文系の雑学・豆知識

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『三国志演義』登場人物表

括弧内はあざな。数字は生没年。七分実事、三分虚構。 

劉備(玄徳)/昭烈帝 161~223

 

【身長173cm】


自称・中山靖王劉勝の子孫にして、チャイニーズ・ドリームの達成者。豪傑たちを従えて各地を放浪し、荊州で諸葛亮を得てからは巴蜀の地を征服する。一介のむしろ売りから一国の皇帝にまで上り詰めた。関羽・張飛とは義兄弟の仲である。第八十五回で没。


関羽(雲長) ???~219

 

【身長207cm】


神。地の文のほとんどで、「関公」もしくは「雲長」と表記される。神の名を軽々しく書くのは畏れ多いという理屈である。死んでからは呂蒙を呪い殺し、曹操を睨みつけて昏倒させた。エルキュール・ポアロを彷彿とさせる髭マニアであり、長く伸ばした髭は手入れに余念がない。劉備・張飛とは義兄弟の仲である。第七十七回で没。


張飛(翼徳) ???~221

 

【身長184cm】


部下を虐待するサディスト。意外と知恵も回るようで、何度か計略を成功させている。長坂橋では一人姿を晒して見栄をきり、追いすがる曹操を大いにびびらせた(失禁疑惑)。瞼を開けたまま眠るという変わった特技を持つ。劉備・関羽とは義兄弟の仲である。第八十一回で没。


趙雲(子龍) ???~229

 

【身長184cm】


使い勝手のいい便利キャラ。長坂坡では並外れた武勇で劉備のボンクラ息子を救う。その力は晩年になっても衰えず、「趙雲があと10人いたら蜀の天下だった」と囁かれる。全身が胆で出来ている特異体質。第九十七回で没。


徐庶(元直) ???~???


覆面軍師。往来で歌っているところを劉備にスカウトされる。仕官早々軍を任され、曹仁が満を持して構えた八門金鎖の陣を破る。今後の活躍を期待されたが、母親を人質に取られて泣く泣く曹操のもとへ。しかし、それが仇となって母親は自殺する。赤壁の戦いではゲスト出演した。


諸葛亮(孔明) 181~234

 

【身長184cm】


在野のときは「伏竜」と噂される。人間離れした知略で『演義』を沸かせた。その神謀があまりに魔術的であるため、中国人が相手ではいまいち物足りない。彼がもっとも輝いたのは南蛮との戦いであった。SOS団(蜀を大いに盛り上げるための諸葛亮の団)の初代団長。第百四回で没。


ホウ統(士元) 178~213


在野のときは「鳳雛」と噂される。「伏竜か鳳雛のいずれかを得れば天下は楽勝」とか何とか。劉備は両方手に入れたのに天下を獲れなかった。SOS団(蜀を大いに盛り上げるための諸葛亮の団)の副団長。密かに団長の座を狙っている。第六十三回で没。


魏延(文長) ???~234

 

【身長184cm】


もと韓玄配下。諸葛亮になぜか嫌われている可哀想な人。初対面でいきなり「反骨」の相と断じられ、執拗なパワハラを受けることになる。でも、めげずに頑張った。劉備からは漢中の太守を任されるほど信頼されている。SOS団(蜀を大いに盛り上げるための諸葛亮の団)のメンバー。第百五回で没。


黄忠(漢升) ???~220


もと韓玄配下。老いてますます盛んな老将。関羽と渡り合うほどの武勇の持ち主であるものの、年齢のことでみんなから馬鹿にされている。「笑点」の歌丸的存在。第八十三回で没。


厳顔 ???~???


もと劉璋配下。老いてますます盛んな老将。劉備の益州攻略戦では守将として張飛と戦い、敗れて捕らえられる。当初は斬首される予定だったが、堂々たる態度で臨んだため、心服した張飛に助けられる。漢中では黄忠とツートップを組んだ。


馬超(孟起) 176~222


馬騰の子。西涼で曹操相手に反乱を起こす。張魯に身を寄せたのち、李カイの説得で劉備に投降した。武勇に秀でた猛将で、一騎打ちでは許チョや張飛と引き分けるほど。


馬岱 ???~???


馬騰の兄の子。従兄弟である馬超に従って劉備のもとに投じる。諸葛亮の死後、謀叛した魏延を斬った。SOS団(蜀を大いに盛り上げるための諸葛亮の団)のメンバー。


簡雍(憲和) ???~???


劉備の同郷で早くから仕える。河北にいたときは袁紹軍からの離脱を進言し、成都を包囲したときは降伏を勧告する使者となった。


孫乾(公佑) ???~214


劉備が徐州を譲られた際、陶謙の推薦によって仕える。曹操の侵攻によって劉備軍が瓦解したときは、三兄弟(劉備・関羽・張飛)の再会に尽力した。以後、荊州から巴蜀の地までついていく。


糜竺(子仲) ???~221


陶謙の死後、弟とともに劉備に仕える。妹を劉備の側室にした。司馬徽に「白面の一書生」と評される。


糜芳(子方) ???~222 (史実では没年不詳)


糜竺の弟。陶謙の死後、兄とともに劉備に仕える。関羽の部下として荊州を守るも、火事を起こして傅士仁とお仕置きを受ける。その後も関羽が無理難題を言ってきたため、呉が侵攻してきたのを機に降伏した。夷陵の戦いでは、馬忠の首を手みやげにして蜀に復帰しようとする。しかし、出頭したところを劉備に殺された。第八十三回で没。


廖化(元倹) ???~264


もと黄巾賊。200年、五関を突破してきた関羽と知り合う。その後、211年には劉備軍に投じ、以降、将軍として蜀が滅亡するまで戦った。実はゾンビかサイボーグだったという噂。晩年まで前線に出ていた驚異の人である。SOS団(蜀を大いに盛り上げるための諸葛亮の団)のメンバー。


関平 ???~219


関羽の長男(養子)。麦城では父子ともども呉に捕まり、仲良く首を斬られた。いくつになっても甘えん坊。第七十七回で没。


周倉 ???~219


もと黄巾賊。関羽の熱狂的なファン。五関を突破してきた関羽に弟子入りし、付き人のようにぴったり従う。忠実なしもべとして陰に日向に働いた。219年、師匠が殺されたのを見て自殺する。その正体は、神のために作られた『演義』印のゴーレムだった。第七十七回で没。


王甫(国山) ???~219 (史実では222年没)


荊州で関羽の参謀として仕える。関羽が襄陽攻めに乗り出した際、戦略の過ちを指摘するも、あっさり無視されて関羽は敗死する。麦城の守備についていた王甫は、城の櫓から飛び降り自殺した。第七十七回で没。


胡班 ???~???


胡華の子。関羽の五関突破の際、ケイ陽で王植に仕えていたが、父の指示で関羽の逃亡を助ける。その後、関羽を慕って荊州に行き、劉備軍に投じた。


劉封 ???~220


劉備の養子。もとの名は寇封。敵に囲まれた関羽を見殺しにしたため、劉備の怒りを買って処刑された。……が、実はこれ、後継者争いを恐れた劉禅の陰謀である。第七十八回で没(たぶん)。


伊籍(機伯) ???~???


