羽生永世七冠への道

前回までは将棋の歴史をまとめて、平成10年まできましたが、昨年12月に、羽生善治が竜王位を奪取して、ついに、永世七冠という大偉業をなしとげましたので、今回は、羽生善治が永世七冠を達成するまでの道のりを辿ってみようと思います。なお、第1項と第2項での記述は、HP-189で述べた内容と重複する部分がありますが、ご容赦ください。

さらに、永世資格の経緯と、永世資格獲得者に関してもまとめる事にします。それにより、永世七冠というのがいかに偉大で大変な記録であるかを確認してみたいと思います。

1.プロ棋士になるまで

羽生善治が、プロ棋士になるまでの道のりを概観します。誕生から四段に昇段して、プロ棋士となるまでの主要な出来事をまとめて右の表1に示します。

表1 羽生善治、プロ棋士になるまで
西暦 昭和 年齢 段級   出 来 事
1970 S45 0  9月27日、埼玉県所沢市に生まれる
1977 52 7  近所に住む同級生から将棋を教わる
1982 57 12  小学生名人戦に優勝、12月に6級で奨励会に入会
1983 58 12 6級→5級  2月、9勝3敗で5級に昇級
5級→4級  3月、6連勝で4級に昇級
4級→3級  5月、6連勝で3級に昇級
3級→2級  7月、6連勝で2級に昇級
2級→1級  8月、6連勝で1級に昇級
1984 59 13 1級→初段  1月、12勝4敗で初段となる
 初段→二段   9月、14勝5敗で二段に昇段
1985 60 14 二段→三段  4月、12勝4敗で三段に昇段
15 三段→四段  12月18日、13勝4敗で四段に昇段し、プロ棋士となる。

(1) 奨励会入会まで

①羽生は、1970年(昭和45年)9月27日、埼玉県所沢市で生まれましたが、幼稚園に入る頃に東京都八王子市に移りました。

②1977年、羽生が小学1年生(7歳)の時、近所に住む同級生が羽生に将棋を教えました。羽生は、将棋の面白さに夢中になり、その姿を見た母親が、羽生が小学2年生の時に将棋道場「八王子将棋クラブ」に通わせるようにしました。

③羽生は、「八王子将棋クラブ」入会後、急速に棋力を向上させ、小学4年生の時に「第一回小田急将棋まつり小学生大会」で優勝します。この時の準決勝で、その後、良きライバルとなる森内俊之と対戦して勝ちました。

④この頃のエピソードとして、羽生が「恐怖の赤ヘル少年」と呼ばれていた、という話があります。母親が大勢いる子供たちの中で自分の子供がすぐわかるように広島カープの野球帽をかぶらせていたのですが、その子がめっぽう強いので、周囲の人たちが、羽生をそのように読んだのだそうです。

⑤小学5年生の時に奨励会の入会を志し、道場の師範代中島克安指導棋士(二上達也の最初の弟子でしたが、家庭の事情で奨励会を退会しました)に相談しました。中島は、「小学生将棋名人戦で優勝する事」という条件を付けましたが、小学6年生の春(1982年4月3日)、羽生は見事優勝し、条件をクリアしました。

⑥1982年(昭和57年)、奨励会の入会試験に合格し、12歳で、二上達也九段の弟子として奨励会に入会する事になりました。

注: プロ棋士になる方法で、最も一般的なのは、小学生か中学生の頃に奨励会に入会する事ですが、そのためにはいくつかの方法があります。普通は、棋士の推薦を受けて入会試験を受け、合格すると「6級」として入会が許可されます。

(2) 奨励会での成績

 表2 奨励会、昇級昇段規定
表2-1 6級から1級までの昇級規定 表2-2 初段から三段までの昇段規定
下記のいずれかの成績を取れば昇級
6連勝 9勝3敗 11勝4敗
13勝5敗 15勝6敗
下記のいずれかの成績を取れば昇段
8連勝 12勝4敗 14勝5敗
16勝6敗 18勝7敗

奨励会での活躍ぶりは表1に示した通りですが、奨励会での昇級・昇段の規定は左の表2の通りです。

①1982年(昭和57年)12月に「6級」で奨励会入りした羽生は、その後、破竹の快進撃を続け、表1に示すように、ほぼ毎月、昇級し、1983年(昭和58年)8月には、「1級」に昇級しました。昇級のためには、表2-1に示すように、6連勝すればよいわけですが、連勝が途中でとぎれても、次に、9勝3敗の成績をあげれば、昇級できるわけです。

②羽生は、6級から5級に上がる時こそ、二番目の「9勝3敗」という条件で昇級しましたが、後は、1級に上がるまですべて6連勝で昇級しました。1982年(昭和57年)12月から1983年(昭和58年)8月までの9か月間で1級に昇級したのです。いかに、抜群の棋力であったかがわかります。

③1級から初段、初段から二段・三段へと上がってゆくためには、左上の表2-2に記載した成績を上げる事が必要です。羽生も、1級までは、スイスイときましたが、初段に上がるのには5ヶ月かかって、1984年(昭和59年)1月、13歳で、それまでの成績が12勝4敗となったので、初段になれました。

④初段に上がってから8ヶ月後の9月、14歳になる直前に、それまでの戦績が14勝5敗となって、二段に上がりました。

⑤1985年(昭和60年)4月、14歳で、12勝4敗の成績となったので、三段に上がり、いよいよプロ棋士のスタートである四段が見えてきました。

⑥1985年頃の四段に上がる条件は、現在の「三段リーグ」とは異なっていました(現在の三段リーグは、1987年から始まりました)。1974年度から1986年度までは三段リーグがなく、二段以下と同じような昇段規定(9連勝または良いとこ取りで13勝4敗で四段昇段)でした。

⑦三段に上がってから8ヶ月後の1985年(昭和60年)12月18日、羽生三段の戦績が13勝4敗となって、ついに四段に昇段する事となりました。つまり、羽生は、15歳2か月で、史上3人目の中学3年生プロ棋士になったのです(最初の中学生棋士は、加藤一二三、二番目は谷川浩司です)。

