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五輪書異本集 空之巻

この空之巻では、異本二十二本を提示する。すなわち、筑前系諸本として、吉田家本は原本と写しの二本、中山文庫本・大塚家本・伊丹家本、これに加えて越後系の、松井家本・渡辺家本・赤見家乙本・近藤家丙本・神田家本・猿子家本を掲載する。また、肥後系諸本としては、楠家本・細川家本・丸岡家本・富永家本・常武堂本・田村家本・山岡鉄舟本、円明流系統では、狩野文庫本・多田家本・稼堂文庫本を掲載し、その他に大瀧家本を収録する。

 さらに、越後系を含む筑前系諸本には、空之巻に代々諸師の相伝証文を附録するので、それを掲載する。

 

 

  1 空之巻

 【吉田家本】

二刀一流の兵法の道、空の巻として書顕す事。空と云心ハ、物毎のなき所、しれざる事を、空と見たつる也。勿論、空ハなきなり。ある所をしりて、なき所をしる、是則、空なり。世の中におゐて、悪ク見れバ、物をわきまへざる所を空と見る所、実の空にはあらず。皆まよふ心なり。此兵法の道におゐても、武士として道をおこなふに、士の法をしらざる所、空にはあらずして、色々まよひありて、せんかたなき所を、空と云なれども、是、実の空にはあらざる也。武士ハ、兵法の道を慥に覚、其外、武藝を能勤、武士のおこなふ道、少もくらからず、心のまよふ所なく、朝々時々におこたらず、心意二ツの心をミがき、観見二ツの眼をとぎ、少もくもりなく、まよいのくものはれたる所こそ、実の空と知べき也。実の道をしらざる間は、佛法によらず、世法によらず、おのれ/\ハ、慥成道とおもひ、能事とおもへども、心の直道よりして、世の大がねにあわせて見ル時は、其身/\の心のひいき、其目/\のひずミによつて、実の道にハそむく物也。其心をしつて、直成所を本とし、実の心を道として、兵法を廣クおこなひ、たゞしくあきらかに、大き成所を思ひとつて、空を道とし、道を空とみる所也。 正保二年五月十二日  新免武藏玄信               在判        寺尾孫丞殿 令傳受地水火風空之五卷、 神免玄信公、予に相傳之所、うつし進之候。就中空之卷ハ、玄信公永々の病氣に付テ、所存之程あらはされず候。然ども、四冊之書の理、あきらかに得道候て、道理をはなれ候へバ、おのづから空の道にかなひ候。我等数年工夫いたし候所も、道利を得ては道利をはなれ、我と無爲の所に至候。只兵法ハおのづからの道にまかせ、しづか成所、うごかざる所に、自然とおこないなし、豁達して空也。 実相圓満兵法逝去不絶。是は、玄信公碑名にあらはしおかるゝもの也。能々兵の法を、可有鍛錬也。以上  承應二年十月二日   寺尾孫丞信正               在判 武州、一流至極之兵書五巻、寺尾信正ニ傳、我是ヲ請テ、三代之兵法ヲ次と云とも、未 武州之心ヲ不得。然共、貴殿此道ニ志有テ、二十六年之間執行不絶。いやしくも我請ル所、一流一通令傳受、今五巻ノ書不残相渡也。於兵法ろくと云ハ、中立之位、しづか成事、岩尾のごとく成テ、敵に發事、直通也。敵ニつく事なかれ。敵を爰に取テ、劔ヲ踏者也。           柴任三左衛門 延寶八年申四月廿二日    美矩[花押印判]      吉田太郎右衛門殿   (以下、代々相伝証文は後に別途掲載)

 【松井家本】

二刀一流の兵法の道、空の卷として書顯す事。 空と云心は、物毎のなき所、しれざる事を、空と見たつる也。勿論、空ハなきなり。ある所をしりて、なき所をしる、是則、空なり。世の中にをひて、悪く見れば、物をわきまへざる所を空と見る所、實の空にはあらず。皆まよふ心なり。此兵法の道におひても、武士として道をおこなふに、士の法をしらざる所、空にはあらずして、色々まよひありて、せんかたなき所を、空と云なれども、是、實の空にはあらざる也。武士は、兵法の道を慥に覺、其外、武藝を能勤、武士のをこなふ道、少もくらからず、心のまよふ所なく、朝々時々におこたらず、心意二ツの心をミがき、觀見二ツの眼をとぎ、少もくもりなく、まよひのくものはれたる所こそ、實の空と知べき也。實の道をしらざる間は、佛法によらず、世法によらず、おのれ/\は、慥成道とおもひ、能事とおもへども、心の直道よりして、世の大がねにあハせて見る時は、其身/\の心のひいき、其目/\のひずミによつて、實の道にハそむく物也。其心をしつて、直成所を本とし、實の心を道として、兵法を廣くおこなひ、たゞしくあきらかに、大き成【脱字】を思ひとつて、空を道とし、道を空と見る所也。 正保二年五月十二日  新免武藏玄信               在判        寺尾孫之亟殿 令傳授地水火風空之五卷、 新免玄信公予に相傳之所うつし進之候。就中空之卷ハ、玄信公永々の病氣に付テ、所存之程あらはされず候。然ども四冊之書の理あきらかに得道候て、道理をはなれ候得バ、をのづから空の道にかなひ候。我等数年工夫いたし候所も、道理を得てハ道理をはなれ、我と無爲の所に至候。只兵法のおのづからの道にまかせ、しづか成所うごかざる所に自然とおこなひなし、豁達して空也。 実相圓満兵法逝去不絶、是は 玄信公碑名にあらハしおかるゝもの也。能々兵の法を可有鍛錬也。以上           寺尾孫之亟信正                在判  承應二年十月二日        柴任三左衛門殿 武州、一流至極之兵書五巻、寺尾信正ニ傳、我是ヲ請テ、三代之兵法ヲ次と云とも、未 武州之心ヲ不得。然共、貴殿此道ニ志有テ、二十六年之間執行不絶。いやしくも我請ル所、一流一通令傳授、今五巻之書不殘相渡也。於兵法ろくと云ハ中立之位、しづか成事、巖のごとく成て、敵に發事、直通也。敵につく事なかれ。敵を爰に取て、劔ヲ踏者也。 延寶八年申四月廿二日 柴任三左衛門美矩                 在判        吉田太郎右衛門殿   (以下、代々相伝証文は後に別途掲載)

 【渡辺家本】

二刀一流之兵法の道、空の卷として書顯す事。 空と云心は、物毎のなき所、しれざる事を、空と見立る也。勿論、空ハなきなり。ある所をしりて、なき所をしる、是則空也。世の中にをひて、悪く見れば、物をわきまへざる所を空と見る所、實の空にはあらず。皆まよふ心也。此兵法の道におひても、武士として道をおこなふに、士の法をしらざる所、空にはあらずして、色々まよひありて、せんかたなき所を、空と云なれども、是實の空にはあらざる也。武士は、兵法の道を慥に覺、其外、武藝を能勤、武士のおこなふ道、少もくらからずして、心のまよふ所なく、朝々時々におこたらず、心意二つの心をミがき、觀見二つの眼をとぎ、少もくもりなく、まよひのくものはれたる所こそ、實の空と知べき也。實の道をしらざる間は、佛法によらず、世法によらず、おのれ/\は、慥成道とおもひ、能事とおもへども、心の直道よりして、世の大がねにあハせて見る時は、其身/\の心のひいき、其目/\のひずミによつて、實の道にハそむく物也。其心をしつて、直成所を本として、實の心を道として、兵法を廣くおこなひ、たゞしくあきらかに、大き成【脱字】を思ひとつて、空を道とし、道を空と見る所也           新免武藏玄信                在判 正保二年五月十二日        寺尾孫之丞殿 令授授地水火風空之五卷、 新免玄信公、予に相傳之所、うつし進じ候。就中空之卷ハ、玄信公永々の病氣に付テ、所存之程あらはされず候。然ども四冊之書の理あきらかに得道候て、道理をはなれ候得バ、おのづから空の道にかなひ候。我等数【脱字】工夫いたし候所も、道理を得てハ道理をはなれ、我と無爲の所に至候。只兵法ハおのづからの道にまかせ、しづか成所うごかざる所に、自然とおこなひなし、豁達して空也。 實相圓満兵法逝去不絶、是は 玄信公碑名にあらハしおかるゝもの也。能々兵の法を可有鍛錬也。以上           寺尾孫之丞信正                在判 承應二年十月二日        柴任三左衛門殿 武州、一流至極之兵書五巻、寺尾信正ニ傳、我是を請テ、三代之兵法ヲ次と云とも、未 武州之心ヲ不得。然共、貴殿此道ニ志有テ、二十六年之間執行不絶。いやしくも我請ル所、一流一通令傳授、今五巻之書不残相渡也。於兵法ろくと云ハ、中立之位、しづか成事、巌のごとく成て、敵に發事、直通也。敵につく事なかれ。敵を爰に取て、劔を蹈者也。           柴任三左衛門美矩                 在判 延寶八年申四月廿二日        吉田太郎右衛門殿   (以下、代々相伝証文は後に別途掲載)

 【中山文庫本】

    空之巻 二刀一流の兵法の道、空之巻として書顕す事。空と云心は、物毎のなき所、しれざる事を、空とミたつる也。勿論、空ハなきなり。ある所をしりて、なき所をしる、是則、空なり。世の中におゐて、悪く見れバ、物をわきまへざる所を、空と見る所、実の空にはあらず。皆まよふ心なり。此兵法の道におゐても、武士として道をおこなふに、士の法をしらざる所、空にはあらずして、色々まよひありて、せんかたなき所を、空と云なれども、たゞ、実の空にはあらざる也。武士は、兵法の道を慥に覚へ、其外、武藝を能勤、武士のおこなふ道、少もくらからず、心のまよふ所なく、朝々時々におこたらず、心意二ツの心をみがき、觀見二ツの眼をとぎ、少もくもりなく、まよひのくものはれたる所こそ、実の空と知べき也。実の道をしらざる間は、佛法によらず、世法によらず、おのれ/\ハ、慥成道とおもひ、能事とおもへども、心の直道よりして、世の大がねにあわせて見る時は、其身/\の心のひひき、其目/\のひずみによつて、実の道にはそむくもの也。其心をしつて、直なる所を本とし、実の心を道として、兵法を廣くおこなひ、たゞしくあきらかに、大き成所を思ひ取て、空を道とし、道を空と見る所也。           新免武藏 玄信  正保二年五月十二日      在判       寺尾孫之允殿 令傳受地水火風空之五卷、 神免玄信公、予に相傳之所、うつし進之候。就中空之卷は、玄信公永々の病氣に付て、所存之程あらはされず候。然ども、四冊之書の理、あきらかに得道候て、道理をはなれ候へば、おのづから空の道にかなひ候。我等数年工夫いたし候所も、道利を得てハ道利をはなれ、我と無爲の所に至候。只兵法ハ、おのづからの道にまかせ、しづかなる所、うごかざる所に、自然とおこなひなし、豁達して空也。 実相圓満兵法逝去不絶。是ハ、玄信公碑名にあらわしおかるゝもの也。能々兵の法を、可有鍛錬也。以上             寺尾孫之亟 在判  承應二年十月二日 武州、一流至極之兵書五巻、寺尾信正に傳、我是を請て、三代之兵法を次といへども、いまだ武州之心を得ず。然共、貴殿此道に志有て、二十六年之間執行不絶。いやしくも我請る所、一流一通令傳受、今五巻之書不残相渡也。於兵法ろくと云ハ、中立之位、しづかなる事、岩尾のごとく成て、敵に発事、直道也。敵につく事なかれ。敵を爰に取て、劔を蹈者也。              柴任三左衛門  延寶八年申四月廿二日     在判       吉田太郎右衛門殿   (以下、代々相伝証文は後に別途掲載)

