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1493年から1600年の戦国武将の勢力地図を年次時系列でまとめてみた

これから『戦国武将勢力地図』に従って、各武将の栄枯盛衰の有様を年次時系列にご案内します。これは戦国時代百年の領土支配圏の推移を地図上に表したものです。その領土争奪戦・国取りの歴史をご覧ください。

戦国時代の区分定義について

本稿では戦国時代の区分定義を、明応2年(1493)の『明応の政変』から天正19年(1591)の『天下統一』までの約100年間としていますが、その前後に応仁・享徳の乱・関が原の合戦・大坂の陣を加えています。

資料について

編纂の参考とした資料は、主に郷土資料『都府県史』です。今やっと45都府県史を整理し終えたところですが、この段階ではまだまだ細部に多くの不明箇所が残っています。今後さらなる充実を図るため、郷土資料の『市町村史』を紐解く予定ですが、その量膨大にして長期を要するので、ひとまずここでその途中経過をご紹介することにしました。

地図について

本誌の土台として使用している地図は、右図の享保6年(1721)に作られた『日本図』です。

享保6年の『日本図』

 

『勢力地図集』について

『勢力地図集』では、下図の例の通り各年の武将の勢力地図を作り、支配圏が変化した箇所に見出しを付けてそれを年次時系列にまとめました。 (絵をクリックすると拡大します)

戦国以前

享徳・応仁の乱を経て戦国時代へ。

明応2年(1493)

明応の政変、細川政元が将軍足利義植を追放して政権を奪う。これより戦国時代が始まる。

 


明応3年(1494)

逃亡将軍足利義植が挙兵、細川政権打倒の檄を飛ばす。


明応4年(1495)

関東でも戦乱が拡大、古河公方が扇谷上杉と決別し、山内上杉と同盟を結ぶ。


明応5年(1496)

山内上杉・古河公方連合軍が扇谷上杉の領国相模へ侵入する。

 

 

明応6年(1497)

義植派の畠山尚順が河内・大和を征圧する。

 

 

 

明応7年(1498)

 足利義植が和睦に向けて上洛の途に就く。だがその途中で和睦が決裂する。

 

 

明応8年(1499)

 足利義植が細川政権打倒を目指して決起する。

 

 

明応9年(1500)

 足利義植が周防に逃走、大内義興を頼る。

 

 

 

 

文亀元年(1501)

 遠江で義植派と細川派が衝突。義植派が勝利する。

 

  文亀2年(1502)

近江で反細川派が蜂起。政元がそれを鎮圧する。

 

 

 

文亀3年(1503)

 細川政元が二人の後継者を設置。ここから二人の暗闘が始まる。

 

 

 

永正元年(1504)

 反政元派が澄元を擁して叛乱を起こす。

 

 

 

永正2年(1505)

 義植派が反政元を掲げた河内に蜂起する。

 

 

  

永正3年(1506)

永正の大乱が勃発、足利義植が挙兵して反政元派と合する。

 

 

  永正4年(1507)

 細川家の父子兄弟、骨肉の争いとなる。澄之が父政元を暗殺。澄元が澄之を殺害。澄元が政権を取る。

 

 

 

永正5年(1508)

 細川高国が澄元を倒して政権を取り、義植を将軍に据える。澄元・将軍義澄が近江へ逃走。永正の大乱終息。

 

 

 

永正6年(1509)

上杉顕定が長尾為景を追い出し、越後を奪回する。

 

 

 

永正7年(1510)

 古河公方の父子が分裂。長尾景虎が再び越後を奪回。東日本が二つに割れる。

 

 

 

 

永正8年(1511)

細川澄元が反撃、高国から束の間の政権を奪う。

 

 

永正9年(1512)

古河公方足利政氏が、子の高基に古河城を追い出される。高基が古河家を継承。

 

 

 

永正10年(1513)

 将軍義輝が高国の専横に憤怒して出奔する。守護上杉定実が越後で反乱。

 

