9%、 全勝 4%。

全勝を予測したファンが4%いたというのも驚きですが、これは、最年少プロ棋士に従来の常識を打ち破る天才ぶりを発揮して世間を驚かせてかせて欲しい、という夢の表現と思われます。

炎の七番勝負の対局は、中学生の藤井に合わせて毎週日曜日に行われました。対局場は、東京・渋谷のアベマTVの施設、持ち時間は各1時間(ただし、最終局だけは持ち時間2時間)、収録は1日に2局。従って、実際の対局は3月末までに終わりましたが、放映は、毎週日曜日に1局ずつだったので、最終局の放映は4月26日で、翌年度になっていました。しかし、炎の七番勝負は年度内に終了していますので、その結果をここにまとめて示します。

(1) 第1局 (放映日 2017年3月12日) 藤井勝利

①「炎の七番勝負」一局目の対戦相手は、増田康弘四段。1997年11月生まれで現在20歳ですが、藤井と対局した時は19歳、藤井と二人だけの10代プロ棋士でした。藤井の先手で、角換わり腰掛銀という最近はやりの戦法になりました。激しい中盤戦の後、際どい終盤戦となり、増田の66手目、8六香の王手で、藤井玉の受けが難しいように見受けられました。ここで、藤井の指した9七王が、インターネット視聴者のみならずプロでもうなる絶妙の一手でした。この後、まだまだ厳しい戦いが続きましたが、最後は、95手目で藤井の勝利となりました。「全敗してもおかしくないと思っていた七番勝負の初戦で勝ててほっとしました」と藤井は感想を述べ、「1年前に完敗した増田四段に勝てたことが何よりも嬉しかった」と付け加えました。

②この勝負の放映前に、藤井は8連勝を達成しており、今回の勝利で、周りの注目度も大きくアップしました。

③増田は、中学3年生になる直前に三段に昇段し、中学生プロ棋士となれる可能性もありました。しかし、三段リーグを抜けるのに5期30ヶ月(2年半)かかったために、四段になった時は16歳で、惜しくも中学生プロ棋士となるチャンスを逃しました。それでも、藤井がプロデビューするまでは唯一の十代棋士として注目を集めており、新人王戦では、2016年・2017年

(2) 第2局(放映日 3月19日) 貴重な敗戦

①第2局の対戦相手は、永瀬拓矢六段。17歳で四段に昇段し、「将棋は努力がすべて」と語るほどの努力家で、研究熱心で知られる若手の有力棋士です。先手の藤井は、角道を開けて角換わりを目指しましたが、永瀬は、ゴキゲン中飛車で対抗しました。これは、藤井にとっては予想外に作戦だったようで、中盤から終盤にかけて、永瀬が徐々に差を広げ、最終盤では永瀬の優位は不動のものとなっていました。そこで、藤井が一瞬、あきらかにがっかりした顔を見せました。114手目で藤井が投了、七場勝負は、藤井の1勝1敗となりました。

②永瀬拓矢は、1992年9月生まれで現在25歳、タイトル戦には今まで2回挑戦しました(2016年度棋聖戦、2017年度棋王戦)が、タイトル奪取はできませんでした。2009年、17歳で四段に昇段後、2012年五段の時に、若手の登竜門としての新人王戦と加古川清流戦で優勝しています。

③藤井が1勝1敗となった事で、周囲は、残りの5戦で1回でも勝てれば上出来で、もしかしたら、5連敗するかもしれない、と感じていたそうです。

(3) 第3局(放映日 3月26日) 学生服で2勝目

①第3局は、斎藤慎太郎六段との対戦でした(斎藤は、収録時には六段でしたが、その後、B級1組に昇級し、七段になっています)。振り駒の結果、先手は藤井、後手の斎藤は第2局と同じく中飛車を選びました。37手目、藤井が指した「1一銀不成」が、プロをもうならせた妙手でした。普通は、「1一銀成」と指すのですが、そこを「不成」とし、次いで39手目、「2二銀成」と指した事で、藤井の非凡さを世間に知らしめたのです。この対応に斎藤は長考に沈みましたが、結局妙手は見つからず、そこから、一気に敗勢になっていきました。そして、91手までで藤井の勝利となりました。

②斎藤慎太郎は、1993年4月生まれで現在25歳、2017年度の棋聖戦で羽生棋聖に挑戦しましたが、2勝3敗で惜しくも敗れました。2015年度と2016年度の2期連続して将棋大賞の勝率第一位賞を獲得しています。また、藤井と同じく、詰将棋を得意としており、解答選手権では、今までに2回優勝しています。

