文系の雑学・豆知識

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恋に生きた樋口一葉の生涯とは:本郷菊坂での生活と半井桃水への恋慕の情

一葉略歴

樋口一葉 本名「奈津」は、明治五年三月二十五日東京府内幸町に生まれた。父はもと奉行所同心のちに警視庁勤務。二男三女の次女で四番目。

明治十六年十二月、私立青海小学校を主席で卒業、母の反対でその後上級への進学をやめるが、勉学好きの奈津を父親が不憫に思い、十四歳の折に中島歌子主宰の「萩の舎」に入門。当時の萩の舎は生徒千人の大学問所で、皇室関係から上流階級の子女が通うところだった。士族でも下級の家柄の一葉は平民として扱われた。

ここでも萩の舎の三才媛と佐々木信綱が言うように頭角を現した。父親の死後、一時萩の舎の内弟子となるが、実態は女中並みに使われたらしい。しかし成績は常にトップクラスだった。

本郷法真寺に住居を構える

一葉は短い生涯に十五回も引越しを繰り返している。しかしよほど本郷が気に入ったと見えて、最後には再び本郷の地を踏んだ。

四歳から九歳までは、今の東京大学正門前の法真寺境内に父則義の買った家で過ごした。その頃二階の窓からの桜の景色が好きだったらしく、後年一葉はこの家を「桜木の宿」と呼んだ。

父の死後しばらくの間、芝西応寺町の次兄虎之助方に同居していたが、母たきと虎之助の折り合いが悪く、明治二十三年九月本郷菊坂町七十番地の借家に移る。のち西隣の六十九番に移る。

特に一葉はここ菊坂が気に入ったらしく、

『春風に庭の梅の花が咲き乱れる様子は、香りよい雪が降るようで春を惜しんで鳴く鶯の声も聞こえ、我が家の春の情景を他の人にも見せたいくらいです』と、いたく気に入っている様子が分かる。

一葉が本郷を気に入ったのは、それだけではなく以下の理由もあった。

 

半井桃水と出遭う

明治二十四年四月十五日、小説の手ほどきを請うため世間知らずの十九歳の一葉が、初めて出遭った文化人の男性が半井桃水(なからいとうすい、当時31歳)であった。

当時東京朝日新聞文芸部に勤めていた桃水は、すでに大衆小説家として名を知られる存在であった。その時の心境を一葉は日記の中で、

『初見(しょけん)の挨拶などねんごろにし給ふ。おのれまだかヽることなければ、耳ほてり唇かわきて、いふべき言もおぼへずのぶべき詞もなくて、ひたぶるに礼をなすのみ成き』

そして桃水の第一印象を、次のように語っている。

『色いと白く面ておだやかに少し笑み給へるさま、誠に三才の童子もなつくべくこそ覚ゆれ』

この時すでに一葉、優しくて世間慣れした桃水に一目惚れしたらしい印象がうかがえる。

桃水はなかなかの色男で自遊人だったから、初心な一葉にしては無理からぬことだっただろう。

一途な恋心

初めての出会いから一週間後に再び桃水を訪ね、その日の日記に一葉は、「人は初め良いと思った人でも、二度目にはそれ程でもないことがあるのに、先生は先日お目にかかった時よりも一層親しみ深く感じられ、こんな人は滅多にいるものではない」と、桃水にのめり込んでいく。

そして「もし困ったことがあったら何でも言って下さい。私で出来る事でしたら力の限りいたしましょう」などと言われ、おんな所帯の心細い境遇の一葉は、ますます桃水への思慕を募らせていった。

 

日ごと募る慕い

 そして、一葉は日ごとに桃水に没頭して行く。その頃の日記に、「お会いしたい」という手紙を二人同時に出していたことについて

『かく迄も心合うことのあやしさよ』

【こうまでも心が通じ合うなんて、なんと不思議なことなのでしょう】

と書いている。

そして二十五年六月五日頃の、痔を患っている桃水への手紙でも、

 『ご病気はいかがや御案じ申居候 

伺度てたまらないのに御坐候へども中嶋氏老母病死いたし三十一日よりつめ切りに御坐候 

まま思えどもにて御無沙汰御ゆるし願上候』

【ご病気は如何でしょうか。御案じもうしあげております。伺ってお目にかかりたくてたまらないのですが、萩の舎の中嶋先生の母親が病死なされて、その手伝いで三十一日より詰めきりですので、お会いしたいのにお伺い出来ないご無沙汰をお許しください】

