将棋の歴史(8):平成の覇者(平成元年~10年)(2)

前回は、平成元年(1989年)から10年(1998年)までの平成初期時代の将棋界の動向のうち、七大タイトルの動向を述べた後、象徴的な出来事である、羽生七冠誕生までの歩みと、逝去した大山康晴の足跡を辿りました。

今回は、七大タイトル戦の各棋戦毎に10年間の足跡を中心に述べてゆきますが、それに基づいてランキング付けしてみたいと思います。そして、最後に、世代交代という面を分析します。

1.七大タイトル戦

平成元年から10年までの間に行われた七大タイトル戦について、各棋戦毎に覇者の変遷をまとめたいと思います。記載順はタイトル戦の決着がつく月順にしました。

(1) 棋聖戦

棋聖戦は、1995年(平成7年)第66期以降、二期制から一期制へと変更になりましたが、二期制の時のタイトル戦は、年度前期は6月から7月にかけて、年度後期は12月から翌年の1月にかけて行われました。また、一期制になってからは、6月から7月にかけて行われました。ここでは、二期制の時に従って、七大タイトル戦の最初に決着がつく、という事で、棋聖戦から取り上げます。

棋聖戦は、一日制で五番勝負、持ち時間は各5時間、産経新聞社が主催しているタイトル戦です。1989年(平成元年)53期から1998年(平成10年)69期までの棋聖戦の勝者と敗者を右下の表1にまとめて示します。

表1 平成元年~10年 棋聖戦
実施年 実施年度  期  棋聖 勝―敗 (敗者)
西暦 平成
1989 1 昭63 後期 53 中原 誠 3-2 田中寅彦
平1 前期 54 中原 誠 3-1 南 芳一
1990 2 後期 55 中原 誠 3-2 屋敷伸之
2 前期 56 屋敷伸之 3-2 中原 誠
1991 3 後期 57 屋敷伸之 3-1 森下 卓
3 前期 58 南 芳一 3-2  屋敷伸之 
1992 4 後期 59  谷川浩司  3-0 南 芳一
4 前期 60 谷川浩司 3-1 郷田真隆
1993 5 後期 61 谷川浩司  3(1持)0 郷田真隆
5 前期 62 羽生善治 3-1 谷川浩司
1994 6 後期 63 羽生善治 3-2 谷川浩司
6 前期 64 羽生善治 3-1 谷川浩司
1995 7 後期 65 羽生善治 3-0 島  朗
7 66 羽生善治 3-0 三浦弘行
1996 8 8 67 三浦弘行 3-2 羽生善治
1997 9 9 68 屋敷伸之 3-1 三浦弘行
1998 10 10 69 郷田真隆 3-0 屋敷伸之

(1-1)10年の記録から

①平成元年から10年までの、棋聖戦10年間17期の間に3期以上連続して棋聖位を保持したのは、順番に、中原誠、谷川浩司、羽生善治の3人で、この順番は、将棋界の覇権が移り変わっていった順番と一致します。

②中原から谷川の間に割って入ったのが十代の俊英「屋敷伸之」です。彼は、羽生が失冠した後に、再度棋聖位を取り、この10年間で3期棋聖位を保持しました。屋敷は、羽生より1年4ヶ月年下ですが、羽生世代の一人です。屋敷が羽生の牙城を崩せるのか、今後の展開が楽しみです。

③羽生が初めて谷川から棋聖位を奪取した62期から64期まで、3期連続して羽生と谷川が戦い、いずれも羽生が勝っていますが、覇権の争奪戦のすさまじさを象徴する戦いとも言えると思います。

④その羽生からタイトルを奪取した三浦弘行、屋敷伸之、郷田真隆の3人はすべて、羽生世代に含まれます。

⑤第60期の棋聖戦は創設30周年で、谷川と郷田の第二局が仙台で行われ、大山、中原、米長の3人の永世棋聖が仙台に招かれ、主催者の産経新聞社から感謝状を贈られました。この時、大山はガンと戦っており、仙台でも「がんと闘う」という講演をされて、指導将棋も指されましたが、この年の7月26日に逝去しました。仙台での棋聖戦が、大山の最後の公務となったのです。

(1-2)各期毎の戦い

①第53期棋聖戦は、1988年(昭和63年)12月から、田中寅彦棋聖に中原誠王座が挑戦して始まりました。戦いは第五局までもつれ込みましたが、1989年(平成元年)2月3日、中原が勝利し、6年ぶり14回目の棋聖位に返り咲きました。その後、中原は、第54期・55期と連覇し、通算16期の棋聖位となりました。なお、第55期の挑戦者「屋敷伸之」はこの時、17歳10ヶ月、四段で、史上最年少のタイトル挑戦者でした(この記録はいまだに破られていません)。

②第56期には、前期中原棋聖に敗れた屋敷伸之が、再度挑戦者として登場し、2連敗後の3連勝で、中原から棋聖位を奪取しました。第五局は1990年(平成2年)8月1日、新潟県岩室温泉『高島屋』で行われ、終盤で中原に見損じがあって、屋敷が大逆転勝利したのです。屋敷は18歳6ヶ月でタイトルホルダーとなりましたが、これも、未だに破られていない最年少記録です。屋敷は、翌期(57期)は森下卓六段の挑戦を退けて防衛しますが、翌々期(58期)には南芳一王将の挑戦に敗れて、無冠に転落しました。

③第59期には、谷川二冠(王位・竜王)が、南二冠(王将・棋聖)に挑戦して、3連勝で棋聖位を奪取しました。谷川は昨年(1991年)10月に王座を失って二冠に転落しましたが、棋聖位を奪取した事で1992年1月には三冠に復帰したわけです。その後、第60期、61期と連続して、郷田真隆の挑戦を退け、防衛に成功します。

④第60期では、郷田は四段であり、タイトル初挑戦でしたが、敗れてしまいます。しかし、その棋聖戦に引き続き行われた王位戦で、郷田は再び谷川王位に挑戦し、今度は、4勝2敗で勝利して、四段のまま初タイトルを獲得します。第61期は、郷田王位が谷川棋聖に挑戦しましたが、棋聖戦では一勝もできずに敗れてしまいました。

⑤第62期には、羽生三冠(王座・棋王・竜王)が挑戦者として登場して、谷川二冠(棋聖・王将)に挑み、3勝1敗で勝利して、若干22歳で史上最年少の四冠に輝きました。一方、敗れた谷川は王将位だけの一冠に後退しました。そして、ここから羽生の快進撃が続きました。66期まで、5期連続して棋聖位を保持し、大山、中原、米長に続く4人目の永世棋聖の称号を手に入れたのです。

⑥63期、64期と連続して谷川が挑戦者として羽生に挑みましたが、羽生の牙城は揺るぎませんでした。この頃は、将棋界の覇権が谷川世代から羽生世代へと移行していた時期で、他のタイトル戦でも、羽生世代の活躍が目立ち始めた時期でした。

⑦第65期の挑戦者「島朗」は、谷川よりも10ヶ月若いだけの谷川世代の俊英でした。一方、第66期の挑戦者「三浦弘行」は、羽生よりも3年5ヶ月若い羽生世代の強豪でした。

⑧1996年(平成8年)の第67期棋聖戦は、羽生七冠が敗れて六冠に後退した歴史的な戦いでした。勝った挑戦者は、前期と同じ「三浦弘行」でした。前期は一勝もできずに敗れさりましたが、今期は、1勝2敗のカド番から2連勝して羽生に勝ちました。

⑨第68期の挑戦者は、最年少タイトルホルダーの記録を持つ「屋敷伸之」。3勝1敗で三浦棋聖を破って、三度目の棋聖に返り咲きます。屋敷は、羽生よりも1年4ヶ月若い羽生世代です。

⑩第69期には、谷川に二期連続して負かされた郷田真隆が挑戦者となり、屋敷を3戦全勝で破って初の棋聖位を手にしました。郷田にとって1992年(平成4年)に王位を獲得して以来の二つ目のタイトルでした。郷田は、羽生よりも6ヶ月若いだけの羽生世代の一人です。

