文系の雑学・豆知識

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学びつづけることの大切さ:佐藤一斎と『言志四録(げんししろく)』

 

佐藤一斎といっても知っている人は少ないでしょう。では、吉田松陰はどうでしょうか。少し歴史が好きなひとであれば、幕末に松下村塾を開き、伊藤博文など後年活躍する人たちを育てた人として知っているでしょう。そしてこの吉田松陰の先生に当たる人が、佐久間象山で、その象山の先生に当たる人が佐藤一斎なのです。つまり吉田松陰は佐藤一斎の孫弟子ということになります。どうですか、少しはイメージができたでしょうか。 

佐藤一斎は七十歳の時、幕府が設立した唯一の大学である昌平坂(しょうへいざか)学問所(昌平黌(こう))を統括した儒官となります。今で言えば東京大学の総長にあたるひとです。当時の日本には全国に二百三十余りの藩の学校(藩校)がありましたが、その藩校の中で優秀な成績を収めた者がさらに昌平黌に進学したのでした。ですから一斎は優秀な人たちの中の頂点に立つ人であったわけです。 

では佐藤一斎はどのような生涯を送った人なのでしょうか。それをまず紹介しましょう。

 

佐藤一斎の生涯


一斎は安永元年(1772年)美濃(みの)の国(現在の岐阜県)岩村藩の家老であった佐藤信由(のぶより)の次男として生まれました。幼い頃より読書を好み、武術にもすぐれ、小笠原流礼法も身に付けていました。努力のかいもあって十三歳の頃には大いに頭角をあらわし、成人と同じような扱いを受けていたということです。さらに学問を究めるため京都、大阪、長崎に旅して学びつづけました。

三十四歳の時、朱子学の宗家である林家(りんけ)の塾長となり、大学頭(だいがくのかみ)の林述斎(じゅっさい)と二人で多くの門下生の指導に当たりました。

五十五歳の時、岩村藩主となった松平乗美(のりよし)の家老に加えられ、十五人扶持を与えられました。家老職を勤めながら『重職心得箇条』などを著(あら)わし藩政に尽力しました。またその見識の高さが諸国にも広まり、各大名が争って招聘(しょうへい)し、民政や国是の諮問を受けるという状態であったと言われています。

そして七十歳の時、始めにも書きましたように昌平黌の儒官(総長)を命ぜられます。一斎は講義をするとともに海防や時局についても意見書を提出し、またペリー来航の折もたらされたアメリカ大統領の国書(英文、漢文、蘭語)の漢文和訳に当たっています。さらに日米和親条約締結に際し、時の大学頭林複斎(ふくさい)(述斎(じゅっさい)の六男)を助け、外交文書の作成に力をつくしました。昌平黌(こう)では佐久間象山、渡辺崋山、横井小南ら三千人の門弟を育て、幕末から明治への激動期の新しい日本をつくった指導者に多大の影響を与えたと言われていま
す。

一斎が昌平黌の官舎で息を引き取ったのは、安政六年(一八五九年)九月二十四日のことです。享年八十八歳でした。墓は現在の東京都港区の高明山深広寺にあります。


『言志四録』とは・・・

 この佐藤一斎の著(あらわ)した書物として有名なのが『言志四録』です。この書物が最近、特に 注目されたのは、小泉純一郎首相が平成十三年五月、教育改革関連基本法案を議論している衆議院の席で、この書物の次の一節を引用して話をしたからです。

 少(わか)くして学べば、則(すなわ)ち壮にして為(な)すこと有り。壮にして学べば、 則ち老いて衰(おとろ)えず。老(お)いて学べば、則ち死して朽(く)ちず。

 

これを現代語になおしますと次のようになります。「子供のころからしっかり勉強しておけば、大人になって重要な仕事をすることができる。大人になってからも更(さら)に学び続ければ、老年になってもその力は衰えることがない。老年になってからも尚学ぶことをやめなければ、死んだ後も自分の業績は残り次の人々にも引き継がれていく。」
 

おそらくこの一文ほど、学びつづけることの大切さを説いたものはないと思われます。
 

『言志四録』は、佐藤一斎が四十二歳の時に書き始め、八十二歳になるまで書きつづけた1133条からなる語録です。まさに人生の知恵がつまった書物といえるでしょう。それだけに多くの人たちに影響を与えた、いや現在でも与え続けていますが、影響を受けた有名な人として明治維新の貢献者である西郷隆盛がいます。西郷はこの書物を繰り返し読み、特に感銘を受けた101条を抜き出して、座右の箴言(しんげん)としたのです。現在では『西郷南洲遺訓』に収録され、岩波文庫の一冊として出版されています。また近年では昭和六十二年に国税庁の長官になった窪田弘氏が就任の時のインタビューに答えて、『言志四録』の中の「一燈(いっとう)を提(さ)げて暗夜を行く。暗夜(あんや)を憂うるなかれ。只(ただ)一燈を頼め」(暗い夜道を行く場合、ひとつの提灯(ちょうちん)を提げていくならば、いかに暗くとも心配はいらない。ただ自分が持っているその提灯を頼んで行けばよいのだ)を引用して「自分の気持ちをしっかり持てば、良い結果が生まれ、国民の共感も得られる」と答えています。(昭和六十二年六月二十四日、日本経済新聞朝刊) 