と会いたくてたまらない胸の内を吐露している。

 しかし同年六月十七日の日記の中で、桃水を訪ねた後、何かを思い悩んだのだろう、帰りの道を間違えて皇居のお堀に出てしまうほど心乱して、見るもの聞くもの全てが断腸の思いでこのまま死んでしまいたい、と嘆いている。

そしてこの後十月十八日まで日記には桃水の名は出てこない。おそらく半井家に下宿していた福井出身の女学生鶴田民子と桃水との関係を疑っての事だろう。(後に鶴田民子は妊娠出産する)

嫉妬の炎がこれほどまでに燃え上がる情念を、一葉は桃水に対してすでに持ってしまっていた。

それ故、桃水からの誘いの言伝があると、三十日には矢も盾も堪らず訪ねて行く一葉だった。

 桃水との不本意な別離 

しかし、桃水との甘い恋もいつしか「萩の舎」で『あの二人は特別な関係になっている』という悪い噂になる。嫁入り前の一葉が、妻に死別された男やもめの家へ足繁く通っていれば、当時の世情からして当然よい噂はたたない。更にお互いの誤解も重なり、それまで頻繁だった二人の交流も、この後間もない、明治二十五年六月二十二日をもって不本意にも途絶える。(実際に会わなくなったのは中元の挨拶に行った七月十二日だが、今までのような甘い逢瀬はこの日が最後)

一葉は生木を裂かれたような胸の痛さをつくづく味わう。そして自分の潔白を信じてくれない世の中の非情さをも。

往き来が途絶えても、手紙の遣り取りだけは時折再開する。桃水の手紙への八月十日の一葉の返信、

「久々にお目にかかれた様な心地がしてうれしいのですが、お恨みのことばが恨めしく存じます。・・・月夜でも闇夜でも、夜になると思い悩んでおります。もの悲しい秋とは常々言い古されていることばですが、泪に暮れる今日この頃は、本当にそう思い知らされます。何かを話し合うことができる人もいないような気がして、世の中の心細さを限りなく感じております(中略)とにもかくにも本当にこの世の中はいやなものです」

そして、

「どちらへお移りになっても、何卒御住所をお知らせ置きくださいますように。また時には一通のお手紙をと、苦悩の中で、ただそれだけを楽しみにお待ちいたしております」

と、桃水との再交を願っている。しかし、知り合って一年足らずのうちに麹町から、かって菊坂から目と鼻の先の西片町に引越した桃水も、この噂も原因して、この時すでに少し遠い当時新開地だった神田三崎町に移り住み茶舗を開いた。一葉は会いたくても会えない心の苦しさに日夜悩み続けていた。

 

会えない辛さ

 

こんなに悩むのも桃水が、「萩の舎」の一葉の友人に、「夏子さんが戸主になっているので嫁に行けないのなら、わたしが婿にでも入りたいものだ」と言った軽口が原因で、「あの二人は出来ている」と言う噂が立ってしまった。それを信じる周りの人々、疑いの目で見る「萩の舎」の面々、そして家族までもが自分のことを疑っている。自分には何一つ非はないのに、どうして世間はこうなるのだろう。

確かに何度か会っているうちに、桃水から甘い愛の言葉をかけられたこともあったが、それにしても事実とは違った噂で、こうなってしまうなんて悲しい、と一葉は思う。そして桃水との恋の結末を暗示するように天気の事を書いている。

 

「それにつけても、思い出すのは私が先生のお宅を訪ねる時はいつも雨か雪が降っていた。雪のひどく降りしきる中伺った時など、御自身で火鉢の上で餅を焼き、お汁粉などを作って頂いた事や、私が帰ろうとすると決まって、「もう少しもう少し」などとおっしゃった事など、あの頃が恋しく、噂を立てて私たちの仲を引き裂いた人たちが恨めしく悲しくて涙が渇く暇もないほどです」

「そして交際を絶ってしまったのは本当に残念で、もういちど元のようにお付き合いしたところで何の咎もないはずなのに、これ以上付き合いを続ければ、善悪の判断もつかなくなってしまい人道に背く事になるかもしれません。ある時は不愉快に思い、ある時は恋しく思われ、人づてに噂を聞いたりすると胸がときめいたり、手紙をもらっては涙にむせんだり、心はただちぢに乱れに乱れて、まるで迷いの夢の中を歩いているようです。お別れしてから一日たりとも思い出さない日はなく、一瞬たりとも忘れる事などありません」

