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中国の兵法書『六韜』全文と本文の意味の解説

守屋洋氏著の「全訳武経七書」(プレジデント社)を元に概要を説明しています。

周の文王・武王と軍師の太公望・呂尚の対話に起源を発すると言われる『六韜』は、三国時代には武将の必読書として知られていました。「文韜」から「犬韜」までの六巻からなる書物です。

孫子のように広く普及してはいないが、愛好者は少なくありません。このコンテンツが、六韜を知るきっかけとなれば幸いです。

目次

1.文韜
2.武韜
3.竜韜
4.虎韜
5.豹韜
6.犬韜

1.文韜

本文

君子はその志を得るを楽しみ、小人はその事を得るを楽しむ。

解説 

君子の楽しみは志を実現すること、小人の楽しみは物を得ることである。
読んでの通りである。要するに、目の前の小さなことで満足するか否かで人物の大小は決まっていくのである。 

本文

天下の利を同じくする者は、則ち天下を得、天下の利を擅にする者は、則ち天下を失う。 

解説 

 天下の利益を共有しようとすれば天下を手中に収める事ができるが、独り占めにしようとすれば天下を失ってしまう。
これは歴史を見ていくだけで一目瞭然であろう。たとえ強大な勢力を誇っていても、その権力を己の欲望のためだけに用いた者は長く繁栄はしていない。彼らは一見すると最強に見えるかも知れないが、必ず哀れな末路をたどることになる。この六韜の言葉は、それを端的に示した言葉である。

本文

 禍福は君に在り、天の時に在らず。

解説 

 上手くいくかいかないかは君主の責任であって、天運とは関係がない。
この文は孫子と共通の認識を示している。この文は孫子でいう「敗北は天の降した災厄ではなく...」という一文であろう。天運というのは自らが引き寄せるのであって、向こうから勝手にはやってくることはない。君主たるものはその事を認識しておくべきである。

本文

 賞罰は身に加うるが如く、賦斂は己より取るが如し。

解説 

 賞罰を加えるときには自分にも加えるように、税金を取り立てるときには自分からも取り立てるようにせよ。
罰を加えたり税金を取り立てるなどという事柄は、民にとって負担となる行為である。しかし、この負担がなければ国家は成立しない。それゆえ、民を愛する君主は、負担を受ける民の苦しみを共有しようとしなければならない。ただ徒に、国民に対して痛みを要求しているだけでは、真に民を愛する君主ということはできないのである。

本文

善を見て怠り、時至りて疑い、非を知りて居る。 

解説 

 良いことだとわかっていても実行せず、好機がきても決断をためらい、悪いことだと知りながら改めようとしない。

太公望が国家が廃れる条件として挙げた事柄である。欲望に負け、相手を侮った者は滅亡の憂き目を見るのである。それを防ぐには欲望に打ち勝ち、相手を敬う心であると太公望は説いてあるのである。

本文

進んで争うことなく、退いて遜ることなし。 

解説 

 前に進んで人と争ってばかりいてはいけないし、後に退いて責任逃れを事としてもいけない。
太公望は、天地の道に則って政治を行うのが最上だという。その主張見ると、老子の「いったい物は盛んに繁茂しているが、それぞれの生まれ出た根元に帰っていくものだ」という道家の思想が垣間見える。つまり、自然の流れに沿った行動こそが最上であると言っているように私は思う。

本文

 賞を用うるには信を貴び、罰を用うるには必を貴ぶ。

解説 

 賞というのは約束通りに必ず与え、罰というのは法に則って必ず科すことである。
君主たるものは賞罰の権限を手放してはならないと説いた韓非子の如く、信賞必罰は権力の要である。これが円滑、適切に行われてこそその権力は維持できるのである。

本文

 誠は天地に暢び、神明に通ず。而るを況や人に於いてをや。

解説 

 誠というのは天地神明に通じるもの、ましてや人間に通じないわけがない。
信賞必罰が適切に行われれば、その効果は必ず挙がると太公望は説いている。しかし、一言に賞罰と言っても凡人は必ず主観が入ってしまう。賞罰に主観が入ってしまうようでは、その成果が挙がるどころか逆効果になってしまうのである。

本文

聖王は兵を号して凶器となし、已むを得ずしてこれを用う。 

解説 

 聖王は兵を凶器とみなし、万やむを得ないときにそれを行使したのである。
軍隊というのはやたらめったら用いれば良いというのではない。適切なときに用いてこそ始めて効果が上がるのである。柳生宗矩の執筆した兵法家伝書にも、「一人の悪を殺して万民を生かす」ために用いた刀こそが、即ち人を生かしていくのだと説いている。この太公望の説いた一文も、柳生宗矩が言ったことと同じなのである。