注: 羽生はとんとん拍子で昇級昇段し、三段になってからわずか8ヶ月で四段(つまりプロ)になったので、奨励会を3年間で簡単に卒業しましたが、これは大変なスピード記録なのです。奨励会にはルールがあって、満21歳(2002年度以前の奨励会試験合格者においては満23歳)の誕生日までに初段、満26歳の誕生日を迎える三段リーグ終了までに四段に昇段できなかった者は退会させられるのです。これは、奨励会に入会した人の数パーセントしか四段に到達できないのですが、四段までに行けそうもない人は、出来るだけ若いうちに別の人生を歩めるようにしようという「親心」でもあるのです。

2.最初のタイトル獲得まで

羽生善治が、プロ棋士になってから、最初のタイトルを獲得するまでの道のりを概観します。四段に昇段してから、最初のタイトルとなる竜王を獲得するまでの主要な出来事をまとめて右下の表3に示します。

表3 羽生善治、最初のタイトルを獲得するまで
 年度 年号 西暦   出 来 事
S 60 S 60 1985  12月、四段に昇段し、プロ棋士となる
61 1986  1月、プロ棋士として公式戦デビュー、6連勝するが、 7局目に敗れ、
初年度(3月まで)は8勝2敗。
61  4月、C級2組で第45期順位戦に登場
62 1987  3月、C2の第45期順位戦は、8勝2敗(49人中7番目)で昇級ならず
 第二年度は、40勝14敗、勝率0.7407で将棋大賞の 勝率一位賞と
新人賞を受賞
62  4月、C級2組のままで第46期順位戦に登場
 9月、若獅子戦で優勝(棋戦初優勝)
 12月、全棋士参加の天王戦で、17歳2ヶ月、四段で優勝
63 1988  3月、C2の第46期順位戦は、10戦全勝(53人中トップ)で、
C級1組に昇級
 第三年度は、50勝11敗、勝率0.8197で将棋大賞の勝率一位賞、
最多勝利賞、敢闘賞を受賞
 63  4月、C級1組で第47期順位戦に登場
H 1 1989  2月、NHK杯で、五段で、現役の名人経験者4人をすべて破って優勝
 3月、C1の第47期順位戦は、8勝2敗(24人中3位)で昇級ならず
 第四年度は、64勝16敗、勝率0.800で、将棋大賞の勝率一位勝、
最多勝利賞、最多対局賞、連勝賞(18連勝)を獲得し、最優秀棋士賞に輝く
H 1  4月、C級1組のままで第48期順位戦に登場
 9月、若獅子戦で、村山聖五段を破って2度目の優勝
 10月、竜王戦の挑戦者となり、六段へ昇段
 12月、19歳2ヶ月、史上最年少、六段で竜王位を獲得
H 2 1990  3月、第8回全日本プロ将棋トーナメントで谷川名人を破って初優勝
 3月、C1の第48期順位戦で10戦全勝、23人中トップでB級2組へ昇級
 第五年度は、53勝17敗、勝率0.757で、将棋大賞の勝率一位賞、最多勝利賞、
最多対局賞、連勝賞(15連勝)を獲得し、 2年連続で最優秀棋士賞に輝く

(1) 棋戦初優勝

①羽生の初対局は昭和61年(1986年)1月、デビューから6連勝し、7局目で敗れましたが、昭和61年3月末で終わる初年度(昭和60年度)の戦績は、8勝2敗、という素晴らしい成績でした。(因みに、藤井四段は、2016年12月に加藤一二三元名人との対局がデビュー戦でそこから連勝を重ね、2017年3月末で終わる初年度は10戦全勝でした)。

②昭和61年度(羽生の2年度目(実質初年度目):

1)昭和61年(1986年)4月から昭和62年(1987年)3月までの戦績は、54局指して40勝14敗、いきなり勝率第一位となり、将棋大賞の勝率一位賞に輝くとともに、新人賞も獲得しました。

2)この年度の第45期順位戦では、羽生は8勝2敗で49人中7番目、C級1組への昇級はできませんでした。ところで、羽生は、この年度には3人のタイトルホルダー、1人のA級棋士と戦い、全勝しました。(因みに藤井四段は1月19日現在で59勝11敗ですが、タイトルホルダーとの対局は佐藤名人と対戦して勝利しました)。

注: 3人のタイトルホルダーは以下の通りです。

A.新人王戦: 対 中村修王将

B.早指し選手権戦: 対 谷川浩司棋王

C.NHK杯: 対 米長邦雄十段

③昭和62年度(1987年4月~1988年3月):

1)昭和62年9月には、若手棋士を対象とした若獅子戦で優勝し、棋戦での初優勝を飾りました。そして、その年の12月3日、17歳と2ヶ月で天王戦で優勝し、全棋士が参加する棋戦で史上2番目の最年少優勝記録を打ち立てました(1位は、加藤一二三の17歳0ヶ月)。

2)この年度は、50勝11敗で、最多勝数と勝率第一位を記録し、将棋大賞の勝率一位賞と最多勝利賞、敢闘賞を手中に収めています。タイトルホルダー、A級棋士とは7局戦って4勝3敗と勝ち越しました。

3)この年度の第46期順位戦では10戦全勝で53人中トップとなり、翌年度からはC級1組に昇級しました。

(2) 初のタイトル獲得

①昭和63年度(1988年4月~1989年3月):

1)この年の戦績は、64勝16敗で、対局数、勝利数、勝率、連勝(18連勝しました)の4部門でトップとなり、将棋大賞の最優秀棋士賞を、史上最年少の18歳で受賞しました。なお、記録4部門を独占したのは、今回の羽生が初めてで、その後も、羽生だけが3回達成していますが、羽生以外には誰も達成していません。

2)この年度で特筆すべきは、平成1年2月、五段の羽生青年がNHK杯で優勝したのですが、そこに至るまでに、4人の名人経験者(大山康晴、加藤一二三、谷川浩司、中原誠)をすべて破った事です。テレビ棋戦でのこの活躍で、羽生は一気にスターダムにのし上がりました。

3)しかし、第47期順位戦では、8勝2敗で24人中3位だったために、B級2組への昇級はできませんでした。

②平成1年度(1989年4月~1990年3月):

1)53勝17敗で、対局数、勝利数、勝率の3部門でトップに輝きました。結果、前年に続いて、将棋大賞の勝率一位賞、最多勝利賞、最多対局賞、連勝賞(15連勝)を獲得しました。