 【赤見家乙本】

二刀一流之兵法の道、空の巻として書顕す事。空と云心は、物毎のなき所、知れざる事を空と見立る也。勿論、空ハ無キなり。ある所を知り【脱字】、無き所を知る、是すなハち空也。世の中におゐて、あしく見れば、ものをわきまへざる所を、空と見る所、實の空にハあらず。皆まよふ心なり。此の兵法の道におゐても、武士として道を行ふに、士の法をしらざる所、空にハあらずし【蝕損】、色々まよひありて、せんかたなき所を、空といふなれども、是實の空にハあらざるなり。武士ハ兵法の道をたしかに覚へ、其外武藝をよく勤、武士の行ふ道、少しもくらからず(して)、心のまよふ所なく、朝々時々におこたらず、心意二ツの心【蝕損】みがき、觀見二ツの眼をとぎ、少もくもりなく、まよひの雲のはれたる所こそ、實の空と知べき也。實の道を知らざる間ハ、佛法によらず、世法によらず、己々ハ、たしかなる道と思ひ、能事と思へども、心の直道よりして、世の大がねに合せて見る時ハ、其身/\の心のひいき、其目/\のひずミによつて、實の道にハそむく物也。其心をしつて、直なる所を本として、實の心を道として、兵法をひろく行なひ、正しく明ラかに、大きなる【脱字】を思ひとつて、空を道とし、道を空と見る所也。  正保二年五月十二日 新免武藏守玄信                在判         寺尾孫之亟殿 今傳授地水火風空之五卷、 新免玄信公、予に相傳之所、うつして進【脱字】候。就中空之卷ハ、玄信公永々の病氣に付て、所存之程あらハされず候。然れども、四冊之書の理、あきらかに得道候て、道理をはなれ候へバ、おのづから空の道にかなひ候。我等数年工夫いたし候所も、道理を得てハ道理をはなれ、我と無爲の所に至候。只兵法ハ、おのづからの道にまかせ、しづかなる所、うごかざる所に、自然と行なひなし、豁達して空也。 實相圓満兵法逝去不絶。是ハ、玄信公碑名にあらハしおかるゝものなり。能々兵之法を可有鍛錬也。以上 承應二年十月二日   寺尾孫之亟信正                在判        柴任三左衛門殿 武州、一流至極之兵書五巻、寺尾信正ニ傳、我是を請て、三代之兵法を次と云へども、未ダ 武州之心ヲ不得。然ども、貴殿此道に志有て、二十六年之間執行不絶。いやしくも我請所、一流一通令傳受、今五巻之書不残相渡也。兵法に於ゐてろくと云ふは、中立之位、静成事、巖のごとく成て、敵に發事、直通也。敵ニつく事なかれ。敵を爰に取て、劔を蹈者也。 延寶八年申四月廿二日 柴任三左衛門美矩                在判       吉田太郎右衛門殿   (以下、代々相伝証文は後に別途掲載)

 【近藤家丙本】

二刀一流の兵法の道、空の巻として書顕す事。空と云心は、物毎のなき所、しれざる事を、空と見たつる也。勿論、空はなきなり。ある所をしりて、なき所をしる、是則空也。世の中におゐて、悪ク見れば、物をわきまひざる所を、空と見る處、實の空にはあらず。皆迷ふ心也。此兵法之道におゐても、武士として道を行ふに、士の法をしらざる処、空にはあらずして、色々迷ひありて、せんかたなき所を、空と云なれども、是實の空にはあらざる也。武士ハ、兵法の道を慥におぼえ、其外、武藝を能勤、武士ノ行ふ道、少もくらからずして、心の迷ふところなく、朝/\時々におこたらず、心意二ツの心をミがき、觀見二ツの眼をとぎ、少もくもりなく、迷ひの雲【脱字】はれたる所こそ、實の空と知るべきなり。實の道をしらざる間は、佛法によらず、世法によらず、おのれおのれは、慥なる道とおもひ、能事と思ひども、心の直道よりして、世の大がねにあハせて見る時ハ、其身/\の心のひいき、其目/\のひずミによつて、實の道にはそむくものなり。其心をしつて、直成処を本として、實の心を道として、兵法を廣く行ひ、たゞしくあきらかに、大き成【脱字】を思ひとつて、空を道とし、道を空と見る所也。           新免武藏 玄信                在判 正保二年五月十二日        寺尾孫之亟殿 令傳授地水火風空之五卷、 新免玄信公、予に相傳之所、うつし進【脱字】候。就中空之卷ハ、玄信公永々の病氣ニ付て、所存之程あらハされず候。然ども、四冊之書の理、あきらかに得道候て、道理を離れ候得バ、おのづから空の道にかなひ候。我等数【脱字】工夫いたし候所も、道理を得ては道理をはなれ、我と無爲の所に至候。只兵法ハ、おのづからの道に任せ、しづか成所、うごかざるところに、自然とおこなひなし、豁達して空なり。 実相圓満兵法逝去不絶。是ハ、玄信公碑名にあらハしおかるゝ物也。よく/\兵之法を、可有鍛錬なり。以上 承應二年十月二日     寺尾孫之亟信正                在判        柴任三左右衛門殿 武州、一流至極之兵書五巻、寺尾信正ニ傳、我是ヲ請テ、三代之兵法を次と云とも、未 武州之心ヲ不得。然ども、貴殿此道に志有テ、二十六年之間執行不絶。いやしくも我請ル所之一流一通令傳受、今五巻之書不残相渡也。於兵法ろくと云は、中立之位、しづか成事、巌のごとく成て、敵に發事、直通なり。敵につく事なかれ。敵を爰に取て、劔を蹈者也。 延寶八年申四月廿二日 柴任三左右衛門美矩                 在判        吉田太郎右衛門殿   (以下、代々相伝証文は後に別途掲載)

 【大塚家本】

二刀一流之兵法の道、空の巻として書顕す事。空と云心ハ、物毎のなき所、しれざる事を、空と見たつる也。勿論、空はなきなり。ある所をしりて、なき所をしる、是則、空なり。世の中におゐて、悪ク見れば、物をわきまへざる【脱字】を、空と見る所、【脱字】にはあらず。皆まよふ心なり。此兵法の道におゐても、武士として道をおこなふに、士之法をしらざる所、空にはあらずして、色々まよひありて、せんかたなき所を、空と云なれども、たゞ実の空にはあらざる也。武士は、兵法の道を慥に覚、其外、武藝を能勤、武士のおこなふ道、少もくらからず、心のまよふ所なく、朝々時々におこたらず、心意二ツの心をみがき、観見二ツの眼をとぎ、少もくもりなく、まよひのくものはれたる所こそ、実の空と知べき也。実の道をしらざる間は、佛法によらず、世法によらず、おのれ/\ハ、慥成る道とおもひ、能事とおもへども、心の直道よりして、世の大がねにあはせて見る時は、その身/\の心のひいき、其目/\のひずミによつて、実の道にはそむく物也。その心をしつて、直なる所を本とし、実の心を道として、兵法を廣くおこなひ、たゞしくあきらかに、大き成る所を思ひ取て、空を道ととし、道を空と見る所也。              新免武藏玄信                在判  正保二年五月十二日         寺尾孫之丞殿 令傳受地水火風空之五卷、 神免玄信公、予に相傳之所、うつし進之候。就中空の卷ハ、玄信公永々【脱字】病氣に付テ、所存之程あらハされず候。然共、四冊之書の理、あきらかに得道して、道理をはなれ候得ば、おのづから空の道にかなひ候。我等数年工夫いたし候処も、道利を得ては道利をはなれ、我と無爲の所に至候。只兵法は、おのづからの道にまかせ、しづかなる所、うごかざる所に、自然とおこなひなし、豁達して空也。 実相圓満兵法逝去不絶、是は、 玄信公碑名にあらハしおかるゝもの也。能/\兵【脱字】法を、可有鍛錬也。以上             寺尾孫之丞信正                在判  承應二年十月二日 武州、一流至極之兵書五巻、寺尾信正に傳、我是を請て、三代之兵法を次と云ども、いまだ武州之心を不得。然共、貴殿此道に志有て、【脱字********】。いやしくも我請ル所、一流一通令傳受、今五巻之書不残相渡也。於兵法ろくと云ハ、中立の位、しづかなる所、岩尾のごとく成テ、敵に發事、直通也。敵につく事なかれ。敵を爰に取て、劔を踏者也。              柴任三左衛門  延寶八年申四月廿二日       吉田太郎右衛門殿   (以下、代々相伝証文は後に別途掲載)

 【吉田家本写本】

二刀一流之兵法の道、空の巻として書顕す事。空と云心は、物毎之なき所、しれざる事を、空と見たつる也。勿論、空はなきなり。ある所をしりて、なき所をしる、是則空也。世の中におゐて、悪ク見れバ、物をわきまへざる所を、空と見る【脱字】、実の空にはあらず。皆まよふ心也。此兵法の道におゐても、武士として道をおこなふに、士之法をしらざる所、空にハあらずして、色々まよひありて、せんかたなき所を、空と云なれども、是実の空にハあらざるなり。武士ハ、兵法の道を慥に覚、其外、武藝を能勤、武士のおこなふ道、少もくらからず、心のまよふ所なく、朝々時々におこたらず、心意二ツ之心をミがき、観見二ツの眼をとぎ、少もくもりなく、まよひの雲のはれたる所こそ、実の空としるべきなり。実の道をしらざる間ハ、佛法によらず、世法によらず、おのれ/\ハ、慥成道とおもひ、能事とおもへども、心の直成道よりして、世の大がねにあわせて見る時は、其身/\の心のひいき、其目/\のひずミによつて、実の道にハそむく物也。其心をしつて、直成所を本とし、実の心を道として、兵法を廣くおこなひ、たゞしくあきらかに、大き成所を思ひとつて、空を道とし、道を空と見る所也。            新免武藏玄信                在判  正保二年五月十二日       寺尾孫丞殿 令傳受地水火風空の五卷、神免玄信公、予に相傳之所、うつし進之候。就中空の卷ハ、玄信公永々の病氣に付て、所存之程あらわされず候。然ども、四冊之書の理、あきらかに得道候て、道理をはなれ候得バ、おのづから空の道にかなひ候。我等数年工夫いたし候所も、道利を得ては道利をはなれ、我と無爲の所に至候。只兵法ハ、おのづからの道にまかせ、しづか成所、うごかざる所に、自然とおこないなし、豁達して空也。 実相圓満兵法逝去不絶。是ハ、玄信公碑名にあらはしおかるゝもの也。能/\兵の法を、可有鍛錬也。以上              寺尾孫丞信正                在判  承應二年十月二日 武州、一流至極之兵書五巻、寺尾信正ニ傳、我是ヲ請て、三代之兵法を次と云とも、未武州之心ヲ不得。然共、貴殿此道に志有て、二十六年之間執行不絶。いやしくも我請ル所、一流一通令傳受、今五巻ノ書不殘相渡也。於兵法ろくと云ハ、中立の位、しづか成事、岩尾のごとく成て、敵に發事、直通也。敵につく事なかれ。敵を爰に取て、劔ヲ踏者也。              柴任三左衛門  延寶八年申四月廿二日       美矩判       吉田太郎右衛門殿   (以下、代々相伝証文は後に別途掲載)

 【神田家本】

二刀一流之兵法の道、空の巻として書顕す事。空と云心は、物毎のなき所、しれざる事を空と見立る也。勿論、空ハなきなり。ある所をしりて、なき所をしる、是則空也。世の中におゐて、悪く見れバ、物をわきまへざる所を、空と見る所、實の空にはあらず。皆迷ふ心也。此兵法の道におゐても、武士として道を行ふに、士の法をしらざる所、空にはあらずして、色々まよひありて、せんかたなき所を、空と云なれども、是實の空にハあらざる也。武士は兵法の道を慥に覚、其外武藝を能勤、武士の行ふ道、少もくらからずして、心のまよふ所なく、朝々時々におこたらず、心意二つの心【脱字】ミがき、觀見二ツの眼をとぎ、少もくもりなく、まよひのくものはれたる所こそ、實の空と知べき也。實の道をしらざる間は、佛法によらず、世法によらず、おのれ/\は、慥成る道とおもひ、能事と思へども、心の直道よりして、世の大がねにあハせて見る時は、其身/\の心のひいき、其目/\のひづミによつて、實の道にはそむく物也。其心をしつて、直なる所を本として、實の心を道として、兵法を廣く行ひ、たゞしくあきらかに、大き成【脱字】を思ひとつて、空を道とし、道を空と見る所也。           新免武藏守玄信 正保二年五月十二日        寺尾孫之亟殿 令傳授地水火風空之五卷、 新免玄信公、予に相傳之所、うつし進し候。就中空之卷ハ、玄信公永々の病氣に付テ、所存之程あらハされず候。然ども、四冊之書の理、あきらかに得道候て、道理をはなれ候得バ、おのづから空の道にかなひ候。我等数【脱字】工夫いたし候所も、道理を得てハ道理をはなれ、我と無爲の所に至候。只兵法は、おのづからの道にまかせ、しづか成所、うごかざる所に、自然とおこないなし、豁達して空也。 実相圓満兵法逝去不絶。是は、玄信公碑名にあらハしおかるゝもの也。能々兵の法を、可有鍛錬也。以上           寺尾孫之丞信正  承應二年十月二日        柴任三左衛門殿 武州、一流至極之兵書五巻、寺尾信正ニ傳、我是ヲ請テ、三代之兵法を次と云とも、未武州之心ヲ不得。然共、貴殿此道ニ志有て、二十六年之間執行不絶。いやしくも我請ル所、一流一通令傳受、今五巻之書不残相渡也。於兵法ろくと云ハ、中立之位、しづか成事、巌のごとく成て、敵に發事、直通也。敵につく事なかれ。敵を爰に取て、劔を蹈もの也。           柴任三左衛門美矩 延寶八年申四月廿二日        吉田太郎右衛門殿   (以下、代々相伝証文は後に別途掲載)