本文

 兵勝の術は、密かに敵人の機を察して、速やかにその利に乗じ、また疾くその不意を撃つ。

解説 

 戦に勝つためには、敵の仕掛ける一瞬の隙をとらえて先手をとり、すばやく敵の不意を衝くことである。

敵との戦力が互角の時、勝敗を決するのは一瞬の隙である。それゆえ、敵も虎視眈々と味方の一瞬の隙を狙ってきているはずである。戦いとは油断した方が敗北するというのはどの兵法家も説いていることである。

2.武韜

本文

 全勝は闘わず、大兵は創つくなし。

解説 

 理想的な勝利は戦わずして勝つことであり、王者の軍は決して傷つくことがないのである。
戦わずして勝つ、というのは中国兵法においては共通の認識である。六韜でもその例外に漏れることはない。これは、古代中国の人々が兵や武具を「不祥の器」「凶器」として忌み嫌っていたことによるのである。

本文

 大智は智ならず。大謀は謀らず。大勇は勇ならず。大利は利せず。

解説 

大智を持つものは智をひけらかさないし、大謀はことさら計らわないものである。また

太公望は「聖人が行動を起こすときは愚者のような振りをするものだ」と言っている。日本の諺で言えば「能ある鷹は爪を隠す」ということであろう。自分のことをやたらに誇示する人間は大した人物ではない、と懸命なる先人は見ていたのであろう。

本文

 天地は自ら明らかにせず、故に能く長生す。聖人は自ら明らかにせず、故に能く名彰る。

解説 

 天地は万物を生育してもその功績を鼻にかけないので、いつまでも存在し続ける。同様に、聖人も功績をひけらかさないので、かえって人々から称えられるのである。
万物は循環するという思想がこの六韜を貫いている。三略といい、六韜といい、この兵法を理解するためには道教の知識がないと理解しがたいであろう。仁義礼智を重視した孔孟思想、無為自然を説く老荘思想。中国の兵書を理解するためには、これらの思想を理解していることもまた重要なのである。蛇足であるが、日本の兵法書は中国と違って儒教と禅宗・神道の思想が色濃いことが特徴である。なので、日本は比較的ではあるが精神論が強くなっている。

本文

 聖人はその始めを見れば則ちその終わりを知る。

解説 

 聖人だけは始めを見ただけで終わりまで推し量ることができるのである。
この六韜には『聖人』という言葉が頻繁に見られる。この聖人という言葉は古代中国の伝説となっている『三皇五帝』を指す。そしてこの三皇五帝というのは陰陽五行思想の権化と言っても過言ではない。一見すると兵法書というと思想・宗教と関係がないと思われるが、実際にはこの六韜を読めばわかる通り、儒教・道教・諸子百家・陰陽五行思想などの考えが根本をなしている。これらの思想を避けて中国史を語ることはできないのである。

本文

 天下は一人の天下に非ず、唯だ有道者のみこれに処る。

解説 

 天下は君主一人のものではない。ただ徳のある人物だけがその地位につくことができるのである。

徳のある人物とは『人々を包み込んでいく大きな度量』『信義に厚く、嘘偽りがない』『人徳があって、人々から慕われる』『惜しみなく恩恵を施す』『困難を乗り越えていく権謀』『躊躇わずに実行する決断力』を全て満たした人物であるという。確かにこれらを全て満たしていれば天下をとることができるであろう。

本文

 太だ強ければ必ず折れ、太だ張れば必ず欠く。

解説 

 強くなりすぎれば必ず折れ、拡張しすぎれば必ず欠けるものである。
強敵を倒すための方策を説いている。この作戦が用いられた有名な事例として、冷戦時代のアメリカが発表した『スターウォーズ計画』がある。これは敵のミサイルを宇宙で見張って打ち落とすというとんでもない計画で、実現のためには国が傾くくらいの膨大な軍事費を必要とした。よって、中にはこの計画を疑問視する人々もいた。アメリカに対抗意識を燃やすソ連はこの計画を真に受け、これに対抗すべく軍備拡張を進めたのである。新たな軍拡の火種と批判されたこの計画ではあったが、この計画をアメリカが実施することはなかった。それどころか、この計画を真に受けて軍拡をしたソ連は膨張する軍事費によって経済が行き詰まり、1991年にソ連は崩壊した。この六韜の言葉を実践したかのようなアメリカのスターウォーズ計画は見事に成功したのである。

