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特攻隊員と戦艦「ミズーリ」逸話(高知新聞・平成十七年十一月二十二日付より)

高知新聞・平成十七年十一月二十二日付より

 

太平洋戦争末期の昭和二十年(一九四五年)四月十一日午後二時四十三分、鹿児島県薩南諸島喜界島沖で、一機の零式戦闘機が米国戦艦「ミズーリ」の右舷艦尾に体当たりした。

この勇敢な攻撃に心を打たれたウィリアム・キャラハン艦長は、この特攻隊員を水葬にして手厚く葬ることを提案した。艦内には「敵兵にそんなことをする必要はない」という反対もあったが、艦長は「敵兵でも死んだら敵ではない。国のために命を捧げた勇士である。これは艦長の意志である。丁重に葬ってやりたい」と艦内に放送し、星条旗に日の丸を描かせて遺体を包み、翌十二日、礼砲五発、全員敬礼をして水葬にしたという。

 

 

現役時の雄姿


 今でも、ミズーリの右舷艦尾には「カミカゼ・アタック・サイト」(特攻機の攻撃場所)と称する「凹み」が残り、訪れる観光客の関心を集めているのである。 

当時、この特攻機の部隊や操縦士の身元は不明だったが、「戦艦ミズーリ記念協会」のボランティアの人々が、記録を丹念に調査した結果、この特攻機は鹿児島県の鹿屋(大隅半島)を飛び立った「第五建武隊」(計十六機)のうちの一機、石野節雄・二等飛行兵曹(当時十九歳・岡山県出身)であることが判った。 

ミズーリ記念協会のドナルド・ヘス副会長は、「ウィリアム・キャラハン艦長は兄を日本軍との戦闘で失っていたが、特攻機の操縦士を手厚く弔い、最大限の敬意を表した。平和と友好のしるしとして、艦上で日米の関係者が対面するのは意義深いことである」と、石野二等飛行兵曹の慰霊祭を行うことを計画した。

 

退役して真珠湾に係留されているミズーリ


水葬から、丁度五十六年目にあたる平成十三年(二〇〇一年)四月十二日、特攻隊員の家族らを招いて、真珠湾に係留中のミズーリ艦上で慰霊祭を開催した。高齢で出席できない石野二等飛行兵曹の遺族に代わり、ともに鹿屋基地を出撃して戦死した隊長の矢口重寿中尉(当時二十三歳・茨城県出身)、曽我部隆・二等飛行兵曹(当時十九歳・愛媛県出身)や石野二等飛行兵曹の叔父(敵空母に体当たりをして自爆)の遺族が出席、艦長の長男や元乗組員たちと対面した。

 「キャラハン艦長の人道的な配慮に一言お礼を言いたい」と、日本側遺族の一人として出席した松山市在住の曽我部隆さんの姉・鎌田淳子さんは、「弟・隆とともに亡くなった甥の石野節雄が、半世紀以上過ぎてもこのように手厚く葬られていたことを知り、ようやく心の区切りがついた気がします」と米国側の温かい配慮に感謝したという。