もと劉表配下。蔡瑁が劉備の暗殺を企てた際、劉備の逃走を手助けする。その後いつの間にか劉備陣営に移籍した。遺跡の管理人でもある(大嘘)。


関興(安国) ???~234 (史実では没年不詳)


関羽の次男。父の死後、謎の『演義』パワーで活躍する。夷陵の戦いでは張苞と先陣争いをし、のち義兄弟になった。謎の『演義』パワーで李異・潘璋を討ち取り、みごと父の仇をとる。その後は第二次北伐まで活躍した。SOS団(蜀を大いに盛り上げるための諸葛亮の団)のメンバー。第百二回で没。


張苞 ???~229 (史実では没年不詳)


張飛の長男。父の死後、謎の『演義』パワーで活躍する。夷陵の戦いでは関興と先陣争いをし、のち義兄弟になった。謎の『演義』パワーでハンキョウ・張達を惨殺、みごと父の仇をとる。その後は第二次北伐まで活躍した。SOS団(蜀を大いに盛り上げるための諸葛亮の団)のメンバー。第九十九回で没。


関索 ???~???


関羽の三男。『花関索伝』から現れた異世界ヒーロー。本来は父譲りの武勇を誇っていたが、『演義』では勝手が違うのか、南征に参加したのみである。最後は時空の谷間に呑まれて消息を絶った。SOS団(蜀を大いに盛り上げるための諸葛亮の団)のメンバー。


馬良(季常) 187~225 (史実では222年没)


村山富市を彷彿とさせる白眉毛の持ち主。若い頃から眉毛だけ白かった。優秀な兄弟のなかでももっとも出来が良かったことから、「白眉」という故事にまでなる。SOS団(蜀を大いに盛り上げるための諸葛亮の団)のメンバー。


馬謖(幼常) 190~228


馬良の弟。諸葛亮のおぼえ目出度く、後継者として英才教育を施される。しかし、街亭の戦いでは命令違反を犯して大敗する。諸葛亮によって泣く泣く処刑され、「泣いて馬謖を斬る」という故事にまでなった。SOS団(蜀を大いに盛り上げるための諸葛亮の団)のメンバー。第九十六回で没。


孟達(子慶) ???~228


もと劉璋配下。211年、張松・法正らとともに劉備に国を売る。219年、敵に囲まれた関羽を見殺しにしたため、腹を括って魏に投降する。その後は再度蜀に寝返ろうとするも、司馬懿に察知されて滅ぼされた。第九十四回で没。


呉蘭 ???~219 (史実では218年没)


もと劉璋配下。ラク城の戦いで劉備に降る。漢中争奪戦の際、陽平関で曹彰に討ち取られた。SOS団(蜀を大いに盛り上げるための諸葛亮の団)のメンバー。第七十二回で没(たぶん)。


黄権(公衡) ???~240


もと劉璋配下。当初は王累とともに、劉備の入蜀に反対する。劉備が蜀の主になってからは自宅に引きこもるも、再三の要請でやむなく出仕する。夷陵の戦いでは参謀として従軍、呉の軍勢に退路を断たれ、やむなく魏に降った。


李厳(正方) ???~234


もと劉表配下だったが、曹操の南下を避けて劉璋のもとへ。劉備の成都侵攻の際は綿竹を守るも、敗れて降伏する。231年、諸葛亮が北伐に出たときは後方で輸送を担当。しかし、職務怠慢を不正な手段で誤魔化したため、諸葛亮から泣く泣く庶民に落とされた。SOS団(蜀を大いに盛り上げるための諸葛亮の団)のメンバー。


李豊 ???~???


李厳の息子。228年、孟達がよこしてきた使者を諸葛亮に取り次ぐ。


李カイ ???~231


もと劉璋配下。214年、張魯のもとにいた馬超を帰順させる。その後は南征・北伐に参加した。SOS団(蜀を大いに盛り上げるための諸葛亮の団)のメンバー。


雷銅 ???~218


もと劉璋配下。ラク城の戦いで劉備に降る。張飛の部下として漢中争奪戦に加わった。最後は張コウに討たれる。第七十回で没。


呉懿(子遠) ???~237


もと劉璋配下。劉璋の外戚としてぶいぶい言わせるも、ラク城の戦いで劉備に降る。劉備が漢中王に上ったときにはちゃっかり妹を嫁がせ、またもや外戚としてぶいぶい言わせた。SOS団(蜀を大いに盛り上げるための諸葛亮の団)のメンバー。


呉班(元雄) ???~234 (史実では没年不詳)


呉懿の族弟(?)。物語では張飛の副官として颯爽と登場、夷陵の戦いでは先鋒として呉をぐりぐり攻めた。SOS団(蜀を大いに盛り上げるための諸葛亮の団)のメンバー。第百二回で没(たぶん)。


向朗(巨達) 168~247


向寵のおじ。関羽の配下として荊州に赴任した。


向寵 ???~240


向朗の甥。出師の表で諸葛亮からべた褒めされる。北伐の際は成都を守った。SOS団(蜀を大いに盛り上げるための諸葛亮の団)のメンバー。


趙統 ???~???


趙雲の長男。父の死を諸葛亮に知らせる。


趙広 ???~263


趙雲の次男。父の死を諸葛亮に知らせる。


張嶷(伯岐) ???~256 (史実では254年没)


もと劉璋配下。南征の際、祝融夫人に捕らえられる。その後は北伐に参加し、楊儀や馬忠とともに張コウを討ち取った。256年、魏軍に囲まれた姜維を救出するも、自分は矢に当たって戦死する。SOS団(蜀を大いに盛り上げるための諸葛亮の団)のメンバー。第百十一回で没。


張翼(伯恭) ???~264


もと劉璋配下。ラク城の戦いで上司の劉カイを斬り、劉備に降る。以後、南征・北伐に参加した。蜀の滅亡後、姜維・鍾会によるクーデター騒ぎに巻き込まれて殺される。SOS団(蜀を大いに盛り上げるための諸葛亮の団)のメンバー。第百十九回で没。


馬忠(徳信) ???~249


もと劉璋配下。南征の際、祝融夫人に捕らえられる。その後は北伐に参加し、楊儀や張嶷とともに張コウを討ち取った。SOS団(蜀を大いに盛り上げるための諸葛亮の団)のメンバー。


楊儀(威公) ???~235


北伐時は諸葛亮の秘策を受けて魏延の謀叛を阻止する。その後、自分が後継者になると思っていたが、丞相に蒋エンが就いたことで怒り狂う。結果、不満を述べたことから庶民に落とされ、それを恥じて自殺した。SOS団(蜀を大いに盛り上げるための諸葛亮の団)のメンバー。


王平(子均) ???~248


もともとは魏の将軍だったが、徐晃と喧嘩して蜀に投降する。街亭の戦いでは馬謖の独断に異議を唱えるも聞き入れられず。結果、戦いは敗北する。それでも不利な状況のなかよく兵をまとめた。SOS団(蜀を大いに盛り上げるための諸葛亮の団)のメンバー。