その他にも沢山の感銘を受ける文がありますが、あと三つほど紹介しておきましょう。

春風の心をもって・・・

春風(しゅんぷう)を以(もっ)て人に接し、 秋霜(しゅうそう)を以て自ら粛(つつし)む。

「春風のような和(なご)やかさをもって人に接し、秋霜のような厳しさをもって自分自身をつつしみなさい」

おそらく『言志四録』の中で最も有名な一節でしょう。一言で言えば「人には優しく、 自分には厳しく」と言うことです。普通はついつい「これでいいや」と自分を甘やかしてしまい、反対に人の欠点に対しては厳しく問い詰めがちになるようです。しかしトラブルが起き、全面的に相手に非があると思われる場面でも、一度本当に自分には落ち度がないかを問う必用があるということです。

春風天から命ぜられた役割を自覚すべし

人は須(すべか)らく自ら省察(せいさつ)すべし。「天何(なん)の故に我が身を生み出し、我をして果して何の用に供(きょう)せしむる。我既(すで)に天物(ぶつ)なれば、必ず天の役(えき)あり。天の役共(つつし)まざれば、天の咎(とが)必ず至らん」と。省察してここに到(いた)れば、則(すなわ)ち我が身の苟(いやしく)も生くべからざるを知る。

「人は誰でも次のことを反省し、考えてみる必要がある。天はなぜ自分をこの世に生み出し、何の用をさせようとするのか。自分は天のものであるから、必ず天から命ぜられた役目があるはずである。その天の役をつつしんで果たさなければ、必ず天罰を受けるであろう。こう考えてくるとうかうかと生きていけないことに気づくはずである。」

 最近は「自分探し」が盛んです。「自分は一体何者なのか」「自分は何ができるか」と問うことが、一種の流行のようになっています。しかしその根底には、自分にとって得になるためには、という自己中心の発想があるのではないでしょうか。一斎はそのことについて、あくまでも「天」からの視点で考えようとしています。天とはこの場合、極端に言えば「神」でも「仏様」でもよいと思われますが、自分より上位の視点から自分の存在、自分の役割を見つめることがいかに大切かを、この一文は示しています。それにつけても、現代においても、もう一度「天」の思想を取り戻す必要があるのではないでしょうか。

煩(わずら)わしいことが自分を強くする

凡(およ)そ遭(あ)う所の患難変故(かんなんへんこ)、屈辱讒謗(ざんぼう)、払逆(ふんぎゃく) の事は皆天の吾が才を老(おい)せしむる所以(ゆえん)にして砥礪切磋(しれいせっさ) の地に非ざるは莫(な)し。君子は当に之に処する所以を慮(おもわんばか)るべし。徒 (いたず)らに之を免(まぬが)れんと欲するは不可(ふか)なり。

 

「すべて我々が人生の途中で出会うところの苦しみ悩み、突然の変わった出来事や人から辱めを受ける事、人からそしられる事、自分の思うようにならない事などは、すべて天が自分の才能を成熟させようとするものであって、いずれも自分の修養になくてはならないものばかりである。したがって徳があり、人から慕(した)われる人は、このような事に出会ったならば、これをいかに善処すべきかを真剣に考えるべきであって、これから逃れようとしてはいけないのである。」

 現代は「癒(いや)し」ブームです。癒し音楽のCDや、癒しグッズがよく売れているといわれています。たしかに、煩わしいこと、いやなことは避けたいというのは人間の本能かもしれません。しかし、かつての日本人はいやなことに対して、すぐにそれを避けたいとは思わなかったはずです。「艱難汝(かんなんなんじ)を玉(たま)にする」という言葉があるように、つらいこと、いやなことは自分の成長にとって必要なことだと認識していました。一斎のこの文は、先程の文と同じく、「天」という言葉を使っています。すなわち、いやなこと、煩わしいことは天が自分に対して与えた試練であり、それを乗り越えることこそが自分を高めるのだと、はっきり示しているのです。また「癒し」という言葉とともに最近よく使われる言葉に「キレる」「ムカつく」という言葉がありますが、これも困難に耐え切れずにキレたり、ムカついたりするわけで、困難に立ち向かう力が衰えている証拠でもあります。いづれにしても「煩わしいことこそ自分を強くする。しかもそれは天の計らいである」。このことをもう一度かみ締める必要があるのではないでしょうか。

 

参考図書

・川上正光訳注『言志四録』講談社学術文庫
・神渡良平『佐藤一斎「言志四録」を読む』致知出版社
・赤根祥道『自分を磨く名著「言志四録」を読む』三笠書房
・京極高宣『儒教に学ぶ福祉の心「言志四録」を読む』明徳出版社