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『管子』を分かりやすく意訳してみた

『管子』は管仲という昔の中国の人が書いた政治本。春秋五覇の一人で斉国の宰相。空理空論を避け、徹底した実学で書かれた現実的な内政書。その人心の逆説的な看過手法は大いに学びとるべき能力である。

2000年代になって提唱される数々の最新の政治理論も、実は管仲の執政に他ならないじゃないかなんてこともしばしば。日本人にはなじみが薄いが、実は史上最高の政治学書籍といっても過言ではなく、なぜ中学校で教科書に使われないのか不思議なぐらいである。あの諸葛亮が手本にした人物でもあり、諸葛亮は管仲の再来であると噂されたこともある。

そんな管子を意訳してご紹介する。というわけで以下本文。(ちなみにカッコ内は筆者による感想・考察である)

 

Q. 管仲さんにとって一番大切なことはなんですか?

A. 国が滅びないことです。

 国が滅びる前兆として、まず国交断絶が起きます。次いで第三国が介入するようになり、軍事施設や都市を中心に爆撃やミサイル攻撃が行われ、多数の死者がでます。そうなると見かねた一部の民衆が決起してクーデターを起こし、民主主義は破綻します。絶望する民衆のなか、幻想的理想を掲げる政党に民衆の支持があつまり、肥大した政党は海外から武器を輸入して本格的なゲリラとなります。殺戮から逃れようと、食料を調達しようと、人々は都市部に集まり、その結果物価は高騰し、家無き家族や孤児が食、薬、住を求めてさまよい、何百万人という死者が出ます。挙げ句の果てに政党が第三国と組んで土地を治めたとしても、独裁的施政によって民衆はさらに苦しみます。
それだけではなく、細菌兵器と放置された死体は疫病を蔓延させ、国家権力の及ばない地域では拷問や犯罪や私刑がまかり通るようになり、人々は飢え、過労、死刑に苦しむことになります。家族は離散して二度と会えず、孤児が大量に発生します。病院、銀行、産業、役所は瓦礫と化し、乗り捨てられた廃車が路上に放置されて交通は麻痺し、貨幣通貨は廃止され、商業活動は停止し、教育機関も文化機関も滅びるありさまとなります。子供たちは間違った道徳を教育され、水道には毒が投げ込まれて汚染され、原子力発電所は破壊されて電気が停止し、放射能汚染が風に乗って広がり、大量の悲惨な死者が出ます。(湾岸戦争をモデルにしています)

こうなってから嘆いても遅いのです。

 ですから、とにかく国は民衆を安んじて、民衆もそんな国に協力して、乱れない国を作ることがもっとも大事なことなのです。

Q. 滅びない国を作るためにはどうすればよいですか?

A. 為政者がよくわきまえて、無茶をしないこと

  内乱や外国との戦争は、時の政治家が無茶をすることが発端で起こります。法律や道徳だけでは、国を治めきることはできないのです。ですから、戦争状態に入らねばならなくなるような国家は無能な証拠なのです。
Q. 現代、ほとんどの国が法治国家ですが、なぜ法律で治めきれないのですか?

A. 人心というものは「するな」と「しろ」だけで動くものではありません

 衣食住が貧しくなると、人々は嫌でも罪を犯さざるをえなくなります。そうしないと飢死したり凍死したり事故死したりしてしまうからです。そんなときに「罪を犯してはならない、礼・恥・誇り・道徳を捨ててはならない」と説いても、誰も従いません。それだけで腹がふくれるわけでもなければ、風雨をしのげるわけでもないからです。そんなときに「盗みをした者は死刑だ」と言っても、誰も従いません。盗みをして捕まれば死刑かもしれませんが、盗まなければ必ず餓死してしまうからです。
 ですからむやみに法律を定める前に、為政者は民衆の心をつかまなければならないのです。

Q. 民衆の心をつかむにはどうすればよいですか?

A. 倉が充実すれば民は礼節を知り、衣食が足りれば民は恥を知る。

 本当に大切な物「衣・食・住」さえ整えて保障してやれば、民衆はおのずと罪を犯すことを恥じるようになります。罪を犯さなくても十分に生きていけるからです。居住地が不動のものとなり財産が充実すれば、民衆は自然と礼節を重んじるようになります。外に向かって突っ張って意地を張らなくても、安住の地が侵されることはもはや無いからです。
 ですから為政者は、何よりも衣食住の三つを民衆から取り上げすぎてはいけないのです。