蒋エン(公エン) ???~246


諸葛亮の後継者。228年、馬謖を斬ろうとする諸葛亮を諌める。234年、諸葛亮の遺言によってその後を継ぎ、内政に重きを置いた。


費イ(文偉) ???~253


蒋エンの後継者。北伐のときは董允・郭攸之らと成都を預かる。丞相になってからは内政に重きを置く。


董允(休昭) ???~246


董和の子。北伐のときは費イ・郭攸之らと成都を預かる。諸葛亮の死後は楊儀を支持し、対立する魏延の説得を試みた。


姜維(伯約) 202~264


もともとは魏の将軍で、攻めてきた諸葛亮を一蹴する。その後、彼の計略にかかって蜀に投降、一番弟子として洗脳 英才教育を施される。師匠が死んでからはしばらくなりを潜めるも、時期を得て北伐を繰り返すようになった。一騎打ちでは趙雲を敗走させるほどの腕前である。SOS団(蜀を大いに盛り上げるための諸葛亮の団)の二代目団長。第百十九回で没。


夏侯覇(仲権) ???~262 (史実では没年不詳)


夏侯淵の長男。249年、司馬懿のクーデターに危機感をおぼえて蜀に亡命した。北伐のときは姜維とツートップを組み、抜群の攻撃力を発揮して相手陣地を切り裂く。2人はゴールデンコンビとして魏から恐れられた。SOS団(蜀を大いに盛り上げるための諸葛亮の団)の二代目副団長。第百十五回で没。


諸葛セン(思遠) 227~263


諸葛亮の次男(長男は養子の諸葛喬)。魏の侵攻に際しては綿竹を守備し、鄧艾から包囲を受ける。降伏勧告をはねつけ、乱戦のなか自殺した。SOS団(蜀を大いに盛り上げるための諸葛亮の団)のメンバー。第百十七回で没。


諸葛尚 ???~263


諸葛センの長男。魏の侵攻に際しては父とともに綿竹を守る。父が自殺するのを見るや、敵軍に突撃して戦死した。SOS団(蜀を大いに盛り上げるための諸葛亮の団)のメンバー。第百十七回で没。


劉禅(公嗣) 207~271


劉備の子。蜀漢の後主(223~263)。幼いころ父に投げ捨てられて頭を痛打したせいか、脳味噌の活動に支障をきたす。即位後は諸葛亮の傀儡に、彼の死後は官僚の言いなりになる。有能なのがあらかた消えてからは宦官の黄皓を重用、酒色にふけって国を誤る。263年、魏に降伏。以後、安楽公として天寿を全うした。


劉セン(文衡) 224~264


劉禅の長男。姜維・鍾会が成都でクーデターを起こしたとき、そのどさくさで魏の兵士に殺される。第百十九回で没(たぶん)。


劉瑶 ???~???


劉禅の次男。


劉ソウ 224~262


劉禅の三男。劉表の次男と同姓同名。


劉ジン ???~263


劉禅の五男。蜀の滅亡に先立って自殺した。リュージン、斧に気をつけろ! 第百十八回で没。


 


曹操(孟徳) 155~220

 

【身長161cm】


北の将軍さま、または贅閹の遺醜(玉なし野郎のえんがちょ息子)。『演義』最大の英傑ではあるが、性格は残忍でキレやすい。敵対者はおろか、長年の腹心まで始末している。「ドラえもん」で言えばジャイアンみたいな存在。第七十八回で没。


夏侯惇(元譲) ???~220


一族の武将。目玉の躍り食いを得意とする。博望坡では諸葛亮の火攻めを受けて敗北した。禰衡に「己が大事将軍」と評される。


夏侯淵(妙才) ???~219


一族の武将。銅雀台の宴では弓で神技を披露する。勇猛果敢な猪武者で、軍隊の移動速度は通常の三倍とか。最後は定軍山で黄忠に斬られた。第七十一回で没。


曹仁(子孝) 168~223


曹操の従弟。挙兵以来の勇将で、西に東に活躍する。新野では徐庶に八門金鎖の陣を破られ、長坂橋では張飛の一喝にびびって腰を抜かした。禰衡に「銭とり太守」と評される。


曹純(子和) ???~210


曹仁の弟。史実では精鋭部隊「虎豹騎」を率いていたが、『演義』では一転してただの雑魚に。江陵で周瑜に敗れている。


曹洪(子廉) ???~232


曹操の従弟。挙兵以来の勇将で、西に東に活躍する。袁家討伐では袁譚を斬り、ドウ関では馬超の魔の手から曹操を救った。


曹昴(子修) ???~197


曹操の子。張繍の夜襲を受けた際、父を逃すために自分の馬を譲る。そこで討ち死にした。第十六回で没。


曹丕(子桓)/文帝 187~226


曹操の子。魏の初代皇帝。父から詩才とジャイアン気質を受け継ぎ、曹植や于禁をいじめ抜く。第九十一回で没(たぶん)。


曹植(子建) 187~226


曹操の子。詩人。父の寵愛を受けたことが災いし、皇帝となった曹丕に殺されかかる。そのときは即興で詩を作って切り抜けた。しかし、以後も曹丕から執拗な嫌がらせを受ける。


曹彰(子文) ???~223


曹操の子。あざなとは正反対の筋肉バカである。曹操から「黄鬚児」と呼ばれた。曹丕が後を継いだときは激怒して兵を挙げるも、説得されて尻すぼみになる。


曹熊 ???~220 (史実では没年不詳)


曹操の子。病弱なもやしっこである。曹操が死んだとき、体調不良で葬儀を欠席する。それを機に曹丕がパワハラしてきたため、世を儚んで自殺した。第七十九回で没(たぶん)。


曹真(子丹) ???~231


曹操の甥。司馬懿のライバル。魏の大都督として諸葛亮の前に立ちふさがるも、さんざん打ち破られて病に倒れる。そこへ諸葛亮から呪いの手紙を送られ憤死した。第百回で没。


曹安民 ???~197


曹操の甥。調子に乗って曹操に未亡人(張繍の兄嫁)を勧めたたため、張繍の夜襲に遭って殺された。三国アカデミー賞自業自得で賞を受賞。


夏侯徳 ???~218


夏侯淵の甥。天蕩山の戦いで厳顔に殺された。


夏侯尚(伯仁) ???~225


夏侯淵の甥。夏侯徳の弟。定軍山の戦いで黄忠に生け捕られる。陳式との人質交換になるも、自軍に帰るところを黄忠の弓で狙撃され、背中に矢が刺さる。その後、徐晃の配下として上庸の劉封と戦う。さらに、曹真の配下として呉の南郡を攻め、陸遜に大敗を喫した。


夏侯楙(子林) ???~???


もとは夏侯淵の子だったが、夏侯惇の養子となり、曹操の娘・清河公主と結婚する。諸葛亮の第一次北伐の際、大都督として迎え撃つも、趙雲らにぼこぼこにされる。南安の戦いで捕らえられ、姜維獲得のダシにされる。その後は天水城が陥落、羌に亡命して最後まで帰らなかった。


夏侯威(季権) ???~???


夏侯淵の次男。諸葛亮が五丈原に侵攻してきた際、兄・夏侯覇と先鋒を任されるも、魏延にびびって退却する。それから4年後、司馬懿の配下として遼東の公孫淵を攻める。


夏侯恵(稚権) ???~???


