文系の雑学・豆知識

歴史、美術、文学、言葉、文化についての雑学・うんちく・豆知識・トリビアを集めたサイトです。気になった記事や文章を個人のメモとして投稿しています

『韓非子』を分かりやすく意訳してみた

『韓非子』は韓非という昔の中国の人が書いた権謀術数の本。徹底した人間不信の実学思想なので、現代日本においてもいつでもどこでも役に立つ。

孫子兵法は軍事的な本であるが、韓非子は内政的処世的で文官向け。徳治政治は古き良き時代のもので甘いと言い切り、人口密度の高い競争社会国家には徹底的な法の支配こそ必要だ、と訴える。

紀元後2000年間世界的に乱れに乱れて、現代になってやっと法の支配を確立した我々にとっては、2000年前から「国王も法に従うべきだ」と唱え続けていた大先生である。内容が分かりやすい上に論調も痛快でおもしろい。なぜ小学校で教科書に使われないのか不思議なぐらいである。

このページの目的

 

韓非子は、初等教育の場で既に学び終えておくべきほど重要な内容である。なぜなら、人間関係の基礎中の基礎であり、自分が生まれたこの世の中の真相を知る上で、数学や国語よりも重要と言えるからである。

しかも子供たちにはすでに韓非子を学ぶだけの能力が備わっている。鬼ごっこや花一匁や色鬼といった童遊びは、参加者全員が共通のルールに従わなければ成立しない。子供たちは童遊びを通じて「法」を学んでいるのである。

ルールを守らなければズルになり、ゲームの進行を妨げるとして非難される。そこで子供たちは、こういった「法の下の平等」と「公共の福祉のための制限」の中で、いかに我が目標を達成するかという訓練を受けることとなる。

大人がこうして難しい言葉を使わなければ世間の人は理解を示さないが、子供たちは何気ない遊びの中に、すさまじく実用的な訓練を自ら課しているのである。ただの遊びで無邪気なものだと微笑んでいる者があれば、彼は何もわかっていない無能者だから、教育を任せるべきではない。子供たちが遊び終わったあとに、「実はいま君たちがしていたことはこういうことで、それはこんなに重要なことなんだよ」と教えてやれる者こそが、真の児童教育者なのである。

ただし、子供たちの遊びの中にはささいな裏切り行為や嘘の経験は含まれても、暗殺や殺人や謀略が含まれるわけではない。だから韓非子というユニークな例を引用して、それについても教えてやる必要がある。子供たちがこれからの人生を歩む上で避けては通れない問題だし、毎日のように機転を利かしてゆかねばならない問題だからだ。反面教師の手法は効果的だが、日本昔話などの道徳は後回しでよい。

そこで私は、韓非子を小学生にも解るレベルに砕くことを目標に意訳することにした。これが本項の主旨である。

もしいまここを読んでいる君がまだ韓非子を知らないなら、ここまで読めた君には十分な理解力があるから、この機会にこのサイトの内容を読んでおいてもらいたい。もしあなたが理解ある大人なら、是非この内容をパロディにして子供たちに教えてあげてもらいたい。加えて悪用することの悲しさを覚えれば、必ずや人を活かす人になるだろう。また教育という視点から書いてはいるが、あらゆる場面で応用が利くことを重ねて断っておく。

というわけで以下本文。(ちなみにカッコ内は筆者による感想・考察である)

 

Q. 韓非さんにとって一番大切なことはなんですか?

 

A. 法律で国を治めること

 

 一人の人間が国の頂点に立って、何でもかんでも決めるようなことがあれば、そんな国は遠からず滅びるものです。ですから、君主といえども、法に従わねばならないのです。

Q. なぜそんなに法が大事なのですか?

 

A. 法がなければ百たび乱れて一たび治まることになる

 

 古き良き時代は、徳のある人が采配をふるって民衆がそれを見習うことで一国が治まったかもしれない。だが今は人口も多く、スキさえあれば悪をなすのが人間だから、徳だけでは治まりきらない。時の君主が気まぐれにひとたび無茶をやらかせば、たちまち国は滅びてしまう。だから、君主といえども法に従うような、厳然たる法治国家が必要なのです。ですから法がなければ百度みだれて一度おさまり、法があれば百度おさまって一度みだれるということを言うのです。

