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オー・ヘンリー『警官と賛美歌(The Cop and the Anthem)』(1904年)あらすじと書評

あらすじ

若いホームレスのソーピーは、寒い冬に備え3ヶ月ほど刑務所に入ろうと思った。刑務所なら寒さをしのげ食物にもありつける。ニューヨークの比較的恵まれた連中が避寒地へのチケットを買うのと同じように、ソーピーもアイランド(流刑島)への避難という慎ましい手配(軽犯罪を犯す)を毎年繰り返してきた。彼はチャリティー活動を嫌悪していた。法律の方が博愛よりも優しい。公共なり慈善団体なりの施設に出向けば簡素な宿と食事を受けられるが、誇り高い精神から言えば、チャリティーの贈物は逆に心苦しく、精神的屈辱を受けなければならない。規則で運営される法律の方が、プライベートに過度に干渉しない。人を傷つけるなどは思いも付かないソーピーが考えた、簡単で一番心楽しい犯罪は、高級レストランで豪勢な食事をとった後、文無しを告げて警官に逮捕される事。後は親切な治安判事がやってくれる。ソーピーはブロードウェイの小奇麗なレストランに入るが、ヘッドウェイターが身なりを見て歩道へ追い出した。次に、6番街のライトアップされたショーウィンドウに敷石を投げつけた。警官が駆け寄ってきて色めきたって犯人について尋ねた。「おれがやったとかいう可能性は考えてみないのかね?」とソーピーは愛想よく言った。犯人は一目散に逃げ出すと思った警官は、走って行く1人の男の追跡に向かった。

ソーピーは2回の失敗にうんざりした。次に、見栄えのしないレストランに入り、ビーフステーキ、パンケーキ、ドーナッツにパイを平らげ、ウェイターを呼び自分が文無しだという事実を打ち明けた。「急いでお巡りを呼びな」と言うが、「きさまにお巡りなんぞいるもんか」と歩道の上に放り出された。逮捕はバラ色の夢にすぎず、アイランドは遠く彼方に思えた。若い女性がショー・ウィンドウの前で陳列品を見ていて、2メートルの所に警官がいた。ソーピーは「ナンパ師」の役割を演じようと思い「おやベデリアじゃないか!うちに遊びにくる気はないか?」と声をかけると、女は「行くわよマイク、ビールをおごってくれる」とうれしそうに言った。ソーピーは角を曲がって連れをふりほどき逃げだした。恐ろしい魔法をかけられて逮捕されない体になったのか、やや取り乱した彼は「騒乱行為」という藁にすがった。舗道上で不快な声で酔いどれ騒ぎの真似事をはじめた。警官は通行人に「エール大学の連中ですよ、完勝したのでお祝い騒ぎです、害はないですから」と説明した。諦めて、次に煙草屋で身なりのいい男のシルクの傘を盗んだ。男が慌てて追いかけてきた。ソーピーが「どうして警察を呼ばないのかね?おれはあんたの傘をとったぜ」と言うと、傘の持ち主は「それは今朝拾ったもので…」と言って退散した。ソーピーは憤怒のあまり傘を工事現場の穴に放りこんだ。

捕まえて欲しいのに、向こうは俺が誤りを犯す筈がないと思っているらしい。次に、マジソン・スクエアの閑静な街角にきて足を止めた。柔らかな光がステンドグラスから溢れだす趣のある古い教会があった。オルガン奏者が奏でる賛美歌を耳にしたソーピーは、金網にしがみついた。母、薔薇の花、気高い志、友人たち、純真な心、そして真っ当な仕事、在りし日々の人生が満たされていた時、その讃美歌をよく耳にしていた。ソーピーの魂は突如として変化を遂げた。感動に打ち震え、自分を支配していた邪悪を打ち払った。時間はある、まだそれなりに若い、かつての熱意に満ちた希望をくじけずに追いかけよう。厳粛で甘美なオルガンの調べが彼の決意を固めさせた。明日は、喧騒に満ちたダウンタウンに赴き仕事を見つけるのだ。その時、ソーピーは自分の腕に誰かが手をかけたのに気づいた。あわてて振り向くと警官の大きな顔が映った。「ここでなにをしているのかね?」と警官は言う、「なにも」とソーピーは答えた。「じゃあ、ちょっときてもらおうか」と警官は言った。翌朝、法廷で治安判事は「アイランドに3ヶ月」と言った。

書評

オー・ヘンリー原作を映画化した「人生模様(1953年)」には5話が収められている。

第1話「警官と賛美歌」
第2話「クラリオン・コール新聞」
第3話「最後の一葉」
第4話「赤酋長の身代金」
第5話「賢者の贈り物」

「警官と賛美歌」のエピソードには、デビュー間もないマリリン・モンローが街娼役で出演していた。20世始めのアメリカには浮浪罪があった。作品中の若い浮浪者は、軽犯罪を犯して、寒い冬の間だけアイランドの刑務所に入ろうと考えるが、ことごとく失敗。偶然入った教会で賛美歌を聞くうちに、自己の過去を振り返り、人生のやり直しを決意する。しかし外に出たところ、浮浪罪で警官に逮捕される。それまで「何をしても」逮捕もされなかったのが、賛美歌を聴いて心機一転人生をやり直そうと決意した瞬間、「何もしていない」事で逮捕された。判決は90日の懲役、最初の希望はかなえられたが、意外で皮肉な結末となる。

人生は、思いのままにはならない事がほとんど。こうしたいと考えてもそうならず、それはもう必要ない諦めたと思うと、必要ない事が起こってしまう。ある意味不条理だが、自然界では不条理というものはなく、淡々とした流れで様々な事が起こり、人間の思惑を超えている事が多いし、善悪自体も人間の判断に過ぎない。「神も仏もないのか」と言っても、本来自然の流れに竿をさそうとする神や仏はいない。自分に都合良い事が起これば神の恵みだと言っても、それは単なる自己満足、自己正当化に過ぎない。すれ違いがあるのも人生だ。

しかし、すれちがいを悪い結果だと思う必要もない。そこから違った人生が始まるわけで、人間死ぬまで終わりはない。結果良ければすべて良しでもない、そういう二元論的考えが人間の価値判断となり、毒となり、善悪中毒に陥らせる。また、人生を平均して良かった悪かったと言う判断も宜しくない。

人生には、「めぐりあい」「すれ違い」「別れ」がある。「別れがなければ、めぐり逢いもない」、「めぐりあい」と「別れ」の中にあるのが「すれ違い」。 すれ違いに二つあり、一つは物理的にズレてめぐりあう機会がないケース、もうひとつは考え方や気持ちがかみあわない、あるいは誤解が生じたケース。すれちがいは「別れ」に繋がる。不条理かもしれないが、人生とはそういうものだ。日本では「諸行無常」、旧約聖書「コヘレトの言葉」では、「すべては空しい。働きすぎはなお空しい。科学も宗教も文化も、そして政治はなおのこと。社会主義も、資本主義も空しい」、厭世家のようでありながら自暴自棄にはならず、社会の現実を見つめ、自足自適の生活に甘んじる知恵を持ちながら、人間を超えた大きなものの存在を信じ、そして人生を楽しめと言う。楽しい時は浮かれすぎずに気をひきしめ、悲しい時もくよくよせず、前を見続けるしかない。