夏侯淵の三男。諸葛亮が五丈原に侵攻してきた際、弟・夏侯和とともに兵糧を奪う。


夏侯和(義権) ???~???


夏侯淵の四男。諸葛亮が五丈原に侵攻してきた際、兄・夏侯恵とともに兵糧を奪う。


典韋 ???~197


SS(曹操親衛隊)の初代隊長。脳味噌まで筋肉で出来ている屈強な偉丈夫であり、曹操の警護を主な職分とした。197年、張繍の夜襲を受け、全身ハリネズミになって死亡する。第十六回で没。


許チョ(仲康) ???~???

 

【身長184センチ】


SS(曹操親衛隊)の二代目隊長。脳味噌まで筋肉で出来ている屈強な偉丈夫であり、曹操の警護を主な職分とした。曹軍のなかでは理屈の通じない虎男として有名。冀州ではからかってきた許攸をぶち殺し、銅雀台ではとつぜん味方の徐晃に襲いかかった。禰衡に「牛馬の番人」と評される。


張遼(文遠) 169~224 (史実では222年没)


曹操軍きっての名将。もともとは呂布の部将だったが、彼の滅亡を機に曹操に仕える。合肥の戦いでは寡兵を率いて孫権軍を大破、呉の民衆からなまはげの如く恐れられた。関羽とはマブダチの関係。禰衡に「太鼓打ち」と評される。第八十六回で没。


李典(曼成) 174~209


挙兵以来の勇将。数々の戦に従軍したのち、張遼・楽進ともに合肥を守った。禰衡に「飛脚」と評される。


楽進(文謙) ???~218


挙兵以来の勇将。数々の戦に従軍したのち、張遼・李典とともに合肥を守った。禰衡に「書面の読み役」と評される。


于禁(文則) ???~221


数々の戦で功をあげた名将。ハン城を守備した際、関羽の水攻めによって降伏する。関羽の敗死後、孫権によって魏に送還されるも、曹丕の陰湿ないじめを受けて憤死する。禰衡に「左官屋」と評された。


毛カイ(考先) ???~???


曹操の参謀。エン州時代に配下になり、従事→典農中郎将→東曹掾と出世していく。赤壁の戦いでは于禁とともに水軍を率いた。


徐晃(公明) 169~228 (史実では227年没)


曹操軍きっての猛将。もと楊奉配下。顔良と一騎打ちした際、二十合打ち合ったすえに敗走している。また、文醜からは弓矢でたじたじにされた。銅雀台の宴のときは神業を見せるも、その後なぜか許チョに襲われている。将としては漢中を守ったり、関羽のハン城攻めを防いだり。最後は孟達が放った矢を額で受けて死亡した。禰衡に「豚殺し」と評される。第九十四回で没。


張コウ(儁ガイ) ???~231


数々の戦で功をあげた名将。韓馥に仕えてから袁紹の配下になり、官渡の戦いのとき曹操に投降する。諸葛亮の北伐時は、経験豊富な勇将として立ちふさがる。街亭の戦いでは馬謖を破り、リベンジに来た王平も破った。第百一回で没。


ホウ徳(令明) ???~219


もと馬超配下。主君とともに張魯の手下になるも、215年、漢中で曹操軍に破れて降伏する。219年、于禁とともにハン城の救援に向かうも、関羽に敗れて捕縛、降伏を拒んで殺された。第七十四回で没。


文聘(仲業) ???~???


もと劉表配下。劉ソウ降伏の際、曹操からその忠臣ぶりを買われる。赤壁の戦い後に江夏の太守になり、楽進とともに関羽と戦った。224年には石陽で呉の軍勢を跳ね返す。


荀彧(文若) 163~212


曹操の参謀。袁紹に仕えたのち、見限って曹操に仕える。優秀な人材を推挙したり、献帝を傀儡にするよう進言したり、「あんたが大将!」とおだて上げたり、主に政策面で曹操を助けた。また、劉備と呂布を争わせる「二虎競食の計」、劉備と袁術を争わせる「駆虎呑狼の計」を発案する。禰衡に「弔問の使者」と評された。第六十一回で没。


荀攸(公達) 157~214


曹操の参謀。荀彧の甥。官渡の戦いや冀州討伐で地味に献策した。禰衡に「墓守」と評される。第六十六回で没。


程昱(仲徳) 141~220


曹操の参謀。身を寄せていた劉備を殺すよう進言したり、十面埋伏の計を提案して袁紹軍を大破したり、徐庶の母を人質にとって帰順させようとしたり、謀臣として曹操を支える。また、武将としても有能で、呂布との戦いでは三城を死守し、赤壁の戦いでは黄蓋の火攻めを看破した。禰衡に「門番」と評される。


郭嘉(奉考) 170~207


曹操の参謀。孫策の死や袁一族の内紛など、予言的な発言で注目を集める。禰衡に「文章の読み役」と評された。第三十三回で没。


賈ク(文和) ???~223


『演義』最高の軍師。張繍とコンビを組み、曹操をさんざん苦しめた。その後、曹操が袁紹と決戦すると見るやすかさず投降。かつて彼の息子を殺していたにもかかわらず、重く用いられる。外にあっては馬超と韓遂を仲間割れさせ、内にあっては曹丕に取り入って出世した。


陳珪(漢瑜) ???~???


呂布に従うふりをして曹操と結び、袁術との縁談を邪魔したり、城を曹操に明け渡したり内部工作した。


陳登(元龍) ???~???


陳珪の子。もと陶謙配下。劉備が後を継いだときはそのまま従う。徐州を呂布に乗っ取られた際、密かに曹操と結んで内部工作した。


許攸(子遠) ???~204


もと袁紹の参謀。曹操の旧友。官渡の戦いの際、袁紹を裏切って曹操のもとに走り、軍の機密を漏らして勝敗を決定づける。その後、袁尚攻めのときに手柄を立てるも、功に奢って許チョを挑発、容赦なくぶち殺された。第三十三回で没。


高覧 ???~201 (史実では没年不詳)


もと袁紹配下。官渡の戦いの際、郭図の讒言を受けたため、張コウとともに曹操に降る。その後は劉備軍を攻めるも、趙雲に一撃で討ち取られた。第三十一回で没(たぶん)。


蒋幹(子翼) ???~???


周瑜の元マブダチ。赤壁の戦いでは周瑜を投降させようとその陣営に赴く。しかし、逆に彼の計略に利用され、戦争敗北の要因を作った。


満寵(伯寧) ???~242


曹操の参謀。楊奉配下だった徐晃を引き抜く。関羽がハン城を水攻めにしてきたときは、逃げようとする曹仁にその不利を説き、城を死守する。また、呉が三路から襲来してきたときは火攻めで返り討ちにした。


劉曄(子揚) ???~???