本文

 謀の道は、周密を宝とす。

解説 

 謀をめぐらすには、あくまで周到かつ秘密でなければならない。

やはり謀略というのは戦争に必要だとは言えども、市民感情として良い印象があるわけがない。それに、謀略が外に漏れてしまっては謀略の意味を為さない。よって、謀略を行うときは決して外部に漏れないように慎重な配慮をしなければならないのである。 

3.竜韜

本文

 軍中の事は君命を聞かず、皆将より出づ。

解説 

軍内の事はすべて君命によらず、将軍の指揮権に委ねられるのである。
戦場のことに関しては現場の責任者に全権を委任せよ、ということである。ただし、これは封建制度の組織に成り立つのであって、現在の軍隊のようなシビリアンコントロールの組織では好ましいとは言えない。軍人に統制権を委ねることは、シビリアンコントロールに反するからだ。ただし、緊急事態の時には国民の代表である大統領や総理大臣に強権が委ねられることはよくあることである。大統領や総理大臣に強権を委ねることは、原則的にシビリアンコントロールに反してはいないことを明記しておく。

本文

 刑上に極まり、賞下に通ずるは、これ将の威の行なわるる所なり。

解説 

 刑が上に及び、賞が下に及ぶことは、将たる者の威信を確立する道に他ならない。
賞罰を行なうにあたり、普段は顧みられないような地位の低いものにも恩賞を与え、高官の位にある者でも容赦なく罰することが良いということ。若いては信賞必罰を上下末端に至るまで公平に行なえ、ということ。

本文

 倐ちにして往き、忽ちにして来たり、能く独り専にして制せられざる者は兵なり。

解説 

 進むも退くも迅速に行動し、こちらの動きたいように動いて、敵の思惑に左右されないのが用兵の極意である。

戦いを有利に進めるためには、こちらが敵の情報を知ることができ、敵はこちらの情報を知ることができないようにするのが鉄則である。これはそういったことを言っているのである。

本文

 善く戦う者は、軍を張るを待たず。善く患を除く者は、いまだ生ぜざるに理む。

解説 

 戦巧者は敵と対陣するまえに目的を達し、やり手の人物は事が起こるまえに問題を解決するのである。

これは孫子と意見を同じにしている。つまり、孫子で言うところの『上兵は謀を伐つ』『勝兵は先ず勝ちて而る後に戦い、敗兵は先ず戦いて而る後に勝を求む』ということである。

本文

善く敵に勝つ者は、形なきに勝つ。上戦は与に戦うなし。 

解説 

 有能な将軍は軍を動かすまえに勝利を収め、戦わないで勝つのが理想的な勝ち方なのである。
これも前の文と同じような感じであるが、孫子で引用するところの『百戦百勝は、善の善なるものに非ざるなり』『戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり』ということだ。

本文

 善く戦う者は、利を見て失わず、時に遇いて疑わず。

解説 

 戦巧者は、有利と見たらたたみかけ、好機と見たらすかさず攻撃する。
こちらの利益となるようであれば素早く攻め取るのが上策である。ただし、今後の維持の事も考慮に入れての話である。孫子も『利に合わば而ち動き、利に合わざれば而ち止む』としている。

本文

 戦うに必ず義を以ってするは、衆を励まし敵に勝つ所以なり。

解説 

戦いにさいして大義名分を強調するのは、兵士の戦意を鼓舞するためである。

戦いを優位に進めるには、今行なおうとしている戦の意義を兵たちに知らしめる必要がある。勿論、これは状況に応じて考えなければならないことであり、その判断力が将軍としての資質の差である。

本文

攻むべきを知りて攻め、攻むべからずして止む。

解説 

 状況をよく判断して攻めるべき時は攻め、攻めてはならないときには攻めてはならない。
これはよく考えるとその通りであるが、時にはこの当たり前のことが非常に難しくなる。それは上司からの命に従わなければならぬ時である。我々は上司などの命令が無謀であったとしても、時には実行しなくてはならない状況下に置かれる。しかし明らかに組織を滅亡に導くような指示であったなら、孫子の言葉にもあるように無謀な君命は拒否しなければならないのである。 