2)そして、この年、ついに初タイトルを獲得します。1989年12月、第2期竜王戦で伝説の『島研』で師匠格だった島朗竜王を4勝3敗1持将棋で破って竜王位に就いたのです。19才羽生六段の無欲の勝利と言えるのではないでしょうか。この時、島朗竜王は26才、挑戦者は19才、両者合わせて45才というのもタイトル戦史上最年少記録でした。7番勝負は、前半、島が2勝1持将棋と優位に立ちましたが、羽生がそこから3連勝、その後、島が勝って3勝3敗1持将棋という大熱戦になりました。最終第八局で勝利した羽生は、対局直後、「大変な事になってしまいました。(竜王)の責任の重さについてゆけるかどうか」、と語ったそうです。

3)第48期順位戦では、10戦全勝で23人中トップとなり、翌年度からはB級2組に昇級しました。

3. 永世位獲得

羽生永世七冠が、初めて獲得したタイトルが「竜王」で、永世七冠となる最後のタイトルも「竜王」だった、というのには何か因縁を感じます。さらに、最初のタイトルを獲得したのが平成元年で、永世七冠を達成したのが平成29年、平成はまさに、羽生の時代だった、と言えるでしょう。ここで、その29年間の羽生のタイトル奪取の足跡を辿る事とします。

七つある各タイトル毎に、羽生が永世位を獲得した時期と、初めてタイトルを獲得した時期とをまとめて左の表4に示します。永世位を獲得した時期の早いタイトルほど、表の上に来るように記載しています。

表4 羽生善治、永世七冠獲得時期
タイトル戦 永世獲得 初タイトル 所要年数 達成条件 日程 番勝負 持ち時間
棋王 1995 1991 5 連続5期 一日 五番  5→4時間
棋聖 1995 1993 4 連続5期 一日 五番  5→4時間
王座 1996 1992 5 連続5期 一日 五番 5時間
王位 1997 1993 5 連続5期 二日 七番 8時間
王将 2007 1996 12 通算10期 二日 七番 8時間
名人 2008 1994 15 通算5期 二日 七番 9時間
竜王 2017 1989 29 通算7期 二日 七番 8時間

表4を概観すればわかるように、「棋王」「棋聖」「王座」「王位」の四タイトルの永世称号については、いずれも、初タイトル獲得から5年以内に、しかも連続5期のタイトル保持、と言う事で、1995年から1997年までの3年間で獲得しています。ところが、残りの三冠については、初タイトル獲得から10年以上もかかり、とくに竜王については、29年もかかっています。

こうした、棋戦毎の状況について、永世位を獲得した時期の順番で眺めて行こうと思います。

(1)棋王戦

羽生が、永世棋王の資格を獲得するまでの戦績を右の表5に示します。表からもわかるように、棋王のタイトル戦は、2月初めから3月末にかけて行われます。

表5 羽生、永世棋王獲得まで
No. 西暦年 年号年 対戦月日 対戦者 スコア 内 訳
1 1991 H 3 16 2.15~3.18 南 芳一 3-1 〇〇●〇
2 1992 H 4 17 2.14~3.16 南 芳一 3-1 ●〇〇〇
3 1993 H 5 18 2.6~3.26 谷川浩司 3-2 千●〇●〇〇
4 1994 H 6 19 2.12~3.4 南 芳一 3-0 〇〇〇
5 1995 H 7 20 2.11~3.10 森下 卓 3-0 〇〇〇

①羽生の初めての永世位は棋王です。1995年(平成7年)3月10日、第20期棋王戦の第三局で、挑戦者の森下卓九段を3連勝で破って、五期連続の「棋王」を獲得して、永世位の称号を得ました。永世棋王の称号を獲得したのは羽生が初めてです。

注: 2017年(平成29年)3月27日に渡辺明竜王が、挑戦者の千田翔太六段を3勝2敗で破って、五期連続の棋王となり、二代目の永世棋王となりました。

②羽生が初めて「棋王」タイトルを獲得したのは、1991年(平成3年)3月18日、第16期棋王戦の第四局で勝利して、南芳一棋王を3勝1敗で破った時です。羽生はその前年(1990年)の11月27日、第三期竜王戦で挑戦者の谷川二冠(王位・王座)に敗れて無冠に転落していましたが、わずか4ヶ月で無冠を返上したわけです。そして、そこから、五期連続して棋王のタイトルを保持したので、永世称号を授与されたわけです。

注: 羽生は、この年以降、現在に至るまで、無冠になった年はありません。つまり、27年間連続して、なんらかのタイトルを保持しているわけであり、史上最長の大記録です(とくに、1992年以降現在まで26年間連続して二冠以上保持しています)。二位は、大山康晴で、1958年(昭和33年)から1977年(昭和52年)までの20年間連続です。大山の全盛期はまだ三冠の時代であり、後半期に五冠になりましたが、羽生の七冠時代と同列で比較するのは酷と言えましょう。

③永世棋王の称号は、1995年に制定され、永世位を獲得する条件は、五期連続して棋王タイトルを保持する事と決められました。棋王戦は1976年(昭和51年)から始まっていましたが、永世位称号を制定した時にその条件をクリアする棋士はいませんでした。棋王戦が始まった1976年(昭和51年)には、すでに大山康晴は全盛期を過ぎており、時代は、中原誠の全盛期で、米長邦雄としのぎを削っていた頃です。中原は、一期だけ棋王のタイトルを獲得しますが、永世獲得には遠く及びませんでした。今までに永世棋王の称号を獲得したのは、羽生善治と渡邊明の二人だけです。

(2)棋聖戦

羽生が、永世棋聖の資格を獲得するまでの戦績を右の表6に示します。表からもわかるように、棋聖のタイトル戦は、年2回行なわれていた時は、年度前期は6月から7月にかけて、年度後期は12月末から翌年の2月にかけて行われます。

表6 羽生、永世棋聖獲得まで
No. 西暦年 年号年 対戦月日 対戦者 スコア 内 訳
1 1993 H 5 62 6.19~7.19 谷川浩司 3-1 ●〇〇〇
2 1994 H 6 63 12.13~2.18 谷川浩司 3-2 〇〇千千●●〇
3 1994 H 6 64 6.11~7.14 谷川浩司 3-1 〇●〇〇
4 1995 H 7 65 12.13~1.6 島 朗 3-0 〇〇〇
5 1995 H 7 66 6.19~7.8 三浦弘行 3-0 〇〇〇