⑪第62期以降は、棋聖のタイトルは、常に「羽生世代」の誰かによって保持されました。

(2)王将戦

王将戦は、二日制で七番勝負、持ち時間は1991年(平成3年)40期までは各9時間、41期以降は各8時間、スポーツニッポン新聞社と毎日新聞社が主催する棋戦です。対局は、1月後半から始まって、毎月2局ずつ対局し、年度末(3月末)までに決着がつきます。次に述べる棋王戦と決着時期が前後する年もありますが、タイトル戦の開始は王将戦が早いので、2番目に取り上げます。1989年(平成元年)38期から1998年(平成10年)47期までの王将戦の勝者と敗者を右下の表2にまとめて示します。

表2 平成元年~10年 王将戦
西暦 平成  期  王 将 勝―敗 (敗者)
1989 1 38 南 芳一 4-0 島  朗
1990 2 39  米長邦雄  4-3 南 芳一
1991 3 40 南 芳一 4-2  米長邦雄 
1992 4 41 谷川浩司 4-1 南 芳一
1993 5 42 谷川浩司 4-0 村山 聖
1994 6 43 谷川浩司 4-2 中原 誠
1995 7 44 谷川浩司 4-3 羽生善治
1996 8 45 羽生善治 4-0 谷川浩司
1997 9 46 羽生善治 4-0 谷川浩司
1998 10 47 羽生善治 4-1 佐藤康光

(1-1)10年の記録から

①平成元年から10年までの、王将戦10年間で、タイトルを保持したのは4人です。南芳一が2期、米長邦雄が1期、谷川浩司が4期、そして、羽生善治が3期です。

②王将位の変遷を見ると、ちょうど世代間の変遷と同じになっています。

1)初期(平成1~3年): 谷川世代の南芳一(谷川よりも1年2ヶ月若い)と中原世代の米長がタイトルを取りました。

2)中期(平成4年~7年): 谷川浩司が4期連続でタイトルを保持しました。

3)末期(平成8年~10年): 羽生善治が3期連続でタイトルを保持しました。

(1-2)各期毎の戦い

①第38期王将戦は、前期に中村修から王将位を奪取した南芳一棋王が、島朗の挑戦を4勝零敗で退け、棋王と合わせて二冠王となりました。なお、ここに記載した3人(中村修、南芳一、島朗)は谷川より少し若いのですが、いずれも昭和55年(1980年)に四段になったので、「花の五十五年組」と呼ばれています。谷川と切磋琢磨しながら、先を行く「中原世代」を追いかけ、後から来た「羽生世代」に追い越されないように、タイトル争いを繰り広げました。「花の五十五年組」には、前回のコラム(HP-188)で紹介した「高橋道雄」や「塚田泰明」も含まれます。

②第39期には、米長邦雄が挑戦者として登場し、1勝3敗の崖っぷちから3連勝して、6年ぶり3回目の王将位について無冠を返上しました。勝った米長は、「さわやか流復活、と書いておくれ」と述べたそうです。

③第40期には、前期に敗れた南芳一棋王が挑戦者となり、こんどは、1勝2敗後に3連勝して、前回のリベンジを果たし、二冠に返り咲きました。米長は再び無冠に転落してしまいました。。

④1992年(平成4年)第41期は、谷川三冠(竜王・王位・棋聖)が王将戦で初めて挑戦者となり、第59期棋聖戦に引き続いて南芳一王将に挑みました。第一局は南が勝ちましたが、二局目以降は谷川が4連勝して王将位を奪取しました。この結果、谷川は、大山、中原、米長に続いて史上4年目の四冠を達成するとともに、七冠すべてのタイトルを、同時ではありませんが、一度は手中に収める事に成功しました。谷川はこの後、第44期まで4連覇します。なお、南はこの敗戦で無冠に転落しました。

⑤第42期の挑戦者は村山聖六段、腎臓のa難病「ネフローゼ症候群」と戦いながら、名人を目指して頑張っている羽生世代の俊英です。病魔と闘う村山にとって、最初にして最後のタイトル戦でしたが、実力を発揮することなく4連敗で敗れました。目標としてきた谷川との戦いで気後れしたのか、初めてのタイトル戦で場の雰囲気にのまれたのか、いずれにしても、村山らしからぬ負け方だと言われました。

⑥第43期には、中原誠前名人が挑戦者として登場し、谷川王将に挑みましたが、2勝4敗で敗れました。

⑦第44期は、羽生六冠が七冠独占をかけて谷川王将に挑戦しました。3勝3敗の大混戦となり、さらに、最終局は千日手の指し直しを含めて187手の大熱戦でしたが、谷川が防衛に成功し、羽生の七冠独占を阻みました。

⑧第45期には、再び羽生六冠が挑戦者となり、七冠独占を目指しました。この時は、羽生が4連勝で谷川を破り、史上初めての七冠独占を達成しました。これ以降、羽生は第50期(平成13年)まで六期連続して王将位を保持し続けます。

⑨第46期では、谷川が挑戦者になり、羽生五冠(名人・王将・棋王・王位・王座)に挑みましたが、前期のリベンジならず、4連敗で負けてしまいました。

⑩第47期の挑戦者は、羽生よりも1年弱年長の佐藤康光。これまで、羽生とは竜王戦で三度(羽生の2勝1敗)、王位戦で一度(羽生の勝利)対戦している同年代のライバル同士の戦いでしたが、羽生が4勝1敗で佐藤の挑戦を退け、タイトル戦では佐藤と5回戦って、4勝1敗と大きくリードしました。

(3)棋王戦

棋王戦は、一日制で5番勝負、持ち時間は1991年(平成3年)16期までは5時間、7期以降は4時間、共同通信社が主催する棋戦で、2月・3月で勝者が決まります。1989年(平成元年)14期から1998年(平成10年)23期までの棋王戦の勝者と敗者を右下の表3にまとめて示します。

表3 平成元年~10年 棋王戦
西暦 平成  期  棋 王 勝―敗 (敗者)
1989 1 14 南 芳一 3-2  谷川浩司 
1990 2 15 南 芳一 3-0 大山康晴
1991 3 16  羽生善治  3-1 南 芳一
1992 4 17 羽生善治 3-1 南 芳一
1993 5 18 羽生善治 3-2 谷川浩司
1994 6 19 羽生善治 3-0 南 芳一
1995 7 20 羽生善治 3-0 森下 卓
1996 8 21 羽生善治 3-0 高橋道雄
1997 9 22 羽生善治 3-0 森下 卓
1998 10 23 羽生善治 3-1 郷田真隆

(1-1)10年の記録から

①平成元年から10年までの、棋王戦10年間で、タイトルを保持したのはわずか2人です。南芳一が2期、残りの8期は、羽生善治が8連覇しています。一方、敗者の欄を見ますと、次の通り6人の名前が挙がっています:
谷川浩司2回、大山康晴1回、南芳一3回、森下卓2回、高橋道雄1回、郷田真隆1回。

②棋王戦の勝者と敗者を合わせても、登場回数では、羽生が8回でトップ、郷田と合わせると羽生世代が9回となっています。次が南で5回、谷川、高橋と合わせると谷川世代で9回です。森下卓は、谷川(1962年4月6日生まれ)と羽生(1970年9月27日生まれ)の、ちょうど中間にあたる1966年7月10日生まれであり、どちらの世代にも属さない立場と言えると思われます。

注: 森下卓は、17歳で四段になり、将来の名人候補と目されましたが、C級2組で5年も足踏みしてしまい、羽生に追い抜かれてしまいます。その結果、森下は現在まで6回タイトル戦に登場しますが、タイトル獲得はなりませんでした。(羽生に4回、谷川と屋敷に1回ずつ、挑戦しましたがすべて敗れました)。

(1-2)各期毎の戦い

①第14期棋王戦には、南芳一王将が挑戦者となって、谷川二冠(棋王・名人)に挑みました。谷川が2連勝して楽勝かと思われたのですが、南がそこから3連勝して、二冠の獲得に成功しました。

②第15期には、66歳の大山康晴十五世名人が挑戦者として登場し、南二冠(王将・棋王)に挑みました。結果は三連敗でタイトル獲得はできませんでしたが、66歳11ヶ月でのタイトル挑戦は、タイトル戦最年長挑戦記録として残っています。おそらく、今後もこの記録は破られないでしょう。。

③第16期の挑戦者は、4ヶ月前に竜王位を失冠して無冠に転落した羽生善治。南棋王は、棋王戦より1週間前に決着がついた第40期王将戦で米長王将より王将位を奪取して棋王との二冠に返り咲いたばかりでした。結果は、羽生が3勝1敗で棋王位を奪取し、わずか4ヶ月で無冠を返上しました。一方、南は、わずか1週間で二冠から一冠へと後退しました。羽生はこの後、2002年の第27期まで12連覇しました。