 

 

永正11年(1514)

長尾為景が上杉定実の反乱を鎮定し、越後の実権を回復する。
 

 

 

 

永正12年(1515)

 尼子経久が大内義興の留守を狙って領土拡大に動き出す。

 

 

 

 

永正13年(1516)

足利高基が古河公方家を統一する。

 

 

 

  永正14年(1517)

古河公方家が再び分裂、こんどは兄弟が対立。兄の古河公方と弟の小弓公方が対立。関東が二つに割れる。
 

 

 

 

永正15年(1518)

大内義興が帰国し、高国陣営から離脱する。畿内は再び混迷へ。

 

 

 

 

永正16年(1519)

細川澄元が高国政権打倒を掲げて挙兵する。
 

 

 

 

永正17年(1520)

細川澄元が高国から再び束の間の政権を取る。

 

 

大永元年(1521)

細川高国が将軍義植を追放、代わりに義晴を12代将軍に就ける。
 

 

  大永2年(1522)

播磨では浦上一族が高国・澄元両派に分かれて争う。

 

 

 

大永3年(1523)

尼子経久が中国の覇者となる。

 

 

 

 

大永4年(1524)

 北条氏綱が武蔵に侵入、関東征服への本性を現す。

 

 

 

大永5年(1525)

 反北条大連合が成る。

 

 

  

大永6年(1526)

細川晴元が高国打倒の兵を挙げる。

 

 

  大永7年(1527)

高国政権が崩壊、代わって晴元が政権を握る。将軍義晴が逃走、幕府が消滅。足利義維が仮幕府を堺に開設。

 

 

 

 

享禄元年(1528)

細川晴元の政権内部に亀裂が生じる。

 

 

 

 

享禄2年(1529)

細川高国が浦上村宗に擁されて決起する。
 

 

  

享禄3年(1530)

細川高国が政権奪回を目指して播磨・摂津を攻撃する。細川晴元が窮地に陥る。
 

 

 

享禄4年(1531)

細川晴元が高国の反撃を封じて政権を守る。
 

 

天文元年(1532)

細川晴元が堺公方足利義維と対立。本願寺と提携して堺公方を襲撃。公方逃亡により堺幕府が崩壊。

 

 

 

 

天文2年(1533)

 本願寺が細川晴元に反旗を翻す。

 

 

 

天文3年(1534)

細川晴元は堺公方の代替に将軍義晴を京都へ帰す。7年目の空白を経て京都幕府が再開する。
 

 

  

天文4年(1535)

細川晴元が法華一揆を味方に付けて本願寺を倒す。

 

 

天文5年(1536)

細川晴元と将軍義晴との間に亀裂が生じる。将軍義晴は細川氏綱を立てて晴元に対立。

 

 

 

  天文6年(1537)

 

反北条連合による大包囲網が成る。

 

 

 

天文7年(1538)

北条氏綱が古河公方を懐柔して小弓公方を撃破する。北条が関東の覇者となる。

 

 

 

 

 

天文8年(1539)

三好長慶が主君細川晴元に反旗を翻す。

 

 

 

 

天文9年(1540)

尼子晴久が毛利元就を総攻撃、元就は郡山城を守り抜く。 

 

  

天文10年(1541)

木沢長政が主君細川晴元に反旗を翻す。大内義隆が備後・安芸を制覇する。

 

 

  天文11年(1542)

細川晴元が木沢長政の叛乱を鎮圧。大内義隆が尼子晴久の討伐に向かう。奥羽で伊達天文の乱が勃発。

 

 

 

天文12年(1543)

 細川氏綱が晴元への反抗を開始する。大内義隆が尼子晴久に大敗。

 

 

 

天文13年(1544)

毛利元就が自立への一歩を踏み出す。
 

 

 

 

 

天文14年(1545)