Q. 法治国家を実現するにはどうすればよいですか?

 

A. まず権力を持つこと。君子を説得して取り入ること

 

人は、腹が減っているときに目の前に米をみつければ、人目を避けて盗る。人は、貧しいときに目の前に金塊をみつければ、人目を避けて盗る。孔子や老子やブッダのような人間はごく少数である。このような私利私欲の許されない国家運営の場面において、チェックと監視がしっかり行われなければ、すぐに政治は腐敗して、亡国の元となる。人間とは本来私利私欲の強い生き物だから、法律でしっかりチェックしなければならない。

 

Q. では、そのためのノウハウを教えてください。

 

 

実際の教え

 

相手の心を見ぬいて意見を述べよ

 

 そもそも、君主に自分の意見を受け入れてもらうことが難しいのは、十分説得できるだけの知識を持つことが難しいのではない。また、自ら進んで縦横に弁を振るうだけの胆力をもつのが難しいわけでもない。そもそも、説得の難しさは、相手の心を正確に見ぬき、自分の意見をそこに合わせることにある。

 相手の心が名声の高さを求めているのに、利を売る術を説いたなら、下劣な人物で卑しいやつと思われて、きっと遠ざけられ棄て去られるに違いない。逆に相手の心が利を求めているのに、名声の高まる術を説いたなら、気のきかない、現実に疎い者と考えられ、きっと受け入れられないに違いない。

 また相手が内心では利を求めていながら、表向きでは名声の高さを求めるふりをしているのに、名声の高まる術を説いたなら、うわべだけはその人物を用いるふりをするものの、実際には疎んじてしまうであろう。一方こういう相手に、逆に利を得る術を説いたなら、内心ではその意見を採用するものの、表向きにはその人物を棄て去ってしまうであろう。

 以上、よくよくわきまえておかなくてはいけない。(説難篇)

 

(非常に有用で的確な教えである。教師が生徒にものを教える時も同様で、生徒がまだ望みもしないうちにいくら詰め込もうとしても、生徒はザルで水を受けるが如しである。ともすれば、真っ先にこれを学ばねばならないのはこの世の全ての教師であろう。腕を振り上げ教室に恐怖政策を敷き、無理矢理詰め込もうとするような愚者にこそ教えられよう。生徒が教師に教えに行きたくなるほど関心を持たせるべく苦心せよ、と。)

君主への意見の出しかた

 

 およそ君主に意見を出す場合、第一に心がけなければならないのは、相手の誇るところは持ち上げ、恥じには決して触れないようにすることだ。君主が自分の利益を満たそうとしているときには、公儀{共通のルール}を述べてそれを強制することだ。相手は気勢をそがれるが、それでも欲望を捨て切れない。

 そこで、相手のその欲望に理屈をつけてやり、実行に移せない道義には、とやかく言わないでおく。逆に相手が高い理想を持っていても、高すぎて遠くそれに及べないときには、その理想の欠点をあげ、行わないままでおらせることだ。自分の知能を誇りたがる者には、同類の別の事例を挙げて下地を準備しておき、相手が自ら選ぶように仕向けて、そしらぬ顔をしておればよい。

 そうすれば相手も満足する。他国と友好関係を保つように説得するには、立派な名目を上げてやり、それとなく自分の利益にもなることを示すことだ。

 また、国の害になることを分からせるには、道義に反しているということをはっきり言うとともに、自分の損にもなるのだとほのめかしておけばよい。

 直接相手を誉めるよりは、相手と同じ事をしているものをほめ、他の事で君主の計画と同じものがあれば、そのことを議論で取り上げた方が効果がある。

 君主と同じ失敗をした者は、たいした過失ではないと言って弁護しておくことだ。己の力を自負している者に、それは難しいでしょうなどと、決してけちをつけてはならない。

 決断力に自信を持っている者を、その欠点をついて怒らせたりしてはいけない。相手がよい計画だと思っているときに、悪いところをあげつらって追いつめたりしてはいけない。

 要するに、君主の意向に逆らわず、言葉づかいにもよくよく気をつけてはじめて、自分の知恵と弁舌と存分に生かすことが出来るのだ。

 このようなしかたがつまり、君主に気に入られ、疑われず、自説を述べ尽くすことが出来る方法なのだ。伊イン(いんの湯王の宰相)が料理番になり、百里ケイ(秦の穆公の宰相)が奴隷にまでなったのは、いずれも君主に用いられようとしたからである。