④第17期戦で羽生棋王に挑んだのが、南王将でした。南は、1992年(平成4年)早々に棋聖位を谷川に奪われ、棋王戦のさなかに、王将位をまたしても谷川に奪取されて無冠に転落してしまいました。棋王戦でも1勝3敗で敗れて、無冠のままになってしまいました。。

⑤第18期では、羽生三冠(棋王・王座・竜王)に谷川二冠(王将・棋聖)が挑戦しました。第一局は将棋界の覇権を争う両雄の戦いらしく、千日手の指し直しとなりましたが、谷川が先勝しました。その後、いずれも先番が勝って第五局にもつれ込みましたが、最終局は先番の羽生が勝って棋王位を防衛します。

⑥第19期から第22期まで、羽生は挑戦者をすべて3勝零敗で退けて、圧倒的な強さを発揮します。この間、南芳一が1回、森下卓が2回、高橋道雄が1回、挑戦しましたが、いずれも全く歯が立ちませんでした。

⑦第23期の挑戦者は、郷田真隆六段。羽生は、郷田の挑戦を3勝1敗で退け、棋王位8連覇を達成しました。五番勝負のタイトル戦では、大山十五世名人が棋聖戦で達成した7連覇が今までの記録でしたが、羽生はそれを破る新記録を打ち立てたのです。

(4)名人戦

名人戦は、二日制、七番勝負、持ち時間は各9時間(将棋界で最長)、毎日新聞社が主催、4月中旬から対局が始まり、毎月2局ずつ対局し、6月末までに決着がつきます。1989年(平成元年)47期から1998年(平成10年)56期までの名人戦の勝者と敗者を左下の表4にまとめて示します。

表4 平成元年~10年 名人戦
西暦 平成  期  名 人 勝―敗 (敗者)
1989 1 47  谷川浩司  4-0  米長邦雄 
1990 2 48 中原 誠 4-2 谷川浩司
1991 3 49 中原 誠 4-1 米長邦雄
1992 4 50 中原 誠 4-3 高橋道雄
1993 5 51 米長邦雄 4-0 中原 誠
1994 6 52 羽生善治 4-2 米長邦雄
1995 7 53 羽生善治 4-1 森下 卓
1996 8 54 羽生善治 4-1 森内俊之
1997 9 55 谷川浩司 4-2 羽生善治
1998 10 56 佐藤康光 4-3 谷川浩司

(1-1)10年の記録から

①平成元年から10年までの、名人戦10年間で、タイトルを保持したのは5人です。複数回は、谷川浩司が2期、中原誠と羽生善治が、それぞれ3期です。将棋界の覇権を争っている3人が、ほぼ同じ回数で分け合っているのをみると、ちょうど、覇権の移行時である事を示していると思われます。

②残りの2回については、米長邦雄と佐藤康光が1回ずつで、新旧交代を象徴しています。とくに、米長は49歳(史上最年長)、7度目の挑戦で悲願の名人位を獲得しました。

(1-2)各期毎の戦い

①第47期名人戦、谷川名人への挑戦者は米長邦雄。中原のライバルとして一時期には四冠にも輝きましたが、名人位だけは奪取できず、今回が5度目の挑戦でした。しかし、今回も4戦全敗という惨憺たる戦績で敗れてしまいました。

②第48期、中原誠が挑戦者として谷川二冠(王位・名人)に挑み、4勝2敗で名人位を奪取して、3期ぶり13期目の名人となりました。2度の名人返り咲きは史上初の快挙です。

③第49期、米長が挑戦者となり、名人位への6度目の挑戦として、中原名人と戦いましたが、またしても、1勝しただけで敗れてしまいます。

④第50期には、高橋道雄九段が中原名人に挑戦しました。第4局までに高橋が3勝1敗とリードした時には、中原名人が敗れるのではないか、と思われましたが、中原はそこから3連勝して防衛に成功します。なお、この期のA級順位戦では、大山康晴、高橋道雄、南芳一、谷川浩司の4人が6勝3敗の同率決戦となり、高橋が勝ち進んで挑戦者となりました。

⑤第51期、49歳の米長が中原名人に挑戦し、七度目の正直(?)でついに名人位の奪取に成功します。しかも、名人戦史上初の名人のストレート負け、という記録を作ったのです。終局直後、主催紙記者に心境を聞かれた米長は、「うれしい」と小声でつぶやいたそうです。米長の万感の思いがこもったつぶやきでした。49歳での名人挑戦も、名人位奪取も、いまだに破られていない最年長記録です。なお、中原はこれで無冠となり、二度と復活できませんでした。

⑥1994年(平成6年)第52期、ついに超弩級の天才、羽生四冠(王位・王座・棋聖・棋王)が挑戦者として登場しました。羽生は、この期、A級順位戦に登場するなり、7勝2敗で谷川浩司と同率トップとなり、挑戦者決定戦を勝って挑戦権を得たのです。23歳の挑戦者と50歳の名人との戦いは、世間の注目を集めましたが、羽生が、4勝2敗で米長を降して名人位を奪取しました。羽生はこれで五冠となり、羽生時代の到来を象徴する出来事となりました。一方、米長はこれで無冠となり、これ以降、タイトルとは無縁となってしまいました。

⑦第53期、挑戦者は28歳の森下卓。名人の羽生六冠(名人・竜王・棋王・棋聖・王位・王座)は24歳、名人戦史上初の20代対決となりました(羽生は、前年末竜王位も獲得し、史上初の六冠になっていました)。結果は、4勝1敗で羽生の圧勝でした。

⑧第54期、羽生と同年生まれで1ヶ月弱だけ若い森内俊之が挑戦者となりました。森内と羽生は小学生の頃から好敵手として各種の大会で争ってきた仲で、奨励会も同期でした。羽生はこの時、史上初の七冠王であり、森内の挑戦を4勝1敗で退けて、名人戦3連覇を達成します。

⑨第55期、前年末、羽生から竜王位を奪取した谷川浩司竜王が挑戦者となり、羽生五冠(名人・棋王・棋聖・王位・王座)に挑みました。そして、谷川が4勝2敗で羽生を破って、8期ぶりに名人に復位し、通算5期となって、十七世名人の永世資格を格闘しました。羽生は、四冠に後退しました。

⑩第56期、A級順位戦では6勝3敗で羽生と同率トップでしたが、挑戦者決定戦で羽生を破った佐藤康光が挑戦者となりました。28歳の佐藤は羽生より1歳だけ年長ですが、羽生世代の俊英です。先番が勝つという対局結果で3勝3敗となり、最終局は谷川の先番でしたが、勝ったのは後手番の佐藤でした。佐藤は、実力制十人目の名人となりました。

(5)王位戦

王位戦は、二日制の棋戦で、七番勝負、持ち時間は各8時間、ブロック紙3社連合(北海道新聞社、中日新聞社、西日本新聞社と神戸新聞社、徳島新聞社)が主催し、7月~9月にかけて戦われます。1989年(平成元年)30期から1998年(平成10年)39期までの王位戦の勝者と敗者を左下の表5にまとめて示します。

表5 平成元年~10年 王位戦
西暦 平成  期  王 位 勝―敗 (敗者)
1989 1 30  谷川浩司  4-1 森 雞二
1990 2 31 谷川浩司 4-3  佐藤康光 
1991 3 32 谷川浩司 4-2 中田宏樹
1992 4 33 郷田真隆 4-2 谷川浩司
1993 5 34 羽生善治 4-0 郷田真隆
1994 6 35 羽生善治 4-3 郷田真隆
1995 7 36 羽生善治 4-2 郷田真隆
1996 8 37 羽生善治 4-1 深浦康市
1997 9 38 羽生善治 4-1 佐藤康光
1998 10 39 羽生善治 4-2 佐藤康光

(1-1)10年の記録から

①平成元年から10年までの、王位戦10年間で、タイトルを保持したのはわずか3人です。谷川浩司が3期、郷田真隆は1期、そして、羽生善治が6連覇しています。一方、敗者の欄を見ますと、次の通り6人の名前が挙がっています: 森雞二1回、佐藤康光3回、中田宏樹1回、谷川浩司1回、郷田真隆3回、深浦康市1回。