③藤井の七番勝負はこれで、2勝1敗となり、デビュー以来の公式戦10連勝中の話題と相まって、炎の七番勝負の行方にも世間の関心は高まっていきました。

(4) 第4局(放映日 4月2日) 3勝目をあげる

第4局以降の放映日は、年度を変わってからになりましたが、実際の対局は年度内に行われていたので、ここで解説していきます。

①第4局は、中村太地六段との対戦でした。戦形は角換わり腰掛銀、後手番の中村が先攻しますが、藤井も使いにくい駒と言われる桂馬を自陣に据えて対抗し、お互いに玉を寄せ合う終盤戦に突入します。どちらが勝つか手に汗握る熱戦となりましたが、藤井の指した「2二と」が「と金の遅速(おそはや)」(と金による攻めは遅いようで速い)と格言が教える通りの妙手で、一気に勝利を呼び込みました。この勝利で、七番勝負は3勝1敗となり、後は、A級棋士でタイトル獲得経験者、との対局となりました。

②中村太地は、1998年6月生まれで現在30歳、2006年春に四段昇段、2011年度には40勝7敗(勝率0.8511)で将棋大賞の勝率第一位賞を獲得、勝率8割5分以上は、1967年に中原誠が記録した0.8545(47勝8敗)に次いで史上二人目の快挙でした。2012年度に棋聖戦、2013年度に王座戦に挑戦者として登場し、当時のタイトル保持者羽生善治に挑みますが、残念ながらタイトル獲得はできませんでした。しかし、昨年、ついに羽生王座を3勝1敗で破って王座のタイトルを獲得します。

③中村太地は早稲田大学の政治経済学部を卒業し、NHKのニュース番組でレギュラーコメンテーターを務めたこともある、将棋界きってのインテリ棋士です。また、西の斎藤慎太郎に対して、東のイケメン棋士の代表格となっています。

(5) 第5局(放映日 4月9日) A級棋士を破る

第5局目からは、A級棋士(深浦康市九段)との対戦が始まり、いよいよ。藤井の真価が試される対局となりました

①第5局の相手は、深浦康市九段、A級在籍中で、王位を3期獲得し、その3期を合わせて、タイトル戦に8期も登場しているベテランの一流棋士です。深浦九段の先番で始まった対局は、相矢倉へと進み、一進一退の攻防となりました。しかし、藤井は、中盤で放った受けの妙手で優勢となってからは、最後までミスなく的確な指し手を続け、122手目でついに勝利を掴みました。藤井は、「A級の先生を相手に自分の実力を出し切れました」と感想を述べました。

②深浦康市は、1972年2月生まれで現在46歳、1991年10月に19歳で四段に昇段してプロ入り、2004年に八段(A級昇級で)、2008年に九段(タイトル2期、朝日オープン選手権者一回優勝の合計3期で)に昇進しました。前述の通り、タイトル戦に8回登場(うち、3回はタイトル獲得)、一般棋戦では9回優勝しています。これだけの実績を持つ強豪を負かしたのですから、藤井の勝利が明らかになった時(藤井が、11連勝を飾ってデビュー以来の新記録を達成した後でした)には、世間の注目は一気に高まりました。

③深浦は、藤井が四段に昇段したばかりの頃に練習将棋を指して勝ったそうです。その時には序中盤の力で、藤井を抑え込んで、終盤になった時には手も足も出ない状態に追い込んで負かしました。ところが、負けた時の悔しがり方が尋常ではなく、深浦は、その時に、「この子は、もう一丁前にA級と対等でいるんだ」、と半ばあきれた(感心した?)そうです。深浦は、その時から、半年もたたないうちに負けたわけですが、藤井の序中盤の力が大きく向上し、彼が元々持っていた抜群の終盤力にやられてしまった、と率直に感想を述べています。

(6) 第6局(放映日 4月16日) 名誉棋聖を破る

①第6局の相手には、日本将棋連盟会長の佐藤康光九段が登場しました。竜王1期、名人2期、棋王2期、王将2期、棋聖を6期、合計13期のタイトル格闘を誇ります。そして、永世棋聖の資格を獲得しています。タイトル戦登場回数は37回、一般棋戦優勝は12回を誇る、超一流棋士です。

②佐藤は、藤井との対局に和服で臨みました。一方、藤井は学生服で対局し、好一対の対局風景となりました。後手番となった佐藤は、角換わりから向かい飛車に振るという自由奔放な戦形をとりました。しかし、中盤から終盤にかけて、藤井が徐々に優勢を築き、見事な手順で寄せの形を作り、95手で勝利しました。炎の七番勝負における藤井の対戦成績は、これで5勝1敗となり、彼の天才ぶりが、ますます世間に注目されるようになりました。