曹操の参謀。れっきとした皇族の一員であり、劉備と違って血筋は確かである。曹操が漢中を占領した際、司馬懿とともに益州攻めを進言する。曹操の死後は、曹丕・曹叡の代まで仕えた。


孔融(文挙) 153~208


パンク儒者。孔子の二十代目の子孫である。日頃から挑発的・攻撃的な言動で注目を集め、儒教の枠に捕らわれないぶっとんだ思想を展開する。礼? ファック! 親孝行? 死ね! 199年、曹操にあの禰衡を推薦し、パンク魂を猛烈にアピールした。最後は毒舌が祟って殺される。第四十回で没。


王朗(景興) ???~228


群雄割拠時代は厳白虎とつるんでぶいぶい言わせるも、孫策に敗れてからは曹操のもとに身を寄せる。228年、曹真の軍師として従軍、諸葛亮に悪口を言われて憤死した。第九十三回で没。


華キン(子魚) 157~231


豫章太守から孫策に仕える。のち、孫権の使者として曹操のもとに行ったところ、帰らずにそのまま配下になった。魏の人になってからは辣腕ぶりを発揮、曹操暗殺計画のときは自ら伏皇后を捕らえ、曹丕が帝位を望んだときは王朗・辛ピと組んで献帝に譲位を迫った。


辛ピ(佐治) ???~???


辛評の弟。袁譚と袁尚が後継者争いをした際、袁譚の使者として曹操のもとに行ったところ、帰らずにそのまま配下になった。曹丕が帝位を望んだときは、王朗・華キンと組んで献帝に禅譲を迫る。


司馬懿(仲達) 176~251


諸葛亮最大のライバル。魏随一の軍略家として蜀の北伐を防いだ。……が、その割には勝ちきったイメージはなく、何度か諸葛亮の奇術に翻弄されている。特技はボケたふり。クーデターを起こして魏の実権を握った。第百八回で没。


司馬朗(伯達) 171~217


司馬懿の兄。弟の引き立て役として名前のみ登場した。


司馬フ(叔達) 180~272


司馬懿の弟。司馬一族のくせになぜか魏に忠誠を誓っている。司馬昭の部下に曹髦が殺されたときは、遺体を抱いて号泣した。


司馬望(子初) 205~271


司馬フの長男。トウ艾とともに長城で姜維を迎え撃ち、けちょんけちょんにやっつけられた。


カク昭(伯道) ???~228 (史実では没年不詳)

 

【身長207cm】


陳倉城の守将。寡兵にもかかわらず、諸葛亮の攻撃から城を守り抜いた。……が、直後に謎の『演義』パワーで病死、陳倉城は陥落してしまう。第九十八回で没。


王雙(子全) ???~228

 

【身長207cm】


魏の猛将。陳倉の戦いでは、薙刀と流星鎚で大いに蜀軍を苦しめる。その後、諸葛亮の計にはまって魏延に斬られた。第九十八回で没。


曹叡(元仲)/明帝 205~239


曹丕の子。魏の二代目皇帝。母は袁煕の元妻・甄氏であり、出生をめぐってあれこれ噂される。221年、母が曹丕の不興を買って死を賜り、曹叡は大いに心を病んだ。皇帝になってからは自民党もびっくりの建設ラッシュを推進、国庫を疲弊させるという暗黙の反抗を行う。第百六回で没。


曹爽(昭伯) ???~249


曹真の子。父の後を継いで大将軍の職に就き、司馬懿とともに曹芳の後見人になる。その後、司馬懿を位打ちにして政治の実権を握るも、油断したところを司馬懿のクーデターにあって一族皆殺しにされた。第百七回で没。


曹宇 ???~???


曹丕の子(史実では曹操の子)。曹叡から曹芳のことを託された際、「だが断る!」と力強く拒否する。結果、権力闘争からまんまと逃れた。


毋丘倹(仲恭) ???~255


司馬師の専横に反発し、文欽とともに挙兵するも大敗、落ち延びるところを殺された。第百十回で没(たぶん)。


文欽(仲若) ???~258


司馬師の専横に反発し、毋丘倹とともに挙兵するも大敗。呉に亡命した。その後、諸葛誕が乱を起こした際はこれに協力する。しかし、大軍による包囲を受けたうえ、疑心暗鬼から諸葛誕に殺された。第百十二回で没。


諸葛誕(公休) ???~258


諸葛亮の従弟。司馬昭に追い詰められ、呉の協力を得て反乱を起こす。しかし、大軍による包囲を受けたうえ、疑心暗鬼から仲間の文欽を殺害、最後は胡奮に討たれた。第百十二回で没。


鍾会(士季) 225~264


鍾ヨウの子。司馬昭の命で蜀へ侵攻するも、剣閣で手間取っているあいだに部下の鄧艾が成都を落としてしまう。面目を失った彼は姜維と組んで鄧艾を失脚させ、蜀での独立を計画する。しかし、事破れて殺された。第百十九回で没。


鄧艾(士載) 197~264


姜維のライバルとして立ちふさがり、北伐を跳ね返す。成都侵攻の際は一番乗りを果たすも、鍾会の讒言にあって獄に下される。洛陽に護送される途中で冤罪であることが判明。しかし、元部下の田続に保身目的で殺された。第百十九回で没。


鄧忠 ???~264


鄧艾の子。若武者として颯爽とデビュー、一騎打ちで姜維をたじたじにする。しかし、成都陥落後は父とともに田続に殺された。第百十九回で没。


 


孫権(仲謀)/大帝 182~252


呉の初代皇帝。若い頃に自立したせいかマザコンの気がある。「碧眼紫髯」というエキゾチックな顔立ち。第百八回で没。


孫堅(文台) 156~192


孫策・孫権の父。洛陽で玉璽を拾い、そのまま黙って着服。咎められたときは逆ギレしてその場を切り抜けた。「脳味噌をふき出して」死んだ唯一の人。第七回で没。


孫策(伯符) 175~200


孫権の兄。破竹の勢いで領土を広げ、「小覇王」の異名をとる。于吉に祟られて早死にした。第二十九回で没。


程普(徳操) ???~???


孫氏三代に仕える古参。反董卓連合のときは、孫堅配下として洛陽に一番乗りを果たす。孫策の代では、江東で孤立した主君を救う。孫権の代では赤壁の戦いで周瑜の副官を務め、南郡を奪取後は江夏太守になる。


韓当(義公) ???~227


孫氏三代に仕える古参。反董卓連合のときは、孫堅配下として洛陽に一番乗りを果たす。孫策の代では劉ヨウ攻めに参加。孫権の代では赤壁の戦い・南郡平定戦で活躍したのち、夷陵の戦いで劉備軍を蹴散らした。


黄蓋(公覆) ???~???


