渡辺糺(わたなべただす)のプロフィールと略歴

渡辺 糺(わたなべ ただす)
?~慶長20年(1615)
官位(大坂の陣時点) 内蔵助

渡辺昌の子。母は淀殿の側近・正栄尼。豊臣秀頼の乳兄弟。槍の名手であり「内助流槍術」なる流派を立てる。秀頼の指南役を務めて1千石(5百石とも)を拝領。方広寺鐘銘事件の際には、大野治長・木村重成らとともに開戦を主張する。冬の陣では根来の鉄砲隊3百人を指揮、守地は不明。鴫野の戦い・後半戦で豊臣軍の先頭に立ち、上杉景勝を相手に当初こそ奮戦するが、結局あまりの逃げっぷりに「渡辺が浮き名を流す鴫野川、敵に逢てや目はくらの介」と自慢の槍が振るわなかったことを嘲笑された。夏の陣では真田信繁の寄騎となり、誉田の戦い・天王寺・岡山の戦いに活躍。落城の際に千畳敷の御殿で自害。一説には豊臣家再興を信じて近江に落ち延びだが、そこで滅亡を知って自害したという。