 この二人は聖人である。それでもこのように卑しい仕事をしてまで、出世の糸口をつかまなければならなかったのだ。だから、自分の意見が聞き入れられ、それによって世を救うことが出来るのならば、たとえ料理番や奴隷に身を落とそうとも、恥にはならないのである。

 長い月日を経て、君主の信任も厚くなり、立ち入った策を奏上しても疑われず、君主と言い争っても罰せられなくなったならば、堂々と利害を判断して述べ、自分の意見を実現化して事の是非をずばりと述べることを身上とする。こうして君主と対等の関係を保てるようになれば、これこそが献策の最上のものとなる。(説難篇)

 

(逆に相手を罵倒すること一つとっても、相手が自分のことをバカだと思っているのに「お前はバカだな」と言っても効果はないし、相手が負けず嫌いなのに「お前はバカだな」と言ってしまえば火に油を注ぐようなものである。相手に自信が無ければ過剰に期待を掛けてやれば相手は余計に気負って萎えるし、相手が負けず嫌いならばおだてて木に上らせて怠けさせておけばもはや敵ではないのである。相手の意気を削ぐにしても、この教えは生かす余地が多分にあるのだ。ましてや重要な時に重要な人に重要な献策を進言する場面で、どうして役にたたないなどという事があろう。)

利を以って人を使う

 

 子供のころ、両親に大切に育てられた経験がない人は、成長してから両親をうらむものである。また、立派に成長した子供から孝養を尽くされることがない両親は、腹を立てて我が子を責めるものである。

 親子の縁はこの世でもっとも親密なものだというのに、実際には親子が互いに責めたりうらんだりする。これは、親子ともども相手に甘えるところがあるばかりに、結局、自分の利益にならないからである。

 ところで、人を雇って野良仕事をさせるとき、主人が雇い人に出す食事や報酬を惜しまないのは、別に彼らを愛しているからではない。そのようにすれば、雇い人が鍬打ちや草刈りに精をだし、能率良く働いてくれるだろうと思ってするだけの話なのだ。

 また、雇われた側のものが仕事に精をだし、せっせとあぜ道を直したりなんぞするのも、別に主人を愛しているからではない。そのようにすれば、与えられる食事や報酬がよくなるだろうと思ってするだけの話なのだ。

 このとき、主人が雇い人を使うのに親子のような恵みがあり、しかも雇い人の方も与えられた仕事をしっかりこなすのは、それぞれそうすることが自分のためになると思っているからである。

 だから、人が何か事業を行ったり施しをする場合、相手にも利益があるようにと思ってやれば、親しくないものとでもうまく付き合える。

 しかし、相手に損害を与えてでもと思ってやれば、親子のように親しいもの同士でも仲たがいし、うらむようになるのだ。(外儲説左上篇)

 

(近年の生物行動学に置いても、全ての行動は例えそれが利他的に見えても裏を返せば利己的に理に適った行動であるということが通説となっている。すべては遺伝子に操作されているのであって、感情も遺伝子を残さんがために働くという説まである。このような利己説の前には、言葉面ばかり綺麗な母性愛や道徳は無意味となる。ここではアメとムチのアメを説いているのである。ムチで追い立てると散り散りに逃げてしまってうまくいかないから、アメで引き寄せる方がムチを使うよりうまくいくということを説いている。もちろん、両方を駆使したならば、よほどの過失がないかぎり失敗することはないだろう。)

利あるところ勇気あり

 

 ウナギは蛇に似ており、蚕はいわゆる毛虫に似ている。人は蛇を見ると、びっくりし、毛虫を見ると身の毛もよだつ。だのに、夫人は平気な顔をして、蚕を摘み上げ、漁師はウナギをわしづかみにする。利益があるとなると、人が嫌うことなどは忘れてしまって、みんなあの孟墳のような勇士となる。(内儲説上篇)

 