Q. 衣食住は金で買えますから、一番大事なものは金ではないのですか?

A. 人は、土から離れては生きられません。農業は経済よりも大切なのです。

 たしかに、まだ通貨が廃止されていなければ、金銭は有効です。ですが、はたしてそれを安全かつ公正に使えるでしょうか? 大根1本2000万円、米1キロが5000万円に値上がりしていたらどうしますか? やっとのことで買っても、すぐさま強盗に取られたらどうしますか。中身が腐ってボロボロだったらどうしますか。訴訟を提起するにも裁判制度はなく、詐欺師を捕らえようにも警察はありません。国が乱れるとはそういうことなのです。

 衣料品はどうでしょう。麻や綿は土地と肥料がなければ摘めません。羊毛羽毛や絹も、家畜の飼料がなければ採れません。紙幣を食べさせて育てることはできないのです。紙幣は風呂の焚きつけにもなりません。

 住居はどうか。砂漠の真ん中に立派な豪邸を建てても、そこで暮らすことはできません。水がないからです。水を得ても少量であれば、植物が育ちません。水を得るには川や地下水など、それなりの地の利が必要です。

 このように、経済が乱れて国交が断絶しても、土地と農業がしっかりしていれば国はまだ滅びませんが、土地と農業が不足してしまえばとたんに経済は破綻し、国は滅びてしまうのです。

Q. 農業をしっかりさせるにはどうすればよいですか?

A. 君主の法度と農業努力

 四季の農事をつとめないと、国の材用は生じないし、土地の開墾に努力しないと、倉が充実しない。田野が荒れていれば民は餓えて草を食う。君主に法度がないと民もでたらめになり、法律のでたらめを禁じないと、民は乱れる。この二つがしっかりしないと刑罰がはげしくなる。八百万の神をつつしまないと民はおそれず、命令を聞かなくなるし、祖先を敬わないと、民は目上に反抗するようになって、考悌の道がまともに行われなくなる。礼儀廉恥が積極的に行われないと、国が滅びる。

(特に日本という国には自家資源がありません。商品を右から左へ加工して儲けて豊かになった国ですから、お金はあっても自分の国で調達できる資源は少ないのです。ひとたび貿易が麻痺すれば、あっというまに日本は貧します。海底燃料の利用が軌道に乗るまでは石油の確保が常に必要ですし、植民地を持つのでもなければ立ちゆかないのです。同盟国に頼るよりも、まず自分の腹は自分で治めることが重要でしょう。)

Q. 礼儀廉恥とは何ですか?

A. たとえば国を支える四つの大網

 一本が絶えると傾くし、二本が絶えると危ういし、三本が絶えるとひっくり返り、四本が絶えれば滅びる。傾いたものは正せるし、危ういものは安定できるし、ひっくり返ったのは起こせるが、滅びてしまったらもうどうしようもない。
 四つの大網とは何か。一が礼、二が義、三が廉、四が恥である。礼はほどを越えないこと、義は出世のために正義を曲げないこと、廉は自分の悪を隠さないこと、恥はまちがったことに従わないことである。だから、程度を超さなければ、上の地位は安泰であり、正義を曲げなければ嘘偽りが無く、悪を隠さなければ行いは完全であり、間違ったことに従わなければ、悪いことは起こらない。

Q. どうすれば実現できますか?

 

A. ブロークン・ウィンドウ(割れ窓)理論

 

 礼儀廉恥の四大網目を実行させるには、小さな事から民を励ますのが、国を治める根本である。

 民を正しくするためには、小さな悪を禁じなければならぬ。小さな悪も禁じないのに、大きな悪事が国を害しないようには望んでもできない。

 民が礼節を守るためには、小さな礼を慎まなければならない。小さな無礼も叱らないのに、人民が国の大礼を行うことは望んでもできない。

 民に義を備えるさせるには、小さな義が行われなければならぬ。小さな義も行われないのに、大義を行わせることはできない。

 民の清廉を望むならば、小さな廉を修めなければならぬ。小廉も修めないのに、人民が大廉を行うことを望んでもできない。

 民の恥を知ることを望むならば、小さな恥もいましめなければならぬ。小さな恥もいましめないのに、人民が大きな恥じる心を持つことは望んでもできない。

 民を養う者は、男ならば邪な行いがなく、女ならば淫らなことのないようにせねばならない。男に邪な行いを改めさせるものは教えであり、女に淫らな行いを改めさせるものはさとしである。教えさとしでよい風俗を作り上げれば、刑罰がなくなるのが道理である。