 【伊丹家本】

二刀一流の兵法の道、空之巻として書顕事。空と云心は、物毎の無所、しれざる事を、空と見立る也。勿論、空はなきなり。有所を知て、無所をしる、是則、空也。世中に於て、悪く見れば、物をわきまへざる所を、空とミるところ、實の空には非ず。皆迷ふ心也。此兵法の道に於も、武士として道をおこなふに、士の法を知らざるところ、空には非ずして、色々迷ふありて、せんかたなき所を、空と云なれども、たゞ實の空にはあらざる也。武士は、兵法の道を慥に覺、其外、武藝を能勤、武士のおこなふ道、少もくらからず、心の迷ふ所なく、朝々時々におこたらず、心意二ツの心をミがき、観見二ツの眼をとぎ、少しもくもりなく、迷ひの雲のはれたる処こそ、實の空と知るべき也。實の道を知らざる間は、佛法に不寄、世法に不寄、おのれ/\は、慥成道とおもひ、能事と思とも、心の直道よりして、世の大がねにあわせて見る時は、其身々の心のひいき、其目/\のひずみに寄て、實の道にはそむく物なり。其心をしつて、直なる所を本とし、實の心を道として、兵法を廣くおこなひ、たゞしくあきらかに、大き成所を思ひ取て、空を道とし、道を空と見る所也。   (伝系及び相伝証文の記載なし)           大塚作太夫              [朱印花押]  安政三丙辰年     五月十九日        伊丹九郎左衛門殿  

 【猿子家本】

二刀一流の兵法の道、空の巻として書顕す事。空と云心は、物毎のなき所、しれざる事を、空と見立る也。勿論、空ハなきより、ある所をしりて、なき所をしる、是則空也。世の中におゐて、悪敷見れバ、物をわきまへざる所を、空と見る所、實の空にはあらず。皆まよふ心なり。此兵法の道におひても、武士として道をおこなふに、士の法【脱字】しらざる所、空にはあらずして、色々まよひありて、せんかたなき所を、空と云なれども、是實の空にはあらざる也。武士は、兵法の道を慥ニ覚、其外、武藝を能勤、武士の行ふ道、少もくらからずして、心のまよふ所なく、朝々時々におこたらず、心意二ツの心【脱字】ミがき、觀見二ツの眼をとぎ、少もくもりなく、まよひのくものはれたる所こそ、實の空と知べき也。實の道をしらざる間は、佛法によらず、世法によらず、おのれ/\は、慥成道とおもひ、能事とおもへども、心の直道よりして、世の大がねにあハせて見る時は、其身/\の心のひいき、其目/\のひずミによつて、實の道にはそむく物也。其心をしつて、直なる所を本として、實の心を道として、兵法を廣く行ひ、たゞしくあきらかに、大き成【脱字】を思ひとつて、空を道とし、道を空と見る所也。           新免武藏守玄信 正保二年五月十二日        寺尾孫之亟殿 令傳授地水火風空之五卷、 新免玄信公、予に相傳之所、うつし進し候。就中空之卷ハ、玄信公永々の病氣ニ付テ、所存之程あらハされず候。然ども、四冊之書の理、あきらかに得道候て、道理を離れ候得バ、おのづから空の道にかなひ候。我等数【脱字】工夫いたし候所も、道理を得ては道理をはなれ、我と無為の所に至候。只兵法ハ、おのづからの道にまかせ、しづか成所、うごかざる所に、自然とおこなひなし、豁達して空也。 実相圓満兵法逝去不絶。是は、玄信公碑名にあらハしおかるゝもの也。能々兵の法を、可有鍛錬也。以上           寺尾孫之亟信正  承應二年十月二日        柴任三左衛門殿 武州、一流至極之兵書五巻、寺尾信正に傳へ、我是ヲ請テ、三代之兵法を次と云とも、未武州之心ヲ不得。然ども、貴殿此道に志有テ、二十六年之間執行不絶。いやしくも我請る所、一流一通令傳授、今五巻之書不殘相渡也。於兵法ろくと云ハ、中立之位、しづか成事巖のごとく成て、敵に發事、直通也。敵につく事なかれ。敵を爰に取て、劔を蹈もの也。           柴任三左衛門美矩 延寶八年申四月廿二日        吉田太郎右衛門殿   (以下、代々相伝証文は後に別途掲載)

 【楠家本】

二刀一流の兵法の道、空の卷として書顕す事。空といふ心ハ、物毎のなき所、しれざる事を、空と見たつる也。勿論、空ハなきなり。ある所をしりて、なき所をしる、是則、空なり。世の中におゐて、あしく見れバ、物をわきまへざる所を空とミる所、實の空にハあらず。皆まよふ心也。此兵法の道におゐても、武士として道をおこなふに、士の法をしらざる所、空にはあらずして、色々まよひありて、せんかたなき所を、空といふなれども、是、實の空にハあらざる也。武士ハ、兵法の道を慥におぼえ、其外、武藝をよくつとめ、武士のおこなふ道、少もくらからず、心のまよふ處なく、朝々時々におこたらず、心意二ツの心をミがき、観見二ツの眼をとぎ、すこしもくもりなく、まよひの雲のはれたる所こそ、実の空と知べき也。實の道をしらざる間ハ、佛法によらず、世法によらず、おのれ/\ハ、慥なる道と思ひ、よき事とおもへども、心の直道よりして、世の大がねにあはせて見る時ハ、其身/\の心のひいき、其目/\のひずミによつて、實の道にハそむくもの也。其心をしつて、直なる處を本とし、実の心を道として、兵法を廣くおこなひ、たゞしく明らかに、大きなる所をおもひとつて、空を道とし、道を空と見る所也。    空有善無悪    智ハ有也 利ハ有也    道ハ有也 心ハ空也  (日付なし)           新免武蔵守玄信 右、地水火風空の五冊ハ、玄信公、若年より兵法に心をよせ、数度のしあひに勝利を得、諸藝諸能のミちまで鍛練し、六十有余にして此書を書し、末後に及、予にさづけらるゝ書籍也。然によつて、空の卷ハ、所存のほどかきあらはされず。兵法の道にいたつて、地水火風の四冊の卷を、一字/\に執行し、道利を得てハ道利をはなれ、格を用ゐてハ格をはなれ、をおのづから兵法をはなれ、有にあらず無にあらず、眞の道たるこそ、実相圓満兵法逝去不絶、碑文の心に通ずべし。空といふにいたつてハ、豁達して空也。絶学無爲の所なるべし。右にあらはすごとく、末後に及て撰書たるによつて、天下に此書の傳を得たる人なし。然に、貴殿依執心、今書写所、令傳授也。弥、朝鍛夕錬して、兵法眞の道に達し、傳の道におゐてハ、極まつてきはまらざるところをもちゐ、のぞミのやから於有之は、をのづからまことの道にいたるやうに、可相傳者也。           新免武藏守玄信  寛文八年五月日     寺尾夢世[花押印]       槇嶋甚介殿

 【細川家本】

二刀一流の兵法の道、空の卷として書顕す事。空と云心は、物毎のなき所、しれざる事を、空と見たつる也。勿論、空はなきなり。ある所をしりて、なき所をしる、是則、空也。世の中におゐて、あしく見れば、物をわきまへざる所を空と見る所、實の空にはあらず。皆まよふ心なり。此兵法の道におゐても、武士として道をおこなふに、士の法をしらざる所、空にはあらずして、色々まよひありて、せんかたなき所を、空と云なれども、是、實の空にはあらざる也。武士ハ、兵法の道を慥に覚へ、其外、武藝を能つとめ、武士のおこなふ道、少もくらからず、心のまよふ所なく、朝々時々におこたらず、心意二ツの心をみがき、観見二ツの眼をとぎ、少もくもりなく、まよひの雲の晴たる所こそ、實の空としるべき也。實の道をしらざる間は、佛法によらず、世法によらず、おのれ/\は、慥なる道とおもひ、よき事とおもへども、心の直道よりして、世の大がねにあわせて見る時は、其身/\の心のひいき、其目/\のひずミによつて、實の道にはそむく物也。其心をしつて、直なる所を本とし、實の心を道として、兵法を廣くおこなひ、たゞしく明らかに、大きなる所をおもひとつて、空を道とし、道を空と見る所也。    空有善       無悪    智ハ有也 利ハ    有也 道は    有也 心は    空也  正保二年五月十二日     新免武藏        寺尾孫丞殿    (寺尾孫之丞相伝証文なし)  寛文七年    二月五日    寺尾夢世勝延[花押写]        山本源介殿

 【丸岡家本】

二天一流兵法書空之巻 二刀一流の兵法の道、空之卷として書著す事。空と云所は、物ごとの無處、しれざる事を、空と見立る也。勿論、空は無也。有所を知て、無所をしる、是則、空也。世【脱字】中におゐて、あしく見れば、物を辨へざる所を空と見る所、実の空にはあらず。皆迷ふ所也。此兵法の道におゐても、武士として道を行ふに、士の法を知ざる所、空にはあらずして、色々迷ひありて、為方なき所を、空と云なれども、是、実の空には非る也。武士は、兵法の道をたしかにおぼへ、其外、武藝を能つとめ、武士の行ふ道、すこしも闇からず、心のまよふ處なく、朝々時々におこたらず、心意二ツのこゝろを磨キ、觀見二ツの眼をとぎ、少もくもりなく、迷ひの雲の晴たる所こそ、実の空と知べき也。實の道をしらざる間は、佛法によらず、世法によらず、己々は、たしかなる道とおもひ、好事と思へども、心の直道よりして、世の大がねに合せて見る時は、其身/\の心の贔屓、其目/\のひずミによりて、実の道には乖く者也。其心を知て、直なる所を本とし、実の心を道として、兵法を廣く行ひ、正しく明かに、大になる處を思ひ取て、空を道とし、道を空と見る所也。  空有善無悪、智ハ有也、  理ハ有也、道ハ有也、心ハ空  也  正保二年五月        新免武藏              玄信識       (宛名なし)    (寺尾孫之丞相伝証文なし)

 【富永家本】

   空 二刀一流の兵法の道、空の卷として書顕す事。空と云心は、物毎のなき所、しれざる事を、空と見立る也。勿論、空ハなき也。有る【脱字】を知りて、なき所を知る、是則、空なり。世の中におゐて、あしく見れバ、物をわきまへざる所を空と見る所、実の空にハ非ず。皆まよふ心なり。此兵法の道におゐても、武士として道を行ふに、士の法をしらざる所、【脱字********************】、空と云なれども、是、実の空にハ非ざるなり。【脱字*****************】、武士の行ふ道、少もくらからず、心のまよふ所なく、朝/\時々に怠らず、心意二ツの心をミがき、観見二ツの眼をとぎ、少もくもりなく、まよひの雲のはれたる所こそ、実の空としるべき也。実の道をしらざる間ハ、佛法によらず、世法によらず、己々ハ、慥成道と思ゐ、能事とおもへども、心の直成道よりして、世の大がねニ合て見る時ハ、其身/\の心のひきゝ、其目/\のひずみに依て、実の道に【脱字】そむくもの也。其心を知て、直に成る處を本とし、実の心を道として、兵法を廣く行ゐ、正しく明らかに、大き成所をおもひ取て、空を道とし、道を空と見る處なり。  空有善無悪、智者有也、利者  有也、道者有也、心者空也  正保二年五月十二日 新免武藏守玄信在判       (宛名なし)    (寺尾孫之丞相伝証文なし)