反晴元派が細川氏綱を擁して挙兵する。反北条大連合が成り、北条が危機に瀕する。
 

 

 

  

天文15年(1546)

将軍義植が細川氏綱方について晴元に敵対する。8000騎の北条軍が8万騎の包囲軍を撃破。
 

 

  天文16年(1547)

細川晴元が将軍方の細川氏綱に勝利。竹千代(家康)が今川方に奪われる。
 

 

 

 

天文17年(1548)

 三好長慶が主君の晴元に叛旗を翻す。伊達天文の乱が終息する。

 

 

天文18年(1549)

細川政権が崩壊、三好長慶が実権を握る。

 

 

 

 

 

天文19年(1550)

三好長慶が将軍義輝を追放、幕府が崩壊する。毛利が大内から独立。武田信玄が村上義清に大敗。

 

 

 

 

 

天文20年(1551)

陶晴賢が主君の大内義隆を討つ。

 

 

 

  天文21年(1552)

北条氏康が上野を占領する。

 

 

 

 

天文22年(1553)

幕府軍が京都を襲撃、三好長慶がそれを撃退する。武田信玄と長尾景虎が衝突。

 

 

 

 

天文23年(1554)

甲・相・駿の三国同盟が成る。
 

 

 

 

弘治元年(1555)

毛利元就が陶晴賢に空前の大勝利を博す。毛利軍3500騎が2万騎の陶軍を壊滅させる。
 

 

 

弘治2年(1556)

斉藤道三が嫡男の義龍と争って敗死する。
 

 

  弘治3年(1557)

毛利元就が周防・長門・石見を征圧する。 武田信玄が信濃北部を占領。

 

 

 

永禄元年(1558)

将軍義輝が三好長慶と和睦して京都に帰る。

 

 

 

 

 

永禄2年(1559)

織田信長が尾張を統一する。長尾景虎が上洛、将軍より関東管領職を賜る。

 

 

 

 

永禄3年(1560)

長尾景虎が北条討伐軍を発する。 織田信長が桶狭間で今川義元を討つ。
 

 

 

 

永禄4年(1561)

上杉謙信が関東を征圧し、小田原を包囲する。上杉謙信と武田信玄が川中島で激突。

 

 

永禄5年(1562)

毛利元就が尼子晴久のl討伐を開始する。北条氏康が関東南部を復する。

 

 

 

永禄6年(1563)

毛利元就が尼子晴久の拠点富田城を包囲する。

 

 

 

 

永禄7年(1564)

三好長慶が病死、その後は松永久秀が実権を握る。北条氏康が里見義弘を撃破し、両総を支配する。
 

 

 

 

 

永禄8年(1565)

松永久秀が将軍義輝を暗殺、幕府が崩壊する。
 

 

 

 

 

永禄9年(1566)

松永政権が崩壊、三好政権が復活する。上杉謙信が関東から撤退する。

 

 

 

  永禄10年(1567)

織田信長が岐阜を攻略、足利義昭が信長を頼る。甲・相・駿同盟解消、岐・甲同盟締結。

 

 

 

永禄11年(1568)

織田信長が足利義昭を擁して入京、義昭を15代将軍に据える。岐・甲同盟軍が今川領を挟撃。
 

 

 

 

 

永禄12年(1569)

尼子勝久が決起、毛利元就が北九州から撤退。越・相同盟、岐・相同盟、反北条連合が成る。
 

 

 

 

 

元亀元年(1570)  

浅井長政が離反、三好や本願寺ら反信長勢力が一斉蜂起する。足利義昭が信長打倒の檄を飛ばす。

 

 

 

 

元亀2年(1571)

織田信長が浅井・朝倉軍を攻撃する。北条氏政が越・相同盟を破棄して甲・相同盟を締結する。

 

 

  元亀3年(1572)

将軍足利義昭による信長包囲網が成る。義昭の檄により、武田信玄が西上の途に就く。

 

 

天正元年(1573)