 その後十月二十四日大雨の日に桃水の家のお手伝いさんと道で出会う。近況を色々と聞いてその晩は眠れなかったようだ。

『樋口一葉日記』高橋和彦著「道しばのつゆ」より

 

明治二十五年十一月十一日

「長い間お会いする事も出来ず、もの狂おしいまでに思い乱れた月日でしたのに、先生はそれほどにも思っていらっしゃらないのでしょうか。(中略)今になってはもう一度元に戻して取り返したいと思うのですが、それも甲斐のないことです。最初から慕わしく恋しく思っていたお方で、愛情深く思い遣りのあるお方であったことなどを思い出すにつけ、何故このようになったのだろう。たとえ世間から爪はじきにされても、朝夕一緒に暮らすことが出来れば、生き甲斐を覚えることでしょうになどと、あれこれ思いを巡らすと、あの人のことも私自身のことも、又世の中さえも憎くなるのでした。(中略)

 六畳ほどのところに机を置いて、ゆったりと先生は寄りかかっておられた。ふと顔を上げると、物も言わず微笑んでおられる。嬉しいという言葉では言えないほど胸が躍るばかりでした。『お会いできなかった長い月日の間、いかがお暮らしでしょうか、心にはしばらくの間もお忘れなど致しませんでしたが、心にもなく御無沙汰してしまいました。ご病気のあとはすっかりご快復のことと思っておりましたところ、先日お女中から何となく弱っておられるとお聞きしましたが、いかがでいらっしゃいますか』などと、とりとめのない話をして様子をうかがうと、ただにこにこなさるだけで、お言葉が少ないのも何かすっきりしないで、心苦しい思いでした。(中略)

 私はあたりに人がいない折をみはからって、さっと先生のお側に寄って、『何は置いても、お目にかかることがなかなか出来ないのが残念です。色々な事をこの世で相談する人がないようで、心細くてたまらないのです』と言うと、

『わたしのような者がお役に立つことがありましょうか。しかし、もし私に何か言いたい事があるとお思いのときは、この家の裏通りが大変寂しく、人目も全く無いところですから、其処を通ってお出でなさるなら、誰も見とがめる者はいませんよ』

私は、人目を避けてこっそり会うようなことはしたくないからこそ、こんなに苦しいつらい思いをしているのです、と言いたかったのですが、何も言わないでしまった。何もかも中途半端で、し残したような思いでお別れしたのでした。

 

思い詰めた告白

この記述はとりもなおさず、桃水からのプロポーズの催促であろう。いつまでも甘い言葉ばかりで煮え切らない男への切ない訴えである。もちろん桃水とて一葉のこのような自分への想いを知らないはずは無い。しかし才能には恵まれていても貧しい一葉を娶ることは、落ちぶれた遊び人の桃水からすればまったく本意ではなかったのだろう。ただ一途な一葉はそれでもなおこの男への未練を断ち切れずに苦悩し続ける。

嫉妬

いくら苦しみ悩んでも、純粋で一途な一葉にはそう簡単に桃水への想いを断ち切ることはできず、この年の大晦日に、野菜果物の問屋が集まっていた神田多町への買出しの帰りがけ、妹の邦子とともに三崎町の桃水の茶舗の店先をのぞきに行く。美しく髪を飾った若い女性が店内におり、妹の邦子は、あれは先生の奥さんだろうと言う。一葉もかねてから聞いていた金持ちの娘が、持参金付きで嫁いできたのであろう、さもなければこれ程のお店など持てるはずが無い。所詮世の中とはお金がものを言うものだ、とため息をつく。

つれない思い

年が明け明治二十六年二月二十三日日没後、戸締りをして家族三人で火鉢に当たっていると、戸を叩くものがある。こんな夜更けて訪れる人はいまいと思いつつ、「どなた様」と声をかけると、なんと桃水だった。一葉は胸が張り裂けんばかりに驚き、よもや夢ではないかとまで思った。明けても暮れても思うはただ先生の事だけ、寝てもさめても心からはなれない桃水の噂だけでも聞けたら、またいつか訪ねては来ないかと門の前に立ち尽くしたり、せめて手紙だけでもと思い何度違う郵便に心躍らせたことだろうか。その人が今目の前にいる。しかし上気し動揺していた一葉は思っていたことも言えず、桃水の事務的な話だけを聞き。「それでは」と言って帰って行く影を、ただ見送るだけだった。一葉の胸は悲しさで張り裂けんばかりだった。