 【常武堂本】

     兵法五輪書空之卷 二刀一流の兵法の道、空の卷として書顕す事。空と云心ハ、物毎のなき所、しれざる事を、空とみたつる也。勿論、空ハなきなり。ある所をしりて、なき所をしる、是則、空也。世【脱字】中に於て、あしく見れバ、物をわきまへざる所を空と見る所、實の空にハあらず。皆まよふ心也。此兵法の道に於ても、武士として道をおこなふに、士の法をしらざる所、空にハあらずして、色々まよひありて、せんかたなき所を、空と云なれども、是、實の空にハあらざる也。武士ハ、兵法の道を慥におぼえ、其外、武藝を能つとめ、武士のおこなふ道、少もくらからず、心のまよふ所なく、朝々時々におこたらず、心意二ツの心をみがき、観見二ツの眼をとぎ、少もくもりなく、まよひの雲の晴たる所こそ、實の空としるべきなれ。實の道をしらざる間ハ、佛法によらず、世法によらず、おのれ/\ハ、慥なる道とおもひ、よき事と思へども、心の直道よりして、世の大がねにあはせてみる時ハ、其身/\の心のひいき、其目/\のひずみによつて、實の道にはそむく物也。其心をしつて、直なる所を本とし、實の心を道として、兵法を廣くおこなひ、たゞしく明らかに、大きなる所をおもひとつて、空を道とし、道を空と見る所也。    空有善       無悪    智ハ有也 利ハ    有也 道は    有也 心は    空也  正保二年五月十二日      新免武藏          寺尾孫丞殿    (寺尾孫之丞相伝証文なし)  寛文七年二月五日      寺尾夢世勝延          山本源介殿

 【田村家本】

 二天一流     空之巻 二刀一流ノ兵法ノ道、空ノ巻トシテ書著ス事。空ト云所ハ、物ゴトニ無處、シレザルコトヲ、空ト見立ルナリ。勿論、空ハ無ナリ。有所ヲ知テ、無処ヲ知、是則、空ナリ。世ノ中ニオイテ、アシク見レバ、物ヲ辨ザル所ヲ、空ト見ル處、實ノ空ニハ非ズ、皆マヨフ處ナリ。此兵法ノ道ニ於テモ、武士トシテ道ヲ行フニ、士ノ法ヲシラザル所、空ニ【脱字】アラズシテ、色々迷ヒ有テ、センカタナキ處ヲ、空ト云ナレ共、是、マコトノ空ニハアラザル也。武士ハ、兵法ノ道ヲ慥ニ覺エ、ソノホカ、武藝ヲヨクツトメ、武士ノ行フ道、スコシモクラカラズ、心ノ迷フトコロナク、朝々時々ニヲコタラズ、心意二ツノコヽロヲミガキ、觀見二ツノ眼ヲトギ、スコシモ曇リナク、マヨヒノ雲ノ晴タル處コソ、マコトノ空トシルベキナリ。實ノ道ヲシラザル間ハ、佛法ニヨラズ、世法ニヨラズ、己々ガ、慥ナル道トヲモヒ、好コトヽヲモヱ共、コヽロノ直道ヨリシテ、世ノ大曲尺ニアハセテミル時ハ、其身ソノミノコヽロノヒイキ、ソノメ其目ノヒズミニ因、マコトノ道ニハソムクモノナリ。其心ヲ【脱字*********】道トシテ、兵法ヲ廣ク行ヒ、タヾシク明カニ、ヲヽヒナル所ヲ思ヒトツテ、空ヲミチトシ、道ヲ空ト見ル處也。   空有善無悪   智ハ有也、理ハ有   也、道ハ有也、心ハ   空也  正保二年五月          新免武藏守            藤原玄信            [朱印二顆模写]       (宛名なし)    (寺尾孫之丞相伝証文なし)

 【狩野文庫本】

   空 一 二刀一流の兵法【脱字】道、空之卷として書顯す事。空と云心は、物毎のなき所、知ざる所を、空と見立るなり。勿論、空ハ無也。有所を知て、なき所を知、是則、空也。世【脱字】中に於て、悪見れば、物を弁へざる所を空と見所、実の空に【脱字】不有、皆まよふ心也。此兵法の道【脱字*********】行ふに、士の法を知ざる所、空にハあらずして、色々まよひ有て、せんかたなき所を、空といふなれども、是、実の空にハあらざるなり。武士ハ、兵法の道を慥ニに覚、其外、武藝を能勤、武士の行道、少もくらからず、心のまよふ所なく、朝々時々におこたらず、心意二の心をみがき、觀見二ツの眼をとぎ、少もくもりなく、まよひの雲の晴たる所こそ、実の空と知るべき也。実の道を不知間は、佛法によらず、世法によらず、おのれ/\が、慥成道と思ひ、能事と思へども、心の直道よりして、余の大金に【脱字】見れば、其身/\の心【脱字】ひいき、其目/\のひずミに依て、実の道又ハそむくもの也。其心を知て、直成所を本として、実の心を道として、兵法を廣く行ひ、正【脱字】明に、大キ成所を思ひ取て、空を道として、道を空と見る所なり。   空有善無悪、   皃有也、利有也、   道有也、心空也           新免武藏守玄信  正保二年五月十二日      在判       寺尾孫亟殿       古橋惣左衛門殿    (寺尾孫之丞相伝証文なし)    私曰、 此書付、我等悪筆ニ而難叶候得共、形見と存、書写進送申候。能々御見分御工夫可被成候。我等ハ別而難有存、如此候。我等ハ、此書物致拜見候而より、少道の迷を晴明申候。生死二ツニ極候。努々他見被成間布候。 一 武州殿、肥州におゐて老後におよび、兵法熟いたし候故、弟子漸三人取立、如斯免を給候よし。其身若時分ハ短氣ニて、一圓弟子を取立めされ候事罷ならず候が、老後に至而如此、と被申置候。 一 右、三人之弟子衆は、寺尾孫亟、同弟同苗求馬、古橋惣左衛門、是三人より外ハ無之候由。惣別、誓紙罸文【脱字?】云事させめされず、秘書秘傳と云事もなし。真実の者ハ、何とて疎にすべきとの事ニ而、右三人之内にても、古橋惣左衛門は、兵法少おとりニ而有之候。我等ハ、此古橋之ながれニ而御座候。   三人之弟子衆に相傳する所也。 右、三人之弟子衆に云言にハ、惣別、我流免候ものにおゐてハ、他流と仕合をして、負て生て居まじきとの誓紙をかけとて、留誓紙斗書せ被申候由。のつぴきならぬ仕置にて、夫故何事も秘所なく候。強思ひ切死に成て打合、とのこと也。 一 初ケ條に、本来無生之身、と書出し被申候事、此心根なり。 一 五月十九日に死去有人が、前日十二日、三人を呼寄、日比雜談したる事ハ、定而覚可有之候。於我、此書物と云事はなし、此書物一見之後、燒捨べし由、被申渡候由。 一 寺尾孫之允 一弟子。劔術者、知行弐百石。 一 同求馬之助 二弟子。表遣萬器用あり。知行五百石。是は嶋原覚有。 一 古橋惣左衛門 三弟子。右之両人より劔術少おとり申候由。執行少、後弟子也。知行弐百石。能筆也。是は古越中守殿之右筆なり。後は御暇申請、江戸え參、死去なり。我等は此手筋なり。

 【多田家本】

二天一流圓明巻之五   空之巻 一 二刀一流の兵法の道、空の巻として書顕す事。空と云心ハ、物毎のなき所、しれざる事を、空と見立るなり。勿論、空ハなき也。有所を知て、無き所を知、是良(即)、空なり。世の中にをいて、悪敷見れバ、物を弁へざる所を空と見る所、実の空にハあらず【脱字*******************************】して、色々迷ひありて、せんかたなき所を、空と云なれ共、是、実の空に【脱字】あらざる所也。武士ハ、兵法の道を慥に覚へ、其外、武藝を能々勤、武士の行ふ道、少もくらからず、心の迷ふ所なく、朝々時々【脱字】おこたらず、心実に心をみがき、観見二つの眼をとぎ、少もくもりなく、迷ひの雲のはれたる所こそ、実の空としるべき也。実の道をしらざる間ハ、佛法によらず、世法によらず、己々が、慥成道と思ひ、よき事とおもへども、心の直道よりして、余の大がねに合て見る時は、其身/\の心の贔屓、其目/\のひずみに依て、実の道にハ背者也。其心をしつて、直成所を本として、実の心を道として、兵法を廣く行、正しく明白に、大き成所を思ひとつて、空を道とし、道を空と見る所なり。   空有善無悪、蓋有也、利者有也、   道者有也、心者空也、空無善悪、   利有善悪、道者有也、心者空也        新免武藏守藤原朝臣              玄信在判      (年月日・宛名なし)    (寺尾孫之丞相伝証文なし)

 【山岡鉄舟本】

二刀一流之兵法ノ道、空ノ巻トシテ書顕ス事。空ト云所ハ、物毎ニ形無キ処、シレザル処ヲ、空ト見立ナリ。勿論、空ハ無也。有處ヲ知テ、無処ヲ知ル。是【脱文*********************】、空ト見ル処、實ノ空ニハ非ズ、皆迷フ處也。此兵法ノ道ニ於テモ、武士トシテ道ヲ行フニ、士ノ法ヲ知ザル所、空ニハ非ズシテ、色々迷イ有テ、詮方ナキ処ヲ、空ト云トレドモ、是、實ノ空ニハアラザル也。武士ハ、兵法ノ道ヲ慥ニ覚、其外、武藝ヲ能勤メ、武士之行フ道、少モクラカラズ、心ノ迷フ処ナク、朝々時々ニヲコタラズ、心意二ツノ心ヲミガキ、観見二ツノ眼ヲトギ、少モ/\曇リナク、迷ヒノ雲ノ晴レタル處コソ、實之空ト知ルベキ也。實ノ道ヲシラザル間ハ、佛法ニヨラズ、世法ニヨラズ、ヲノレ【脱字】慥成ル道ト思イ、能キ事ト思ヘ共、心ノ直道ヨリシテ、世之大カネニ合【脱字】テ見ル時ハ、其身/\之心ノ贔屓、其目々ノヒヅミニ依テ、實ノ道ニハ背ク物也。其心ヲ知テ、直成処ヲ本トシ、實ノ心ヲ道トシテ、兵法ヲ廣ク行ヒ、正シク明カニ、大成ル処ヲ思イ取テ、空ヲ道トシ、道ヲ空ト見ル【脱字】也。真空ハ有実善無虚悪、智ハ有ナリ、利ハ有ナリ、道ハ有ナリ、心ハ空ナリ。 五倫書大尾 正保二年五月十二日     新免武蔵        (宛名なし) 空ノ巻終   明治十三年九月九日謄写 鐵舟居士[印]