Q. それでは、民にうまく施政するにはどうすればよいですか?

 

A. 施政に四つの順序あり。民から取るときは、まず民に与えよ。

 

 政治がうまくゆくのは、民の心に順うことにある。政治がだめになるのは、民の心に逆らうことにある。だから第一に、民は骨折り苦しむことをいやがるから、安楽に楽しませてやる。第二に、民は貧賤をいやがるから、富貴にしてやる。第三に、民は危ういことと落ちることをいやがるから、安定し温存してやる。第四に、民は滅び絶えることをいやがるから、生育してやる。ということは、安楽にしてやれば、苦しみにも耐えるし、富貴にしてやれば、貧賤にも甘んじるし、安定してやれば、転落しても我慢するし、よく養ってやれば滅びる場合もあきらめるようになるのである。刑罰や死では脅かすことはできても心服させることはできない。だからいくら刑罰を厳しくしても、民が恐れなければ上の威令は行われず、死刑が多くても、民が心服しなければ、上の地位は危ない。

 民の四つの欲望に順えば、遠い者も自然に募り寄ってくるし、また四つのいやがることをやれば、近い者も背くのである。だから民に与えることは、民から取ることであることを知るのが、為政者の金科玉条である。

Q. 具体的にはどのような方法がありますか?

 

A. 十一の方法がある。

 

 1.国を傾かない地位に置く。そのためには徳のある人に位を授ける。そうすれば国が安らかになる。

 

 2.涸れない倉に積む。そのためには五穀を作らせる。そうすれば、食料が足りる。

 

 3.尽きない庫に収める。そのためには桑や麻を植え、家畜を育てる。そうすれば民は富む。

 

 4.命令を水の潤すように行き渡らせる。そのためには民の心に順う。そうすれば威令は行われる。

 

 5.民を争わないように使う。そのためには適材適所に任ずる。そうすれば仕事は順調にゆく。

 

 6.どういうことをすれば死刑になるかを知らせる。そのためには刑罰をおろそかにしない。そうすれば悪事をしなくなる。

 

 7.どうすればほめられるかを教える。そのためにはまちがいなく賞する。そうすれば民は難しいことにもとりくむ。

 

 8.できないことはしない。そのためには民の能力を判断する。そうすれば何でもうまくゆく。

 

 9.無理な要求をしない。そのためには民のいやがることを強いない。そうすればうそやごまかしが起こらない。

 

 10.長続きしないようなことに手を出すな。そのためには、一時的に民から絞れるだけ絞るようなことをしない。そうすると民は怨まない。

 

 11.その場かぎりのことをやらない。ということは目先のことで民を欺かない。そうすると民は親しむ。

 

逆にこれら十一経が行われていなければ、それは亡国の兆候である。

Q. 亡国の兆候について具体的に教えてください。

 

A. どんな時に国家が滅亡するか

 

 1.軍備廃止論が勝つとき

軍備を撤廃せよと言う説が勝つと、国防に関する意見を出す者がいなくなり、国内の治乱も知られず、外国の情報も入らなくなる。城は壊れても修理されず兵器がいたんでも修繕もしない。そうなると国防体制が崩れ、遠いところは侵略されているのに何もできない。国境の兵士は訓練もせずに格好ばかりつける。民にも敵を防ぐ意欲がなくなり、侵略国の属国となってしまう。

 