4.虎韜

本文

 審かに敵人の空虚の地、無人の処を知らば、以って必ず出づべし。

解説 

 敵の手薄なところ、備えのないところを見つけ出せば、必ず脱出できる。
これは圧倒的な優勢の敵に包囲をされた状況下での話である。このときは死地であるので奮戦して脱出を図るのは当然なのであるが、それと共に敵の状況を冷静に判断することが重要である。もし敵に不備を見つけだすことができたならば、その不備を衝いて脱出することができるのである。

本文

 勇闘すれば則ち生き、勇ならざれば則ち死せん。

解説 

 力の限り戦えば生き残るし、そうでなければこれまでである。
窮地に陥ったとき、我々が如何に行動すべきかを示した一文である。もし危機的な状況であっても勇敢に戦えば生き残れるが、仮に臆病であったり諦めてしまえばその時点で全てが終わってしまうのである。

本文

 慮り先ず設けず、器械備えず、教え精信ならず、士卒習わず、此くの若きは以って王者の兵となすべからざるなり。

解説 

 あらかじめ計画も立てず、武器装備も不充分で、兵士の教育や訓練も行き届かないとあっては、王者の軍と言うことはできない。
事前計画も立てないで行きあたりばったりの事をやっていたら、物事が成就するわけがないということ。行動を起こすには綿密な計画と用意周到な準備が必要である。しかし、状況によっては臨機応変に対応することを忘れてはならないのは当然のこととして認識していなければならない。

本文

 三軍を戒むるを以って固しとなし、怠るを以って破るとなす。

解説 

 軍は警戒を厳しくすることによって備えを固めるものであり、これを怠れば敗北を招くのである。

平時から油断を戒めた一文である。もし警戒を怠っているところに敵襲などが来たとすれば、軍が混乱状態に陥るのは必死だからである。軍が混乱状態にあったとしては、智者であったとしても立て直すことは容易ではない。ゆえに、普段からの警戒を怠ってはならないのである。

本文

まさに先ず遠候を発し、敵を去ること二百里にして、審かに敵人の在る所を知るべし。

解説 

 必ず遠くまで物見を出し、二百里も手前で敵の所在をつかまなければならない。
これは戦う敵、及び戦場となる地形を入念に調べなければならないということである。まずは地の利を確保し、敵のこともよく知った上で戦えば敗北する可能性は極めて少なくなるのである。 

本文

 将は必ず上は天道を知り、下は地理を知り、中は人事を知り、高きに登りて下望し、以って敵の変動を観る。

解説 

 将たる者は、必ず天道を知り、地理を知り、人間を知らなければならない。そこで高台に登って敵陣の動きを観察する。

天道を知る、とは時を知ることに他ならない。たとえ地勢や人事が万端であったとしても、時を逸すれば全てが無意味だからである。これは即ち己を知るということに通じる。高きに登りて下望し、とはいわゆる敵を知るということである。つまりこの一文は、孫子に記されている『彼れを知り己れを知をらば、百戦して殆うからず』ということを指し示した文なのである。 

5.豹韜

本文

 便を見れば則ち戦い、便を見ざれば則ち止まれ。

解説 

有利と見れば戦い、不利と見れば停止せよ。
これは見ての通りである。好機であれば一気に畳み掛け、そうでなければ好機が訪れるのを待つのである。 

本文

 山の高きに処れば、則ち敵の棲ます所となり、山の下きに処れば、則ち敵の囚うる所となる。 

解説 

山の高い所に布陣すれば、下から包囲されて動きが取れなくなり、低い所に布陣すれば上から攻めくだられて捕捉されてしまうのである。

山岳で戦う場合の注意点である。一般的に高地に布陣することは戦闘に有利と見られがちであるが、布陣に隙があったり内情を知られたりすれば、逆に敵の方が有利となる。そのため、敵の状態に応じて自在に変化できる布陣をしなければならないのである。

本文

敵に当たり戦いに臨むに、必ず衝陣を置き、兵の処る所を便にし、然る後に車騎を以って分かちて烏雲の陣を為る。 

解説 

敵と対陣したとき、必ず衝陣をつくって有利な地形に陣を構え、戦車、騎馬を展開して"烏雲の陣"をつくることにある。

これも読んだ通りなのであるが、敢えて書くとすれば、まずは不敗の態勢を形成した後に必勝の態勢を築くことを用兵で心掛けなければならない。

本文

所謂烏雲とは、烏のごと散じて雲のごと合し、変化窮まりなきものなり。 

解説 

ちなみに"烏雲"とは、烏のように散り、雲のように合し、変化して窮まりないことを言う。

この豹韜の巻で登場する烏雲の陣とは、孫子で説くところの『兵の形は水に象る』ということである。この文をそのまま捉えれば、分進合撃が自在に行うことのできることをいうのかもしれない。 