 【稼堂文庫本】

   空之巻 一 二刀一流の兵法の道、空の巻として書顕す事。空と云心は、物毎に形無キ所、知ざる事を、空と見立る也。勿論、空とは無き也。有所を知りて、無き所をしる、是則、空【脱字】。世の中に於て、悪しく見れば、物を弁へざる所を空と見る所也、実の空にはあらず、皆迷ふ心也。此兵法の道に於ても、武士として道を行ふに、士の法を知らざる所、空に【脱字】非ずして、色々迷有りて、全方無き所を、空と云成れ共、是、実の空には非ず。武士ハ、兵法の道を慥ニ覚へ、其外、武藝を【脱字】勤め、武士の行道、少も闇らからず、心の迷ふ所なく、朝々時々に怠らず、心意二ツの心を磨き、観見二ツの眼をとぎ、少もくもりなく、迷の雲の晴たる所こそ、実の空と知べき也。実の道を知らざる間は、仏法に寄らず、世法に寄らず、己々は、慥なる道と思ひ、好事と思へども、心の直道よりして、世の大がね【脱字】合せて見る時は、其身/\の心のひづみ、其め/\のひづみによつて、実の道には背く者也。其心を知て、直ぐ成所を本として、実の心を道として、兵法を廣く行ひ、正しく明らかに、大【脱字】成る所をおもひ取て、空を道とし、道を空と見る所也。 空有善無悪、蓋有也、利者有也、道者有也、 心者空也、空無善悪、利有善悪、道者有也、 心者空也 正保二年五月十二日 新免武藏守藤原朝臣              玄信[花押写]              在判[印形写]       (宛名なし) 右、地水火風空之五冊者、玄信【脱字】、若年ヨリ兵法之道ニ心ヲ寄ラレ、数度ノ仕合ニ勝利ヲ得給ヒ、諸藝諸能ノ道マデ鍛練シ、六十有余ニシテ此書ヲ書シ給ヒ、末期ニ及ビ、予ニ授ケラルヽノ書籍也。然ルニ依テ、空ノ卷ハ、粗【脱字***】書アラハサレズ。兵法ノ道ニ至テハ、地水火風ノ四冊ノ卷ヲ、一字々ニ執行シ、道理ヲ得テハ道理ヲ離レ、格ヲ用ヒテハ格ヲ離レ、ヲオノヅカラ兵法ヲ離レ、有ニアラズ無ニ非ズ、直ノ道タルコソ、実相圓満ノ兵法逝去不絶、碑文ノ心ニ通ズベシ。空ト云ニ至テハ、豁達シテ空也。絶学無爲ノ所ナルベシ。右【脱字】アラハスゴトク、末期ニ【脱字】撰置レタルニ依テ、天下ニ此書【脱字】傳ヲ得タル人ナシ。然ルニ、貴殿依執心、【脱字】畫写所、令傳授也。弥、朝鍛夕練シテ、兵法誠ノ道ニ達シ、傳ヘノ道ニ於テハ、極テ究ラザル所ヲ思ヒ、望ノ族於有之者、自ラ直ノ道ニ至ル様ニ、可被相傳者也。  慶安四年十一月五日           寺尾求馬助              信行[花押写]       (宛名なし)

 【大瀧家本】

二刀一流の兵法の道、空の卷として書顕はす事。空と云心ハ、物毎の無き処、知れざる事を、空と見立る也。勿論、空ハなき也。有処を知て、なき処を知る、是則、空なり。世の中におゐて、悪敷見れバ、物を弁まへざる所を空と見る處、実の空に【脱字】あらず。皆迷ふ心なり。此兵法の道におゐても、武士として道を行ふに、士の法を知らざる所、空に【脱字】あらずして、色々まよひ有て、詮方なき処を、空と云なれ共、是、実の空にハあらざる也。武士ハ、兵法の道を慥ニ覚へ、其外、武藝を能勤め、武士の行ふ道、少もくらからず、心のまよふ処なく、朝々時々に怠らず、心意二ツの心をみがき、觀見二ツの眼を磨き、少しも覆なく、まよひの雲の晴たる所こそ、実の空と知るべきなり。実【脱字】道を知らざる間ハ、佛法によらず、【脱字***】、己/\ハ、慥成道とおもひ、能事とおもへども、心の直道よりして、余りの大がねに合せて見る時ハ、其身【脱字】の心の贔屓、其目/\のひづみに依て、直の道にハ背くものなり。其心を知て、直成所を本として、実の心を道として、兵法を廣く行ひ、正しく明かに、大き成處を思ひ取て、実の道として、道を空と見る處也。   空有善無悪   皃有也利有   道在心空也  正保二年五月十二日   新免武藏守玄信                 在判       (宛名なし)    (寺尾孫之丞相伝証文なし)     2 空之巻相伝証文 武蔵以後の道統を記す代々相伝証文。筑前系伝書にのみあり。吉田家本は、八代立花増昆による立花系の伝書、越後の松井家本は、七代丹羽信英による同じく立花系の伝書。これに対し、大塚家本と中山文庫本は、早川系の伝書である。なお、越後の道統については、丹羽信英以後も後続の証文があり、渡辺家本(八代渡部信行相伝書写し)、近藤家丙本(同前写し)、猿子家本(九代五十嵐正一相伝書写し)を掲載した。

 

 【吉田家本】

(立花増昆跋文) 二天流の兵書、地水火風空五巻ハ、新免玄信居士により、寺尾孫之允信正、柴任三左衛門美矩に傳り、美矩より吉田太郎右衛門實連に与へし書五巻、貴家の高祖父式部治年丈所持ありて、代々傳ふといへども、只筐底に埋れぬ。しかるに、貴子執心ありて、同氏弥兵衛種貫が門に入り、執行なかば、種貫卒しぬ。されど其志を失ハず、今以てかの教を護り、猶白水與左衛門重能を招き、しば/\練り煅へり。明年東武の旅行に臨ミ、家に傳ふる書一箱を携来り、ふかき心ざしの旨趣聞へければ、予、人がましといへど、種貫卒し、林成章ハ病臥せり。仍て、この奥儀を傳へんことを約し、筆を執て、実連が同氏巌翁峯均につたへし空の意、同随翁増壽、同宗隠種貫、某々の空意を左に書寫しつらねて、正統の傳を授け、その奥に予が意を跋し侍る也。  寛政四年冬      立花増昆[朱印]                書

 【吉田家本写本】

(包紙) 二天流空之巻     文化十四丁丑年、本紙ハ     立花家江遣置ニ付、仮ニ寫置者也。 (立花増昆跋文) 二天流の兵書、地水火風空五巻ハ、新免玄信居士により、寺尾孫之丞信正、柴任三左衛門美矩に傳り、美矩より吉田太郎右衛門實連に与へし書五巻、貴家の高祖父式部治年丈所持ありて、代々傳ふといへども、只筐底に埋れぬ。しかるに、貴子執心ありて、同氏弥兵衛種貫が門に入、執行なかば、種貫卒しぬ。されど其志を失ハず、今以てかの教を護り、猶白水與左衛門重能を招き、しば/\練り煅へり。明年東武【脱字】旅行に【脱字*********】心ざしの旨趣聞へければ、予、人がましといへど、種貫卒し、林成章ハ病に臥せり。仍て、この奥儀を傳へん事を約し、筆を執て、実連が同氏巌翁峯均につたへし空の意、同随翁増壽、同宗隠種貫、某々の空意を左に書寫しつらねて、正統の傳を授け、その奥に予が意を跋し侍る也。  寛政四年冬       立花増昆                書  

 

 【吉田家本】

(四代吉田実連→五代立花峯均) 武州一流之兵法、依御執心、先師已來被傳置趣、不殘令相傳、至極之兵書五卷、渡進候。空は、無にして有なる事、勿論也。ろくハ、かたよる心なく、汚たる意味之なきを、兵法之空と云べき也。已上 元禄十六年未五月廿八日          吉田太郎右衛門実連                 在判        立花専太夫殿

 【松井家本】

(四代吉田実連→五代立花峯均) 武州一流之兵法、依御執心、先師已来被傳置趣、不殘令相傳、至極之兵書五巻、渡進候。空は、無にして有なる事、勿論也。ろくは、かたよる心なく、汚たる意味之なきを、兵法之空と云べき也。已上 元禄十六年未五月廿八日          吉田太郎右衛門實連                 在判        立花專太夫殿

 【渡辺家本】

(四代吉田実連→五代立花峯均) 武州一流之兵法、依御執心、先師以來被傳置趣、不残令相傳、至極之兵書五卷、渡進候。空は、無にして有なる事、勿論也。ろくは、かたよる心なく、汚たる意味【脱字】なきを、兵法之空と云べき也。已上          吉田太郎右衛門實連                 在判 元禄十六年未五月廿八日        立花專太夫殿

 【吉田家本写本】

(四代吉田実連→五代立花峯均) 武州一流之兵法、依御執心、先師已來被傳置趣、不殘令相傳、至極之兵書五卷、渡進候。空ハ、無にして有なる事、勿論也。ろくハ、かたよる心なく、汚たる意味之なきを、兵法の空と云べき也。已上 元禄十六年未五月廿八日          吉田太郎右衛門実連                 在判        立花専太夫殿

 【赤見家乙本】

(四代吉田実連→五代立花峯均) 武州一流之兵法、依御執心、先師已來被傳置趣、不残令相傳、至極之兵書五卷、渡進候。空は、無にして有なる事、勿論也。ろくハ、かたよる心なく、汚たる意味之なきを、兵法之空といふべき也。以上 元禄十六年未五月廿八日          吉田太郎右衛門實連                 在判        立花專太夫殿

 【近藤家丙本】

(四代吉田実連→五代立花峯均) 武州一流之兵法、依御執心、先師已來被傳置趣、不残令相傳、至極之兵書五卷、渡進候。空は、無にして有なる事、勿論也。ろくは、かたよる心なく、汚たる意味【脱字】なきを、兵法之空と云べき也。已上 元禄十六年未五月廿八日          吉田太郎右衛門實連                 在判        立花專太夫殿

 【中山文庫本】

(四代吉田実連→五代早川実寛) 武州一流兵法、依御執心、傳来之書五巻、不残渡相傳候。空ハ、無にして有なる【脱字**】、ろくにして、片よる心なく、心の汚たる意味のなきを、空と云べき所、勿論也。猶後日期一氣候。以上            吉田利翁 寛(寶)永五年九月七日        早川瀬兵衛殿

 【神田家本】

(四代吉田実連→五代立花峯均) 武州一流之兵法、依御執心、先師以來被傳置趣、不残令相傳、至極之兵書五卷、渡進候。空は、無にして有なる事、勿論【脱字】。ろくは、かたよる心なく、汚たる意味【脱字】なきを、兵法の空と云べき也。以上          吉田太郎右衛門實連  元禄十六年未五月廿八日        立花專太夫殿

 【猿子家本】

(四代吉田実連→五代立花峯均) 武州一流之兵法、依御執心、先師以來被傳置趣、不残令相傳、至極之兵書五卷、渡進候。空は、無にして有なる事、勿論也。ろくは、かたよる心なく、汚たる意味【脱字】なきを、兵法の空と云べき也。以上          吉田太郎右衛門實連 元禄十六年未五月廿八日        立花專太夫殿

 【大塚家本】

(四代吉田実連→五代早川実寛) 武州一流兵法、依御執心、傳来之書五巻、不残渡相傳候。空は、無にして有なる事、勿論也。ろくにして、片よる心なく、心汚たる意味のなきを、空と云べき所、勿論也。猶後日期一氣候。以上            吉田利翁  寶永五年九月七日        早川瀬兵衛殿    

 

 【吉田家本】

(五代立花峯均→六代立花増寿) 先師以來相傳之兵書、地水火風空都而五巻、予不肖之身たりといへども、此兵法を吉田實連に受て、すでに五代たり。幸に猶子重貞其器たるに依て、一流一通令傳授、實連より予相傳ふ所之自判之兵書五巻、直に相譲候。聊親疎之二邊に堕せず。就中、空之巻におゐて、先師達其意を顕し置るゝといへ共、深理妙慮ハ、言葉にわたらず、筆に及ばず、意より意に傳ふ。直通すなハち空、々即直通也。われこゝに至て毫を抛。 享保七年寅正月十七日   立花専太夫峯均              法名               廓巌翁                在判      立花平七殿

 【松井家本】

(五代立花峯均→六代立花増寿) 先師以来相傳之兵書、地水火風空都而五巻、予不肖之身たりといへども、此兵法を吉田實連に受て、すでに五代たり。幸に猶子重貞其器たるに依て、一流一通令傳授、實連より予相傳ふ所之自判之兵書五巻、直に相譲候。聊親疎之二邊に堕せず、就中、於空之巻、先師達其意を顕し置るゝといへ共、深理妙慮ハ、言葉にわたらず、筆に及バず、意より意に傳ふ、直通すなハち空、空即直通也。われこゝに至て毫を抛。 享保七年寅正月十七日   立花専太夫峯均              法名               廓巌翁                在判      立花平七殿