①羽生が、次に永世位を獲得したのは棋聖位です。1995年(平成7年)7月8日、第66期棋聖戦の第三局で、挑戦者の三浦弘行五段を3連勝で退けて五連覇を達成し、永世称号を獲得しました。

②羽生が初めて「棋聖」タイトルを獲得したのは1993年(平成5年)7月19日、第62期棋聖戦の第四局で勝利し、谷川浩司棋聖を3勝1敗で破った時です。羽生は、棋聖を獲得した事で、史上最年少の四冠王(棋聖、竜王、王座、棋王)となりました。なお、この後、8月18日に羽生は「王位」も奪取して、史上最年少で、史上3人目の五冠王に輝きます。

③永世棋聖の称号は、1965年(昭和40年)に制定され、永世位を獲得する条件は、通算して五期、棋聖タイトルを保持する事と決められました。棋聖戦は1962年(昭和37年)から始まりましたが、年に2回、タイトル戦を行い、1月と7月に棋聖位を決定する、と決められました。初代の棋聖位は、1963年(昭和38年)1月に大山康晴が獲得しました。

④大山康晴は、第一期(昭和37年度後期)から第七期(昭和40年度後期)まで連続して棋聖位を獲得し、途中で、通算5期を達成したので、初代永世棋聖の称号を授与されました。今までに永世棋聖の称号を獲得したのは、右記する5人です: 大山康晴(1965年)、中原誠(1971年)、米長邦雄(1985年)、羽生善治(1995年)、佐藤康光(2006年)。

(3)王座戦

羽生が、名誉王座の資格を獲得するまでの戦績を右の表7に示します。表からもわかるように、王座のタイトル戦は、9月初めから10月末にかけて行われます。

表7 羽生、名誉王座獲得まで
No. 西暦年 年号年 対戦月日 対戦者 スコア 内 訳
1 1992 H 4 40 9.1~9.22 福崎文吾 3-0 〇〇〇
2 1993 H 5 41 9.3~10.1 谷川浩司 3-1 〇●〇〇
3 1994 H 6 42 9.2~9.27 谷川浩司 3-0 〇〇〇
4 1995 H 7 43 9.2~9.22 森 雞二 3-0 〇〇〇
5 1996 H 8 44 9.3~9.25 島 朗 3-0 〇〇〇

①羽生が三番目に獲得した永世称号は「王座位」です。ただし、王座の場合は、永世王座ではなく、「名誉王座」という称号になっています。1996年(平成8年)9月25日、第44期王座戦の第三局で、挑戦者の島朗八段を3連勝で退けて五連覇を達成し、「名誉王座」の資格を獲得しました。

②羽生が初めて「王座」タイトルを獲得したのは1992年(平成4年)9月22日、第40期王座戦の第三局で勝って、福崎文吾王座を3連勝で破り、王座を奪取した時です。このタイトル奪取により、羽生は、棋王と合わせて初めての二冠となりました。羽生は、この後、2010年(平成22年)第58期まで、前人未到の19連覇という大記録を打ち立てます。その過程で、「名誉王座」の資格を取得するわけです。

③名誉王座の称号は、1996年に制定され、連続五期、または、通算10期、王座位を保持した棋士に授与される事になりました。王座戦は、1953年(昭和28年)に優勝棋戦として始まり、31年後の1983年(昭和58年)の第31期からタイトル戦となりました。「名誉王座」の称号は、第一期からの成績を基に与えられることになりましたが、それに該当したのは中原誠だけです。羽生は20連覇を逃した後も、その翌年(2012年)から5連覇を達成しており、他の棋士が名誉王座の称号を得る資格には達していません。その結果、現在まで、名誉王座の称号を獲得したのは、中原と羽生の二人だけです。

ここまでの三棋戦は、表4を見ればわかるように、いずれも、「一日制」で「五番勝負」、そして、持ち時間が5時間(または、4時間)という特徴があります。これは、残りの四棋戦と比べると、短期決戦であり早指し棋戦である、と言えます。羽生は、こうした「短期型」のタイトル戦で、いずれも「5連覇」という大記録で、永世位を獲得しました。

なお、表5・6・7をよく見てもらえばわかるように、羽生は、1994年(平成6年)9月の第42期王座戦から、1996年(平成8年)9月の第44期王座戦までの間に、五番勝負でのタイトル戦(棋王戦、棋戦、王座戦)を6回(棋王戦1回、棋聖戦2回、王座戦3回)戦っていますが、すべて3連勝してタイトルを防衛しています。つまり、18連勝したわけで、これも大記録だと言えます。

(4)王位戦

羽生が、永世王位の資格を獲得するまでの戦績を右の表8に示します。表からもわかるように、王位のタイトル戦は、7月初めから9月にかけて行われます。

表8 羽生、永世王位獲得まで
No. 西暦年 年号年 対戦月日 対戦者 スコア 内 訳
1 1993 H 5 34 7.13~8.18 郷田真隆 4-0 〇〇〇〇
2 1994 H 6 35 7.8~9.20 郷田真隆 4-3 〇〇●●●〇〇
3 1995 H 7 36 7.4~8.29 郷田真隆 4-2 ●●〇〇〇〇
4 1996 H 8 37 7.11~8.29 深浦康市 4-1 〇〇●〇〇
5 1997 H 9 38 7.8~8.29 佐藤康光 4-1 〇●〇〇〇

①王位戦は、今までの三棋戦とは異なり、「二日制」で「七番勝負」、そして、持ち時間も8時間という「長期型」のタイトル戦なのですが、羽生は、これも、五連覇という大記録を達成して永世資格を取得しました。

②羽生が、「永世王位」称号の資格を取得したのは、1997年(平成9年)8月29日、第38期王位戦の第五局で勝利して、挑戦者の佐藤康光九段を4勝1敗で降し、五期連続の王位タイトルを獲得した時です。

③羽生が、始めて「王位」タイトルを奪取したのは、1993年(平成5年)8月18日、第34期王位戦の第四局で勝って、郷田真隆王位を4連勝で破った時です。これにより、(2)棋聖戦の項目で述べたように、史上3人目の五冠王(棋聖、竜王、王座、棋王、王位)に輝きました。