(いわゆる”熟知性の法則”のことであろう。だれでも自分の知らない物事には警戒するが、よく知っている物事には進んで為そうとするものだ。なぜならそうすることが自分にとって得になることが容易に推察できるだからだ。)

自分のものは自分で

 

魯国の宰相である公儀休は、たいそうな魚好き。そこでそれを知った国中の者たちが、争って魚を買い求め、彼に献上してきた。

 ところが彼は受け取ろうとしない。それを見て弟がこう諌めた、「兄上は魚がお好きでありながら、どうしてお受け取りにならないのですか」。

 公儀休は答えた、「私はただ魚が好きなだけ。だからこそ受け取らないのだ。もしあの献上されてくる魚を受け取ってしまえば、必ず人に対してへりくだる態度が出てくる。

 人にへりくだる態度が出てくれば、やがて私は法を曲げようとするだろう。法を曲げてしまえば、私はきっと宰相を罷免される。

 しかしもし献上されてくる魚を受け取らず、したがって宰相を罷免されることがなければ、どんなに魚ずきであっても、安心してずっと自分の力で魚を得ることができるのだ」。

 この話は、他人を頼みにするよりも、自分自身を頼みにする方がよいということを教えてくれる。

 また、他人が自分にしてくれることよりも、自分自身が自分のためにすることのほうがいいということを教えてくれる。

 

(公儀休のように先後の明察が利いていれば問題はない。だが、この明察すらできない人間が総理になったり党幹事長になったりするから問題なのだ。多発するヤミ献金やロッキード事件、リクルート汚染を忘れてはいけない。本当に綺麗な金が必要ならば、自ら映画に出演したりバラエティ番組に出演したり本を書いたりして地道に金を稼ぐハマコーのような政治家の姿が正しいのかもしれない。)

子どもに冗談は通じない

 

曾子の妻が市場に出かけようとすると、その子どもがついてきて泣いた。「家にお帰りなさい。お母さんもすぐ帰ってあなたのために豚のごちそうを作るからね」。

 曾子の妻はこう言って子供をなだめた。

 さて{妻が市場から}帰って来た。

 曾子がさっそく豚を殺そうとすると、妻はそれをおしとどめて言った、「あれはただあの子に冗談を言っただけのことですから」と。

 曾子はそれを聞いてこう言った、「子供は冗談だと思っていないぞ。子供には冗談が分からないのだ。だいたい子供というものは、両親からいろいろなことを学ぶもの、両親の言うことにちゃんと従うものだ。今もし子供をだますようなことをすれば、それは子供に人をだますことを教えることになる。第一、母親が子供をだませば、子供は母親を信用しなくなる。それでは子供に教育なんぞ出来やしないではないか」。こうして結局豚は煮られた。(外儲説左上篇)

 

(母親は泣く我が子かわいさのためにエサで釣ってなだめようとしたのである。ところで、言ったとおり豚を料理するのであれば確かに子供おもいの優しい母親であるが、料理しないのであれば我が身の立場を立たせるためだけの行為で、やはり単に子供を騙すために言ったとしか考えようがない。たしかにこの場面は夫の言うとおりであろう。こうなれば、冗談を言っただけだというのも、豚の惜しさのためだけに言ったとしか考えられない。冗談にするには母親は「豚がごちそうをつくるからね」とでも言うべきであったろう。これなら後で子供に「冗談がどういうものか」を教える切っ掛けにも出来る。)

ゆとりあるときの後悔こそ国の大事

 

 三国(斉・ギ・韓)の連合軍が攻めて来た。秦王は臣下の楼緩に「三国の兵が秦に深く攻め込んでいる。わしは、河東の一部を与えて和睦しようと思うのじゃが、どう思うか」と尋ねた。

 楼間の答えは、「とんでもないことです。河東の一部を与えるなど、大きな損失です。これは、皇族方のお仕事です。公子シ(さんずいに巴)さまを及びになって、お尋ねなされてはいかがですか」というものであった。