その数日後、雪が降る。すると決まってあの幸せだった頃の「雪の日」が思い出される。火鉢をはさんでの楽しい話や、桃水が作ってくれた汁粉の甘い味を、今では辛い想いで思い出す一葉だった。

くれ竹のよも君しらじ吹く風のそよぐにつけて騒ぐ心は
(よもやあなたは御存じないでしょうお噂をお聞きしただけで乱れる私の胸のうちを)

眠れぬ想い

二十一歳になった一葉は桃水を思いながらも、益々生活に困窮していく。生活苦と桃水への想いへの決別を期して、菊坂から離れ子供相手の商売をはじめるべく駒込、小石川、巣鴨と場所を探すが、その界隈は当時まだ別荘などがある閑寂な場所であったので、吉原への通り筋に当たる竜泉寺町、俗に大音寺前に小さな店を見つけ明治二十六年七月女三人の家族で移り住む。母親も妹の邦子も商売には反対だったが、背に腹は変えられずしぶしぶ承知したのだった。

この頃の一葉は、「萩の舎」に集まるお嬢さんたちは生活の苦労など何も心配ない。お金持ちの家に生まれたと言うだけで、私のような苦労をせずに勉強も結婚も順調にして行く。それに引き換え、私ときたら生活に追われて好きな読書や和歌や小説さえも思うようにはならない。貧しいゆえに恋までも失ってしまった。

こんなに落ちぶれてしまって、この先、生涯あの人とは会うこともできず、忘れられてしまってこの恋も雲のようにむなしく消えてしまうのだろうか、と考えながら眠れぬ夜を幾夜も過ごすのだった。

悟りの境地へと

しかし竜泉寺での生活もどん底から這い出せるものではなかった。仕入れや帳簿付け、さらに文筆活動と寝る間も惜しむほどだった。忙しさの中で桃水との距離が遠くなったせいか、自分の恋のことを多少客観的に見るようになって行く。子供相手の小商いをするまでに落ちぶれてしまったと考えていた一葉は、もはや桃水も自分へは関心すら持たなくなるだろうと諦めの気持ちを強めて行く。諦めて執着を解くと言う意味では少しづつ悟りの境地に近づいて行く。

さらにあの甘い言葉と優しい振る舞いも所詮偽りでそれを信じきってしまった自分が愚かだったのだ、と考えるようになる。私の生きている世の中なんてそんなものなのだ、誰も彼もが口と腹は裏腹で信用できない。

桃水との恋の破綻から、清純な乙女だった一葉は、さなぎから蝶になるように竜泉寺の生活の中で徐々に脱皮して行った。

ふたたび本郷へ

 「萩の舎」を含めた今までの生活スタイルをがらりと変えて始めた商売だったが、やはりうまく行かず僅か九ヶ月後の明治二十七年五月一日再び本郷に戻ってくる一葉だった。

菊坂から目と鼻の先の丸山福山町のうなぎ屋の離れを貸り文筆で生活する決心をする。菊坂時代に「文学界」に桃水との想い出をベースにした『雪の日』を発表していたりしてはいたが、その後文筆業で入る僅かな原稿料は淡雪のごとくすぐに消えてしまうのだった。本郷に戻っても生活は困苦を極め少しも好転しなかった。

竜泉寺でのどん底の辛い生活と恋の苦悩から、一葉はこの頃からある意味で悟りの境地に入りつつあったが、まだ本悟の境地には達せず世の中を"斜"に見るようになっていく。

そのせいか「文学界」を通して知り合った馬場弧蝶に、世のすね者と言われ青春の喜びを棄てて人生を静かに寂しく達観して生きているのには何かわけがあるのだろう、恋に破れたことが悟りへの原因ではないか、と言われている。

文壇へ

この頃から一葉は「文学界」に次々と作品を発表する。それにともない若くて独身でおんな所帯の気安さから文壇の若手が一葉を頻繁に訪ねて来るようになる。馬場弧蝶、平田禿木、戸川秋骨、上田敏、川上眉山などなど。とくに弧蝶と禿木などはお互いに一葉に求婚し、つばぜり合いまで始める。一葉が、女のように色白で美しいと言った川上眉山とは婚約説まで流れた。一葉は眉山のことを殊のほか気に入っていたらしく、何度も訪ねてくるのを嬉しく思っている。