 2.無差別平等の人類愛説が勝つとき

人類みな平等で他国の人もわが国の人のように扱うという考え方は、よそを攻める心もなく、軍をつぶし将軍をやぶることもなく、一見まことにけっこうである。しかしそうすれば優秀な兵士も無能な兵士も同じ給料だから、優秀な兵士は外国に行ってしまう。敵をやぶる臣も、出世しないから勉強をやめてしまう。そこでこちらが敵を攻めることができないのはよいが、敵にこちらを攻めさせないことはできない。敵国が領土を要求してきたときに、差し出すのはイヤだ。しかし与えないで戦おうとしても、もはや勝つ見込みはない。敵は訓練した兵隊であるのにこちらは烏合の衆であり、敵には良将がいるのにこちらには無能しかいない。戦えばこちらの軍が壊滅し、こちらの将は死ぬであろう。

 

 3.快楽主義が勝つとき

君主が生命を惜しめば、群臣も生命を全うすることを考えて養生する。養生するとは、おいしいものを食べ、音楽やセックスを楽しむことである。そうすれば欲望のままに行動し、男女間の風紀が乱れ、動物と同じになる。そうすると礼儀も恥もなくなり、君主の威厳もなくなる。命をかけて戦えと命令しても、だれも従わない。

 

 4.自己主張の勝手な説が勝つとき

勝手な議論をして、評論家きどりで威張っている人が勝つと、ろくに情報も集めずに、淫欲盛んな中年男を賛美し、世間をそしって役人の悪口を言う。地位を得て俸給をもらうことを、やれカラ出張だやれ横領だとバカにして役人をいやしむ。そうすると役人も守っていないのだからと民衆も法律や禁令を守らなくなり、放言勝手次第となる。

 

 5.金権主義が勝つとき

金でほしいものが手に入るようになると、官位や爵録を買う者が出る。すると無能な人間が上位に就くことになる。そうなるとみんなやる気がなくなり、賢者も仕事をせず、智者も計画せず、まじめな人は約束をしなくなり、勇者も死を惜しむようになる。これは国の腐敗に直結する。

 

 6.私利私益で集まる集団が勝つとき

群徒が団結するのを認めると、群臣は徒党を組み、人の美点を隠し、欠点ばかり暴く。そうすると真実と偽りが隠されてしまい、派閥だけが勢力を占め、味方の少ない者は置いてゆかれる。派閥が威張れば真の人材は見失われ、権力闘争が巻き起こり、今の政治を変えるのだという主張が行われて、君主の地位は危うくなる。

 

 7.ぜいたくな趣味が勝つとき

民衆が苦しんでいるのに、見て楽しむための宮殿や庭園を飾り立てたり、宝石や音楽などの趣味にふけることは、お金を使い骨を折って国を破る行き方である。これらを君主に勧めるのは悪い臣であって、君主がこれを聞きいれるのは滅びの元である。そうして倉がからっぽになり貯蓄も尽きたうえに、上に悪い臣がいるとなれば、すぐれた人物も弾圧されて進めない。そうなると国に危難が生じた場合でも、芸能人やエンターテイナーのような人間が国の政治を議論するようになる。これは国を滅ぼす者である。

 

 8.なれあいの人事が勝つとき

君主が人情で臣下を任用すると、群臣はみんな手づるにたよる。そうすると上は人情が行われ、村には党派ができる。それはすなわち、ワイロが国に横行し、官吏が法律を破り、群臣はコネを探して採用を決めることになる。そうすれば実力がないのに出世し金持ちになる。正しいすじが通らない。

 

 9.おべっかとごまかしが勝つとき

君主にへつらう臣は君主に反省をさせず、過失を改める機会を奪い取る。それで君主は戸惑って、自分でもわからなくなる。そうすればいろいろはかりごとをめぐらす賢臣は死んで、へつらう臣が出世する。そういう口先がうまくて悪知恵の働く人間だけが用いられるようになる。

 

Q. よき指導者となるにはどうすればよいですか?

 

A. 六親五法あり

 

一親.家を治めるやり方で村を治めようとすると、たとえ身内びいきではないと弁解しても、疎遠の人は聞き入れない。(家を治めるやり方というのは、家族愛(身内びいき)だから)

 

二親.村を治めるやり方で国を治めようとすると、たとえ同郷人ではないと弁解しても疎遠な者はのってこない。(村を治めるのは決まって土地の年長者だから)

 

三親.国を治めるやり方で天下を治めようとすると、たとえ同国人ではないと弁解しても、疎遠な人は従わない。(国の治め方は他国を制して自国が富むことだから)