③佐藤康光は、1969年10月生まれで現在48歳、1987年3月に17歳で四段に昇段してプロ入りしました。1996年にA級に昇格して八段に昇段、1998年に名人を獲得して九段し昇段しています。現在、順位戦ではA級在籍(現在まで、A級以上在籍21期)、竜王戦では1組に在籍(現在まで、1組以上在籍25期)しているトップ棋士の一人です。

(7) 第7局(放映日 4月23日) 羽生善治を破る

①炎の七番勝負の最後に登場したのは、史上最強と言える羽生善治三冠(対局当時は、王位・王座・棋聖の三冠)。それまで、5勝1敗と大きく勝ち越していたので、この対局は大きな関心を呼びました。非公式戦とはいえ、新しく登場した天才少年藤井が、一昔前の天才少年羽生善治に挑む夢の対決が、ついに実現したのです。この対局は、持ち時間が今までの2倍の2時間となりました。

②先手の藤井四段が、角換わりから急戦に持ち込み、的確な指し手で羽生三冠を追い込みましたが、劣勢を挽回すべく羽生三冠は、金をただで捨てる勝負手を放ちます。相手の意表をつく「羽生マジック」と恐れられた鬼手ですが、藤井四段は冷静に対処して羽生玉を追いつめ、111手でついに羽生が頭を下げました。新時代の天才少年が、史上最強の棋士を破った瞬間でした。参考文献5によれば、藤井四段は、終局後のインタビューで、「僕の立場で羽生先生と対局できるというのは、本当にめったにない機会ですので、もちろん、ありがたいと同時に、緊張というか、そういった気持もありました。・・・(6勝1敗という結果については)自分の実力を良く出し切れたと思いますし、本当に望外の結果だったと思っています」と謙虚に述べています。一方、羽生三冠は藤井について、「今の時点でも非常に強いと思うんですけれども、ここからまた、どれくらい伸びていくか、凄い人が現れたなあ、と思いました」と語っています。

③藤井と羽生の対局が放映されたのは、4月23日でしたが、終了時刻が午後11時を過ぎるため、マスコミへの配慮から、結果は放映前に、マスコミ各社に通知されました。この通知を見た「参考文献10」の著者は、本の中で、「知ってはいけないものを知った気になった。いくら目をこすっても『藤井四段の勝ち』とあえうではないか」、と驚きを率直に述べています。藤井四段が、羽生三冠に勝った、という事はまさに衝撃をもって受け取られたのです。

(8) 炎の七番勝負の足跡

炎の七番勝負の足跡を左の表2にまとめます。

表2 藤井四段 炎の七番勝負の足跡
対戦相手 放映日 勝敗 結 果
第1戦 増田康弘四段 2017年3月12日 先手、95手で勝利
第2戦 永瀬拓矢六段 2017年3月19日 先手、114手で敗北
第3戦 斎藤慎太郎七段 2017年3月26日 先手、91手で勝利
第4戦 中村太地六段 2017年4月2日 先手、117手で勝利
第5戦 深浦康市九段 2017年4月9日 後手、122手で勝利
第6戦 佐藤康光九段 2017年4月16日 先手、95手で勝利
第7戦 羽生善治三冠 2017年4月23日 先手、111手で勝利

①炎の七番勝負を、野月浩貴八段と企画した鈴木大介九段は以下のように述べています:

“アベマTVの開局にあたって、何か将棋にも目玉企画が欲しいという話をいただいた時、昔、羽生さんが新人王戦で優勝した時に、将棋世界誌で羽生新人王が当時のタイトルホルダー5人と対戦したという企画を参考にしました。ただ、ある程度実績のあった羽生さんと違い、その時点での藤井君の実力はまだ未知数の段階だったので、「藤井君が全敗したら困る」、と皆さんも心配したし、私も心配しました。今となっては、見る目が無かった、という事ですよね(参考文献4から引用)。”

注: 羽生四段(新人王)と5人のタイトルホルダーとの戦いは、右の表3に示した通り、羽生の4勝1敗となって、羽生の凄さを世間に知らしめました。

表3 羽生四段VSタイトルホルダー
   相 手 勝敗
第1局  中村修 王将
第2局  桐山清澄 棋聖
第3局  高橋道雄 二冠(王位・棋王) 
第4局  福崎文吾 十段
第5局  中原誠名 人