②王位戦の勝者と敗者を合わせても、登場回数では、羽生が6回でトップ、谷川が4回、郷田と佐藤が3回ずつ、森、中田、深浦がそれぞれ1回となっています。

③登場棋士を世代別にみると、中原世代が一人(森)、谷川世代が二人(谷川、中田)、羽生世代が4人(羽生、佐藤、郷田、深浦)となっており、世代交代が進んでいる事がみてとれます。

(1-2)各期毎の戦い

①第30期王位戦: 前期3勝4敗で森雞二に王位を奪われた谷川名人が挑戦権をえて、森王位に挑み、今度は4勝1敗で勝って、王位をすぐに取り返し、二冠(名人・王位)ました。

②第31期王位戦: 谷川の後を追う羽生世代の俊英、佐藤康光五段が挑戦者として谷川に挑みました。佐藤にとっては、初めてのタイトル挑戦で、第七局までもつれる大熱戦に持ち込んだのは見事でしたが、そこで敗れてしまい、初タイトル獲得はなりませんでした。

③第32期: 挑戦者は谷川より2歳半若い中田宏樹五段。初めてのタイトル挑戦で、最初に2連勝した時は、「谷川危うし」とも思わせましたが、その後、谷川が4連勝して王位を防衛しました。中田はこれ以降、タイトル戦に登場する事はなく、これが唯一の機会だった。

④第33期: 挑戦者は郷田真隆四段でしたが、王位戦の直前(6月16日)に始まった第60期棋聖戦でも、郷田が谷川三冠(竜王・王位・棋聖)に挑戦しています。この時は、王位戦第一局(7月10・11日)の後で戦われた棋聖戦第4局(7月17日)で谷川が勝って棋聖位を防衛しました。タイトル戦への連続挑戦で、注目された戦いは4勝2敗で郷田が勝利し、史上初の四段でのタイトル獲得となりました。なお、郷田四段は、第30期で谷川に王位を奪われた森雞二の弟弟子であり、これで、兄弟子の仇を取ったことになります。

⑤第34期: 挑戦者は羽生善治。羽生は年初に谷川から竜王位を奪取して、史上最年少(21歳)で三冠王(王座・棋王・竜王)となり、次いで直前の棋聖戦でも挑戦者として谷川と対戦中でした。羽生は、王位戦第一局が戦われた(7月13・14日)直後(7月19日)の棋聖戦第4局で谷川を破って史上最年少の四冠王と輝き、勢いに乗っていました。郷田王位との戦いは、その勢いがそのまま出たようで、羽生の4連勝で終わり、羽生は史上最年少の五冠王となりました。なお、羽生はこの後、2001年(平成13年)第42期まで王位9連覇を達成します。これは、大山の12連覇に続く大記録です。

⑥第35期・第36期には、郷田真隆が連続して登場し、34期と合わせて3期連続の対戦となりましたが、羽生の勝利に終わりました。第35期は、羽生が2連勝の後、郷田が3連勝して、郷田の王位獲得か、とも思わせましたが、羽生が底力を発揮してそこから2連勝して五冠を守り抜きました。第36期は、羽生が七冠制覇をかけた王将戦に敗れて六冠のままでしたが、その六冠を維持するために戦っていた時期でした。この時は、最初郷田が2連勝しましたが、その後、羽生が4連勝して六冠を守り抜きました。なお、第三局終了後の7月28日、羽生は女優の畠田理恵さんとの婚約を発表、七冠フィーバーが収まらないうちのこの発表で羽生フィーバーがさらに燃え上がりました。

⑦第37期: 挑戦者として名乗りを上げたのは深浦康市五段。この年2月の王将戦で七冠を達成した羽生の一挙手一投足が注目を集めている中での対戦となりましたが、第二局終了後、7月30日の棋聖戦第五局で羽生が敗れ、六冠に後退しました。しかし、羽生は、その敗戦のショックを引きずらずに、4勝1敗で深浦の挑戦を退け、六冠を堅持しました。

⑧第38期: 挑戦者は、佐藤康光、第31期に次いで2度目の王位挑戦となりましたが、今回も王位奪取はなりませんでした。羽生は、前年2月に七冠を独占した後、じりじりと失冠し、この時点で四冠(王位・王座・棋王・王将)に後退していましたが、ここは踏ん張って、王位5連覇を達成し、この年から制定された「永世王位」の称号を贈られました。大山と中原の二人にもさかのぼって「永世王位」の称号が贈られました。

注: 永世王位は、連続五期、または、通算十期、王位を獲得した棋士に贈られることになりました。

⑨第39期: 佐藤康光が前期に続いて挑戦者となったが、今年は、6月に谷川名人を破って名人位を奪取したばかりであり、波に乗っていた。しかし、羽生は、好調の佐藤名人をもものともせず、4勝2敗で退けた。

(6)王座戦

王座戦は、一日制で5番勝負、持ち時間は5時間、日本経済新聞社が主催する棋戦で、9月・10月で勝者が決まります。1989年(平成元年)37期から1998年(平成10年)46期までの王座戦の勝者と敗者を右下の表6にまとめて示します。

表6 平成元年~10年 王座戦
西暦 平成  期  王 座 勝―敗 (敗者)
1989 1 37 中原 誠 3-2  青野照市 
1990 2 38  谷川浩司  3-1 中原 誠
1991 3 39 福崎文吾 3-2 谷川浩司
1992 4 40 羽生善治 3-0 福崎文吾
1993 5 41 羽生善治 3-1 谷川浩司
1994 6 42 羽生善治 3-0 谷川浩司
1995 7 43 羽生善治 3-0 森 雞二
1996 8 44 羽生善治 3-0 島  朗
1997 9 45 羽生善治 3-0 島  朗
1998 10 46 羽生善治 3-2 谷川浩司

(1-1)10年の記録から

①平成元年から10年までの、王座戦10年間で、タイトルを保持したのはわずか4人です。中原誠、谷川浩司、福崎文吾がそれぞれ一期ずつ、残りの7期は、羽生善治が7連覇しています。一方、敗者の欄を見ますと、次の通り6人の名前が挙がっています: 青野照市1回、中原誠1回、谷川浩司4回、福崎文吾1回、森雞二1回、島朗2回。

②棋王戦の勝者と敗者を合わせても、登場回数では、羽生が7回でトップ、次が谷川で5回、中原と福崎、島がそれぞれ2回、青野と森雞二が1回ずつです。

(1-2)各期毎の戦い

①第37期王座戦: 中原王座への挑戦権を得たのは青野照市八段、初めてのタイトル挑戦でした。お互いに先手番が勝って2勝2敗となった、第五局、後手番だった青野が必勝の局面でミスを連発し、敗れてしまいます。青野は、この後、タイトル戦に登場する事は二度とありませんでしたが、もし、このミスが無くて勝っていたら、運命は大きく変わっていたのではないでしょうか?

②第38期: 挑戦者は、名人位を失って一冠だけになった谷川王位。名人戦では、中原に敗れて名人位を奪取されましたが、王位戦では逆に中原を3勝1敗で破って王位を奪取します。中原は、これが最後の王座戦登場となりました。

③第39期: 挑戦者は、福崎文吾八段、1986年(昭和61年)に十段位を奪取して以来の二度目のタイトル戦挑戦でした。初戦から福崎が連勝しましたが、その後は谷川が連勝してタイとなり、第五局目は千日手の指し直しとなる大熱戦でした。指しなしの第五局も、両者が持ち時間を使い果たし、1分将棋の手に汗握る戦いとなりました。朝九時から始まった戦いに決着がついたのは、深夜の零時4分、15時間を超す熱戦を制したのは挑戦者の福崎でした。

④第40期: 挑戦者として、羽生棋王が登場しました。穴熊で名をはせた福崎王座がなぜか全局居飛車で迎え撃ちましたが、あえなく3連敗でタイトルを奪われてしまいました。羽生はこれで、自身初の二冠となりました。敗れた福崎は十段位を奪取した直後の防衛戦(1987年、昭和62年)でも、全局居飛車で戦って4連敗してタイトルを失っています。タイトルを取ったら穴熊はやらない、とでもいうのが福崎なりの「美学」なのでしょうか?なお、羽生は、この後、2011年(平成23年)第59期で渡辺明竜王に敗れるまで、19連覇という偉業を達成しました。