 

四親.天下を治めようとおもったら、天地のように公平に親しまなければならない。

 

五親.天下を治めようとおもったら、月日のように節制がなければならない。

 

六親.君主は天地歳月のように、万民に公平にして、自分には節度を保て。

 

一法.民を導く根本は、上が何を尊ぶか、何を先立って行うかという、リーダーの方針である。君がこういうものを求めているというと民もそれを求めるし、君がこれが好きだというと民もそれを好むし、君がこれを憎むというと、民はそれを隠すものである。

 

二法.君主は自分の悪事を隠したり、標準を変えたりしてはならない。常に率直誠実でないと賢者も助けようとしなくなる。どこにいても正々堂々としているのが聖王である。

 

三法.城も武器も財産も、敵から守り、民を保つには足りない。ただ道を保つ人は、災いの起こらぬ先に、未然に備える。そういう先見性が大切である。

 

四法.賢臣のいないことより、君主がそれを使いこなせないほうが問題である。財物のないことを心配するより、その財をうまく分配して生かして使わせないのが問題である。だから時期をよく見て、国の材用を私心なく生かすことができる者は君主となれる。

 

五法.ぐずはおくれをとる。けちは親しい人を失う。小人を信ずれば、賢人を失う。

Q. 天下を治めるために何が必要ですか?

 

A. 君主には愛、益、利、安。 国には宝、器、用。

 

 管子がいう。

 道が天に現れているのが日で、人に現れているのが心である。

 君主は民を愛し、益し、利し、安んぜよ。この四つは道から出るものである。道とは、得ようとすれば失い、失わんとすれば則ち得るという自然法則である。帝王がこれを用いれば、天下が治まる。帝王は何を先にするか、何を後にすべきかを理解している。民と地を先にするのがよいので、貴とおごりを先にすると失敗する。だから先王は先後するところを慎む。

 君主は貴と名と富を慎まなくてはならぬ。貴を慎むとは、爵位をいいかげんに与えず賢才を用いることである。名を慎むとは、適材適所によい官吏を置くことである。富を慎むとは、土地を大事にすることである。君主がこの三つを重んずるか軽んずるかによって尊卑が定まる。だから慎まなくてはならぬ。舜は自分から低い立場にいたので自然に尊ばれた。夏のけつ王は自らおごって尊い立場にいようとしたので、その尊を保つことがdけいなかった。だから先王は道を大事にする。

 このように、天下を治めるには、愛・益・利・安の四つをやれば、天下にいきのびられるし、貴と名と富を慎めば、君主は立つことができて滅びない。むかしの堯舜兎湯文武考己の諸王はこれによって成功し、天下はこれによって生きたのである。だから先王が重んじたのである。

 

 国には宝と器と用がある。城郭を固め、険阻で敵を押さえ、蓄えで窮民を救うことは器の使い方であり、賢才は宝であり、珠玉は末用である。先王は宝と器とを重んじて末用を軽んじた。これらの多少・軽重・長短をよく考えなくては、戦いは起こせない。王主は民に資本をかけ、覇主は将軍や兵士に資本をかけ、衰主は貴人に資本をかけ、亡主は婦女や珠玉に資本をかける。だから先王は、どこに資本をかけるかを慎重に考える。

 

(得ようとすれば失い、失わんとすれば得るという教えの最たるものは、童話「北風と太陽」でしょう。管子はいつも君子は常に太陽たれと言います。)

 

Q. 他にはどのような方法がありますか?

 

A. 礼、陰陽、天地、人心。

 

 聖人の心の用い方は、広く公平に行き渡り、でたらめにならぬよう引きしめて、もつれた糸をほぐすように細密で、物に従って柔軟にする。人はいろいろの感情を有し、満たされないと憎み、思い通りになると威張る。だから標準をもってととのえる。そういう標準になる法は、礼から起こる。礼は治まってから制定される。礼を以て治めるのが道であり、万物は礼によって治めれば始めて安定する。