④永世王位の称号が制定されたのは1997年(平成9年)で、獲得の条件は5連覇、または、通算10期、という事です。1997年以前にこの条件をクリアしていた、大山康晴(1964年に5連覇達成)と中原誠(1977年に5連覇達成)の二人にも「永世王位」の称号が授与されました。なお、羽生の後で「永世王位」獲得の資格を得た棋士はおらず、今までに「永世王位」の称号を授与されたのは、大山康晴・中原誠・羽生善治の3名だけです。

上記の四冠の「永世位(名誉王座も含む)」については、羽生は、すべて、「5連覇」で資格を獲得しており、所要年数もわずか5年(年に2回タイトル戦があった「棋聖戦」では4年)という最短の年数です。ところが、残りの三冠については、二桁の年数がかかっています。資格の獲得条件も違いますが、これらの三冠は、伝統があって、そう簡単に連覇がしにくかったのでしょうか?理由は、いろいろ考えられますが、ここまでに永世位を獲得した四冠のうち「王位」を除く三冠は、いずれも1日制の対局であり、持ち時間も5時間(または4時間)と短いタイトル戦です。羽生は、このようなタイトル戦を得意としているようです。

(5)王将戦

表9 羽生、永世王将獲得まで
No. 西暦年 年号年 対戦月日 対戦者 スコア 内 訳
1 1996 H 8 45 1.11~2.14 谷川浩司 4-0 〇〇〇〇
2 1997 H 9 46 1.9~2.14 谷川浩司 4-0 〇〇〇〇
3 1998 H 10 47 1.8~2.19 佐藤康光 4-1 〇〇●〇〇
4 1999 H 11 48 1.11~2.24 森下 卓 4-1 ●〇〇〇〇
5 2000 H 12 49 1.8~2.8 佐藤康光 4-0 〇〇〇〇
6 2001 H 13 50 1.9~2.20 谷川浩司 4-1 〇●〇〇〇
7 2003 H 15 52 1.15~2.13 佐藤康光 4-0 〇〇〇〇
8 2005 H 17 54 1.11~2.10 森内俊之 4-0 〇〇〇〇
9 2006 H 18 55 1.12~3.22 佐藤康光 4-3 〇〇〇●●●〇
10 2007 H 19 56 1.11~3.20 佐藤康光 4-3 千●〇〇〇●千●〇

羽生が、永世王将の資格を獲得するまでの戦績を右の表9に示します。今まで述べてきた四つの永世資格は、「五連覇」が獲得条件に入っており、すべて五連覇で獲得しましたので、所要年数は5年以内となっていました。しかし、王将位の永世資格は、「通算10期」のみですので、さすがに、10連覇はならず、獲得までには12年かかりました。なお、表からもわかるように、王将のタイトル戦は、1月初めから3月にかけて行われます。

①残りの三冠の中で、最初に永世資格を取得したのは「王将位」です。羽生は、2007年(平成19年)3月20日、千日手での指し直し2回を含め、延べ9局戦った末に、挑戦者佐藤康光を退けて、通算で10期目の王将位を獲得し、大山康晴に次いで、二人目となる「永世王将」の称号を取得しました。

②羽生が初めて「王将」のタイトルを獲得したのは、1996年(平成8年)2月14日、第45期王将戦の挑戦者として、第4局で谷川王将を破り、4戦全勝で王将位を奪取した時です。この時に、羽生は、史上初の「七大タイトル独占」を達成し、「七冠王」となりました。(これについては、「188.将棋の歴史(7)」でまとめました)。羽生は、この時から6連覇しますが、他の棋戦と違い、永世王将の獲得条件は、「通算10期」のみですので、なかなか獲得にいたらなかったわけです。しかし、のべ12年間で10期、王将位を獲得したわけですから、素晴らしい成績だったと言えます。

③永世王将の称号が制定されたのは1973年(昭和48年)で、獲得の条件は通算10期のタイトル保持です。大山康晴は1965年にすでにこの条件をクリアしており、永世位制定と同時に資格を取得しました。なお、羽生の後で、「永世王将」の資格を得た棋士はおらず、今までに「永世王将」の資格を獲得したのは、大山康晴と羽生善治の二人だけです。

(6)名人戦

羽生が、永世名人の資格を獲得するまでの戦績を左の表10に示します。名人位の場合、永世獲得の条件は「通算五期」であり、もっとも緩やかな条件であると言えます。ところが、羽生ほどの実力者が、通算5期を達成するのに、その3倍の15年を要しました。なお、表からもわかるように、名人のタイトル戦は、4月初めから6月にかけて行われます。

表10 羽生、永世名人獲得まで
No. 西暦年 年号年 対戦月日 対戦者 スコア 内訳
1 1994 H 6 52 4.11~6.7 米長邦雄 4-2 〇〇〇●●〇
2 1995 H 7 53 4.7~5.30 森下 卓 4-1 〇〇●〇〇
3 1996 H 8 54 4.11~6.4 森内俊之 4-1 〇〇〇●〇
4 2003 H 15 61 4.17~5.20 森内俊之 4-0 〇〇〇千〇
5 2008 H 20 66 4.8~6.17 森内俊之 4-2 ●〇〇〇●〇

①羽生が初めて「名人」のタイトルを獲得したのは、1994年(平成6年)6月7日です。第52期名人戦の第6局で、挑戦者として米長邦雄名人に勝利し、名人位を奪取しました。羽生は、この時から3連覇した時は、七冠を独占した時でもあり、永世名人の獲得は間もなくだろうと思われました。

②ところが、3連覇の後、順位戦で勝ち抜く事ができず、2003年(平成15年)になってようやく挑戦権を勝ち取る事ができました。しかし、それまでの7年間で、小学生の頃から羽生の好敵手で同い年の森内俊之に「永世名人」の先を越されてしまいます。

③羽生が、永世名人の資格を得たのは、さらにそこから5年経った2008年(平成20年)6月17日。第66期名人戦の第6局で、森内俊之名人に挑戦して勝利し、4勝2敗で名人位を奪取した時です。始めて名人位を獲得してから、通算5期目のタイトル獲得となるまでに15年かかってしまいました。羽生にとっては、どうしても欲しい「永世位」であったろうと思われます。