孫氏三代に仕える古参。赤壁の戦いでは周瑜と不和を演じ、投降すると見せかけて敵の船に接近、待ってましたとばかりに火を放つ。これがきっかけで曹操軍は大敗した。戦後は三国アカデミー賞最優秀男優賞を受賞。


周瑜(公瑾) 175~210


呉の都督にして諸葛亮の引き立て役。孫策のマブダチ。赤壁の戦いでは総司令官として曹操軍を撃退する。しかし、諸葛亮にはまったく歯が立たず、さんざん弄ばれた挙げ句に憤死した。第五十七回で没。


魯粛(子敬) 172~217


土着の富豪。周瑜の推薦で孫権に仕える。曹操が南下してきた際、いち早く劉備との同盟を模索する。赤壁の戦いでは主戦派だった。「金持ち喧嘩せず」を地で行くお人好しなせいか、諸葛亮の良いように利用されてしまう。特に荊州問題ではさんざんだった。第六十九回で没。


張昭(子布) 156~236


孫策の代から仕える重鎮。文官として内政を担当し、いつしかご意見番的存在になる。赤壁の戦いでは降伏論を唱えた。孫権にとっては目の上のたんこぶであり、しばしば大人気ない喧嘩をする。孫権とは「ボウズ」「ジジイ」と呼び合う仲。


張絋(子綱) ???~212


孫策の代から仕える文官。張昭とともに「二張」と呼ばれる。許都に使いした際、曹操に気に入られて抑留される。その後、孫策の死に乗じて軍を出そうとする曹操を止め、自分は何とか呉に戻った。


太史慈(子義) 169~209 (史実では166~206)

 

【身長178cm】


黄巾賊に囲まれた孔融を助けるため、劉備一党と共闘する。劉ヨウに仕えてからは孫策と対決、一騎打ちで引き分けて実力を認め合う。その後、戦で敗れたのを機に孫策に仕えた。第五十三回で没。


凌操 ???~203


一般人でありながら厳白虎を打ち破り、孫策の麾下に加わる。孫権の代では江夏の戦いに従軍するも、黄祖配下のヤクザ甘寧に射殺される。第三十八回で没。


凌統(公績) 189~237


凌操の子。208年、父の仇である甘寧(呉に帰順済み)に宴会の席で斬りかかる。しかし、孫権の取りなしでその場は収まった。215年、張遼との一騎打ちで落馬、楽進に止めを刺されようとしたところを甘寧に助けられる。これによって2人は和解し、以降マブダチになった。


甘寧(興覇) ???~222 (史実では没年不詳)


もともとは海賊だったが、足を洗って劉表のもとへ仕官、黄祖の部下になる。しかし、その黄祖から疑いをかけられたため、今度は孫権のもとへ。彼の部将として黄祖を討ち取る。その後は、赤壁の戦い・荊州争奪戦などで活躍。濡須の戦いでは精鋭100騎でもって曹操軍を夜襲し、孫権から「わが張遼」と可愛がられた。第八十三回で没。


呂蒙(子明) 178~219


もともとは筋肉バカだったが、孫権の忠告によって学問に目覚める。意欲的に書物を摂取し、久しぶりに会った魯粛を驚かせる。魯粛「呉下の阿蒙(おバカちゃん)がどうしちまったんだ」/呂蒙「士別れて三日、即ち刮目して見るべし」。呉を代表する将軍となった彼は、219年、計略を駆使して関羽を破った。第七十七回で没。


蒋欽(公亦) ???~219


周泰と組んで海賊をしていたが、足を洗って孫策のもとへ仕官する。赤壁の戦い・南郡争奪戦に参加。その後、合肥の戦いでは後詰めを務め、荊州攻めでは関羽を破った。徐盛とは犬猿の仲。


周泰(幼平) ???~???


蒋欽と組んで海賊をしていたが、足を洗って孫策のもとへ仕官する。宣城では重傷を負いながらも孫権を救出、また、合肥の戦いでは敵に囲まれた孫権と徐盛を救出する。主君の危機に颯爽と登場するお助けマンとして活躍した。その役目上、体には無数の傷がある。


徐盛(文キョウ) ???~???


赤壁の戦い・南郡争奪戦に参加。その後、合肥では張遼に敗れ、濡須では李典に敗れる。曹丕襲来の折りはニセの城郭を築いて敵を欺き、見事勝利をものにした。蒋欽とは犬猿の仲。


呂範(子衡) ???~228


孫策の代から仕える文官。もと袁術配下。劉備と孫夫人の仲人をつとめ、宴席で劉備を暗殺しようとする。麦城の戦いでは、占いによって関羽の捕縛を予言した。


諸葛瑾(子瑜) 174~241


諸葛亮の兄。驢馬。弟が劉備配下であることから、何かと交渉に従事する。劉備に荊州の返還を求めたり、関羽に結婚話を持ちかけたり。しかし、弟と違って善良なせいか、軽々とかわされてしまう。将軍としては司馬懿や曹叡と戦った。


諸葛恪(元遜) 203~253

 

【身長180cm】


諸葛瑾の子。孫権の死後、呉の実権を握る。魏の侵攻を防いで調子に乗った彼は、重臣たちの反対を押し切って魏に攻め入る。しかし、敗れて帰ってきたところを孫峻らに殺された。第百八回で没。


陸遜(伯言) 183~245


孫策の娘婿。219年、呂蒙の策で陸口の責任者になり、殊勝な挨拶をかまして関羽を油断させる。222年、夷陵の戦いでは大都督として采配を振るい、蜀の大軍を火攻めで打ち破った。244年、丞相になる。


陸抗(幼節) 226~274


陸遜の子。孫皓から襄陽攻略を命じられて荊州に赴任、晋将・羊コとエクストリーム・フェアプレイ(※敵を信頼して善行を積み上げるチキンレース)で勝負する。結果、10年ものあいだ平和が保たれた。第百二十回で没。


朱然(義封) 182~222 (史実では249年没)


朱治の甥っ子。潘璋とともに神(関羽)を生け捕ったため、謎の『演義』パワーで早死にする。最後は趙雲に討たれた。近年はお墓が出土したことで有名である。第八十四回で没(たぶん)。


潘璋(文ケイ) ???~222 (史実では234年没)


朱然とともに神(関羽)を生け捕ったため、謎の『演義』パワーで早死にする。最後は関興に討たれた。第八十四回で没(たぶん)。


孫皓(元宗) 242~284


孫和の子。孫休の後を継いで即位する。その治世は最悪で、宦官を重用して酒色に耽り、気に入らない奴らを虐殺、民衆には大規模な土木工事を課した。晋が攻め入ってきたときはあっさりと降伏し、呉のラストエンペラーになる。『演義』では董卓の次に位置する悪党。


大喬 ???~???


孫策の妻。美女の誉れが高く、妹・小喬とともに「二喬」と呼ばれる。江東の名士・橋玄の娘。曹操が己のハーレム(銅雀台)に入れようと躍起になり、赤壁の戦いをおこした。


小喬 ???~???


周瑜の妻。美女の誉れが高く、姉・大喬とともに「二喬」と呼ばれる。江東の名士・橋玄の娘。曹操が己のハーレム(銅雀台)に入れようと躍起になり、赤壁の戦いをおこした。


後漢

 


劉協/献帝 181~234


霊帝の次男。王美人との間に生まれる。少帝が廃されたのち、董卓に擁立されて即位する。董卓が死んでからは曹操の傀儡になり、曹丕の代になって皇位を奪われた。後漢のラストエンペラーである。


劉弁/少帝 170~189


霊帝の長男。何太后との間に生まれる。霊帝の後を継いで即位するも、董卓によって廃されたうえ毒殺された。第四回で没(たぶん)。


劉宏/霊帝 ~189


後漢末のダメ皇帝。官職を売り捌いて小遣い稼ぎをし、政治は宦官にまかせて自身は色に溺れた。「三国志」開幕の立て役者である。第一回で没。


張謙 ???~189


宦官集団「十常侍」のメンバー。霊帝に取り入って権力をほしいままにし、国を大きく傾ける。何進が討伐に乗り出したときは、何太后(何進の妹)に泣きついて宮中に呼び出してもらい、そこで暗殺して首を外に放り投げた。しかし、その後袁紹らが乱入、皇帝を連れて何とか城外に逃れるも、追い詰められて自殺する。第三回で没。


段圭 ???~189


宦官集団「十常侍」のメンバー。霊帝に取り入って権力をほしいままにし、国を大きく傾ける。何進が討伐に乗り出したときは、何太后(何進の妹)に泣きついて宮中に呼び出してもらい、そこで暗殺して首を外に放り投げた。しかし、その後袁紹らが乱入、皇帝を連れて城外に逃れるも、追い詰められて殺される。第三回で没。


曹節(漢豊) ???~???


