文系の雑学・豆知識

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吉原と浄閑寺(投げ込み寺)の歴史

投げ込み寺

荒川区南千住2-1

都電荒川線の終点三ノ輪橋から日光街道へ出て信号を渡るとすぐに大きな森が見える。駅から歩いて5分ほどの所に『浄閑寺』がある。

吉原から程近いためしばしば遊女の屍体が門の中に投げ込まれた。

 

吉原大門のそばに残る『見返り柳』

一葉の『たけくらべ』没頭に「廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火うつる三階の騷ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行來にはかり知られぬ全盛をうらなひて・・・」 

荷風の『里の今昔』にも見返り柳を後にして堤の上を半町ばかり行くと、左手へ降りる細い道があった。これが竜泉寺町の通りで、「たけくらべ」第一回の書始めに見る叙景の文は即ちこの処であった」とある。吉原全盛の頃には「遊女三千人ご免の場」といわれ、それこそ江戸一番の不夜城の趣を呈していた。

吉原の遊客たちが衣ぎぬの別れのあと大門を出て再び吉原を振り返ったことからこの名がついたという。

現在の木は何代目かになるのだそうだが、今はなき吉原にひっそりと佇む姿は少し悲しくも見える。

投げ込まれた遊女の数

明暦元年(1655年)の開基以来の過去帖によると、この寺に葬られた遊女の数2万有余、その平均年齢は21歳。それぞれの人生がいかに過酷だったかが推し測られる。

江戸の戯れ歌に

女郎の誠と 四角の卵 あれば晦日に月が出る(じょろのまことと、しかくのたまご、あればみそかにつきがでる) 

晦日(三十日)とはその月の最後の日のことで新月が近く出ない月のこと。出るはづがない事から、 あり得ない事、つまり嘘のこと

というのがあり、遊女がいかに薄情だったかを詠っていますが、過酷な身の上ゆえからの嘘には、当時の江戸っ子たちも半ばあきらめ、半ば黙認していたのでしょう。

生まれては苦界、死しては浄閑寺

江戸時代、吉原に近いここ浄閑寺は別名を「投げ込み寺」といわれ、コモで巻かれただけの遊女の屍体が門前へ投げ込まれたのでこの名が残る。

当時遊女に売られてきた女性たちは、生まれた所が極貧の家か、その他何らかの事情で痛ましい身の上だった。そこで「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と薄幸なその人生をうたったものだ。

そのせいだろうか、この寺には入った途端、その薄幸な女性たちの悲痛な霊気が漂っているかのようなものが感じられる

浄閑寺で荷風忌を毎年執り行っていた勝部真長氏は、ここ浄閑寺は明暦の大火、安政の大地震、関東大震災、太平洋戦争でも不思議と燃えなかった「大筋では昔の雰囲気を残している。その昔の雰囲気の大なるものが、本道の裏手に廻った墓地の只中に残っている。その地面は湿っていて、陰気な土の匂いが鼻をうつが、日の光がささず、なにか淋しい、怖ろしい陰惨な気にとらわれてしまう」と書いている。

非業の死を遂げた人々へ

花魁と言えば、現在の銀座の超一流のホステスや京都の舞妓とは比較にならないほど華やいだ存在だったが、その生涯は慨して不幸だった。金のために売られ金のため男の玩具とされ、上級の花魁になると「大名道具」と言われ、相当の金を積まなければ顔さへも見ることすら叶わない存在だった。しかしその裏には辛い悲しい、廓内から一歩たりとも出られない人質のような生活の実態があった。

 

山門を抜けるとすぐ右に明暦の大火や、苦しい境遇の末、幸薄かった遊女への慰霊の菩薩像が安置されている。


この写真は新比翼塚といい遊女と心中をした役人との霊を祀ったもの
自然石に「新比翼塚」と刻んである。この世では添い遂げられなかったがせめてあの世でと云う篤志家たちの思いで建てられた。

荷風は『里の今昔』の中で「新比翼塚は明治12、3年のころ品川楼で情死をした遊女盛糸と内務省の小吏谷豊栄二人の追善に建てられたのである」と書いている。

遊女若紫の供養碑

永井荷風 昭和12年6月22日の「断腸亭日乗」 より 若紫塚記

女子姓は勝田。名はのふ子。浪華の人。若紫は遊君の号なり。明治三十一年始めて新吉原角海老楼に身を沈む。楼内一の遊妓にて其心も人も優にやさしく全盛双 ひなかりしが、不幸にして今とし八月廿四日思はぬ狂客の刃に罹り、廿二歳を一期として非業の死を遂けたるは、哀れにも亦悼ましし。そが亡骸を此地に埋む。 法名紫雲清蓮信女といふ。茲に有志をしてせめては幽魂を慰めはやと石に刻み若紫塚と名け永く後世を吊ふことと為死ぬ。

荷風の碑文

しばしばこの寺を訪れた永井荷風は何を思っていたのだろう。

「余死する時、後人もし余が墓などを建てむと思はば、この浄閑寺の栄城娼妓の墓乱れ倒れたる間を選びて一片の石を建てよ」荷風はこう云い残した。

新吉原総霊塔と対峙して荷風の『偏奇館吟草「震災」』より抜粋された碑が残る。

今の世のわかき人々
(中略)
明治の不戦かまた灰となりぬ。
今の世のわかき人々
我にな語りそ今の世と
また来む時代の藝術を。
くもりし眼鏡ふくとても
われ今何をか見得べき。
われは明治の児ならずや
去りし明治の世の児ならずや。

昭和38年建立