 そこで王は、公子シを呼び出して、このいきさつを告げた。公子シが答えて言うには、「和睦なされましても悔いましょうし、和睦なされなかったとしても悔いましょう。今、河東の一部を与えて和睦なされるなら、きっと、三国はそれぞれ自国に帰っていくでしょう。けれども、わが君はきっとおっしゃるでしょう。『三国はもともと引き上げようとしていたのに、わしはむざむざ三城もただでやってしまった』と。もし和睦しませんでしたら、三国は韓国に集結し、国中は大いに痛めつけられてしまうでしょう、そのとき、わが君はきっと大いに後悔なされて、『しまった、三城をやらなかったばかりに、こんなになってしまった』と、おっしゃるでしょう。だからこそ、私は、『王が和睦なされても後悔されるし、和睦なされなくても後悔なさる』と申し上げるのです」と。

 すると秦王は、「もし、いずれにせよ後悔するのだったら、むしろ三つの城を失ってから後悔しよう。国が危険な状態になって後悔することのないようにしよう。その方がずっといい。よし、和睦することに決めたぞ」と言った。(内儲説上篇)

 

(何事も、ゆとりがあるときは自分の弱点や欠点を補う事に力を尽くして、スランプに陥った時は自分の過去の功績や成功を一つ一つ思い出して自信を取り戻すのが、正しい努力の仕方だ。スランプではなく余裕でもないならば、どんどん先へ進めばよい。ただしこれが行われるための第一条件は、子供が自分主導で行えることである。自分主導で行うためには自律心が必要であり、自律心を抱かせるためには目標が必要であり、目標を持たせるためには子供の尊敬できる憧れの人物に出逢わせることであり、それは古人でもよい。このことからも、教師のペースで教師に追い立てられる教育が、いかに理屈に合わないかがわかる。授業についていける者はよいが、何も分からない者が出たとしても何ら不思議ではない。自分の勝手都合に授業を進めて顧みない教師など信頼できるはずがない。しかもそういう教師は、生徒が問題を起こしたならば自分の保身しか考えない。加えて頼みの親からも信頼されることを知らずに育った子供は、社会を信用しなくなる。社会を信用しない子供がグレて非行に走ったとしても、何も不思議ではないのだ。そもそも親と教師が子供を腐らせたのであり、この原因の両者が子供を立ち直らせようなど、始めから不可能である。折から逃げた馬に「とまりなさい」と言いながら車で追い立てるようなものだ。馬は止まりたくても牽かれるのが怖くて止まれない。事態を悪化させる前に、早く専門家にあずけるか、まず自らの見識を改めて車を降りるか、どちらかをしないならば、下手に刺激せぬことだろう。)

犯罪防止法

 

 きわめてよく治まった国は悪事を防ぐことにつとめる。これはどうしてできるのか。

 その法が人情に通じており、国を治める道理にかなっているからである。

 では、ちいさな悪事を除く方法はどうか。

 それは、つとめてたがいにそれぞれの事情を監視させる。

 相互監視させるのはどうすればよいのか。

 村人同士を{罪に}連座させるだけだ。禁令でやはり自分に連座するものがあれば、村人は監視せざるをえない。他人が罪を犯してそれに連座して逃れられないことを恐れてのことである。悪者は悪事を謀れない。監視するものがたくさんいるからである。

 このようであれば、身を謹んで他人を監視し、密かな悪事をあばきたてる。あやまちを告発する者は、処罰を免れて恩賞を受ける。悪事を見逃した者は、処罰され刑罰に連座する。こうすれば、悪事は暴き立てられる。悪事は細かなことでも見逃さない。密告や連座がそうさせるのである。(制分篇)

 

(天知る地知る人知る我知るの逸話どおり、そもそも単独で出来る犯行など限られているものだから、大事件が起きたならば、かならず見て見ぬふりをする者が大勢いたはずなのだ。事件が起きた後で誰か担当者が勝手に解決すればいいというのでは被害者の損害は戻らない。死者はかえらないし、罪は消えないから、防止するに越したことはない。一人一人が「既に自分は事件の当事者なのだ」と自覚することが、犯罪防止の最善手段である。当事者だと自覚させるには、見逃した者に罰を与えて見逃さなかった者に賞を与えると公布・施行するだけでよい。)

鄭袖の嫉妬

 