ある時、自分に好意を抱いている川上眉山と読売新聞記者の関如来という二人が一葉を訪ねて鉢合わせした時のことを、その時の二人の顔つきのおかしさ話しぶりのしどけなさ、思いがけずかち合ったのを恥ずかしがる様子など、こんな時は男もやはり気兼ねするものなのだ、とまんざらでもない様子だったことを書いている。

 

最後まで消えなかった桃水への思慕

 

名は世間に知られるようになっても作家生活は相変わらず苦しく質屋通いが続いた。借金も次々に膨らみまさに自転車操業の生活であった。そんな中で一葉の傷ついた心は、これらの若い作家たちによって少しづつ癒されて行く。

桃水への想いは相変わらず一葉の心を悩ませていたが、時折訪ねて行く桃水のことを、雪の肌はすっかり黒くなり、高かった鼻だけが一層高くなっている。広かった肩幅も厚かったひざの肉も痩せこけてひどく歳をとったように見える。

 「あなたはいくつになりましたか」と何の気兼ねもなく尋ねるとは。私はあなたのおかげで人生の苦しみを深く味わわされ、幾度も幾度も涙を流したのに、ただ普通の友達のように問いかけるのは私の心の内などなんとも思っていなかったのですね。今の私は全ての望みを棄て去っているので、いまさら一緒になどとは思いませんが、昔受けた悔しさは忘れません。かといっていま目の前の痩せて年老いた様になった先生を見ていると、この人が今死んでも決して涙など流すまいという決心もなくなり、この先はただ懐かしく親しい友としてお付き合いして行こうと思います、と憎いが恋しいという複雑な女心を表している。 

しかし桃水に会うことは、この頃の一葉にとってもまだ無常の喜びであったことがうかがえる。

「そんな思いでこの人を見ると、菩薩と悪魔を表裏に持っていて、本当の仏を拝むような心地でこの上なく嬉しく思いました。この家の誰も彼もが懐かしがってくれるのが嬉しく、お暇乞いをして帰る気持ちはまるで夢心地でした」と書いている。なんともいじらしい女心よ。 

文壇の仲間たちとの交流が頻繁になるにつれて桃水への想いは徐々に変化して行く。明治二十九年五月二十五日飯田町の「萩の舎」の友人の家へ行った折、同町へ移っていた桃水を訪ねるが三崎町の方にいると聞き、寄らずに帰宅している。その約一月後珍しく桃水が一葉宅を訪れる。当時文壇の皮肉屋と言われていた斎藤緑雨が桃水を訪ね、一葉との旧聞の真偽を聞きに来たが桃水は何も答えなかった。それにしても知らぬ間に有名になったそうですね、などと話して帰った。

その折の一葉の日記には「二十日の夜更けに半井氏来訪。大そうめずらしいこと。話したいことが沢山おありのようだったが、そのうちにまたと言って帰られる。珍しい人が珍しい折に訪ねてこられたと思うに付け何かあったのかと不審な気がする」と、はじめて半井氏と先生とは書いていない。この間に一葉の中では桃水への想いが大きく変化していたのだろう。

さらに『みづの上』では

「机に頬杖をつきながらよくよく考えて見るに、所詮私はか弱い女に過ぎない。仮に色々なことを思ったところでそれらは到底実行出来ない。またこの俗世を棄てて深山に隠れる心があるわけでもない。それなのに私を厭世家と言う人がいる。ほんのちょっとしたつまらない書きものを世に出すと「現代の秀逸」などありふれた言葉を並べて、明日は又誹謗するだろうその口先で大げさに褒めそやしたりする。なんと侘しいこと。このような文壇の中に身を置いて、毎日顔を合わせる人の中にはひとりとして友と言えるものもない。私を本当に知ってくれる者は誰もいないと思うと、ただ一人この世に生まれてきたようで何とも堪られない思いがする。所詮私はか弱い一人の女に過ぎない。たとえどんなに心で思うことがあってもそれをこの世で実現できるとは思われない」

桃水が最後に訪ねてから、僅か五ヵ月後の明治二十九年十一月二十三日肺結核のため一葉は永遠の眠りについた。僅か二十四年と八ヶ月の人生だった。おそらく最後まで桃水とのあの「雪の日」のことを夢見ていたことだろう。