【日本近代史を知る】世紀のでっち上げ?「帝人事件」を解説

昭和九(1934)年四月発覚した帝人株取得をめぐる大疑獄事件。この事件は斎藤実内閣を総辞職に導いた。

昭和金融恐慌で倒産した鈴木商店の傘下に帝国人造絹糸株式会社(帝人)があったが、親会社鈴木商店の担保として帝人株二十二万株が台湾銀行に預けられていた。その後、帝人は人絹ブームに乗って成長を続けると、この帝人株の株価上昇が見込まれる。これに目を付けた実業家のグループ「番町会」はこの帝人株の払い下げを実現しようと、鳩山一郎文相、黒田英雄大蔵次官、大久保偵次銀行局長ら当局者を動かして、昭和八(1933)年五月、島田茂台湾銀行頭取と買受団代表河合良成の間で十万株売却の商談が成立した。その直後、帝人は増資を行い、一挙に株価は上昇。株買受けに参加した人々は大きな利益を受けた。

昭和九(1934)年一月十七日、鐘紡社長を辞めた武藤山治が社長を務める『時事新報』は、「番町会を暴く」という連載記事を開始してこの取引に関して要路に行われた工作に関して触れた。衆議院においてもこの事件は問題化し、検察当局も二月末から捜査に乗り出した。三月、鳩山一郎文相が責を引いて辞任し、四月十八日、台銀の島田頭取、帝人の高木復亨社長、また番町会の永野護、河合良成などが続々召喚され、五月にいたって黒田大蔵次官などが逮捕された。閣議において小山松吉法相は今後、三土忠造鉄相、鳩山前文相、中島久萬吉前商相にも嫌疑が及ぶ可能性が濃厚であることを指摘した。斎藤内閣はここで総辞職を決し、この帝人疑惑は内閣瓦解にまで結びついたのである。

公判は昭和十(1935)年六月から開かれた。これまでに中島、三土が収容されている。容疑は河合が背任、島田、高木らが背任・涜職、黒田、中島らが涜職であったが、判決は同年十二月十六日、東京刑事地方裁判所で言い渡された。

判決は、この贈収賄に関してはその事実がないことを声明した。つまりこの帝人の贈収賄事件というのは完全な砂上楼閣だったのである。確かに帝人株が「要路に渡された」事実はあったが、賄賂の性質のものではなく、それは謝礼として一般商慣習の範疇に含まれるものであった。従って、全員無罪の判決が言い渡されるという、まさに世間を愕然たらしめるものであった。検察局は控訴をせず、判決はこうして確定したのである。藤井五一郎裁判長は特に「全く犯罪の事実が存在しない」と語った。

では、なぜこのような虚構犯罪が成立し得たのであろうか。これは容疑者への苛烈な拷問と自白強要による検事の捏造(このときの取調の苛烈さによって「司法ファッショ」と呼ばれた)とみていいが、一説によれば、これは検事界に根を張る平沼騏一郎が政権獲得を目指して子分の塩野季彦を使い、政友会久原房之助の一派と組んで張った大陰謀であると言われるし、また一説によれば、腐敗した政党・官界に対して革新的意欲の高い司法省が反感を持ったこと、また大蔵と司法の間での長年の確執も指摘されるところである。