本文

 少きを以って多きを撃つは、必ず日の暮れを以って深草に伏し、これを隘路に要せよ。 

解説 

少数の兵力で大軍を撃ち破るには、日暮れを待って深い草むらに身を隠し、隘路で敵を迎え撃つことである。

劣勢な兵力で敵を撃破しようとするならば、まともに正面作戦を展開していては勝利を望むべくもない。そのため、劣勢の時は伏兵などの計謀を巡らさなければならないのである。

本文

 弱きを以って強きを撃つは、必ず大国の与と隣国の助けとを得よ。

解説 

弱兵をもって敵に撃ち勝つには、必ず大国と同盟し、隣国の援助を取り付けなければならない。

こちらが劣勢な場合は、単独で戦おうとしないで周囲の援助を要請するのが上策である。そのためにも普段の外交政策が重要となってくるのである。ただし、援助をする側はこちらの窮状に付け込んで仮道伐虢を狙ってくる可能性もある。これらのことを考慮して物事を進めるべきである。  

6.犬韜

本文

 それ撃たんと欲する者は、まさに審かに敵人の十四の変を察すべし。変見るれば則ちこれを撃て。敵人必ず敗れん。 

解説 

攻撃を加えるには、まず敵の十四の変化を察知しなければならない。その変化が現れたところで攻撃すれば、必ず敗ることができる。

好機になったら敵に攻撃を加えるのは用兵の原則だが、太公望はこの文にて好機とはどのようなものかを示しているのである。

好機と見る敵の十四の変化として、集結したばかりで隊伍が整っていない、兵も馬も腹を空かしている、天の時に恵まれない、地の利を得ていない、慌ただしく走り回っている、警戒を怠っている、疲労している、将が兵士を掌握していない、長い道のりを行軍してきた、河を渡っている、忙しく立ち働いている、険阻、隘路を通過している、隊伍を乱している、恐怖に慄いているを挙げている。

本文

吏士に教うるには、一人をして戦いを学ばしめ、教え成れば、これを十人に合わす。 

解説 

将兵への教え方は、先ず一人に教え、学び終えたら、その者を隊長として十人に教える。

兵士を戦場に送り出す前には、ちゃんとした教育を施さなければならない。しかし、百万近くの大軍となると兵士への教育も一筋縄ではいかない。そこで、太公望はこのような幾何級数的に教えていく方法を指し示している。このような創意工夫をすることが大事なのである。 

本文

 車は軍の羽翼なり。堅陣を陥れ、強敵を要し、走り北ぐるを遮る所以なり。

解説 

戦車は軍にとって羽や翼のようなものであり、堅陣を陥れたり、強敵を迎撃したり、敗走する敵を阻止するために使う。

これは戦場における戦車の用い方を教えている。春秋戦国時代においては戦車は主力の一つであり、戦車を多数保有することは大国の要件でもあったのである。諸子百家に千乗の国、万乗の国などという表現があるのはこのことである。しかし、時代が歩兵中心になるにつれ戦車は用いられなくなっていった。

本文

 騎は軍の伺候なり。敗軍を追い、糧道を断ち、便寇を撃つ所以なり。 

解説 

騎馬は偵察行動に適し、敗走する敵を追撃したり、糧道を断ったり、遊撃部隊を討伐するのに使う。

これは騎馬の用い方を示したものである。これら戦車や騎馬を適切に用いなかったならば、歩兵一人にも敵わないであろうと太公望は述べている。つまり、兵種の特性を生かした運用を心掛けよ、とのこと。

本文

 歩は変動を知るを貴び、車は地形を知るを貴び、騎は別径奇道を知るを貴ぶ。

解説 

 歩兵は敵の動きを察した上で戦い、戦車は地形を掌握した上で戦い、騎馬は間道や抜け道を把握した上で戦うことが肝要である。

歩兵、戦車、騎馬にはそれぞれ適した運用法があり、この犬韜の巻では具体的にそれを教えている。

本文

 敵人暮れに返り、その兵甚だ衆ければ、その行陣必ず乱れん。

解説 

夕暮れに宿営へ引き揚げるとき、大軍であるほど陣形が乱れるものである。

これは騎馬を用いたときがよい場合の一つである。大軍は軍を上手く纏めて撤退させることも難事であるから、この撤退に戸惑っている隙を衝くのである。