⑤第41期・42期: この2期は連続して谷川浩司が挑戦者として羽生に挑みましたが、敗れてしまいます。

1)第41期: 羽生は、五冠王(竜王・棋聖・棋王・王位・王座)になってから初めての防衛戦であり、谷川王将にとっては、竜王・棋聖と続けて羽生にタイトルを奪われた雪辱戦でもありました。しかし、わずか1勝しただけで羽生に敗れてしまいます。

2)第42期: 羽生五冠に谷川王将が挑む戦いでしたが、谷川は、3連敗で退けられました。

⑥第43期: 挑戦者は森雞二、第一局、第二局と必勝の局面を作りながら、終盤で逆転され、羽生が連勝します。第三局では、森雞二はなんとか流れを変えるべく、スーツで対局したり、途中でのおやつは食べなかったり、と苦心しますが、かなわず、3連敗で散ってしまいました。羽生は、これで、一日制棋戦で17連勝という記録を作りました。

⑦第44期・45期: この2期は島朗が連続して羽生に挑みましたが、いずれも3連敗で敗れ去りました。「伝説の島研」で兄貴分でしたが、弟分にあえなく敗れてしまいました。

1)第44期: 羽生は、この年2月の王将戦で勝って、史上初の七冠となり、その後、7月の棋聖戦で敗れて六冠に後退しましたが、王座戦では格の違いを見せつける3連勝で島の挑戦を退けました。羽生は、これで王座戦5連覇となって、「名誉王座」の資格を得ました。永世棋王、永世棋聖に続く三つ目の栄誉です。

2)第45期: 前期に続く島の挑戦を羽生は3連勝であっさりと破り、王座戦で第40期から18勝1敗という圧倒的な強さを見せつけました。つまり、第40期は3戦全勝、41期は3勝1敗、そして、第42期から第45期までは、4期連続して、すべて3連勝で挑戦者を退けています。これも素晴らしい記録です。

⑧第46期: 谷川浩司二冠(竜王・名人)が挑戦者となって、羽生四冠(王位・王座・棋王・王将)に挑みました。二冠と四冠とはいえ、谷川はタイトルの格では第一位の竜王と、それに次ぐ名人の二冠であり、羽生の四冠に十分対抗できるタイトルの重みでした。初戦から谷川が連勝した時は、羽生の連覇もここまでか、と思われたのですが、羽生がそこから3連勝して王座を守り抜きました。

(7)竜王戦

竜王戦は、二日制、七番勝負、持ち時間は各8時間、読売新聞社が主催、10月中旬から対局が始まり、毎月2局ずつ対局し、12月末までの決着を目指しますが、千日手指し直しや持ち将棋等でもつれた場合には、まれに、翌年の1月初めまで決着がずれる事があります。賞金額は名人戦を上回り、タイトル戦の中で一番高額です。タイトルの格も名人と同等またそれ以上の扱いとなっています。竜王戦は1988年から、それまでの十段戦に変わってお駒われるようになりましたので、1988年(昭和63年)第1期から1998年(平成10年)第11期までの竜王戦の勝者と敗者を右下の表7にまとめて示します。

表7 昭和63年~平成10年 竜王戦
西暦 平成  期  竜 王 勝―敗 (敗者)
1988 63 1 島  朗 4-0  米長邦雄 
1989 1 2  羽生善治  4(1持)3 島  朗
1990 2 3 谷川浩司 4-1 羽生善治
1991 3 4 谷川浩司 4(1持)2 森下 卓
1992 4 5 羽生善治 4-3 谷川浩司
1993 5 6 佐藤康光 4-2 羽生善治
1994 6 7 羽生善治 4-2 佐藤康光
1995 7 8 羽生善治 4-2 佐藤康光
1996 8 9 谷川浩司 4-1 羽生善治
1997 9 10 谷川浩司 4-0 真田圭一
1998 10 11 藤井 猛 4-0 谷川浩司

(1-1)11年の記録から

①昭和63年から平成10年までの、竜王戦11年間で、タイトルを保持したのは5人です。羽生善治と谷川浩司が、それぞれ4期ずつで、島朗と佐藤康光、藤井猛が、それぞれ1期ずつです。将棋界の覇権を争っている羽生と谷川が4回ずつで分け合っています。

②敗者の欄を見ますと、米長邦雄(1回)、島朗(1回)、羽生善治(3回)、森下卓(1回)、谷川浩司(2回)、佐藤康光(2回)、真田圭一(1回)と、7人に上っていますが、そのうち、4人はタイトル保持者であり、敗者欄にだけ名前が載っているのは米長、森下、真田の3名です。

(1-2)各期毎の戦い

①1988年(昭和63年)第1期竜王戦: 第一期の竜王位は、トーナメント決勝に勝ち残った大豪米長邦雄と、25歳の新鋭新鋭島朗六段との七番勝負となりました。事前の予想では、米長が勝つだろうというのが大勢でしたが、蓋を開けてみれば、島の4戦全勝という誰も予想だにしなかった結果に終わりました。

②第2期: 挑戦者は若干19歳の羽生善治六段、10代でタイトル戦に登場するのは史上初めてであり、世間からは大いに注目を集めました。島と羽生は「伝説の島研」で互いに手の内を知り尽くしている間でした。初戦は島の勝利、第二局は持将棋、そして、第三局も島の勝利で、島の優勢と見えましたが、第三局からは羽生が3連勝して巻き返します。第七局は島が勝ってタイとなり、最終の第八局、羽生が勝って竜王位を奪取しました。19歳でのタイトル獲得は史上初の快挙です。

③第3期: 谷川二冠(王位・王座)が挑戦者となりました。名人位には中原が、そして、竜王位には羽生が、それぞれ就位しているとはいえ、実力ナンバーワンは谷川である、という世評が一般的でしたが、その評判を裏付けるように、谷川は4勝1敗で羽生を破り、竜王位を奪取します。羽生は、3連敗後の第4局を必死の思いで戦い、ようやく勝利しますが、その1勝だけで敗れ去ってしまいます。なお、第一局は、10月19日、東西ドイツが統一されたドイツのフランクフルトで行われました。なお、この後、第11期まで、第一局は常に海外で行われるようになりました。

④第4期: 25歳の森下卓六段が挑戦者となりました。初戦がいきなり持ち将棋となり、波乱を予感させましたが、結局は谷川が4勝2敗1持将棋で森下の挑戦を退けて、竜王戦が始まって以来初めての竜王位の防衛に成功しました。この期も第一局は海外(バンコク)で行われました

⑤第5期: 羽生二冠(王座・棋王)が挑戦者として谷川三冠(竜王・棋聖・王将)に挑みました。滑り出しは二局目に千日手の指し直しとなりましたが、谷川の2連勝、その後、羽生が3連勝、そして谷川が勝っての3勝3敗、という熱戦となりました。最終局は、竜王戦初めての越年となり、年明けの1993年(平成5年)1月5・6日と大阪で行われ、羽生が勝って、史上最年少の三冠王となりました。敗れた谷川は二冠となり、将棋界の覇権が谷川から羽生に移ったことを象徴する一戦となりました。の、第一局は、今期も海外(ロンドン)で行われました。

⑥第6期: 大器として評判の高かった佐藤康光七段が、羽生五冠(竜王・王位・王座・棋王・棋聖)に挑みました。このタイトル戦開始まで、佐藤は当期最高の15連勝を含む31勝7敗(勝率0.816)、一方、羽生は26勝6敗(勝率0.813)。勝率8割以上のタイトル戦対決は史上初で、“最強のタイトル戦”と銘打たれた戦いでした。第一局は恒例となった海外対局で、今期はシンガポールで行われ、羽生が勝ちました。その後、勝ったり負けたりで羽生の2勝1敗となりましたが、そこから佐藤が3連勝して初タイトルとして竜王位を獲得しました。

⑦第7期: 前期敗れた羽生が挑戦者として佐藤竜王にリターンマッチを挑みました。羽生はこの時五冠王(名人・王位・王座・棋王・棋聖)、好調を維持しており、海外対局となったパリでの第一戦から3連勝して、佐藤竜王をカド番に追い込みました。佐藤は、ここで踏ん張り2連勝しましたが、第六局で力尽きて、2勝4敗でタイトルを失いました。羽生は、これで六冠となり、「羽生時代」の到来を知らせるものとして、全七冠の独占制覇への世間的関心が一気に高まりました。

