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【満州写真館】旅順を地図・画像とともに紹介

旅順要塞跡を見物する訪問者

旅順は日露戦争の大激戦地です。

映画にもなりました二百三高地など、大きな戦闘が何度も繰り広げられました。

本HPの満州写真館では、主に満州国が設立してから以降を扱っておりますが、この頁では明治の日露戦争、そして昭和に撮影されたロシアの要塞跡地を紹介いたします。

画像は昭和の旅順ロシア軍要塞の東鶏冠山北堡塁跡地を訪問したツアーの模様です。トーチカには大量の弾が撃ち込まれた跡が残っています。

旅順は満州国時代に法人をはじめ多くの人々が訪れました。こうしたニーズに合せ、旅順駅発、あるいは大連発の大型バスによるツアーも組まれていました。

 

旅順の地図

旅順は日清戦争ののち、ロシア帝国が中国から租借して軍港と要塞を建設した軍事上の重要な要でした。

日露戦争の時にも旅順を母港としていたロシア旅順艦隊(第一太平洋艦隊)とういう強力な海上兵力がありました。ここの攻防は戦略的に重要でした。

結果、大規模な軍事的衝突となります。日本軍は要塞と港への攻撃を敢行、ロシア軍は強固な陣地に大砲や機関銃を配備して迎え撃ち、日本兵にも露兵にも空前の死傷者が出ます。

まずは旅順の地図から。

中央下に入り組んだ湾があり、その上に新市街地が、右側には旧市街地があります。

 

湾のクローズアップです。

地図右上に二百三高地があります。

そして湾を取り囲んで、要塞が配置されています。

 

二百三高地

数ある激戦地の中から二百三高地の写真を。

戦闘後、間もない撮影で、中央に木でできた慰霊碑があります。

ここの高い丘の上にロシア軍が死守する陣地がありました。ここを攻め落とそうにも、丘の途中には身を隠す所もなく、丘の上からロシア軍の機関銃に大砲を撃ちかけられ、日本兵は一方的に犠牲者を出します。

日本軍は、状況を好転すべく、重砲を投入します。十五センチ榴弾砲、そして二十八センチの巨大榴弾砲で攻略して散兵壕を破壊、ロシア軍は五千名近くの戦死者を出して撤退しました。画像は、崩壊した陣地も放置されたままの、戦闘まもない雰囲気があります。

目を引くのは急作りの慰霊碑に露西亜軍(ロシア)日本軍が並列に記載されている点です。

戦闘という激務に殉じた兵士の慰霊に関しては、敵味方関係なく同列に扱われていたことが伺えます。

 東鶏冠山北保塁

旅順攻防戦の大激戦地のひとつです。強固なセメント陣地が造られています。

あらゆる砲火を跳ね返すこの陣地に対し、日本兵は保塁の壁に爆薬を仕掛けて爆破、東北の一角を崩壊させ、決死隊が突入後、占領に成功しました。

 

 

旅順東鶏冠山北保塁

同じく東鶏冠山です。手彩色が施されています。推定ですが、先ほどの写真を反対側から撮影したものと思われます。分厚い壁が破壊されている様子がわかります。

右側から突進してくる歩兵は、保塁の前、写真でいえば中央の緑の場所を低く掘り下げ、要塞の銃眼などによじ登れない様に造ったそうです。写真では奥に煉瓦色の建物があり、そこに四角い窓が二つ見えます。もし、このくぼ地部分に歩兵が突撃してきて取り付いたとしても、この建物から掃射を受けることになります。

 東鶏冠山北保塁

丘陵地帯の小高い丘の上にあることがわかります。

 

『 崩壊せし鶏冠山 』

人物は小さくしか写っておりませんが、兵士に見えます。また、日本兵に見えますが、もしかすると背の高いのはロシア兵だとしますと、日露戦争後にロシアが戦跡を視察したところとも想像されます。

右側に大きく崩れたところが見えます。が、壁はよほど分厚いのか、貫通はしていないようです。

左下側の窓上の四角い穴の周辺は細かな凸凹が見え、銃弾が集中したのではと思われます。

背景、なだらかな丘陵地帯が見えます。

 

壮烈なる攻防戦を語る北堡塁内部

北堡塁内部の内部です。

もともとは二層の陣地ですが、二階部分の床が抜けおちています。写真中央あたりに水平に床がありましたが、写真では全く残って居ません。セメント製の床ではなかったのかもしれません。

左上に二階部分の銃眼が、左下に一階部分の銃眼が見えます。

この要塞のコンクリート厚みは、最大で三メートルに及ぶものです。これでは大砲で攻撃しても、撃破するのは不可能だとわかります。

ロシア軍はこの陣地を構築するにあたり、地元の民衆を動員して工事を行いました。その後、軍機を守る為に動員された住民を海へ放り捨てています。賃金も払っていないとの説もあります。

 

 