宦官集団「十常侍」のメンバー。霊帝に取り入って権力をほしいままにし、国を大きく傾ける。何進が討伐に乗り出したときは、何太后(何進の妹)に泣きついて宮中に呼び出してもらい、そこで暗殺して首を外に放り投げた。しかし、その後袁紹らが乱入、皇帝を連れて城外に逃れる。


侯覧 ???~???


上に同じ。


趙忠 ???~189


宦官集団「十常侍」のメンバー。霊帝に取り入って権力をほしいままにし、国を大きく傾ける。何進が討伐に乗り出したときは、何太后(何進の妹)に泣きついて宮中に呼び出してもらい、そこで暗殺して首を外に放り投げた。しかし、その後袁紹らが乱入してきて殺される。第三回で没。


夏ウン ???~189


上に同じ。


程曠 ???~189


上に同じ。


ケン碩 ???~189


宦官集団「十常侍」のメンバー。霊帝に取り入って権力をほしいままにし、国を大きく傾ける。霊帝の死後、劉協を帝位につけようとして失敗、同僚の郭勝に殺される。第三回で没。


郭勝 ???~189


宦官集団「十常侍」のメンバー。霊帝に取り入って権力をほしいままにし、国を大きく傾ける。霊帝の死後、同僚のケン碩を始末する。何進が討伐に乗り出したときは、何太后(何進の妹)に泣きついて宮中に呼び出してもらい、そこで暗殺して首を外に放り投げた。しかし、その後袁紹らが乱入してきて殺される。第三回で没。


封ショ ???~184


宦官集団「十常侍」のメンバー。霊帝に取り入って権力をほしいままにし、国を大きく傾ける。黄巾賊が蜂起する直前、首領の張角と内応を約束するも、唐周の裏切りによって投獄された。


群雄

 


董卓(仲頴) 139~192


『演義』最凶の悪役。献帝の後ろ盾となって国政を壟断した。残虐行為が大好きで、拷問や殺戮を肴に飯を食っている。容貌は第64代横綱・曙に似ているとの噂。自らの脂肪を燃やす人間蝋燭を得意とする。第九回で没。


李儒 ???~192


董卓の参謀。主君とはほぼ一心同体で、頭脳の役割を果たしている。ある意味では諸悪の根源。意外と力も強く、体当たりで主君(曙的体躯)を吹っ飛ばしている。第九回で没。


呂布(奉先) ???~198


『演義』最強の武将。並外れた武勇を誇る反面、目先の欲望にとても弱い。宝物に釣られて養父・丁原を殺し、女に惑わされて主君・董卓を殺している。中原に出てからも袁術・劉備を裏切った。198年、下ヒの戦いに敗れて曹操に捕まり、劉備の進言によって殺される。第十九回で没。


王允(子師) 137~192


董卓を謀殺したたぬき爺。養女の貂蝉を使い、董卓・呂布の仲を裂いた。しかし、その後は仇討ちにきた李カクに殺される。第十三回で没。


貂蝉 ???~???


董卓と呂布を仲違いさせるべく、王允によって送り込まれたハニートラップ。みごと呂布を手玉にとり、董卓を殺害させた。三国アカデミー賞最優秀女優賞を受賞。


袁紹(本初) ???~202


名家のお坊ちゃん。反董卓連合では家柄が良いという理由で盟主になった。解散後は河北で勢力を広げるも、官渡の戦いで曹操に敗れてから急速に落ちぶれていく。英雄ぶってるわりには器が小さい。第三十二回で没。


顔良 ???~200


袁紹配下の猛将。白馬の戦いでは宋憲・魏続を討ち取り、返す刀で徐晃を退ける。しかし、その後出てきた関羽にあっさり討ち取られた。「名は体を表す」ということで、相当なイケメンと思われる。第二十五回で没。


文醜 ???~200

 

【身長184cm】


袁紹配下の猛将。顔良の弔い合戦として延津に出撃する。弓矢で張遼・徐晃をたじたじにするも、その後出てきた関羽にあっさり討ち取られた。「名は体を表す」ということで、相当なブサメンと思われる。第二十六回で没。


袁術(公路) ???~199


袁紹の従弟。淮南を根城にしている。ある日、子分の孫策から玉璽をゲット、無能なくせに皇帝を僭称した。超KYな身の程知らず。第二十二回で没(たぶん)。


厳白虎 ???~196


自称「東呉の徳王」。「徳王」のくせに周囲の評判は悪く、民草から物資を略奪している。また、強そうな名前のわりに戦は弱い。典型的なハッタリ屋としてその名を轟かせている。第十五回で没。


厳與 ???~196 (史実では没年不詳)


厳白虎の弟。和睦の使者として孫策のもとに乗り込むも、宴会の席であっさり斬られる。第十五回で没。


劉ヨウ(正礼) 154~195


揚州刺史。劉岱の弟。れっきとした皇族の一員であり、劉備と違って血筋は確かである。196年、孫策に敗れて劉表のもとに身を寄せた。


劉表(景升) 142~208


荊州刺史。れっきとした皇族の一員であり、劉備と違って血筋は確かである。また、賢者としても有名で、「江夏八俊」の一人と目されている。201年、路頭に迷った劉備を新野に迎え入れ、7年ものあいだ飼い殺しにした。第四十回で没。


劉焉(君郎) ???~194


幽州太守。れっきとした皇族の一員であり、劉備と違って血筋は確かである。184年、黄巾軍討伐の義勇兵として劉備を受け入れた。


劉璋(季玉) ???~219


益州牧。劉焉の子。れっきとした皇族の一員であり、劉備と違って血筋は確かである。211年、配下(張松・法正)の裏切りによって劉備を招き入れ、214年、まんまと国を攻め取られてしまう。


王累 ???~211


劉璋配下の文官。城門から逆さ吊りになって命綱を切るというアクロバティックな自殺を試みる。第六十回で没。


張松(永年) ???~212

 

【身長115cm未満】


劉璋配下の文官。主君があまりに頼りないため、同僚の法正と謀って曹操に国を献じようとする。使者として直談判しに行くも、容姿が不自由なせいでまともに話を聞いてもらえない。仕方がないので劉備に鞍替えする。上手く立ち回って劉備を入蜀させたが、主君に企みがバレて処刑された。第六十二回で没(たぶん)。


張粛 ???~???


