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竹取物語考察:難題「仏の御石の鉢」

かぐや姫で有名な『竹取物語』。その中で難題「仏の御石の鉢」に挑んだ多治比嶋を取り上げます。

 

【多治比嶋(たじひ・しま 624[推古天皇32]-701[大宝1])】

多治比真人嶋とも称される。多治比(名字)・真人(姓)・嶋(名前)。

「真人」(まひと)は、天武帝時代に定められた「八色の姓」(上から真人/朝臣/宿禰/忌寸/道師/臣/連/稲置)の最高位で、奈良時代~平安時代初期に掛けて、皇室の血を引く者に与えられた称号です。多治比嶋の場合、


26継体天皇-28宣化天皇-上殖葉皇子-十市王-多治比彦王-多治比嶋


という形で皇室の血が入っている事から、真人の称号が与えられました。

ちなみに、継体天皇の即位のいきさつ等の関係で、皇統は26継体天皇-29欽明天皇と続くため、(結果的に)中継ぎ的な即位となった宣化天皇の男系子孫では、この多治比氏が最も繁栄することとなります。


また、上記の様に「真人」は皇族の血統専用の称号で、近現代での「宮家」に近い感じです。臣下は一つ下の「朝臣」が最高位だったのですが、時代の変遷によって次第に「真人」は使われなくなり、最終的にはほとんどみんな「朝臣」という状態になって(源平藤橘は全て「朝臣」)制度自体が形骸化、平安時代以降では「○○朝臣○○」の様に文章等に形式的に使われるだけのレベルになってしまいました。


嶋は、大化改新、白村江の戦い、壬申の乱等の激動の時代を生き抜き、藤原氏が急速に勢力を伸ばし多くの貴族が没落する中でも勢力を保ち、最終的には左大臣まで上り詰めました。

……というより、これから取り上げる「難題」を与えられた五人は、それぞれ順番に臣下の最高位に立ち、最終的に(世代的に一番若い)藤原不比等が政権のトップに立つことになります。


子供の多治比池守は大納言。子孫は貴族として朝廷で活躍。その後衰退するも本拠地を河内に置き、子孫はその後も武蔵国の国司を勤めるなど一定の勢力を保ちました。現代でも後裔は多数現存しています。

また、桓武平氏の祖、葛原親王の母親は多治比家の女性である事から、平氏系の血統には多治比嶋の血が入っている事になります。かく言う私も平氏系統なので、一応彼とは繋がりがあるという事になりますね。


さて、そんなすごい人である多治比嶋に輝夜姫の出した難題は「仏の御石の鉢」。改めて読み返すと、断るための口実とはいえ、こんなお偉方にこんなものを取ってこいと難題を出すなんて厚かましい女ですね(笑)

「仏の御石」=「仏教系の宝」ということで(実在するとすれば)海外(天竺)まで取りに行かねばなりません。少なくとも国内にはありませんし、遣唐使/遣隋使の数々の逸話が語る通りこの時代に海外に行くのは命がけです。どう考えても実際に旅に出て入手するなど非現実的です。

……というわけで、多治比嶋の出した結論は「偽物を持ってきて誤魔化す」でした。

輝夜姫に「これから天竺に行きます」と挨拶をしておき、大和の国の山寺まで行って真っ黒に煤けた古い鉢を入手。これが「仏の御石の鉢」だと偽って輝夜姫の所まで持って行きます。


……が、輝夜からは「仏の御石の鉢」は光を持っている筈、という指摘が。

勿論光っているわけがないので、偽物であると見破られてしまいます。更に、偽物を持ってきた「大和の国の山寺」の事まで見破っています。

偽物だとばれた多治比嶋は、鉢(偽物)を返却されますがその場で投げ捨て、諦めればいいのに、引き続き和歌で口説くという見苦しい行動に出ます。が、当然輝夜姫に無視されてしまい、結局脱落しました。


……というのが、難題「仏の御石の鉢」編の筋です。


ちなみに原文ではこの話の最後に
「彼が嘘がばれて鉢を捨ててからもしつこく言い寄った」嶋の様子を、「鉢(=はち=恥)を捨てる」行動だ、と揶揄されています。
(次回以降の挑戦者たちも基本的に失敗するわけですが、最後にこの手の言葉遊びで揶揄されて終わり、というパターンが続きます)

 

そんなわけで、第一の挑戦者、多治比嶋は脱落し、次の挑戦者が登場します。それが車持皇子(藤原不比等)です。