松樹山保塁

松樹山保塁における生々しい戦闘の跡です。

これも、銃眼と思われます窓の周辺に弾の跡が見られます。また貫通撃破が見られず、すべて跳ね返していることがわかります。背景には林が見え、また満州には珍しい松林に見えます。

 

ロシアはこうした建物や陣地に立てこもっての戦闘を得意とし、第二次大戦でも独ソ間の先頭で、ロシアは要塞やトーチカに立てこもって頑強に抵抗しています。

 

さて、旅順での攻陣戦でのにらみ合いの時、両軍は兵士の食事として、同じく大豆の入手が出来たそうです。日本はこれを納豆にして食べ、ロシアは豆を煮て食べました。結果、日本は大豆の蛋白に加えビタミン類を補充できたとされます。

一方で、日本兵に脚気(かっけ)が多量に出てしまうなど、栄養状況が万全とは言いがたいものがありました。

そこで日露戦争以降、日本は様々な戦闘糧食の開発に勤しみます。

携帯に優れる様々な糧食が前線の兵士を支えました。その中で、大激戦であった日露戦争で、納豆という従来からの伝統が活用された事例は興味深く感じます。

 

新旧の技術と言えば糒は、日本軍で重宝された様です(糒:干し飯/米を蒸かして乾燥させ保存用としたもので、水にひたして柔らかにするとすぐ食べられる)。

ただ糒は乾パン(乾麺麭)に取って代わられますが、太平洋戦争でも常備ではないにせよ、糒の携帯例はあるとの情報もあります。実は、糒は古くは奈良時代から、そして戦国時代からの前線兵士の糧食でもあります。

 

従軍経験のある方から伺うと、兵士の苦労は、まずトイレと食だそうです。トイレはともかく、食は兵士の士気にも関わるとして、様々、研究がなされています(参考:たべもの心得帖 * 川島四郎 * 新潮文庫1990年12月)

 

 

旅順陣地松樹山地下道東松樹山

陣地内部で、ガレキが散らばっています。

一般公開のために整備をしているところではないかと想像します。

 

日本軍の乃木将軍が旅順攻撃準備のため旅順に滞在を始めた際、とある石山の谷に魔神が棲むといううわさが立っていました。家畜の被害も多く、そこで地元の人は冬になると豚を数頭、生贄にささげていました。

乃木将軍の部下は駐屯にあたりこの魔神の退治を行ったところ、魔神の正体は子牛ほどもある巨大な銀色の狼でした。日本兵はこの大きな狼を池に追い込んで溺死させ、以降、この地方には家畜の損害もなくなりました。

地元民は日本兵に感謝と敬意を払ったそうです。

 

満州帝国設立後、旅順は戦跡巡りと慰霊で多くの人が訪れる一大観光地となりました。

また六千五百名を超えるロシア兵と一万の日本兵の御霊が祭られた慰霊の地でもありました。

こちらの慰霊塔はロシア軍忠魂碑日本人の官民の出資により建てられ乃木将軍ゲルングロス将軍などが出席して除幕したものです。

ロシア人に配慮したデザインとなっています。

 

 旅順戦利品陳列記念館

日露戦争後、古戦場の惨状をおおう意味で付近一帯は植樹されました。今日も豊かな緑で覆われています。

一方で、戦跡めぐりの要点として記念品陳列場を設けています。

ここにはロシア軍に巨弾を降らせた二十八センチ榴弾砲の展示のほか、ロシア軍が使用した銃器大砲類が展示されています。また資料館にはロシア防御陣地の配置をジオラマ展示しています。

 

同じく展示品です。

15センチから20センチ径と思われます加農砲です。

また防盾でも取り付けられていたのでしょうか、大砲の基部の前側に等間隔で小さく穴があけられています。

周辺には大砲が集められ、また植林もされているようです。

看板は小さくて判読できませんが、表記は日本語だけではない様です。ロシア語、英語では、と想像しています。

 

旅順記念碑

鹵獲した大砲が展示されています。

遮蔽物に乏しい野原に展開した日本軍へ巨弾を打ち込んだロシアの大砲のひとつです。先ほどと同じ加農砲です。向こう側の大砲は銃身が途中で折れています。ちなみに、ロシア軍も巨大な榴弾砲を配備、33センチにもなる大きなもので、日本軍が用いたものよりも大きなものでした。が、最後にはこの大砲も破壊されました。その大砲の残骸は旅順ではなく、日本国内へ持ち込まれ遊就館へ屋外展示されていました。

 

旅順連隊長官舎

乃木将軍とステッセル将軍が会議を行った建物です。

これも整備され、一般公開されました。

 

黑龍江團山子高地に設置する二十八糎榴弾砲

ではここで、旅順などで活躍した28センチ榴弾砲を紹介します。

分厚く太い砲身が特徴です。

榴弾砲は斜め上に向かって弾を撃ち上げ、遠くまで飛ばします。標的からみると、まるで上から弾が降ってくる角度でもあります。

また当時、この大砲は陸上で用いるものとしては大きなもので、さしものロシア軍もこの大砲での攻撃にはひとたまりも無かったようです。

この大砲は非常に重量があり、この大砲を設置するには、回転盤をまず設置、またこの回転盤も大砲の重量と射撃の反動に耐えるため、地面を頑丈に踏み固める必要があり、なおかつ水平に設置する必要がありました。