 【渡辺家本】

(五代立花峯均→六代立花増寿) 先師以来相傳之兵書、地水火風空都而五巻、予不肖之身たりといへども、此兵法を吉田實連に受て、すでに五代たり。幸に猶子重貞其器たるに依て、一流一通令傳授、實連より予相傳ふ所之自判之兵書五巻、直に相譲候。聊親疎之二邊に堕せず、就中、於空之巻、先師達其意を顕し置るゝといへ共、深理妙慮ハ、言葉にわたらず、筆に及バず、意より意に傳ふ、直通すなハち空、空即直通也。われこゝに至て毫を抛。           立花専太夫峯均             法名     在判 享保七年寅正月十七日      廓巌翁      立花彌兵衛殿

 【吉田家本写本】

(五代立花峯均→六代立花増寿) 先師以來相傳之兵書、地水火風空都而五巻、予不肖之身たりといへども、此兵法を吉田實連に受て、すでに五代たり。幸に、猶子重貞其器たるに依て、一流一通令傳授、實連より予相傳ふ所之自判之兵書五巻、直に相譲候。聊親疎之二邊に堕せず。就中、空之巻において、先師達其意を顕し置るゝといへども、深理妙慮ハ言葉にわたらず、筆に及ばず、意より意に傳ふ。直通すなはち空、々即直通也。われこゝに至て毫を抛。 享保七年寅正月十七日   立花専太夫峯均              法名               廓巌翁                在判      立花平七殿

 【赤見家乙本】

(五代立花峯均→六代立花増寿) 先師以來相傳之兵書、地水火風空都而五巻、予不肖之身たりといへども、此の兵法を吉田實連に受て、すでに五代たり。幸に猶子重貞其器たるに依て、一流一通令傳授、實連より予相傳ふ所之自判之兵書五巻、直に相ゆづり候。聊親疎之二邊に堕せず、就中、於空之巻、先師達其意を顕し置るるといへども、深理妙慮ハ、言葉にわたらず、筆に及バず、意より意に傳ふ。直通すなハち空、空即直通也。われこゝに至て毫を抛。 享保七年寅正月十七日  立花専太夫峯均            法名 廓巌翁                在判      立花平七殿

 【近藤家丙本】

(五代立花峯均→六代立花増寿) 先師以来相傳之兵書、地水火風空すべて五巻、予不肖之身たりといへども、此兵法を吉田實連に受て、すでに五代たり。幸に猶子重貞其器たるによつて、一流一通令傳授、實連より予相傳ふところの自判之兵書五巻、直ニ相譲候。聊親疎之二邊ニ堕せず、就中、於空之巻、先師達其心を顕し置るゝといひ共、深理妙慮は、言葉にわたらず、筆に及バず、意より意に傳ふ、直通則空、空即直通也。われこゝに至て毫を抛。 享保七年寅正月十七日 立花専太夫峯均            法名 廓巌翁 在判      立花彌兵衛殿

 【中山文庫本】

(五代早川実寛→六代月成実久)     (証文記載なし)          病氣ニ付印形なし              吉田卓翁 享保十七年子十一月十九日      月成八郎左衛門殿

 【神田家本】

(五代立花峯均→六代立花増寿) 先師以来相傳之兵書、地水火風空都而五巻、予不肖之身たりといへども、此兵法を吉田實連に受て、すでに五代たり。幸に猶子重貞其器たるに依て、一流一通令傳授、實連より予相傳ふ所之自判之兵書五巻、直に相譲候。聊親疎之二邊に堕せず、就中、於空之巻、先師達其意を顕し置るゝといへども、深理妙慮ハ、言葉にわたらず、筆に及バず、意より意に傳ふ、直通すなハち空、空即直通也。われこゝに至て毫【脱字】拭。           立花専太夫峯均             法名 廓巌翁  享保七年寅正月十七日      立花彌兵衛殿

 【猿子家本】

(五代立花峯均→六代立花増寿) 先師以來相傳之兵書、地水火風空都而五巻、予不肖之身たりといへども、此兵法を吉田實連に受て、すでに五代たり。幸に、猶子重貞其器たるに依て、一流一通令傳授、實連より予相傳ふ所之自判之兵書五巻、直に相譲候。聊親疎之二邊に堕せず。就中、於空之巻、先師達其意を顕し置るゝといへども、深理妙慮ハ、言葉にわたらず、筆に及バず、意より意に傳ふ。直通すなハち空、空即直通也。我こゝに至て毫を我。           立花専太夫峯均             法名 廓巌翁 享保七年寅正月十七日      立花弥兵衛殿

 【大塚家本】

(五代早川実寛→六代月成実久)     (証文記載なし)          病氣ニ付印形なし              吉田卓翁 享保十七年子十一月十九日      月成八郎左衛門殿    

 

 【吉田家本】

(六代立花増寿→七代立花種貫) 武州傳來之兵書都而五巻、從峯均公、我是を傳受て、已ニ六代およぶ。貴殿此道に志有により、我受る所之兵書地水火風空、三ヶ之大事迄、不殘令傳授畢。就中、空之巻に於てハ、先師達も心をバ砕き、書顕し、言解んと思ハるゝといへども、誠に妙慮にして、筆舌に不及事を知べし。表五ツを楹とし、兵法の身を常の身になし、朝鍛夕練して、心體円満と成て、千変万化踏破して見よ。空おのづから備る所、直通也。努々道にまよひなく、兵法不絶の念を忘るべからず。其機にあたる者あらば、傳之置て、永久に此道を殘し、武州再来を待べきもの也。 宝暦十三年未十二月廿日  立花弥兵衛増壽              法名 随翁                 在判         立花彌兵衛殿

 【松井家本】

(六代立花増寿→七代丹羽信英) 武州傳来之兵書都而五巻、伯父峯均より我是を傳受て、已六代たり。貴殿多年此道に志有により、我受所之兵書地水火風空、三ヶ之大事迄、不殘令傳授畢。就中、空之巻に於てハ、先師達も心をくだき、書顕し言解んと思ハるゝといへども、誠に妙慮にして、筆舌に及バざる事を知べし。表五つを楹とし、兵法の身を常の身になして、朝鍛夕練して心體圓満と成て、千変万化蹈破して見よ。空をのづから備る所、直通也。ゆめ/\道に迷ふ事なく、兵法不絶の念を忘るべからず。後年其機に當る者あらバ、傳之置て、永久に傳を殘し、武州再来を可待者也。 明和四年亥九月十九日 立花弥兵衛増壽            法名 隨翁 在判         丹羽五兵衛殿

 【渡辺家本】

(六代立花増寿→七代丹羽信英) 武州傳来之兵書都而五巻、伯父峯均より我是を傳受て、已六代たり。貴殿多年此道に志有により、我受所之兵書地水火風空、三ヶ之大事迄、不殘令傳授畢。就中、空之巻に於てハ、先師達も心をくだき、書顕し言解んと思ハるゝといへども、誠に妙慮にして、筆舌に及バざる事を知べし。表五つを楹とし、兵法の身を常の身になし【脱字】朝鍛夕練して心體圓満と成て、千変万化蹈破して見よ。空おのづから備る所、直通也。ゆめ/\道に迷ふ事なく、兵法不絶の念を忘るべからず。後年其機に當る者あらバ、傳之置て、永久に傳を殘し、武州再来を可待者也。           立花弥兵衛増壽             法名    在判 明和四年亥九月十九日        隨翁         丹羽五兵衛殿

 【吉田家本写本】

(六代立花増寿→七代立花種貫) 武州傳來之兵書都而五巻、從峯均公、我是を傳受て、已ニ六代およぶ。貴殿此道に志有により、我受る所之兵書地水火風空、三ヶ之大事迄、不殘令傳授畢。就中、空之巻に於てハ、先師達も心をバ砕き、書顕し、言解んと思ハるゝといへども、誠に妙慮にして、筆舌に不及事を知べし。表五ツを楹とし、兵法の身を常の身になし、朝鍛夕練して、心體円満と成て、千變万化踏破して見よ。空おのづから備る所、直通也。努々道にまよひなく、兵法不絶の念を忘るべからず。其機にあたる者あらバ、傳之置て、永久に此道を殘し、武州再来を待べきもの也。 宝暦十三年未十二月廿日  立花弥兵衛増壽              法名 随翁                 在判         立花彌兵衛殿

 【赤見家乙本】

(六代立花増寿→七代丹羽信英) 武州傳来之兵書都而五巻、伯父峯均より我是を傳受して、已六代たり。貴殿多年此の道に志有により、我受所之兵書地水火風空、三ヶ之大事迄、不残令傳授畢。就中、空の巻におゐてハ、先師達も【蝕損**】、書顕し言解んと思ハるゝといへども、誠に妙慮にして、筆舌に及バざる事を知べし。表テ五ツを楹とし、兵法の身を常の身になして、朝鍛夕練して心體圓満と成て、千變万化蹈破して見よ。空おのづから備る所、直通也。ゆめ/\道に違ふ事なく、兵法不絶の念を忘るべからず。後年其機に當るものあらバ、傳之置て、永久に傳を残し、武州再来を可待者也。 明和四年亥九月十九日  立花彌兵衛増壽            法名 隨翁(増壽)                 在判         丹羽五兵衛殿

 【近藤家丙本】

(六代立花増寿→七代丹羽信英) 武州傳来之兵書都而五巻、伯父峯均より我是を傳受て、已六代たり。貴殿多年此道に志有により、我受る所之兵書地水火風空、三ヶ之大事まで、不残令傳授畢。就中、空の巻に於ては、先師達も心をくだき、書顕し言解んと思ハるゝといへども、誠に妙慮にして、筆舌に及バざる事をしるべし。表五ツを楹とし、兵法の身を常の身になして、朝鍛夕練して心體圓満と成て、千変万化蹈破して見よ。空おのづから備るところ、直通也。ゆめ/\道に違ふ事なく、兵法不絶の念を忘るべからず。後年其機に當るものあらば、傳之置て、永久に傳を残し、武刕再来をまつべきもの也。 明和四年亥九月十九日   立花彌兵衛増壽             法名 隨翁 在判         丹羽五兵衛殿

 【中山文庫本】

(六代月成実久→七代大塚重寧) 貴殿事、数年守行たるにより、卓翁先生より相傳之書地水火風空、令相傳候。空ハ空にて、中立之位、敵をつらぬき、うらにぬくる而已。            月成八郎左衛門 于時              在判  寛保三年癸亥十一月十九日        杉原助太夫殿        後改大塚作太夫        号秋猴斎

 【神田家本】

(六代立花増寿→七代丹羽信英) 武州傳来之兵書都而五巻、伯父峯均より我是を傳受て、已六代たり。貴殿多年此道に志有により、我受所之兵書地水火風空、三ヶ之大事迄、不残令傳受畢。就中、空之巻に於てハ、先師達も心をくだき、書顕し言解んと思ハるゝといへども、誠に妙慮にして、筆舌に及バざる事を知るべし。表五ツを楹とし、兵法之身を常の身になして、朝鍛夕練して心體圓満と成て、千変万化蹈破して見よ。空おのづから備る所、直通也。ゆめ/\道に違ふ事なく、兵法不絶の念を忘るべからず。後年其機に當るものあらバ、傳之置て、永久に傳を残し、武州再来を可待者也。           立花弥兵衛増壽             法名 隨翁  明和四年亥九月十九日         丹羽五兵衛殿

 【猿子家本】

(六代立花増寿→七代丹羽信英) 武州傳来之兵書都而五巻、伯父峯均より我是を傳受て、已六代たり。貴殿多年此道に志有により、我受所之兵書地水火風空、三ヶの大事迄、不残令傳授畢。就中、空之巻に於てハ、先師達も心をくだき、書顕し言解んと思ハるゝといへども、誠に妙慮にして、筆舌に及バざる事を知べし。表五つを楹とし、兵法之身を常の身になして、朝鍛夕練して心體圓満と成て、千変万化蹈破して見よ。空おのづから備る所、直通也。ゆめ/\道に迷ふ事なく、兵法不絶の念を忘るべからず。後年其機に當る者あらバ、傳て置て、永久に傳を残し、武州再来を可待者也。           立花弥兵衛増壽             法名 隨翁 明和四年亥九月十九日         丹羽五兵衛殿