⑧第8期: 挑戦者になったのは、前期敗れた佐藤康光前竜王、これで3期連続の羽生対佐藤の竜王戦となりました。羽生は、この年3月の王将戦で敗れて七冠独占はなりませんでしたが、ここまで、残りのタイトル戦では勝ち続けており、七冠への夢は続いていました。第一局目の海外対局は北京で行われ、佐藤が89手で勝ちました。3局目までは、佐藤が2勝1敗とリードしたのですが、第4局からは羽生が3連勝して、六冠を堅持し、七冠独占制覇の夢を来年につなげました。

⑨1996年(平成8年)第9期: 挑戦者は谷川浩司、この年の2月に羽生に敗れて王将位を奪取され、自分は無冠になるとともに、羽生に全七冠を独占されてしまいました。一方、羽生は、7月に三浦弘行五段に敗れて棋聖位を失って六冠に後退していました。ロスアンゼルスでの第一局こそ、羽生が勝ちましたが、その後は、七冠フィーバーでの疲れが出たのか、羽生は4連敗して竜王位を奪取され、五冠に後退しました。

⑩第10期: 谷川竜王への挑戦者は25歳の真田圭一六段、タイトル戦初登場で、和服での対戦や海外対局も初体験、という事で、実力を発揮することなく4戦全敗で敗れ去りました。真田圭一は、将来を嘱望されていましたが、残念ながらタイトル戦に登場したのはこの時だけです。

⑪第11期: 挑戦者は、羽生より2日だけ遅く生まれた28歳の藤井猛七段、羽生世代として早くから注目されていましたが、ようやくタイトル戦に登場してきました。藤井は、いわゆる「藤井システム」を考案して、独特の四間飛車戦法を生み出し、谷川竜王を4連勝で破って初めてのタイトル奪取に成功しました。

注: 「藤井システム」とは、参考文献19(「大山康晴の晩節」、河口俊彦、飛鳥新社)によると、大山康晴の棋譜を研究して編み出された戦法との事です。大山康晴は、全盛時は他者を全く寄せ付けず、タイトル戦、優勝棋戦を問わず、ほとんどいつも優勝争いに絡んでいました。大山の棋譜を徹底的に研究して編み出された戦法が「藤井システム」だそうです。将棋の戦法は日進月歩で進化しており、昔の棋譜の研究はあまり役立たない、と思われていたのですが、大山の棋譜だけは時代が変わっても役立った、という事で、大山の強さの秘密が垣間見れる、と河口俊彦は著書の中で述べています。

「藤井システム」はその後も進化しましたが、今では、対策が研究されて、先手の藤井システムは不利という見方が定着し、先手で藤井システムを指す事は亡くなったそうです。

2.七大タイトル戦の結果に基づくランキング

平成元年(1989年)から平成10年(1998年)までの10年間の七大タイトル戦の状況をここまで述べてきましたが、ここで、その結果に基づいてランキング表を作ってみました。

七大タイトル戦について、下の表8にまとめて示します(第一期が行われた年の順に並べました)。

表8 昭和63年~平成10年 七大タイトル戦の概要
連番 タイトル戦
名称
第一期が
行われた年
対局ルール 対戦時期 主催社
対局数  対局日数   持ち時間 
1 名人戦 1937年  七番勝負  二日制 9時間 4月~6月 毎日新聞
2 王将戦 1950年 七番勝負 二日制  9→8時間(*4)  1月~3月  毎日新聞・スポーツニッポン 
3 王位戦 1960年 七番勝負 二日制 8時間 7月~9月 ブロック紙三社連合
4 棋聖戦(*1) 1962年 五番勝負 一日制 5時間 12月~1月 産経新聞
五番勝負 一日制 5時間 6月~7月
5 棋王戦 1975年 五番勝負 一日制 5時間 2月~3月 共同通信
6 王座戦  1983年(*2)  五番勝負 一日制 5時間 9月~10月 日本経済新聞
7 竜王戦 1988年(*3) 七番勝負 二日制 8時間  10月~12月  読売新聞

注: *1. 棋聖戦は、1995年(平成7年)第66期以降、二期制から一期制へと変更になりました。一期制になってからの対戦時期は6月~7月です。
*2. 王座戦は、1953年(昭和28年)に優勝棋戦として始まりましたが、1983年から、タイトル戦となりました。
*3. 竜王戦の前身は、1950年(昭和50年)に第一期が行われた「九段戦」です。
*4. 王将戦の持ち時間は、1991年(平成3年)40期までは各9時間、41期以降は各8時間となりました。

(1)ランキング表

七大タイトル戦に於いて、昭和50年から63年までに、誰が何回タイトルをとり、誰が何回敗れたかを一覧にしたものを、下の表9として示します。

なお、表中の項目の意味は以下の通りです。

(1)タイトル獲得率とは、タイトル獲得回数を総合計の77回(棋聖戦は17回、他の六タイトル戦は合計で60回)で割った比率です。

(2)タイトル戦勝率とは、タイトル獲得回数を、タイトル戦参加回数で割った比率です。

(3)タイトル戦参加回数とは、タイトル獲得回数の合計値と、タイトル戦敗退回数の合計値との合計であり、その棋士が、77回あったタイトル戦に何回参加したかを示します。

(4)タイトル戦参加率とは、タイトル戦参加回数を合計数の77で割った比率です。実際に行われたタイトル戦に参加した比率を示します。

ランキングはタイトル獲得回数の多い順でつけました。タイトル獲得回数が同じ場合は、タイトル戦敗退回数の多い順につけました。

 表9  平成元年~10年 タイトル戦に基づくランキング
連番 ランク 名前 タイトル獲得回数 獲得率 タイトル戦敗退回数 勝率 参加
回数
参加率
名人 王将 竜王 王位 棋聖 棋王 王座 合計 名人 王将 竜王 王位 棋聖 棋王 王座 合計
1 1 羽生善治 3 3 4 6 5 8 7 36 46.75% 1 1 3 1 6 85.71% 42 54.55%
2 2 谷川浩司 2 4 4 3 3 1 17 22.08% 2 2 2 1 3 2 4 16 51.52% 33 42.86%
3 3 中原 誠 3 3 1 7 9.09% 1 1 1 1 4 63.64% 11 14.29%
4 4 南 芳一 2 1 2 5 6.49% 2 2 3 7 41.67% 12 15.58%
5 5 屋敷伸之 3 3 3.90% 3 3 50.00% 6 7.79%
6 6 郷田真隆 1 1 2 2.60% 3 2 1 6 25.00% 8 10.39%
7 6 佐藤康光 1 1 2 2.60% 1 2 3 6 25.00% 8 10.39%
8 8 米長邦雄 1 1 2 2.60% 3 1 4 33.33% 6 7.79%
9 9 三浦弘行 1 1 1.30% 2 2 33.33% 3 3.90%
10 10 福崎文吾 1 1 1.30% 1 1 50.00% 2 2.60%
11 11 藤井 猛 1 1 1.30% 0 100.00% 1 1.30%
12 12 島 朗 0 0.00% 1 1 1 2 5 0.00% 5 6.49%
13 12 森下 卓 0 0.00% 1 1 1 2 5 0.00% 5 6.49%
14 14 森 雞二 0 0.00% 1 1 2 0.00% 2 2.60%
15 14 高橋道雄 0 0.00% 1 1 2 0.00% 2 2.60%
16 15 青野照市 0 0.00% 1 1 0.00% 1 1.30%
17 15 大山康晴 0 0.00% 1 1 0.00% 1 1.30%
18 15 田中寅彦 0 0.00% 1 1 0.00% 1 1.30%
19 15 中田宏樹 0 0.00% 1 1 0.00% 1 1.30%
20 15 深浦康市 0 0.00% 1 1 0.00% 1 1.30%
21 15 村山 聖 0 0.00% 1 1 0.00% 1 1.30%
22 15 森内俊之 0 0.00% 1 1 0.00% 1 1.30%
23 15 真田圭一 0 0.00% 1 1 0.00% 1 1.30%
合 計  10 10 10 10 17 10 10 77 100% 10 10 10 10 17 10 10 77 154 100%

表9には23名の棋士が記載されていますが、このうち、実際にタイトルを獲得した棋士は、その半分以下の11 名でした。一方、タイトル戦に挑戦者として登場したものの、一度もタイトルを手に入れる事が出来なかった棋士は半数を超す12名でした。タイトル戦が7個になって、タイトル戦に参加する棋士数は増えましたが、実際にタイトルを獲得する棋士の数は増えませんでした。少数の棋士による寡占状態が起こっている、と思います。寡占状態が起こってきたのは、なんといっても、中原、谷川を追って羽生善治という大天才が登場してきたからではないでしょうか?