 万物には陰陽二面が生じる。先王はその陰陽を参考にして出処進退を慎む。陽は徳を主とし、政治の面に現れる。陰は刑を主とし、権謀に現れる。この二陰二陽のうち、先王が一陰二陽をもちうれば覇者となり、全部陽をもちうる者は王となる。逆に一陽二陰を用いれば国が削られ、全部陰ばかり用いていたら滅びる。先王が天下を取るには、遠い者は礼を以てし、近い者は親しみを持ってする。近くに親しむことから天下を取り、礼によって遠近の差をはっきりさせる。

 

 天の時を利用し、地の材を利用し、人の徳を利用し、鬼神の福を利用し、禽獣の力を利用する。恩徳を施すには先にするがよい。敵に応ずるのは後手のほうがよい。時を失わず敏活に行うのは師とすべきやり方であり、物事を為して止まないのは時を得たやり方であり、せっせと勉めるのは万事を行う心がけである。十分に誡めて他との違いを確かめ慎重に行動し、人に知られないようにし、にわかに来る者(取り入ろうとする者)に対して備えよ。先王は隣国とよく交際することによって事を成し、人に対するに徳を以てして親しむ。また先王は心の誠と法の信を大切にする。誠と信は天下の人心を結ぶ要素である。だからすぐれた大夫は主君の家族をたよりにしないし、すぐれた士は外国の権力によって勢力を扶植しようとせず、ただ自分の誠信によるのである。人に見ならって平凡な利益や平凡な防備をやっていては実際の役に立たない。国家を存立するには、誠信をもって一瞬の判断を下さなければならない。

 

 天の道は大きく一視同仁であるが、帝王は人事に関係するので愛憎の心がある。ただその心は天下に秘密にしておくべき事なので堅く心の中にしまっておく。みだりに賞することなく、乱暴な刑罰を行うことがないのは徳の至りである。だから先王は賞罰を明らかにするのを尊んだ。ふつうの人の心は、愛から憎しみが始まり、徳から怨みが起こる。賢者にはそういうことがない。喜び・怒り・憎しみ・欲望は失敗のもとである。だから賢者は宝物のように大事にして軽々しく用いない。うわべだけ善のふりをするのは、為にするもので真の善ではなく、無用の善である。無意識の善は至尊、意識の善は無用、意識の悪は不憫、無意識の悪は至悪なり。だから先王は真の善を尊ぶ。

 相手を信ずるのは仁の心である。しかし相手にだまされないのが智である。智でかつ仁なのが完全な人である。だから先王は仁と智の使い方に過不足なく、周密なことを貴ぶ。周密とは口に出さず顔色に表さず、龍となり蛇となるように一日に五回も変化し、人がおしはかれないようなことである。

 だから先王は多数の考えにより、物事を自分一人でやらず、功を独占しない。また束縛しない。束縛すれば解けたり切れたりする。親しみは束縛によるものではない。したがって先王は利害関係で交際しないし、土地を割いて交際しない。天下はかってに改造することはできないが、ムチを用いて使うことはできる。天の時と地の利を用いて行うのである。有り余る知恵があっても外にださないのが天子の風格を継ぐ者である。官職においてもそうするのがよい。天の時を利し、義によって人を得て、天と人とを味方にする。先王は勇猛をふるわずに国境を治めるから、国境は安泰で隣国も親しむ。そうすればやることがうまくゆく。

Q. 国とはどのようなものですか?

 

A. 制され方によって、三つの性格がある。

 

 国には三つの制し方がある。人を制する国、人に制させる国、人を制することはできないがこちらも制されない国である。どうしてそれがわかるか。人を制する国とは徳が盛んで義は高く、人に高ぶることをせず、人は多く兵は強く、他国に迷惑をかけず、天下に大事有れば自分の国を後回しにするような国である。人に制せられる国とは、徳が盛んでなく、義も高くなく、好んで他国に圧力を加え、人は少なく兵は弱いのに、人の国に迷惑をかけ、同盟国をたのみにして、名利を手に入れようとねらう国である。いくら愛しても利益を与えず、憎んでも害しないで、人と身体を共にし、苦労を共にするような国は人を制することもできないが、こちらも制されない国である。

 国が滅びるのは、他より勝った点がもとである。人が失敗するのはおのれの長所による。よく泳ぐ者は池で死に、よく射る者は野中で死ぬ。じゅうぶんに注意し、長所を隠すべきである。粟や麦を植えなければ、収穫はない。民が食わないと働く力が出ず、国が飢える。人の命は食にかかっている。同様に国の治乱は政治の善悪にかかっている。よい政治がなくて治まる国は昔からあったためしがない。