張松の兄。劉璋配下の太守(広漢太守)。弟がクーデターを計画していることを知り、災いを避けるべく主君にちくった。


張任 ???~214


劉璋配下の従事。劉備の侵攻に際してはラク城を守備、ホウ統を射殺する。城の陥落後は投降を拒んで処刑された。第六十四回で没(たぶん)。


村人

 


曹嵩 ???~193


曹操の父。現役を引退し、戦乱を避けて各地を放浪する。息子のところに向かう途中、陶謙の部下に裏切られて殺された。第十回で没。


呂伯奢 ???~189


曹嵩の義兄弟。董卓に指名手配されていた曹操を匿う。しかし、自分の留守中、誤解によって一家を皆殺しにされる。何も知らないまま家に帰ろうとしたところ、逃げてきた曹操に出くわして殺された。第四回で没。


関定 ???~???


関定・関平の父。河北在住。関羽と張飛を自宅に泊めた際、関羽に次男をお持ち帰りされる。関平は関羽の養子になった。


関寧 ???~???


関定の長男、関平の兄。


胡華 ???~???


胡班の父。引退した元官僚。関羽の五関突破の際、屋敷に来た一行を泊める。ケイ陽の息子に手紙を書き、関羽の逃亡を助けた。


司馬徽(徳操) 173~208


荊州の隠者。またの名を水鏡先生。ホウ徳公や徐庶、諸葛亮など、在野のきらめく人士たちと交流がある。207年、劉備にホウ統と諸葛亮を薦めた。田舎で隠遁生活を送っているせいか、年齢のわりに年寄りくさい。普段は軽くボケているようで、「善い哉、善い哉」とつぶやいている。


崔州平 ???~???


諸葛亮の友人。道端で劉備に捕まりいやいや話をする。


孟建(公威) ???~???


諸葛亮の友人。石トウと酒を飲んでいるところに劉備が通りかかる。


石トウ(広元) ???~???


諸葛亮の友人。孟建と酒を飲んでいるところに劉備が通りかかる。


諸葛均 ???~???


諸葛亮の弟。兄と隆中にひきこもって農業生活を送る。兄が劉備に仕える際は、留守番として隆中に居残った。その後の消息は誰にも分からない。


黄承彦 ???~???


諸葛亮の岳父。婿が仕掛けた八陣図から陸遜を助けた。一説によると、娘夫婦は上手くいってないという。


南蛮

 


孟獲 ???~???


南蛮王。諸葛亮に七度捕らえられ、七度釈放される。負けても負けても諦めず、不屈の闘志で立ち向かった。実はドM。


孟優 ???~???


孟獲の心優しき弟。兄を尊敬している。


孟節 ???~???


孟獲の心優しき兄。弟たちのバカ騒ぎから距離を置き、万安渓で隠遁生活を送っている。毒泉にかかった蜀軍を助けてやった。


祝融夫人 ???~???


孟獲の恐るべき妻。火の神の末裔で、馬忠・張嶷を捕らえるほどの武者ぶり。実は夫よりも強く、夫婦喧嘩のときはいつもナイフ投げで圧勝している。


金環三結 ???~225


やられ役その一。趙雲に斬り殺される。第八十七回で没。


董荼那 ???~225


やられ役その二。孟獲を裏切って蜀の勝利に貢献する。その後、解放された孟獲に斬り殺される。第八十八回で没。


阿会喃 ???~225


やられ役その三。孟獲を裏切って蜀の勝利に貢献する。その後、解放された孟獲に斬り殺される。第八十八回で没。


朶思大王 ???~225


禿竜洞の主。一度は釈放されて命拾いするも、次の戦闘で下手をうつ。第九十回で没。


帯来洞主 ???~???


孟獲の妻の弟。八番の部長。南蛮一の事情通として、木鹿大王とゴツ突骨の援助を求める。彼が助かった(死亡を確認されていない)のは孟獲の一族だからだろう。


忙牙長 ???~225


孟獲の副将。馬岱に討ち取られた。


木鹿大王 ???~225


八納洞の主。『演義』きっての猛獣使いだったが、諸葛亮の発明品(木製の巨獣)の前に敗れる。第九十回で没。


ゴツ突骨 ???~225


烏弋国の王。生きた蛇を食し、体に鱗が生え、藤甲という油を塗った鎧を着ている。中国奥地に棲息するという伝説の野人。この種族は現代でもたまに目撃情報がある。第九十回で没。


五谿蛮

 


沙摩柯 ???~222


武陵郡を根城とする蛮族の王。夷陵の戦いでは自ら軍を率いて蜀に協力する。弓矢で甘寧を討ち取るも、敗勢になってからは周泰に討たれた。第八十四回で没。


 


迷当大王 ???~???


羌族の王。姜維の北伐に呼応して魏軍を攻める。しかし、陳泰に敗れて捕えられ、郭淮の説得を受けて寝返った。魏軍を姜維の陣営に案内したところ、用済みだということで殺される。


俄何焼戈 ???~???


迷当大王の先鋒として魏軍を攻めるも、陳泰に敗れて自害した。


 


司馬炎(安世)/武帝 236~290


司馬昭の長男にして晋の初代皇帝。最後にぽっと出て天下を統一する。『演義』におけるデウス・エクス・マキーナ的存在。


司馬師(子元) 208~255


司馬懿の長男。父の死後はその後を継いで魏の実権を握る。254年、曹芳を廃して曹髦を立てた。翌年カン丘倹が反乱を起こした際、文鴦の奮戦を見て大いに興奮、目玉が飛び出す。その傷がもとで死亡した。第百十回で没。


司馬昭(子尚) 211~265


司馬懿の次男。兄の死後はその後を継いで魏の実権を握る。260年、曹髦を殺して曹奐を立てる。263年、蜀を征服して晋王になる。皇帝まで後一歩と迫るも病を得て急死した。第百十九回で没。


司馬チュウ(子将) 227~283


司馬懿の六男。呉の討伐に参加した。司馬チュウ元気でチュ(ry


司馬攸(大ユウ) 248~283


司馬昭の次男。司馬師に息子がいなかったため、その養子になる。司馬昭が晋王にのぼった際、後継者に立てられそうになるも、周囲の反対によって中止に。おいしいところを兄・司馬炎に持っていかれる。


胡奮(玄威) ???~???


胡遵の子。司馬昭の部下。反乱を起こした諸葛誕を攻め滅ぼす。司馬炎の代になってからは呉の攻略に参加した。


羊コ(叔子) 221~278


襄陽の都督として盤石の地盤を築き、呉将・陸抗とエクストリーム・フェアプレイ(※敵を信頼して善行を積み上げるチキンレース)で勝負する。結果、10年ものあいだ平和が保たれた。陸抗が解任された際、司馬炎に呉への侵攻を進言する。しかし、重臣が保身目的で反対して沙汰止みになった。第百二十回で没。


杜預(元凱) 222~284


羊コの遺言により、都督としてその職務を引き継ぐ。279年、司馬炎の命で呉に攻め入り、「破竹の勢い」で勝利した。「三国志」の幕を下ろした立て役者である。


王濬(士治) 206~286


益州刺史のとき、羊コとともに呉への侵攻を主張する。279年、司馬炎の命で呉に攻め入り、長江を下って呉を打ち破った。「三国志」の幕を下ろした立て役者である。