武田信玄が病死、織田信長が窮地を脱出する。織田信長が将軍足利義昭を追放、室町幕府が崩壊する。

 

 

 

 

 

天正2年(1574)

 本願寺顕如が全国の門徒衆に信長打倒の檄を飛ばす。岐・越同盟軍が武田を挟撃。

 

 

 

天正3年(1575)

織田・徳川連合軍が長篠の戦いで大勝利する。
 

 

 

 

 

天正4年(1576)

足利義昭を中心とした信長包囲網が成る。上杉謙信が信長征伐の途に就く。

 

 

 

  天正5年(1577)

織田信長が北陸・中国・紀伊の三方に出撃する。信長が上杉に大敗。北条が房総を征圧。島津が日向を平定。

 

 

 

天正6年(1578)

別所・荒木が信長に背き、毛利に奔る。上杉謙信が没し、信長が窮地を脱する。上杉家で内乱が勃発。

 

 

 

 

天正7年(1579)

織田信長が中国に転戦する。織田・北条連合結成、武田包囲網が成る。反北条連合が成る。

 

 

 

 

天正8年(1580)

織田信長が山陽・山陰・北陸に転戦する。本願寺が信長に降伏。武田と北条が上野で激突。

 

 

 

 

 

天正9年(1581)

織田信長が因幡・能登・淡路を平定する。徳川家康が遠江を平定する。

 

  

天正10年(1582)前

織田信長が武田家を滅ぼす。信長が中国・四国・越後に向けて征伐軍を発す。信長が上野を平定する。

 

 

 

 

  天正10年(1582)後  

明智光秀が本能寺を襲撃、信長を倒す。秀吉が光秀を討つ。秀吉が勝家と対立。家康が甲信を占領。

 

 

 

 

天正11年(1583)

羽柴秀吉が餞ケ岳で柴田勝家を倒す。秀吉が天下人の道を継承する。

 

 

 

 

天正12年(1584)


羽柴秀吉と徳川家康が対立。小牧・長久手の戦いで家康が勝利する。 

 

 

 

 

 

天正13年(1585)

豊臣秀吉が紀伊・中国・越中・飛騨を平定する。秀吉が毛利を支配する。伊達包囲網が成る。

 

 

 

  天正14年(1586)

徳川家康が豊臣秀吉に臣従する。秀吉が私戦禁止令を発令する。島津義久が九州を征圧する。

 

 

 

天正15年(1587)

 

豊臣秀吉が九州を征服する。

 

 

 

 

天正16年(1588)

 北条氏直が豊臣秀吉に見せ掛けの臣従を誓う。

 

 

 

天正17年(1589)

 豊臣秀吉が北条討伐を発令する。伊達政宗が会津を征圧する。

 

 

 

 

天正18年(1590)前

豊臣秀吉が北条討伐軍を発し、小田原城を包囲する。伊達政宗が小田原に遅参。あわや切腹を免れる。
 

 

 

  天正18年(1590)後  

豊臣秀吉が北条氏直を降し、関東を平定する。奥州平定後、北奥で一揆が起こる。

 

 

 

天正19年(1591)

 豊臣秀吉が北奥羽一揆・九戸の乱を鎮圧し、天下を統一する。

 

 

 

慶長4年(1599)

豊臣秀吉の死が公表される。豊臣家臣団が二つに分裂。徳川家康が大坂城に入り、天下を狙う。

 

 

 

 

慶長5年(1600)前

徳川家康が上杉討伐に会津へ向かう。石田光成が大坂で挙兵。両軍が関ケ原で対陣。
 

 

 

 

 

 

  慶長5年(1600)後

関ケ原で決戦。徳川家康が天下人となる。慶長8年、家康が将軍となり江戸に幕府を開く。
 

 

 

  慶長20年(1615)

徳川家康が大坂の陣で豊臣家を滅ぼす。ここに徳川政権の磐石の基礎が完成する。