④永世名人の称号が制定されたのは、1949年(昭和24年)です。時の名人「木村義雄」の功績を称えるためでした。その時以来、右記の6人が永世名人の称号を得ています: 第十四世名人木村義雄、第十五世名人大山康晴、第十六世名人中原誠、第十七世名人谷川浩司、第十八世名人森内俊之、第十九世名人羽生善治」。羽生善治以降、永世名人の資格を得た棋士はまだいません。

(7)竜王戦

表11 羽生、永世竜王獲得まで
No. 西暦年 年号年 対戦月日 対戦者 スコア 内訳
1 1989 H 1 2 10.19~12.27 島 朗 4-3 (1持) ●持●〇〇〇●〇
2 1993 H 5 5 10.20~1.6 谷川浩司 4-3 ●千●〇〇〇●〇
3 1994 H 6 7 10.18~12.9 佐藤康光 4-2 〇〇〇●●〇
4 1995 H 7 8 10.20~12.13 佐藤康光 4-2 ●〇●〇〇〇
5 2001 H 13 14 10.16~11.30 藤井 猛 4-1 〇●〇〇〇
6 2003 H 15 15 10.23~1.8 阿部 隆 4-3 千千〇〇●●●〇〇
7 2017 H 29 30 10.20~12.5 渡辺 明 4-1 〇〇●〇〇

羽生が、永世竜王の資格を獲得するまでの戦績を左の表11に示します。竜王位の場合、永世獲得の条件は「連続五期」または「通算七期」となっていますが、羽生がこの条件を達成するのに、29年という長い年月を要しました。なお、表からもわかるように、竜王のタイトル戦は、10月中旬から12月にかけて行われますが、決着が長引いた場合、翌年の1月までかかる事もあります。

①羽生が初めて「竜王」のタイトルを奪取したのは、1989年(平成元年)12月27日で、これが、羽生にとって初めてのタイトル獲得でもありました。

②その後、2003年(平成15年)1月8日、千日手指し直し2局を含め、延べ9局の熱戦を4勝3敗でタイトルを保持し、通算6期となった時には、永世竜王の獲得も間近と思われました。

③ところが、思わぬ伏兵が現れて、羽生の竜王タイトル奪取は今年(2017年、平成29年)まで待たねばなりませんでした。伏兵というのは、羽生より14歳若い渡辺明です。彼は2004年から2007年まで4連覇します。そして、2008年、羽生が挑戦者として5年ぶりに竜王のタイトル戦に登場します。

④2008年の渡邊と羽生による竜王戦は、勝った方が初代の永世竜王の資格を得るという大変な勝負でした(渡辺が勝てば5連覇、羽生が勝てば通算7期)。この勝負は、羽生の3連勝の後、渡邊が4連勝して、大逆転で5連覇を達成するという劇的な戦いとなりました。さらに、3連敗後の4連勝、という逆転勝利は将棋界にとって初めての快挙でした。なお、この後、渡邊は2012年(平成24年)まで、竜王戦で9連覇します。

⑤将棋界に、藤井聡太という若いヒーローが誕生した今年、ついに、羽生は、二人目の「永世位」を獲得します。第30期竜王戦で、挑戦者となり、渡辺竜王を4勝1敗で降したのです。

4.永世位制定の経緯

第3項で説明しましたが、各棋戦毎に、永世位の制定時期がバラバラですし、永世位獲得の条件もマチマチです。ここで、各棋戦毎の永世位制定の経緯を簡単にまとめておきます。今までに無くなった「九段戦」、「十段戦」も含め、永世称号のあるタイトル戦を、制定年の順番ごとにまとめて表12に示します。

表12 永世位一覧
連番  タイトル戦 永世称号 制定年 条 件
1 名人戦 永世名人 1949年 通算5期
2 九段戦 永世九段 1954年 連続3期
3 棋聖戦 永世棋聖 1965年 通算5期
4 王将戦 永世王将 1973年 通算10期
5 十段戦 永世十段 1980年 通算10期
6 棋王戦 永世棋王 1995年 連続5期
7 王座戦 名誉王座 1996年 連続5期または通算10期
8 竜王戦 永世竜王 1996年 連続5期または通算7期
9 王位戦 永世王位 1997年 連続5期または通算10期

今までに「永世資格」を制定したタイトル戦は表12に示すように、9個ありますが、そのうちの「九段戦」と「十段戦」は今はありません。(九段戦が十段戦になり、そして、竜王戦へと繋がっています)。

(1)永世名人

最初の永世称号は「名人戦」で、1949年(昭和24年)、当時の名人「木村義雄」の功績を称えるために制定されました。

①第十三世名人関根金次郎が名人位を返上して以来、名人位は世襲ではなくなりましたので、木村義雄名人が引退すると、なんの肩書もないただの「木村義雄」になってしまいます。そこで、1949年に名人戦の主催社が「毎日新聞社」から「朝日新聞社」に移った時に、当時の日本将棋連盟が「終身名人位制」の復活を宣言したのです。

②つまり、名人戦において名人位を五期以上得た人が名人位を退いた場合、連盟に審査会を設け、人格、識見、功労などを審査のうえ、終身名人位を贈る事としました。これにより、この時の名人木村義雄は、すでに名人位を六期得ているので、第十四世名人を得る事が決まったわけです。

③これが、将棋界と囲碁界を通じ、すべての永世称号の始まりです。永世名人を制定した意図は、名人戦の権威を高めるとともに、一時代を築いた木村義雄の引退後の処遇を考慮したものである事は明らかです。

④永世名人の獲得条件は「通算5期」であり、これは、現在7個ある永世資格の中で、もっとも緩い条件となっています。このせいもあってか、現在までに永世名人の資格を獲得した棋士は6名で、7個中最大となっています。

(2)永世九段

二番目の永世称号は、今は無くなった「九段戦」です。1954年(昭和29年)の九段戦で三連覇した塚田正夫に「永世九段」の称号を贈られました。(「九段戦」は1962年(昭和37年)に「十段戦」へと発展していきました)。

①この当時、「九段」は将棋の段位ではなく、タイトルだったのですが、1958年(昭和33年)、連盟の規約改正により、大山康晴と升田幸三の両名にも「九段位」が贈られ、九段は3名となりました。