②炎の七番勝負は、企画した野月・鈴木の両棋士も、放送を決めたアベマTVも、内心ドキドキのままスタートしました。ところが、いざ蓋を開けたら、すべて杞憂に終わり、大成功の企画となりました。

③第一回目の放映が始まった時には、藤井四段はデビュー以来8連勝を遂げており、すでにかなりの注目を集めていました。そのご、連勝を重ねるにつれて、注目はさらに高まり、とくに、藤井の5勝1敗で迎えた、羽生との対局は大きな関心を呼びました。

④藤井が羽生を破った事で、藤井フィーバーはさらに大きくなり、藤井四段は将棋界の大スターになったのです。

4.その他の非公式戦の結果

藤井四段は、炎の七番勝負以外にも非公式戦を二局戦っています。それは、2017年3月26日に行われた「獅子王戦」です。将棋をテーマにした「3月のライオン」という映画の前編が、3月18日に封切され、それを盛り上げる企画として「ニコニコ動画」が、早指し棋戦(持ち時間10分、秒読み30秒)「獅子王戦」を企画しました。登場棋士は、先崎学九段、加藤一二三九段、羽生善治三冠(王座・王位・棋聖)、藤井聡太四段の4名でした。準決勝で、先崎と藤井、加藤と羽生が対戦し、それぞれの勝者が決勝戦で戦う、という一夜限りの「獅子王戦」でした。藤井四段の獅子王戦の結果を右下の表4にまとめます。

表4 藤井四段 獅子王戦
対局日 対戦相手 勝敗
2017年3月26日 先崎学九段
2017年3月26日 羽生善治三冠

①準決勝戦では、藤井四段と、羽生三冠が勝って、決勝戦に進みました。

②決勝戦は、藤井四段と羽生三冠の対決となりました。二人の対局は実はこれが2回目なのです。炎の七番勝負の放映は4月23日でしたが、実際の対局は、2月18日に行われたからです。

③先手の羽生三冠が、藤井システム(藤井猛九段が考案した四間飛車の戦法)を使ったので、大盤解説の佐藤天彦名人が言葉を選ぶのに苦労するという展開となりました。中盤から終盤にかけて千日手模様になりましたが、羽生三冠がそれを嫌って決着をつけにいき、最後は一手差勝ちという見事な勝利を収めました。

④炎の七番勝負での羽生戦の結果が放映されたのは、4月23日でしたから、この獅子王戦の結果により、羽生と藤井の戦いは、羽生の先勝として公表されました。

5.最後に

今回は、藤井聡太のプロデビュー初年度(1976年10月1日から1977年3月31日まで)の成績をまとめました。そして、その成績が、今までのどの棋士よりも素晴らしかったために、将棋ファン以外にも大きな関心を呼び起こしました。

①公式戦ではデビュー戦で、「神武以来の天才」と謳われた加藤一二三との新旧天才対決を制して話題をさらい、そこから10連勝して、今までの記録と並びました。羽生善治や渡辺明も6連勝でストップしましたので、二人の記録を大きく塗り替えたわけです。この連勝記録が、どこまで伸びるのか、世間の関心は高まってきました

②炎の七番勝負の結果は、3月末までは2勝1敗でしたから、せいせきについては健闘している、というイメージではありましたが、それほどの関心は呼び起こしませんでした。しかし、第3局目(斎藤慎太郎戦)の「1一銀不成」は、妙手として玄人をもうならせました。

③獅子王戦では、羽生が順当に勝利したのですが、終盤で見せた藤井の粘りが、非凡な才能を示すものとして注目されました。

聡太少年が、29連勝を達成し、藤井フィーバーと称される社会現象については、次回、まとめる事とします。

参考文献:

1.「神を追いつめた少年」(「将棋世界」(日本将棋連盟)、2017年8月号~2018年4月号、に連載されたドキュメント記事)
2.「中学生プロ棋士列伝」、洋泉社
3.「藤井聡太 新たなる伝説」、別冊宝島
4.「天才棋士降臨 藤井聡太」、日本将棋連盟
5.「藤井聡太 天才はいかにして生まれたか」、松本博文、NHK出版新書
6.「天才 藤井聡太」、中村徹・松本博文、文藝春秋
7.「等身の棋士」、北野新太、ミシマ社
8.「伝説の序章 天才棋士 藤井聡太」、田丸昇、清流出版
9.「弟子・藤井聡太の学び方」、杉本昌隆、PHP研究所
10.「藤井聡太 名人をこす少年」、津江章二、日本文芸社
11.羽生善治と藤井聡太、普通の子供が天才になる11の「思考ルール」、横居歩、双葉社
12.日本将棋連盟のホームページ

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