 楚王の寵愛する妾に鄭袖という女性がいた。さて楚王が新しく美人を得た。鄭袖はそこでこの美人に教えた、「王様は人が口を覆うのが大好きです。もし王様に近づくことがあれば、必ず口を覆いなさい」と。美女はお目見えをし、王に近づく。そこで、口を覆った。

 王がその理由を尋ねると、鄭袖が言う、「最初っから王様の臭いがきらいだと言っておりました」と。王と鄭袖・美人の三人が一緒になった。その前に鄭袖は従者に、「王様がもし何かおっしゃったら、きっとすぐさまおことばに従うんだよ」と言いつけておいた。さて美女が進みでて王に近づくと、しきりに口を覆う。王は顔色を変えて怒った。「鼻を切りとってしまえ」。従者は刀を抜くと、美人の鼻を切ってしまった。-後略-(内儲説下篇)

 

(これは「このようにして相手を陥れなさい」と教えているのではない。「親切なふりをして実は陥れようと企む者もいるから注意しなさい」と教えているのだ。では、こういう人間の真意を悟るにはどうすればよいか。状況から判断して、「自分が彼女の立場なら新参の存在を快く思わないだろうから、もしかしたら謀略を掛けてくることがあるかもしれない」と推察することができるから、以て注意することができるのだ。このような”相手の立場に立ってみる”という状況判断の基礎を養うことが、どうして初等教育中に為されないのか不思議でならない。)

狡兎尽くれば良犬煮らる

 

 {会稽の恥じをそそぐために}越王の勾践が呉王の夫差を攻めた。呉王夫差はわびをいれ、降伏して来たので、越王勾践は許してやろうと思った。

 しかし、ハンレイと大夫種(両名とも越の重臣)は、「だめです。以前、天は{越と呉が戦った時、呉に味方して、呉を勝たせ}わが越の国を呉に与えようとしましたのに、呉は受け取りませんでした。いま、{越が勝利いたしましたのも}天が反対に呉王夫差に味方しなかったためでございます。これは天が呉王夫差に禍したともうせましょう。典雅呉をわが悦に下さるのですから、ありがたくいただけばよいではありませんか。呉をお許しになってはいけません」と言った。」

 呉の大臣の轡が大夫種に手紙を送っていった、「すばしっこい兎を狩りつくしてしまうと、猟犬は煮て食べられる。敵国が滅びると、軍師は殺される。あなたは呉を許して越の禍として残しておかないのでしょうか」と。

 大夫種はこれを読んで大きくため息をついて嘆きながら言った、「呉が滅べばわたしは殺されるだろう。呉と越とはどちらかが他方を滅ぼす運命にあるのだから」と。(内儲説下篇)

 

(いくらそれが手柄を立てることでも、やりすぎはいけないということである。歯医者が儲かるのは、虫歯患者がいるからである。だから、歯医者が患者の小さな虫歯を敢えて治療せずにおいて、一年後に呼び出して治療費をとるということを繰り返すことがあり得るし、そういった可能性に対する注意ができれいれば、悪徳医者を避けることもできるようになるのだ。軍師は敵がいるから味方から有り難がられるのであって、敵を全て滅ぼしてしまえば、強大な知恵と軍事力を持っているから、謀反の可能性大いに有りとして殺されることになるのである。こういう人心の変化に注意が行き届いていれば、保身を図ることも比較的容易だ。商鞅も、このために死刑に処された。「あぁ、”狡兎死して良狗烹られ、高鳥尽きて良弓蔵われ、敵国敗れて謀臣滅ぶ”というが、まったくその通りだ。天下はすでに平定されたのだから、私が殺されるのも当然だ」とは、韓信の言葉だ。韓信もまた死刑に処された。)

風俗を改める方法

 

