文系の雑学・豆知識

歴史、美術、文学、言葉、文化についての雑学・うんちく・豆知識・トリビアを集めたサイトです。気になった記事や文章を個人のメモとして投稿しています

擊劍(げきけん)とは【中国歴史用語の解説】

古代においては、短剣を用いた様々な技。剣を投げて攻撃する技や、長柄の武器との対峙で懐を取る技。護身・暗殺に向いていると共に、技比べやショーなどにも用いられた。現代においては、フェンシングの事を指す。

「正史三国志諸葛亮伝」の裴注の「魏略」に「庶先名福,本單家子,少好任俠擊劍(徐庶は元の名を福といい、単家の出で、若い頃より任侠を好み撃剣の使い手であった)」とある。

このほかにも、「撃剣」に触れている文献は多い。いくつか紹介すると(括弧内は我流訳)、「史記」には、「荊卿好讀書擊劍(荊卿(荊軻)は読書と撃剣を好んだ)」。「漢書」には、「司馬相如者,蜀郡成都人也,字長卿.少時好讀書,學擊劍(司馬相如は、蜀郡成都の人で、字を長卿という。若い時に読書を好み、撃剣を学んだ)」、「東方朔字曼倩,…(中略)…十五學擊劍(東方朔は字を曼倩といい…十五歳で撃剣を学んだ)」。「三国志」には、「文帝丕…(中略)…好擊劍(文帝曹丕は…撃剣を好んだ)」、「田疇字子泰,右北平無終人也.好讀書,善擊劍(田疇は字を子泰といい、右北平無終の人である。読書を好み、撃剣に長じていた)」、「崔琰…(中略)…好擊劍(崔琰は…撃剣を好んだ)」「肅…學擊劍騎射(魯肅は…撃剣と騎射を学んだ)」等々とある。このほかにもいくつかある。

この撃剣について、「漢書補注」には、二説が取り上げられている。

① 顔師古曰、撃剣者、以剣遙撃而中之、非斬刺也。(顔師古曰く、「撃剣を体得せし者は、剣を用いて遠方から攻撃し、当てることが出来る。これは、斬ったり刺したりすることではない」と。)
② 沈欽韓曰、学撃剣、学撃刺之法也。…於前呉越春秋、越處女曰竊好撃之。顔説謬。(沈欽韓曰く、「撃剣を学ぶとは撃刺の法を学ぶことである」と。…前の呉越春秋に於いて、越の處女曰く、「竊かに之を撃するを好む」と。顔氏の説は誤りである。)

①では、「撃剣」は、飛刀・投剣の類と解せる。遠くから投げて当てるなど多少卑怯な気がしないでもないが、技術がいる事は確かである。

②では、“刺”という字から、刺すこと専門の剣でフェンシングのレイピアっぽいが、“竊(ひそか)”に行うことから見ると、隠し持った短剣(護身や暗殺の為の)、どちらかというとダガーだろうか。物陰からこっそり近づいて“ぶすり!”。こちらの方が男らしい。

顔師古と、沈欽韓は、正反対な説をとるが、何れにしても不意打ちや暗殺の匂いがするし、それらはおおっぴらに出来るもんでも無いから、記述が詳細では無いのかもしれないし、いろいろな説や方法があるのだろう。

またその他の文献を調査すると、さらにいろいろ見えてくる。(以下は、中央研究院漢籍電子文獻、及び、ネット検索で得た情報を参考に記述する)

「史記司馬相如列傳」の「三家注」に、曹丕が著した「典論」が引用されており、「余好擊劍,善以短乘長(余は撃剣を好む、短を以って長に乗ずるのに向いている)」とある。

「三國志魏書王粲傳」の注に引く、魚豢著の「魏略」には、「植初得淳甚喜…跳丸擊劍(曹植は邯鄲淳を配下とした事を甚だ喜び…(自慢の)跳丸(ジャグリングの類)や撃剣を披露した)」とある。

曹植の披露した「跳丸擊劍」関連で調べていくと、「三國志魏書杜夔傳」には、「跳丸擲劍」という語が出てくるし、「新唐書宦者列傳下李輔國傳」には、「跳丸舞劍」という語が出てくる。

以上のことを総合すると、「擊劍」とは、短剣を用いて繰り広げる様々な技の総称ではないかと思う。

遠くの敵を倒す為に投げて当てる技、襲われた時に回避し、或いは、長柄の得物をかわしながら懐を取る技、的当てやら剣舞やら、様々なものが含まれる。

ということは、使用する短剣もそれぞれの用途に適したものが開発されていたかもしれない。(投げ用とか刺し用とか…)

上記に挙げた撃剣の使い手たちを見てみると、荊軻などは始皇帝を襲った刺客であり、徐庶や魯肅は仇討ちなどをするような侠客である。上に引用した曹丕・曹植のように曹一族は、護身用として、また、人に披露する為に、これを体得していたらしい。また、北方の遊牧民がよく使用してたこともあり、烏丸と境を接した右北平出身の田疇などは直接習ったのかもしれない。

また、跳丸などと併記される事もあること、また擲劍・舞劍など、後世にも似たような表記が出てくることを考えると、ナイフでジャグリングしたり、的当てしたり、剣舞を披露したり等、中国雑技団みたいな技も含まれていたのかもしれない。