Q. 栄える国と滅びる国の見分け方を教えてください。

 

A. 君主の人物をみれば国の行く末がわかる。

 

 衆は寡に勝ち、速は遅に勝ち、勇は怯に勝ち、智は愚に勝ち、善は悪に勝ち、義は不義に勝ち、天道は無道に勝つ。この七勝があれば、身は貴く人は服して一生を終わることができる。

 君主が逸楽を好み、その身を忘れ国を忘れれば危ない。民をなつける徳がないと危ない。刑罰を明らかにして士を大切にしない者は怨まれて危ない。諸侯がその威権を濫用して止まない者は危ない。年老いても跡継ぎの子を馬鹿にしていると危ない。ためこんで人に与えない者は危ない。賤しい者が貴につかえ、才の劣る者が賢人に仕えるのは当たり前であるが、ほんとうに貴ばれるのは、貴をもって賤に仕えるからであり、賢者が成功するのは、不才に仕えるからである。みにくい者がいるから美しい者がある。卑しい者がいるから尊い者がある。賤しい者がいるから貴い者がある。だから先王は、みにくい者、卑しい者、賤しい者も大事にする。

 

 君主は臣下を迎えて権力を用い、臣下は君主に順う。先王はそのような栄辱の立場を重んずる。栄辱の権が上に有れば、個人的な愛憎は行われず、善を成せば福があり、悪を成せば災いがある。すべて自分の行為による。だから先王は行為を大事にする。いくら働いても働きたりないと思う人は忠臣であり、いくら怠けても働き過ぎだと思う者は欲深の臣である。欲よりも忠誠心が勝るのは智者である。これが人臣の大道である。臣下たる者が、国に功労もなくて、高爵にのぼり家も富んでる一方、国は貧しく君主がいやしいようなのは大罪人である。国に功労がなくても富貴になれるのは賢人を貴ぶ場面だけである。

 人は、親につかえる場合、妻子がいると孝心が衰え、君に仕える場合、よい仕事を持ち、家が富んでいれば行為が衰え、爵禄が満ちれば、忠心が衰える。そうでないのは賢者だけである。だから先王は臣下を満足させないのである。穀物がますにあふれると人はますかきで平らにする。人の地位が高くなりすぎると、天が平らにする。だから先王は充満を誡めてへりくだるのである。先王の書物を尊敬して守っているが、人々はそれを知らない。世間の人はいたずらに無用のことに奔走している。しかし私は古書を信奉し、無事を事とし、不言を事としている。だから六十歳にして引退し、しゃべるのをやめるのである。

Q. 国家の体制はどうあるべきですか?

 

A. 富民-富国-強兵-覇業-謙遜。

 

 

 

管鮑、貧時の交り

 

管仲は言った、「かつて私が困窮していたころ、鮑叔と共に商売をしたが、利益を分けるときになって、私は分け前を多く取った。だが、鮑叔は私を貪欲だとは言わなかった。私が貧乏で生活が苦しいことを知っていたからである。かつて私は鮑叔の為に事業を立てたが、失敗していよいよ困窮した。だが鮑叔は私を愚か者だとは言わなかった。商売に時勢のあることを知っていたからである。かつて私は三たび戦い、三たびとも敗れて逃げ出した。だが鮑叔は私を卑怯だとは言わなかった。私に老母のあるのを知っていたからである。公子糾が敗れたとき、同僚の召忽は戦死し、私は幽囚されて辱めを受けた。だが鮑叔は私を恥知らずだとは言わなかった。私は小節を恥じるよりも、むしろ功名を天下に顕わせないのを恥としたのを知っていたからである。私を生んでくれたのは父母だが、私を知ってくれるのは鮑子である。」と。-史記

管仲を推挙した後、鮑叔は自ら管仲の下風に立って敬意を払った。鮑叔の子孫は代々斉の俸禄を受け、封邑を領有すること十余代、常に名大夫として世に聞こえた。 天下の人は、管仲の賢をほめるより、鮑叔の人を知る明をほめたたえたという。