 昔の秦国のならわしでは、君臣は公の法を守らず、自分の都合に従うというふうであった。そういう訳で、国は乱れるし、軍は弱く君主は侮られるというありさまであった。

 そこで、商君は秦国の孝公に、法を改正し、習俗を改め、公の道というものをはっきり示し、密告を奨励し、商工業よりも農業を重視すべく進言した。

 当時、秦国の人民は、罪を犯してもうまく逃れ、功績もないのにたたえられるという古いならわしに慣れきっていたので、新しい法が出ても軽視して守ろうとしなかった。

 そこで、新法を犯す者に対しては必ず重罰を加え、密告者には、もれなく手厚い褒美を取らせるようにした。

 その結果、密告すれば必ず褒美がもらえるということで{罪を告発され}刑を受ける者が多くなったのである。人民はそのことを怨み、新法を呪う声が世に満ち溢れた。

 しかし、孝公は耳を貸さず、商君の新法を断行したので、人民は、罪を犯せば必ず罰せられることを知るようになり、密告をする者も多くなってきたのである。そして、人民はもう新法を犯さなくなり、罰を受ける者もいなくなった。こうして、国はよく治まり、軍は強く、国土は広く、君主の地位は高くなったのである。

 その理由は、罪を隠す者への罰が過酷で、密告に対する褒賞が厚かったからである。これはまた、天下を自分の目や耳がわりとする方法である。天下を治める最上の方法はすでに明らかであるのに、世の中の学者たちは分からないでいるのである。(姦劫殺臣篇)

 

(韓非子のこの話は、手段としてはなるほど立派である。が、いささか相手が悪い。風俗は人類有史以来続いてきた風習であり、決してなくすことは出来ないであろう。現実には、風俗に肩入れして隠そうとする者も相当数いるだろうから、この方法もあまり功を奏しないであろうということである。売りたい者も買いたい者もいておまけに仲介業者もいるとなれば、なおさら告発だけに頼るのは力不足である。告発者が相手に無実の罪を着せることも容易だ。もう一ひねりほしいところである。

最後に無駄口を叩けば、世の中の学者たちは分からないのではない。分かってはいるのだが、自分が買えなくなると困るから、知らないふりをしているのだ。ともかく、”利を以て人を使う”の章には適ってはいる。)

公私のけじめ

 

 すぐれた君主の政治は、必ず公私のけじめというものをはっきりさせ、法制を明白にして、私情をさしはさまないものである。命令したことは必ず実行され、禁止したことは必ず止む、というのが君主の公義(共通のルール)である。

 勝手な行いをし、仲間うちだけを信じ、褒美で釣ることも、罰で禁止することもできない、というのは人臣の私義(仲間うちのルール)である。

 私義によって政治を行えば国は乱れ、公義によって政治を行えば、国はよく治まるものである。すなわち、公私には、けじめというものがあるのである。

 また、人臣には、私心があるものの、いっぽう公義がある。清廉潔白で、行いは公正、官職を私物化しない、というのは人臣の公義である。欲にからんで汚れた行いをし、我が身の安全、我が家の利益だけ考えるのは、人臣の私心である。君主が立派なときは、臣下は私心を捨てて公義に従うが、君主がだらしなければ、臣下は公義を捨てて私心に従うものである。

 もともと、君臣の気持ちは互いに別物である。君主は計算ずくで臣下を養おうとするものだし、臣下の方も計算ずくで仕えるものである。君主と臣下とが、互いに損得勘定をする結果、我が身を損ねてまで国のために尽くすことなど臣下はしないし、国を捨ててまでも臣下のためにしてやろうなどと君主は思わないものである。臣下の心情としては、我が身を損ねてしまっては利益もくそもないわけだし、君主の心情としては、国を害してまでも臣下に親身になってはやれないのである。

 このように君臣は、たがいに計算ずくで成り立っている関係であるから、国難に際して、命懸けになり、知恵をふりしぼり、力を尽くすのは{心情がそうさせるのではなく}法のためにそうするのである。

 それゆえ、いにしえの聖王は、褒賞をはっきりさせて勧め、罰を厳しくしておどしたのである。賞罰がはっきりしておれば、人民は必死になる。人民が必死になれば、兵は強くなり、君主は敬われるようになるのである。

 ところが、賞罰がはっきりしていないと、人民は功績もないのに褒美を得ようとするし、罰を犯しても何とか免れようとする。それで兵は弱く、君主は侮られるようになるのである。

 それゆえ、いにしえの聖王のブレーンは、もっぱら{賞罰をはっきりさせることに}つとめたのである。要するに、公私のけじめというものをはっきりさせなければならない。法や賞罰をゆるがせにしてはならない。古代の聖王は、そのことをよく知っていた、といえよう。(飾邪篇)