 【大塚家本】

(六代月成実久→七代大塚重寧) 貴殿事、数年守行たるにより、卓翁先生より相傳之書、地水火風空、令相傳候。空は空にて、中立之位、敵をつらぬき、うらにぬくる而已。            月成八郎左衛門 于時             [朱印]  寛保三年癸亥 十一月十九日   [花押]  寶暦二年十一月廾八日本姓大塚ニ改、作太夫ト号        杉原助太夫殿    

 

 【吉田家本】

(七代立花種貫→八代立花増昆) 此於一流は、其初、天道と観音を鏡として、先師玄信、五巻之兵書被書顕置、其器に當る人に傳り来る。今我、その流を汲て家に有り、常に兵意を練る事、専也。就中、空之卷にをいてハ、兵法至極の意味、先師達書あらわし置るゝといへども、不肖の某、何をか書、何をか説ん。空則空にして、利業を離れ、到る所の極意、此空に皈す。依而五巻の奥儀に秘して、悉令傳授畢。能々鍛練工夫あるべきもの也。   安永八年亥       六月九日    立花弥兵衛                種貫判         立花徳太夫殿

 【松井家本】

(七代丹羽信英→   ) 天下無雙の兵法、予不肖たりといへども、立花増寿より是を傳へて、已に七代の跡を継。幸無病にして兵法に心を尽す事、今に至て五十年、星霜を積て思ひ見れば、先師、空をいひ直通をいひて、敎を立られし事、誠に神通の妙といふべし。戰勝負の事に於て、打バ則くだけ、攻れバ則敗る。我に形つくりする事なく、只一にして、心體巖のごとくに成て、敵を思ふまゝに押廻し自由に勝所、是則空、空則直通也。貴殿深此道に志、数年執行有之によつて、予が受得たる處、五巻の兵書、三ヶの大事共に、全く相傳せしめ畢ぬ。猶積年に鍛錬工夫をなし、先師の意を継て、門弟其機にあたる者を撰ミ、是を傳へ、後代に不絶事を勤め行ふべき物也。           丹羽五兵衛 寛政三年辛亥四月廿五日   信英[花押朱印]      (宛名なし)

 【渡辺家本】

(七代丹羽信英→八代渡部信行) 天下無雙の兵法、予不肖たりといへども、立花増壽より是を傳へて、已に七代の跡を継。幸無病にして兵法に心を尽す事、今に至て五十年、星霜を積て思ひ見れバ、先師、空といひ直通をいひて、教を立られし事、誠に神通の妙といふべし。戰勝負の事に於て、打バ則くだけ、攻れバ則敗る。我に形つくりする事なく、只一にして、心體巖のごとくに成て、敵を思ふまゝに押廻し自由に勝所、是則空、空則直通也。貴殿深此道に志、数年執行有之によつて、予が受得たる處、五巻の兵書、三ヶの大事共に、全く相傳せしめ畢ぬ。猶積年に鍛錬工夫をなし、先師の意を継て、門弟其機にあたる者を撰ミ、是を傳へ、後代に不絶事を勤め行ふべき物也。            丹羽五兵衛信英                 在判 寛政三年辛亥四月十九日         渡部六右衛門殿 ----------------------------------- (参考資料・口授状)    口授状之事 一 兵法天下無双皆傳之儀、高橋浅右衛門爲随一、渡部六右衛門毛頭相違無之處、寛政三年亥五月朔日、口授以免状相違無之候。仍口授状如件          丹羽五兵衛             信英[花押朱印]

 【吉田家本写本】

(七代立花種貫→八代立花増昆) 此於一流は、其初、天道と観世音を鏡として、先師玄信、五巻之兵書被書顕置、其器に當る人に傳り来る。今我、その流を汲て家に有り、常に兵意を練る事、専也。就中、空【脱字】卷にをいてハ、兵法至極の意味、先師達書あらわし置るゝといへども、不肖の某、何をか書、何をか説ん。空則空にして、利業を離れ、到る所の極意、此空に皈す。依て五巻の奥儀に秘して、悉令傳授畢。能々鍛練工夫あるべきもの也。   安永八年亥       六月九日    立花弥兵衛                種貫判         立花徳太夫殿

 【赤見家乙本】

(七代丹羽信英→八代赤見有久) 先師傳來至極之兵書、地水火風空、都而五巻、不残令傳受畢。 予不肖たりといへども、天下無双の兵法を立花増寿より是を傳へて、已に七代の跡を継、幸無病にして、兵法に心を尽す事、今に至て五十年星霜を積て思ひ見れば、 先師、空といひ直通といひて、教を立られし事、誠に神通の妙といふべし。戦勝負の事に於て、打バ則くだけ、攻れば則敗る。我に形つくりする事なく、只一にして、心體巖のごとくになりて、敵を思ふまゝに押廻し、自由に勝所、是則空、空則直通也。貴殿、猶積年鍛錬工夫有つて、先師の意を継、門弟其機にあたる者を撰ミ、是を傳へ、後代に不絶事を勤め行なハるべきを所希也。以上            丹羽五兵衛 寛政三年三月廿四日       信英[花押写]         赤見俊平殿

 【近藤家丙本】

(七代丹羽信英→八代渡部信行) 天下無雙の兵法、予不肖たりといへども、立花増壽より是を傳へて、已に七代の跡を継。幸無病にして兵法に心を尽す事、今に至て五十年、星霜を積て思ひ見れば、先師、空と云直通といひて、教を立られし事、誠に神通の妙といふべし。戰勝負の事に於て、打バ則くだけ、攻れば則敗る。我に形つくりする事なく、只一にして、心體巖のごとくに成て、敵を思ふまゝに押し廻し自由に勝所、是即空、空則直通也。貴殿深此道に志、数年執行有之によつて、予が受得たるところ、五巻の兵書、三ヶ之大事ともに、全く相傳せしめ畢ぬ。猶積年に鍛錬工夫をなし、先師の意を継て、門弟其機にあたる者を撰ミ、是を傳へ、後代に不絶ことを勤め行ふべき物也。            丹羽五兵衛 寛政三年辛亥四月十九日     信英[花押写]                在判         渡部六右衛門殿

 【中山文庫本】

(七代大塚重寧→八代大塚藤郷) 道楽居士の兵法、実の道を学ぶ事、六十七年、巖の身を受得て、行ふこと久し。全くいつく事にあらず。心をまん中におゐて、かたよらん[本マヽ]、廣く静にして、心鏡、明かなり。体ハ天地の氣と共に、自由なり。【脱字】目の先ハ、大かた後の先なり。観の目強ければ、敵の工む所、速に心鏡に移る。たくむ所のたの字の頭をおさへて、働かせず。是誠の先也。空也。利によつて利を離れ、求る心、待心なく、変に出合、空の位、拍子、実の道、一歩も迷ふ事なかれ。能々工夫有べし。束放居士傳へ給ふ五巻の書に、我一句を添て、是をつたふる者也。        七十九翁秋猴斎 道活          大塚作太夫 重寧  安永六丁酉十一月廿一日        大塚初平殿

 【神田家本】

(七代丹羽信英→八代渡部信行) 天下無雙の兵法、予不肖たりといふども、立花増壽より是を傳へて、已【脱字】七代の跡を継。【脱字】無病にして兵法に心を尽す事、今に至て五十年、星霜を積て思ひ見れバ、先師、空と云直通といひて、教を立られし事、誠に神通の妙といふべし。戦勝負の事に於て、打バ則くだけ、攻れバ則敗る。我に形つくりする事なく、只一にして、心體巖のごとくに成て、敵を思ふまゝに押廻し自由に勝所、是則空、空則直通也。貴殿深此道に志、数年執行有之によつて、予が受得たる所、五巻の兵書、三ヶの大事共に、全く相傳せしめ畢ぬ。猶積年に鍛錬工夫【脱字】なし、先師の意を継て、門弟其機にあたる者を撰ミ、是を傳へ、後代に不絶事を勤め行ふべき物也。            丹羽五兵衛信英  寛政三年辛亥四月十九日         渡部六右衛門殿

 【猿子家本】

(七代丹羽信英→八代渡部信行) 天下無雙の兵法、予不肖たりといへども、立花増壽より是を傳へて、已【脱字】七代の跡を継。幸無病にして兵法に心を尽す事、今に至て五十年、星霜を積て思ひ見れバ、先師、空といひ直通といひて、教を立られし事、誠に神通の妙といふべし。戦勝負の事に於て、打バ則くだけ、攻れバ則敗る。我に形つくりする事なく、只一にして、心體巖のごとくに成て、敵を思ふまゝに押廻し自由に勝所、是則空、空則直通也。貴殿深此道に志、数年執行有之によつて、予が受得たる所、五巻の兵書、三ヶの大事共に、全く相傳せしめ畢ぬ。猶積年に鍛錬工夫をなし、先師の意を継て、門弟其機にあたる者を撰ミ、是を傳へ、後代に不絶事を勤め行ふべき物也。            丹羽五兵衛信英 寛政三年辛亥四月十九日         渡部六右衛門殿

 【大塚家本】

(七代大塚重寧→八代大塚藤郷) 道楽居士の兵法、実の道を学ぶ事、六十七年、巖の身を受得て、行ふこと久し。全くいつく事にあらず。心をまん中におゐて、かたよらず、廣く静にして、心鏡、明かなり。体は天地の氣と共に、自由なり。見の目の先ハ、大かた後の先なり。観の目強ければ、敵の工む所、速に心鏡に移る。たくむ所のたの字の頭をおさへて、働かせず。是誠の先也。空なり。利によつて利を離れ、求る心、待心なく、變に出合、空の位、拍子、實の道、一歩も迷ふ事なかれ。能々工夫有べし。 束放居士傳へ給ふ五巻の書に、我一句を添て、是をつたふる者也。         七十九翁秋猴斎道活 安永六丁酉十一月廿一日 大塚作太夫重寧              [朱印花押]        大塚初平殿

 

 【吉田家本】

(八代立花増昆→九代吉田経年) 抑當流の兵法、空の理は、玄信居士より七代の傳来、文面品かわるといへど、極意にをゐてハ、代々の空々、則武刕の空なり。予も又其空に皈す。聊も鑽細にわたらず、大なる道を究め、心の鏡あきらかに、身巖のごとく、必勝の利を備へば、などか故人の空に到らざらんや。            初名徳太夫  寛政四年子十二月廿日  立花平左衛門              [朱印二顆]              増昆[花押]        吉田六郎太夫殿

 【赤見家乙本】

(八代赤見有久→九代木村時親) 先師傳來之兵書都而五巻、三ヶ之大事に至る迄、當流依御熟得、不残令傳受畢。 筑州之士、丹羽信英、越後国蒲原郡紫雲寺新田大中嶋片桐邑に隠す。予随身して、此兵法を学ぶ事、いまだ一季にみてず。しかるに、信英不幸にして大病を請る。病ひ不治を知り、傳の永くすたらん事をうれいて、予に傳ふ。予此の傳を受るといへども、いまだ信英の心をも不得、まして先達の人におゐてをや。しかれども、此の統道につらなつて、得ル所をしるしをかざれ、また傳の絶るにひとしけれバ、先達をも不憚、聊か予が得る所を記すのみ。 敵を取て、其機に發す勢ひ、雷霆のごとくなす事、私意にあらずして、皆圖にあたる。則直通也。直通則空也。心に得る所、不能言。兵法、常にあり。常、また兵法に有り。愼て怠るなかれ。以上             赤見俊平有久  寛政十午歳四月十九日      在判          木村亦六殿

 【渡辺家本】

(八代渡部信行→  ) 二天二刀一流兵法の道に、貴殿深志多年依御執行、丹羽信英より予受得たる至極之兵書五巻、三ヶの大事共に、令傳授畢。空は偏天地四方を蹈破して見よ。無所の不知事なし。以此意敵を貫く時ハ、千度不戦して千度勝事、慥にあり。是則空、空直通也。世の中にあらゆる事の千変万化、皆如斯。毛頭不可疑者也。            渡部六右衛門             法名 賢翁 文政元年戊寅十月十九日   信行[朱印花押]       (宛名なし)*           *宛先は伊藤藤太郎か

 【吉田家本写本】

(八代立花増昆→九代吉田経年) 抑當流の兵法、空の理は、玄信居士より七代の傳来、文面品かわるといへど、極意におゐてハ、代々の空々、則武刕の空なり。予も又其空に皈す。聊も鑽細にわたらず、大なる道を究め、心の鏡あきらかに、身巖のごとく、必勝の利を備へば、などか故人の空に到らざらんや。            初名徳太夫  寛政四年子十二月廿日  立花平左衛門               増昆 判        吉田六郎太夫殿