②名人が世襲制であった時代、名人は段位でいうと「九段」にたとえられました。このため、一般の棋士に「九段」という段位をあたえようという機運は皆無だったのですが、実力制名人に代わって以来、「九段」を「名人」とは別の「段位」と考えるようになり、名人位獲得者には、名人位を失った後は、「九段」と呼称しようという事になったわけです。

(3)永世棋聖

三番目の永世資格を創ったのは「棋聖戦」です。1962年(昭和37年)に創設された棋聖戦は、タイトル戦としては初の一日制、初の五番勝負、初の年2期開催、そして、通算五期で「永世棋聖」というスピード感が売り物でした。

①じつは、主催者の産経新聞社の当時の社長水野茂夫は大の升田びいきで、病気がちの升田幸三にタイトルを取らせるためにこうした規定を創った、と言われています。

②しかし、皮肉なことに、棋聖戦は、第一期から、升田のライバル大山康晴が7連覇して、あっさりと永世資格を獲得しました。一方、升田は、一度も棋聖タイトルを取ることなく引退してしまいます。

(4)永世王将

四番目に永世称号が制定されたのは「王将戦」です。1973年(昭和48年)、通算10期のタイトル獲得を条件として「永世王将」の称号が定められました。「通算10期」だけが、永世資格の条件となっている棋戦は、王将戦のみで、現在7個ある永世資格の中で、最も厳しい条件となっています。

①大山康晴は、1965年(昭和40年)にすでにこの資格を満たしており、制度の発足と同時に初代の「永世王将」資格者となりました。

②その後、「永世王将」の資格を獲得したのは、条件の厳しさもあってか、2006年の羽生善治だけです。

(5)永世十段

五番目の永世称号は、今は無くなった「十段戦」です。(「十段戦」は、1988年(昭和63年)に、竜王戦へと発展的に解消しました)。1980年(昭和55年)、永世王将と同じく通算10期のタイトル獲得を条件として「永世十段」の称号が定められました。

①最初に永世十段の資格を獲得したのは中原誠で、1982年(昭和57年)に資格を取得しました。その後、1988年(昭和63年)に大山康晴が前身の九段戦も含めると通算10期を超えている、という事で、二人目の「永世十段」資格が授与されました。

②十段戦は、1988年(昭和63年)に「竜王戦」へと発展的に移行しましたので、「永世十段」は、中原誠と大山康晴の二人だけです。

(6)その他の永世資格について

1980年(昭和55年)以降、永世称号には大きな動きが無かったのですが、1995年(平成7年)から1997年(平成9年)の3年間で、残りの四つのタイトル戦の永世称号が制定されました。そのきっかけとなったのは、1996年(平成8年)2月14日に、羽生善治が史上初の七冠独占を達成した事です。七冠独占の最初のチャンスは1995年(平成7年)の王将戦でしたが、その時には、挑戦者の羽生が谷川王将に敗れて達成できませんでした。しかし、このビッグニュースで、世間的にタイトル戦への関心が一気に高まり、それまで永世称号を制定していなかった主催社も急に積極的になったのです。その結果、以下の順番で、永世称号が生まれました。

(6-1)永世棋王

①1995年(平成7年)、6番目の永世称号として、「棋王戦」に永世称号が制定されました。連続5期、タイトルを保持する事が永世位獲得の条件でした。この「連続5期」のみという条件は、「通算10期」のみという条件にも匹敵する厳しさです。

②制定された1995年(平成7年)に、まず、羽生善治が永世棋王の資格を獲得しました。その後、2017年に渡辺明が、二人目の「永世棋王」の資格獲得者となりました。

(6-2)名誉王座

①1996年(平成8年)、7番目の永世称号として、「王座戦」で永世王座ではなく、「名誉王座」という呼称で実質永世位が制定されました。永世王座ではなく、名誉王座という称号になったのは、元々、囲碁で「名誉王座」という称号があったために、将棋界がそれに倣った、という事らしいです。(囲碁の「王座戦」は、1953年(昭和28年)に創設されましたが、「本因坊戦」についで、長い歴史を持つタイトル戦で、日本経済新聞社、日本棋院、関西棋院の三社が共同主催しています)。

②資格獲得の条件は、連続5期、または、通算10期のタイトル保持、という事で、1996年(平成8年)に中原誠と羽生善治の二人が、資格を取得しました。中原誠は、王座戦が、タイトル戦になる前の1973年(昭和48年)にすでに獲得条件を達成していました。

③王座戦がタイトル戦になったのは、1983年(昭和58年)からですが、その前の優勝棋戦での優勝もタイトル保持とみなされましたので、中原誠も名誉王座の資格を得る事ができたわけです。なお、現在まで、名誉王座の資格を得たのは、中原と羽生の二人だけです。

(6-3)永世竜王

①同じく1996年(平成8年)、「竜王戦」にも永世資格が制定されました。連続5期、または、通算7期のタイトル保持が永世位獲得の条件です。

②最初の「永世竜王」の資格獲得者は、2008年に5連覇を達成した渡辺明です。この時の「竜王戦」は、挑戦者の羽生善治が通算7期目をかけた挑戦であり、勝った棋士が初代の「永世竜王」の資格を得る、という歴史的な戦いでした。その結果も、渡辺の3連敗の後、4連勝して防衛するという、タイトル戦史上初の大逆転劇であり、大いに盛り上がりました。

③そして、2017年(平成29年)、羽生善治が竜王位を奪取して、通算7期のタイトルホルダーとなり、「永世竜王」の資格を獲得するとともに、史上始めて「永世七冠」の資格を得ました。

④なお、現在までに、永世竜王の資格を得たのは、渡辺明と羽生善治の二人だけです。

(6-4)永世王位

①最後に残された「王位戦」の永世資格が制定されたのは、1997年(平成9年)です。永世王位資格獲得の条件は、連続5期、または、通算10期のタイトル保持です。

②制定された1997年(平成9年)に、大山康晴、中原誠、羽生善治の三人が資格を授与されました。なお、大山は1964年(昭和39年)に、中原は1977年(昭和52年)に、それぞれ条件を達成しています。