この大砲は非常に重宝され、東京湾の入り口をはじめとする全国各地に配備され、ロシアバルチック艦隊の襲撃に備えていました。

戦艦に対する防衛に充分に使える威力を持っている大砲ともいえます。

 

写真は凍て付く大地に並んで配備された28センチ榴弾砲で、日露戦争後の撮影と思われます。また黒龍江とあり、ロシアとの国境付近に配備されたものと考えられます。

 

右側の大砲をクローズアップ、大砲が乗っている台座ごと旋回する構造です。人物と比較しても、大きな大砲であることがわかります。

旅順市街地遠景

旅順の市街地を見ています。

推定ですが、左側が旅順港と思われます。

なだらかな斜面が広がっているのが見えます。背後に203高地があるものと思われます。

 

露国は撤収にあたり、大連などの都市を徹底して破壊する様、地元の支那人(当時の中国)に申し渡してから撤収しました。

しかし、建物や港などの施設はまったく破壊されませんでした。電気や港湾や橋などは壊してしまうと、後々、自分達が使えないからでしょう。

一方で、日本軍が進駐する前に、露市民が持っていた財産資材は全て地元民に略奪されていました。

その略奪隠匿は徹底していました。

教会の聖像は粉々に粉砕され、嵌められていた金銀宝石を略奪、教会堂も破壊されて土地は地元民に奪われてしまいます。

当時を記した書籍にも

『諸官舎内の水道口、その他の金物はことごとくもぎ取られた。唖然たらざるをえないのは、単に真鍮の針金、銅線のほしさに、何千円もする高価なピアノ数百台を破壊していた支那人であった。当時のロシアの官憲は殆ど王侯の贅を極めていたから、夫人の装身具、家具、家財など数百万円のものはすっかり略奪されていた。日本統治後、地中に埋没しておいたロシア官僚所有の四輪馬車何百輌を掘り出して乗合馬車を開業、大もうけをした支那人のあったのでも、当時の様が想像される。』

とあります。

ちなみに、この際に発電所も埠頭も破壊されなかったため、203高地を攻撃する二十八センチ榴弾砲の陸揚げもスムースに出来ました。

旅順工科大学

では市街地を見てみましょう。

旅順には満州国設立後、他の満州の主要都市と同じく、様々の学校が建てられました。師範学校や男女中学校があり、写真はそうした学校のひとつ、旅順工科大学です。ロシア軍の兵舎を接収して改造、機械工学、電気工学、採金学、冶金工学の四科目を持ちます。

 

旅順関東病院です。重厚な外観を持つ総合病院です。

旅順新市街松村通り

新市街の松村町通りです。新市街の建物はロシア時代のものが多い

のですが、こちらの港の西に面した通りは閑静な市街地が広がっており、こちらの松村町通りもそのひとつです。

街灯、街路樹、電柱が見えます。

道路には車が、そしてやや遠くに左折するバスが見えます。

 

同じく松村通りです。

広い歩道と電柱と街路樹が見えます。

青葉通り

旅順青葉通りです。

こちらも街灯、電柱、そして歩道が見えます。

左の建物は本屋の様です。店頭には「双頭の鷲よ、赤旗へ」「改造」とあり、いずれも左派系書籍です。当時、本屋店頭で看板が出るくらい、読まれていた本なのでしょう。

 

同じく青葉通りです。

街路樹、歩道、街灯と、綺麗に整備された町並みです。

 

当時、満州の地名や街の名前、通りの名前は、元からある呼び名がそのまま使われていました。

日本名の通りは日本が建築整備した町につけられました。逆に言えば、日本風の名前が付いていれば、日本資本が整備したものと判断が可能です。この通りも日本風の名前ですので、日本による整備といえます。

 

元からある呼び名といえば、大連と旅順の間に臭水子という地名もありましたが、そのまま使われています。戦前図書には「土着民の意志を尊重し、土地名は変えない。」という記述の書籍もあり、実際、その通りに実行されていました。さらに極力、土地の読み方にも倣っていました。

 

日本国内では、地名は縁起をかつぐなどして変更されることがたびたびあります。銅山で有名な生野ですが、もともとは死野(しにの)という呼び名だったそうです。鉱毒により鳥や獣がバタバタ死んだからだとか。しかし、それでは良くないということで、生きる野と書いて、生野(いくの)ということになったという話があります(だからといって鉱毒がなくなったわけではないのでしょうけれども)。

 

 

ところで、右側の煉瓦の建物、天秤棒を持っている満州人風の男の頭の上に、目のイラストを書いた看板が見えます。

目医者でしょうか。

明確にわかる看板ですので、これなら「イシャはどこだ」と、さ迷わなくて済みそうです。