 【神田家本】

(八代渡部信行→九代五十嵐正一) 二天二刀一流兵法之道に、貴殿深志多年依御執行、丹羽信英より予受得たる至極之兵書五巻、三ヶの大事共に、令傳授畢。空は偏天地四方を踏破して見よ。無所の不知事なし。以此意敵を貫く時は、千度不戦して千度勝事、慥にあり。是則空、空直通也。世の中にあらゆる事の千変万化、皆如斯。毛頭不可疑者也。           渡部六右衛門信行  文政十三庚寅十月十九日         五十嵐平左衛門殿

 【近藤家丙本】

(八代渡部信行→九代大沼美正) 二天二刀一流兵法之道に、貴殿深志多年依御執行、丹羽信英より予受得たる自筆之兵書五巻、直に相譲、勿論三ヶ之大事共に、令傳授畢。空は偏天地四方を蹈破して見よ。無所の不知事なし。以此意敵を貫く時は、千度不戦して千度勝事、慥にあり。是則空、空直通也。世の中にあらゆる事の千変万化、皆如斯。毛頭不可疑もの也。           渡部六右衛門 文政三庚辰三月廿六日      信行[花押写]                在判         大沼紋司殿 ------------------------------------ (参考資料・口授状)    口授状之事 兵法天下無双皆傳之儀、大沼紋司相違無之處、文政三年辰五月十九日、以口授免状相違無之候。仍而口授状如件           渡部六右衛門              信行[花押写]

 【中山文庫本】

(八代月成実誠→九代大塚重庸) 一 我兵法、空と見立ハ、就中、空ハ無也。術を尽し至極して、おのづから道に叶、無敵の道理を辨へ、習となく、教となく、心鑑明らかになり、敵に移り、我に通、音ヲ知り、未前ヲ知る。是空なり。無我して、只一物も無キヲ空と見立ハ、於兵法実の空にはあらず。            月成彦之進  天明四甲辰五月十九日         大塚初平殿 (八代大塚藤郷→九代大塚重庸) 夫、惟に先師の没たる百幾十年の星霜を經れども、其道傳て、綿々として香しきは、師の天靈の尠と謂つべし。逝去不絶、殆宜なるにや。余、八世の緒を續汚すの時當て、竟に師の心意を不得、今蒙傳んとして、心のゆく事、餘りありて、道たらず、年十三の初志より五十二歳の、朝な夕な寝も寤もゆだね、憶ひ思ふ事、茲に三十九歳、珉の質琢とも何ぞ光さゝんや。只罪を先師に得る。寔に恐敬にたえず。兵法、體する時は、天地陰陽大極、備らざるなし。蒼天日天、天ハ殺活の主、二氣、蒼々旻々として、照明たる二天、仰て察し。伏て觀。是につり習ふ、豁眼発揮の故也。嗚呼、誠に二天流の起本とするゝの理業、精粋通徹するときハ、天の鑑に不異、心に得、業に應用するに無為也。為ことなふいて為者ハ本無の常二五之妙文に偏せず。武に固停なく克ことを不勉、業に負をおもはんの私意の蔽るなし。道を知るときハ、天地と與に凝滞せず。故に、体胖に心快濶として静也。則、大虚の天道の如く、一物一點の汚なふして、自天然のまゝにし為之勿意也。唯功積、氣質変化し、誠実正直□然の常を化養し、私意の覆るをはらひ、自空に應用する所、則、良知、良知之謂也。有に位して業を制する、此なん、空と謂べし。敵の多勢を知り、敵の強弱を辨へ、理業、心にうかみ、これをなさんに、私なき所、自然の妙用とす。□□われず、おかされず、けがさず、習にあらず、教にあらず、融然として中立の位、卓然として巌のごとく、進んで挫ぐ事、先の理、劔を蹈、束を放つて、無敵直通の位、是所謂、空の理、道を得てハ、道を離れ、天地陰陽否滞することなきハ、理の自然なる所、勿惑勿黷、去邪悪ことをつとむ。天下の來物ハ皆外物ならざるハなし。其外物の為に、己が神心を動し、蔽るゝことなきを以、是を空の実理と、又蒙然たる闇夜にさし臨て、文理の辨ふべからざるを、空といはんハ、世俗の空也。とる事なかれ。          大塚初平藤実  天明四甲辰五月十九日         大塚可生殿

 【大塚家本】

(八代大塚藤郷→九代大塚昭郷) 夫兵法に形なし。理畫かたちあらんや。大極は無極なり。精誠至直形客して、其を柱礎根柢として、中心に聚めて表的なり。朝に精錬し、夕べに鍛熟せんことを、朝思夕練怠惰なく、直を以て己を行ふときは、一旦氷然として解悟して、胸中自ら無一物、一物一毫も壅塞の類ひなく、虚□公明の天道と何ぞ異ならんや。應用無究して動静寛急遅速、百慮千策することなし。知ハ、大知せんことを欲して、小知すべからず。小知すれバ機功有て、偽り欺く。必令聞名誉のことに失す。大知は意氣を綱領、斯の道、斯の業を極盡し、事に應する事、括嚢の口をとくが如く、分断掌のうちに運すべし。来るを斃し、往けバ伏せざることなし。発生粛殺、厳乎として、威顕ハる。天道日時、寔ニ□の来往するハ空なり。人ハ一箇のには地故に、衆理一貫し、業は心意に発揮し、業ハ理の粋、業ハ理によつて立ち、心を中立し、知ハ力に発して治□に挫ぐ也。夫巖のごとく直通の位、劔を蹈ミ、束を放て、鼠變牛顕し、山の高く聳へ崎たち、蒼海の四表を環るが如く、塲の利を知て、先をゆるがせにせざるハ、用兵の常、是彼に戻り、彼に背き不同バ、無敵なり。世俗の蒙たる幽冥をさして、空と傳ふ。□空とし取らず。我 武州公の奥旨標的を得てハ習に係かれず、教に不拘、自ら衝き自ら打こと、鐘と撞との如し。大に大響し、小ハ小響す。心ハ一身の主、四支を主宰す。常の心を以て心とすれバ、油然として變傍に興るにほつせんとして、敵後へ有りとも、應用動なし。□意至正惟一なれバ、自ら心寛闊なり。如斯の条々、我家の傳信の空也。尚空の事ハ、宏大にして筆力文辞の及び尽すべきに非ず。然れども、不言も傳ることなし。不堪思ひ取て、工夫有べきなり。仰天實相圓満兵法逝去不絶、志向ふとをバ、空一顧せざれば背く。愼めや、汝諸業の孫子、人事盡すときハ、天命至ると、道の正統ハ、人を待て傳べし。一敵百敵ともに、これ无敵なり。軽んずべからず。我を□殺する也。         一滴齋水心          大塚初平 平藤郷  寛政十二庚申年       [朱印花押]       五月十九日         大塚伊右衛門殿 (八代月成実誠→九代大塚昭郷) 空無名付観通知音、 苛ニ應、常ヲ空ジ道ヲ空ズ            月成以中              實 [花押]  (日付なし)         大塚伊右衛門殿

 【猿子家本】

(八代渡部信行→九代五十嵐正一) 二天二刀一流兵法の道に、貴殿深志多年依御執行、丹羽信英より予受得たる至極之兵書五巻、三ヶの大事共に、令伝授畢。空は偏に天地四方を蹈破して見よ。無所の不知事なし。以此意敵を貫く時ハ、千度不戦して千度勝事、慥にあり。是則空、空直通也。世の中にあらゆる事の千変万化、皆如斯。毛頭不可疑者也。           渡部六右衛門信行 文政十三庚寅十月十九日         五十嵐平左衛門殿

 【中山文庫本】

(九代大塚重庸→十代大塚助左衛門) 兵法の極意に、空の道理をわきまへ知る、夫、空ハ大極混沌未だわからざる時、其中に靈と云もの有り。此靈ハおともなく、香もなくして、しかも萬物をそなへたり。躰ハ天地の氣とゝもに自由也。理なけれバ事をふくまず。氣なけれバ、事をなさず。劔術に、大山の貫心鏡に移り、たくむ所のたの字の頭をおさへて、動かさず、是誠の先也。心位自然とそなはり、其早き事、其おそき事、劔術の法業、是空なり。道理、能々考知るべし。           七十翁書之            大塚可生重庸  文化十五年五月十九日         大塚助左衛門殿 本書合二冊[自月影至火/自地至空]、安政三 四月、自十九日至廿一日朝、写之畢。元長(長嶋加々右衛門)。十九日自月影至火、廿日自地至空之安永六許書

 【赤見家乙本】

(九代木村時親→十代赤見俊平) 貴殿積年執心淺からざるによつて、至極之兵書、不殘令傳授畢。予、其器に當らずして道統につらなり、工夫をこらす事、十有三年、もとより不才にして、数師之意に通ぜず。何をか空とし、何をか直通と云。無取保、聊拙見を残すべきにあらず。    心體圓満蹈破ときハ、なす事    おのづから私意にあらずして、    また静なり。予こゝに筆を投ず。 逝去不絶之兵法なれバ、勤行て、空意を得たまふべき也。            木村亦六              時親[花押]  文化七庚午歳    七月廿九日        赤見俊平殿* (註)この赤見俊平は、八代赤見俊平有久の   嫡男、初名岩治郎  

 【大塚家本】

(九代大塚昭郷→十代大塚武郷) 大祖武州公より我九代の跡を續といへども、不敏にして、大祖の意を不傳して、老年の今に至る間、傳来の地水火風空の五巻の書、令相傳者也。 先、空ハ無也。有所を知りて無に至る。兵法修行朝鍛夕錬する時ハ、心身静にして、如巖。中立の位に至る時ハ、自ら敵の拳さし、我心鏡にうつる、うの字の頭を押へて、ひしぐ。挫んとにハあらず。自ら出合所、空成べし。能々工夫すべし。         七十六翁五思齋常身           大塚伊右衛門            昭郷[朱印花押]  天保十四年卯      十一月三日         大塚重兵衛殿 (十代大塚武郷→十一代大塚初平) 玄信公之一流、十世の統業を續といへども、不敏にして、一流を汚之罪、先ニ落入事なげくのミ。然共、傳来の地水火風空五巻、一流不残相傳候。尚此道、朝思夕練し、常を兵法とし兵法常となり、聊も心に不絶不奪不侵不汚、動かさる事巖のごとく、ろくにして、清明たる一氣直通し、臨機應用、勝を得事、空也。突也。勤行時ハ自成すに非ずして成。たくむ心なく、自らの道に任せ、強敵に□明直實なる所、中立の位有を尽して、業に至る。得利離利、無為無敵の位に至所、能々鍛錬有べき者也。           大塚伊右衛門            武郷[朱印花押]  明治二已巳年五月十九日         大塚初平殿

 【神田家本】

(九代五十嵐正一 →  ) 二天二刀一流之兵法、予不肖の身たりといへども、渡部信行より是を傳得て、九代たり。幸貴殿此道に志し、其機たるに依て、我傳得所之兵書、地水火風空五巻、三ヶ之大事ともに、不殘相譲り進候。然に、空ハ有処と知て、唯一に心體圓満して、空を打破して見よ。自から心に曇りなく、明らかなる所社〔こそ〕、是則空、空則直通也。猶工夫鍛錬無怠懈、兵法大切に可次續者也。         兵法九代          五十嵐平左衛門正一  弘化四年未六月二十九日        (宛名なし)

 【猿子家本】

(九代五十嵐正一 →十代田中六郎) 二天二刀一流之兵法、予不肖の身たりといへども、渡部信行より是を傳得て、九代たり。幸貴殿此道に志シ、其機たるに依て、我傳得処之兵書、地水火風空五巻、三ヶ之大事共に、不残相譲り進候。然に、空ハ有処と知て、唯一に心體圓満して、空を打破して見よ。自ら心に曇なく、明かなる所社〔こそ〕、是則空、空則直通也。猶工夫鍛錬無怠懈、兵法大切に可次續者也。         兵法九代右改名          五十嵐作左衛門 文久三年亥五月十九日    正一[朱印花押]        田中六郎殿  PageTop   Back