(2)ランキングについて

タイトル獲得回数が二桁なのは、羽生と谷川の二人だけです。二位の谷川と三位の中原の差は、獲得回数では10回、倍率でいうと2倍以上の差があります。平成の将棋界が、羽生と谷川が車の両輪で動いていった、という事がよくわかります。

①タイトル獲得回数のトップは、その羽生善治です。総計77回のうち、その半数近い36回タイトルを獲得しています(獲得率47%)。また、6回タイトル戦で敗退していますが、タイトル戦参加回数は合わせて42回、タイトル戦参加率は55%です。

1)個々のタイトルごとにみると、23人の棋士の中でただ一人、7冠すべてでタイトルを獲得しています。しかも、半年にも満たない167日間でしたが、七冠すべてを独占するという大偉業を達成しています。七冠王は、このコラムを書いている2017年末まで、この時の羽生以外には誕生していません。

2)獲得率が5割を超えているのは、棋王(8割)・王位(6割)・王座(7割)の三つで、2位以下をを大きく引き離しています。

3)タイトルの格でトップを争っている、名人と竜王についても、同率ではありますが、トップを並走しています。この意味で、平成に入ってから、将棋界の覇権は羽生に移った、と言えるのではないでしょうか?

②羽生に続く第2位は、谷川浩司です。獲得回数は17回(獲得率22%)、一方、タイトル戦での敗退回数も16回と獲得回数とほぼ同じです。タイトルを羽生と争って負けた、というケースがたくさんあって、このような結果になってしまいました。タイトル戦参加回数は合計33回(参加率21%)。トップの羽生には及びませんが、3位以下を大きく引き離しており、羽生に次ぐ実力者であることを示しています。

1)個々のタイトルごとにみると、棋王は獲得出来ませんでしたが、他の六冠は獲得しています(棋王位は、昭和の末期、61年と63年の二回獲得しています)。ただし、タイトル戦敗退回数をみると、7個の棋戦すべてに参加しています。棋王戦にも2回も参加しましたが、棋王位の奪取はなりませんでした。

2)谷川は、昭和の末期から平成の初期にかけては、将棋界の覇権を握った、と言えるだけの活躍はしましたが、その間はあまりに短く、中原と羽生、という両雄に挟まれて、第一人者としての地位を長期にわたって保持できませんでした。

③ランク3位は、中原誠。タイトル獲得回数は7回(獲得率9%)ですが、名人(3回)と棋聖(6回)と王座(1回)の三冠のみです。一方、タイトル戦での敗退回数は4回で、名人・棋聖・王座の他に王将戦でも一回参加して敗れています。タイトル戦参加回数は合わせて11回(参加率7%)です。昭和50年代は、中原がダントツのトップでしたが、平成に入ると、谷川・羽生、といった若手に追われてトップから3位に後退しました。

④ランク4位は、南芳一。タイトル獲得回数5回(獲得率6%)、敗退回数は7回、タイトル戦参加回数は合計12回(参加率8%)。王将・棋聖・棋王の三つのタイトル戦に偏った参加となっています。名人戦や竜王戦に参加していないので、回数だけでは4位ですが、タイトルの格を考えると、6位の佐藤康光よりは下位にランキングされるべきかもしれません。

⑤ランク5位は、タイトル戦の最年少記録を打ち立てた屋敷伸之、羽生より1年4ヶ月ほど若いだけの羽生世代の代表的棋士の一人です。棋聖位を3回獲得(獲得率4%)し、そして棋聖戦で3回敗退しました(タイトル戦参加は合計で6回、参加率4%)。タイトルの獲得も、タイトル戦の敗退も棋聖戦のみです。屋敷も、南のところで述べたのと同じ理由で、実質的には、佐藤康光より下位にランクされるべきなのでしょう。しかし、1990年(平成2年)第55期棋聖戦で、17歳10ヶ月、四段で、史上最年少のタイトル挑戦者として登場し、さらに続く第56期で、中原棋聖より棋聖位を奪取して18歳6ヶ月でタイトルホルダーとなりました。こうした、未だに破られていない最年少記録を作った時は、屋敷恐るべし、という感じだったのですが、その後伸び悩んだようです。

⑥ランク6位は、タイトル獲得数が2回(獲得率2.6%)、タイトル戦敗退回数が6回、タイトル戦参加数は合わせて8回(参加率5%)の佐藤康光と郷田真隆です。

1)佐藤康光: 1969年生まれで羽生より一歳年長の、羽生世代の代表的棋士の一人です。将棋界最高のタイトルである竜王と名人をそれぞれ一回ずつ獲得しており、羽生の強力なライバルの一人です。敗退したタイトル戦もすべて二日制の棋戦ですし、ランクも実質的には、中原に次いで4位と言えると思います。

2)郷田真隆: 羽生より半年ほど若い羽生世代の代表的棋士の一人です。名人戦や竜王戦には登場したことは無く、ランク的には6位が妥当と思われます。

⑦ランク8位は米長邦雄、名人位1回、王将位一回、合計で2回タイトルを獲得(獲得率2.6%)しました。敗退回数は4回で、タイトル戦参加回数は合わせて6回(参加率10%)です。中原の最強のライバルだった米長も、平成に入って、存在感が次第に薄れてきました。

⑨ランク9位から11位はタイトル獲得回数は1回で同じですが、タイトル戦敗退回数の差でランク付しました。

1)9位は三浦弘行、棋聖位を一回だけ獲得しましたが、その勝利で、羽生七冠を六冠に後退させた歴史的な勝利でした。そして、棋聖戦で2回、タイトルに挑戦して敗れています。合わせてタイトル戦の参加回数は3回です。羽生よりは3年半ほど若く、羽生世代の代表的棋士の一人です。

2)10位は福崎文吾、王座位を1回獲得し、王座戦で一回敗退しています。タイトル戦参加回数は2回です。谷川より2年半ほど年長で谷川世代の一人です。

3)11位は藤井猛、1998年(平成10年)第11期竜王戦に登場して、いきなり、ビッグタイトルを獲得しました。平成10年にタイトル戦に初登場して勝ちましたので、タイトル戦参加は1回きりです。藤井は、羽生より2日だけ遅く生まれただけの、ピカピカの羽生世代です。

⑩ランク12位から15位は12名います。タイトル獲得は一回もありませんが、敗退回数が違う(つまり、タイトル戦参加回数が違う)ので差を付けました。世代でみると、大山世代、中原世代、谷川世代、そして羽生世代と、多岐にわたります。

1)大山世代(1名): 66歳の大山康晴が、タイトル戦に登場したのは驚きでした。

2)中原世代(2名): 森雞二(14位、王位戦と王座戦に一回ずつ登場しました)、青野照市(15位、王座戦に一回だけ登場しました)。

3)谷川世代(4名): 島朗(12位、王座戦に2回、竜王戦、王将戦、棋聖戦にそれぞれ一回ずつ合わせて5回、タイトル戦に登場)、高橋道雄(14位、名人戦と棋王戦に一回ずつ登場)、田中寅彦と中田宏樹(15位、王位戦に一回だけ登場)

4)羽生世代(5名): 森下卓(12位、棋王戦に2回、名人戦、竜王戦、棋聖戦にそれぞれ一回ずつ合わせて5回、タイトル戦に登場)、深浦康市、村山聖、森内俊之、真田圭一の4人は、15位で、一回だけタイトル戦に登場しました。