③現在までに、永世資格を獲得したのは、この3人だけです。

5.永世資格獲得棋士

最後に、羽生の永世七冠がどれほど大変で偉大であるかを確認するために、現在までの、永世資格獲得棋士を眺めてみます。

永世資格獲得棋士の一覧表を下の表13にまとめて示します。表は、生年月日の順に上から並べています。

表13 永世資格獲得棋士一覧表

永世名人 永世九段 永世棋聖 永世王将 永世十段 永世棋王 名誉王座 永世竜王 永世王位 獲得個数
木村義雄 *1945 1
塚田正夫 1954 1
大山康晴 1956 1965 *1965 1988 *1964 5
中原 誠 1976 1971 1982 *1973 *1977 5
米長邦雄 1985 1
谷川浩司 1997 1
佐藤康光 2006 1
羽生善治 2008 1995 2006 1995 1996 2017 1997 7
森内俊之 2007 1
渡辺 明 2017 2008 2
獲得者数 6名 1名 5名 2名 2名 2名 2名 2名 3名
 注: *印は、永世資格が制定される前に既に資格条件を達成していた年を示しています。

①現在までに永世資格を獲得した棋士は、10名です。この中で、複数個の永世資格を有しているのは4名だけです。人気と知名度では抜群の升田幸三は、後半生、病気がちだったのが災いして、一個も獲得できませんでした。

②羽生の七冠に次ぐのは、大山と中原の五冠ですが、この二人はすでに引退しており、羽生に追いつく事は不可能です。

③谷川浩司以下渡辺明までの5名は、現役棋士ですが、渡辺明を除けば、羽生と同年又は年長であり、これから、永世資格を獲得して、羽生に追いつく事は考えられません。

④渡辺明だけは、まだ33歳であり、羽生に追いつく可能性はありますが、残念ながら、その確率は極めて低い、と言わざるを得ません。というのは、渡辺は、タイトル戦によって、得手不得手が極端だからです。すでに永世資格を取得した「竜王戦」と「棋王戦」はもっとも得意とするタイトル戦ですが、名人戦にいたっては、いまだに挑戦者にすらなっていません。渡辺は、元々、順位戦が苦手の様で、4人目の中学生プロ棋士として羽生を追うものとして期待されましたが、A級に上がるまでに10年という並みの棋士なりの年月がかかっています。

⑤また、現在活躍中の若手棋士の中から、羽生に追いつく事はおろか、複数の永世資格を獲得すると思われる棋士は当分現れそうにありません。昨年(2017年)、若手二人が、羽生に挑戦して次々とタイトルを奪いましたが、今日現在、7冠のタイトルは右の6人によって分散保持されています: 羽生二冠(竜王・棋聖)、佐藤天彦名人、菅井竜也王位、中村太地王座、渡辺棋王、久保利明王将。

⑥6人のタイトル保持者のうち、永世資格をまだ獲得していない4人の獲得期数は、以下の通りであり、永世資格までは、まだまだ遠い、と言わざるを得ません。そして、この4人以外で、永世資格の獲得にに近い棋士は皆無です。

1)佐藤天彦名人は30歳、まだ2期で、名人以外のタイトルはまだ取っていません。

2)菅井竜也王位は25歳、まだ一期で、王位以外のタイトルはまだ取っていません。順位戦でもB級1組に留まっています。

3)中村太地王座は29歳、まだ一期で、王座以外のタイトルはまだ取っていません。順位戦でもB級2組に留まっています。

4)久保利明王将は42歳、王将3期目です。王将以外では、棋王も3期保持した事がありますが、この二つ以外のタイトルはまだ取っていません。順位戦ではA級です。

⑦タイトル保持者が6人に分散している、というのは、羽生善治の後継者を巡る戦国時代の始まりなのか、あるいは、単に、羽生がちょっと調子を落としただけで、ここから不死鳥のごとく蘇るのか、今年以降の動向に目が離せません。

3.最後に:

将棋の歴史を平成10年まで眺めてきましたが、今回は、羽生永世七冠が国民栄誉賞をいただく事にちなんで、彼の七冠獲得までの軌跡をまとめてみました。そのついでに、永世資格の経緯と、永世資格獲得者をまとめ、羽生の永世七冠がいかに偉大な記録であるかを確認しました。

このように眺めてみると、羽生の後継者争いは混沌としている事がよくわかります。実績面では、渡辺明でしょうが、彼の実績は以下の通りで、特定のタイトル戦(とくに「竜王戦」)に偏っており、羽生のように、オールラウンドプレイヤーとして、すべてのタイトル戦で活躍していると呼ぶには遠すぎます。

1)竜王: 登場は13回、タイトル保持は11期で、永世資格獲得

2)王座: 登場は3回、タイトル保持は1期

3)棋王: 登場は6回、タイトル保持は連続して5期で、永世資格獲得

4)王将: 登場は3回、タイトル保持は2期

5)棋聖: 登場2回、タイトル保持はゼロ回

6)名人と王位については、まだ一度も挑戦者になっていません。

次回は、平成11年以降の歴史をまとめる前に、羽生善治の偉大さを確認するためにも、平成年間のタイトル戦の動向を眺めてみたいと思います。

参考文献:

1.「将棋の歴史」、増川 宏一、平凡社新書
2.「将棋の駒はなぜ40枚か」、増川 宏一、集英社新書
3.「昭和将棋史」、大山 康晴、岩波新書
4.「将棋百年」、山本 武雄、時事通信社
5.「昭和将棋風雲録」、倉島竹二郎、講談社
6.「将棋 八大棋戦秘話」、田辺忠幸 編、河出書房新社
7.「中学生プロ棋士列伝」、洋泉社
8.「将棋年鑑 2017」、日本将棋連盟
9.「最後の握手」、河口 俊彦、マイナビ
10.「覇者の一手」、河口俊彦、NHK出版
11.「棋士という人生」、大崎善生編、新潮文庫
12.「棋士の一分」、橋本崇載、角川新書
13.「決断力」、羽生善治、角川oneテーマ21
14.「大局観」、羽生善治、角川oneテーマ21
15.「集中力」、谷川浩司、角川oneテーマ21
16.「プロ棋士という仕事」、青野照市、創元社
17.「将棋タイトル戦30年史 1984→1997編」、週刊将棋編、日本将棋連盟
18.「将棋タイトル戦30年史 1998→2013編」、週刊将棋編、日本将棋連盟
19.「大山康晴の晩節」、河口俊彦、飛鳥新社
20.将棋世界、2018年(平成30年)3月号(羽生善治「永世七冠への軌跡」)
21.日本将棋連盟のホームページ

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