【日本近代史を知る】大審院の概要を解説

大審院(だいしんいん)とは

明治八(1875)年、四月に「元老大審二院を置くの詔」によって創設された、通常裁判所としては最上級の裁判所。下位の裁判所として、第二審を行う上等裁判所と、第一審を司る地方裁判所が設置され、こうして日本における三審制が法的に確立されたとされる。

昭和二十二(1947)年五月、日本国憲法施行によって最高裁判所が設置せられ、廃止された。

大審院の機能

明治憲法下における最高法院であり、上告審として「全国法憲の統一を主持する」裁判所であった。但し、皇室に対する罪、内乱罪に関しては第一審にして終審の裁判所である。

民事課と刑事課が置かれ、審判は各課五人以上の判事の合議によって行われる。また、判決差戻しとして、不法な裁判を破棄して他の裁判所に移して裁判させることもあった。

新憲法下の最高裁判所と比較すると、違憲立法審査権(これは大審院の問題ではなく、欽定憲法としてほぼ不可侵の玉条であった明治憲法に問題があったというべきだが)、裁判所内部の規則制定権がなく、司法行政監察権は法相の手に帰していた。裁判所みずからが司直に入れるメスはなかったといえる。

大審院の地位

「開拓使の上、諸省の次」とされた。

また、大審院長は勅任判事の中から天皇が親補し、大審院部長は勅任判事の中から法相によって奏任された。

歴代大審院長

玉乃世履 明治8.5.12- 事務取扱
玉乃世履 明治11.9.13-
岸良兼養 明治12.19.25-
玉乃世履 明治14.7.27-
尾崎忠治 明治19.8.12-
西 成度 明治23.8.21-
南部甕男 明治24.4.8- 院長心得
児島惟謙 明治24.5.6- 大津事件突発
名村泰蔵 明治25.8.24- 院長心得
三好退蔵 明治26.3.3-
南部甕男 明治29.10.7-
横田国臣 明治39.7.3-
富谷鉎太郎 大正10.6.13-
平沼騏一郎 大正10.10.5-
横田秀雄 大正12.9.6-
牧野菊之助 昭和2.8.19-
和仁貞吉 昭和6.12.21-
林頼三郎 昭和10.6.13-
池田寅二郎 昭和11.3.13-
泉二新熊 昭和14.2.15-
長島 毅 昭和16.1.31-
霜山精一 昭和19.9.15-
細野長良 昭和21.2.8-