(3)ランキング表から見える世代交代

表9に登場する23名の棋士を、生年月日をベースに世代別に分類すると右下の表10のように示す事が出来ます。

各世代の代表棋士を中心に、大山世代、中原世代、谷川世代、羽生世代、の四つに分けてその動向を分析します。

表10  平成元年~10年 世代別タイトル戦登場棋士
世代 No. 氏名 生年月日 獲得 敗退 参加 世代 No. 氏名 生年月日 獲得 敗退 参加
大山
世代
1 大山康晴 1923.03.13 0 1 1 羽生
世代
1 森下 卓 1966.07.10 0 5 5
合 計  0 1 1 2 村山 聖 1969.06.15 0 1 1
中原
世代
1 米長邦雄 1943.06.10 2 4 6 3 佐藤康光 1969.10.01 2 6 8
2 森 雞二 1946.04.06 0 2 2 4 羽生善治 1970.09.27 36 6 42
3 中原 誠 1947.09.02 7 4 11 5 藤井 猛 1970.09.29 1 0 1
4 青野照市 1953.01.31 0 1 1 6 森内俊之 1970.10.10 0 1 1
合 計  9 11 20 7 郷田真隆 1971.03.17 2 6 8
谷川
世代
1 田中寅彦 1957.04.29 0 1 1 8 屋敷伸之 1972.01.18 3 3 6
2 福崎文吾 1959.12.06 1 1 2 9 深浦康市 1972.02.14 0 1 1
3 高橋道雄 1960.04.23 0 2 2 10 真田圭一 1972.10.06 0 1 1
4 谷川浩司 1962.04.06 17 16 33 11 三浦弘行 1974.02.13 1 2 3
5 島 朗 1963.02.19 0 5 5 合 計  45 32 77
6 南 芳一 1963.06.08 5 7 12
7 中田宏樹 1964.10.20 0 1 1
合 計  23 33 56

(3-1)大山世代

①平成元年(1989年)には大山は65歳になるわけであり、大山世代が、タイトル戦に登場するには年齢的にもう無理、と言えますが、大山康晴だけは超人でした。

②平成2年(1990年)棋王戦第15期に、大山は挑戦者として登場しましたが、この時、彼は66歳11ヶ月であり、これは、タイトル挑戦者の最年長記録として、いまだに破られていない大記録です。

(3-2)中原世代

①平成元年(1989年)には中原は41歳で、そろそろ最盛期を過ぎた頃です。実際、中原のピーク時は昭和40年代後半から昭和50年末頃までで、昭和60年代以降は、谷川世代に追われるようになりました。

②中原以外の登場棋士は、米長・森・青野の3人だけで、しかも、森と青野はタイトルを獲得できませんでした。平成に入ってから、中原世代でタイトルを獲得したのは、中原と、彼の最強のライバル米長の二人だけだったのです。

③タイトルの獲得回数と敗退回数を比べると、中原は、獲得回数が敗退回数を上回っていますが、他の3人は敗退回数が多く、中原世代合計でも敗退回数が獲得回数を上回っており、中原世代の晩秋を象徴しています。

(3-3)谷川世代

①平成元年(1989年)には谷川は27歳で、最強期の真っただ中だったのです。将棋の世界では、「25歳が最強年齢」とも言われるようで、25歳から30歳頃までが最も強い頃だそうです。そして、30歳を過ぎる頃から、段々と棋力が衰えてくるそうです。その衰えのスピードをいかに緩やかにするかで、その棋士の全盛期がどこまで続くかが決まるそうです。棋力の衰えのスピードを遅くさせた達人が大山康晴だった、と言えるでしょう。

②谷川も、30歳を超えた平成4年頃からは、タイトルを獲得する回数が減り、後輩の羽生に追い越されてしまいます。棋力の衰えを以下にカバーするか、そこには、技術を超えた「人間力」のようなものも必要なのかもしれません。

③谷川以外で登場する棋士は6人いますが、その中では南が5回タイトルを獲得して他の5人を大きく引き離しています。しかし、やはり、敗退回数が獲得回数を上回っており、第一人者を凌駕できなかった事が数字面で表れています。

④谷川世代のタイトルの獲得回数と敗退回数を合計値で比べると、やはり、敗退回数が上回っており、谷川世代が次の羽生世代に追い越されてしまった実態を示しています。

(3-4)羽生世代

①平成元年(1989年)には羽生はまだ19歳で、まだまだ強くなる途中でした。羽生世代は、これからはばたく、という時期だったのですが、そこから一気に伸びて、平成10年頃には谷川世代を追い越して、最強の世代になってしまいました。

②羽生は、19歳で初めてタイトル戦に登場し、そしてタイトルを勝ち取りますが、そのタイトルは、格では名人よりも上の竜王でした。ここにくるまで、史上3人目の中学生プロ棋士として注目を浴びる中、華々しい活躍をしてきましたが、タイトル戦でも素晴らしいデビューを飾ったわけです。その翌年には、一旦、無冠になりますが、その後は、常にタイトルを保持し続けます。

③羽生以外の棋士は、10人に上り、その半数の5人がタイトルを獲得しています。その中で、タイトル獲得3回でトップの屋敷は敗退回数も3回で、勝率5割ですが、他の4人は敗退回数が獲得回数を上回っています。とくに、佐藤康光と郷田真隆の二人は、6回も敗退しており、「タイトル戦の壁に挑んでは跳ね返され続ける若手棋士」の代表格と言ったところでしょうか。

④羽生世代のタイトルの獲得回数と敗退回数を合計値で比べると、羽生の大活躍のおかげで、獲得回数が敗退回数を上回っています。平成の始まりは、羽生世代が、昭和末期の谷川世代を追い越していく時代の変わり目だった、と言えると思います。

3.最後に:

前回のコラムでも述べましたが、「平成は、1989年1月8日から始まりましたが、昭和から平成へと移行した時期は、中原誠の絶対的王者としての地位が揺らぎ、将棋界の覇権が、中原世代から谷川世代、更には、谷川世代から羽生世代へと移り変わっていた時期でした」。

タイトル戦も、七大タイトルがそろい、タイトル争いも熾烈を極めます。大山が全盛を極めていた時代(戦後間もなくから昭和40年代半ば頃)は、三冠から五冠へと移り変わる時期でしたが、大山が圧倒的強さを発揮して、三冠独占・五冠独占を実現します。その後、中原誠が現れて、大山独占状態を打破し、中原時代を築きます。そして、その過程で、六冠・七冠へとタイトル数が増えていきます。ただし、中原は、大山とは違い、全冠独占とは行きませんでした。五冠時代には四冠まで、六冠時代には五冠まで、七冠時代に入ってからは四冠までが最大でした。

平成に入って、タイトル獲得数では谷川がトップに立ちましたが、それまでの大山や中原と比べると、タイトルの獲得状況はそれほど圧倒的とは言えません。1月から12月までの1年間で見ると、谷川は、1990年(平成2年)の三冠王が最大でした。1992年(平成4年)以降、タイトル獲得数のトップは羽生に変わりましたが、彼は、瞬間的(167日間だけ)でしたが、史上初の七冠独占を実現して、七冠王になり、大山以来の絶対的強者の地位を築きました。

中原から谷川へと覇権が移る過程で、米長邦雄は、1984年(昭和59年)に四冠王となって中原を凌駕してトップ棋士の地位を奪取しましたが、名人位だけは奪取できませんでした。しかし、1993年(平成5年)第51期名人戦において、彼は七度目の挑戦の末、ついに名人位を奪取します。この名人戦の前に、米長は唐招提寺を訪問しました。米長は、鑑真和上が六度目の挑戦で日本訪問を成功させた故事をしのんで、自陣の七度目の挑戦が成功するように祈ったのではと伝えられています。

世代交代について、詳しく分析したいと思いますが、それについては次回以降のテーマとしたいと思います。

参考文献:

1.「将棋の歴史」、増川 宏一、平凡社新書
2.「将棋の駒はなぜ40枚か」、増川 宏一、集英社新書
3.「昭和将棋史」、大山 康晴、岩波新書
4.「将棋百年」、山本 武雄、時事通信社
5.「昭和将棋風雲録」、倉島竹二郎、講談社
6.「将棋 八大棋戦秘話」、田辺忠幸 編、河出書房新社
7.「中学生プロ棋士列伝」、洋泉社
8.「将棋年鑑 2017」、日本将棋連盟
9.「最後の握手」、河口 俊彦、マイナビ
10.「覇者の一手」、河口俊彦、NHK出版
11.「棋士という人生」、大崎善生編、新潮文庫
12.「棋士の一分」、橋本崇載、角川新書
13.「決断力」、羽生善治、角川oneテーマ21
14.「大局観」、羽生善治、角川oneテーマ21
15.「集中力」、谷川浩司、角川oneテーマ21
16.「プロ棋士という仕事」、青野照市、創元社
17.「将棋タイトル戦30年史 1984→1997編」、週刊将棋編、日本将棋連盟
18.「将棋タイトル戦30年史 1998→2013編」、週刊将棋編、日本将棋連盟
19.「大山康晴の晩節」、河口俊彦、飛鳥新社

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