 

(兄弟だから親子だからといって、他人の兄弟や親の居ない子も混じっているかもしれない集団の中で、えこひいきをするようなことをしてはならない。いったん公の場で集団行動をするならば、私的な事情は一切ぬきにして、他人のように振る舞うべきである。それが公私のけじめということであり、具体例は呉の諸葛瑾が蜀の劉備のところへ説得に行った時の、諸葛亮との接し方を思い起こすとよい。劉備のすぐ隣に亮がいたのに、瑾は劉備とだけ必要事項について述べただけだった。劉備が兄弟であることを気づかって亮のすぐ近くに瑾の宿を置いたのに、瑾は真っ直ぐ自分の宿に向かって亮のところへ寄りもしなかった。蜀の人々は瑾の公私のけじめを高く評価したし、亮も兄の立場をよく理解していたのだ。

少し脱線すれば、このとき亮が劉備の思いやりに口を挟まなかったのは、そうすることが劉備の人徳を天下に知らしめる事に一役買うし、瑾が亮と通じているのではないかといった疑念を晴らすために来ているのだろうという察しもあったから、止めなくても来はしないだろうことは分かっていたのであろう。瑾はケジメのために来なかったというよりは、どうしても亮に会いに行けない事情があったわけである。それをあまり表沙汰にせずに、あくまでも公私のケジメだとしたのは、ひとえに亮の情報操作が有ったことを連想させる。)

占いを信じるな

 

 亀の甲に穴を開けて火であぶったり、筮竹を数えて占ったところ、「大吉」と出たので燕国を攻めたのは超国である。同じように、亀甲と筮竹とで占いをたて、「大吉」との結果を得て超国を攻めたのは燕国である。

 ところが、燕国の方は、劇辛が仕えたけれども、何の功績も上げずに国は傾いた。また、雛行が仕えたけれども、やはり功無く、国家の道は途絶した。

 片や超・代の両国(代は超に併合される)は、まず燕国をうち破り、次に斉国に勝ち、国自身は乱れているのに意気軒昂であって、強国の秦と互角のちからがあると自負していた。これは、超国の亀には霊験があり、燕国の亀はいんちきだということではない。

 超国は、また亀甲と筮竹とで占い、北方の燕国を伐ち、燕国を脅かして秦国に対抗しようともくろんだ。結果「大吉」と出たので、まず大梁に攻めだしたところ、秦国の兵が上党に進出して来た。超国の兵が燕の地まできたとき、秦国に六つの城を占領された。さらに、超国の兵が燕の城に至るや、秦国は超が奪った土地を占領した。超の将軍が兵を率い南にとって返したが、すでに超国の砦は全滅していた。だから、私は言う、超国の亀は、遠く燕国を攻めることの是非は予見できなくとも、近くの秦国による危険は見とおすべきであった、と。

-中略-

だから言う、亀卜や占筮、鬼神の類は、それだけで勝つには不十分であり、どの星を前後左右に置くという方位の吉凶も、それだけを頼りに戦うことは出来ない、と。それなのに、これらを頼みとするのは、これほど愚かなことはない。(飾邪篇)

 

(とにかく腐敗した人というものは、自分で考えることを放棄して占いや超能力者の類に頼ろうとする。だがこれらはみなインチキである。それはいちど占い師や超能力者という職業で稼ぐ経験をしてみればわかるが、特殊な能力がないことを最も知っているのは、能力が有るとかたって術を売っている自分自身なのである。もし彼らに能力があるとすれば、人をうまく騙して丸め込む能力のみであろう。だから、こんな妖しい人を頼りにするのは愚かだと教えているのだ。日本のバラエティー番組でも、やたらと超能力だとか動物と話せるだとかいう類の職業人が登場して人気を博しているが、これはテレビの視聴者にインチキをインチキとばっさり見抜けない暗愚な人が多いことを露骨に示唆している。信じ切らされてしまっている人と、完全に見抜いている人とでは、等しく何も口にしないがために見分けがつきにくいのが難点だ。ただ押すリモコンのボタンが違うだけであろう。手品は初めからトリックがあることを暗黙の前提にして人を楽しませる商売だから、全く別物である。超能力者のインチキは暴いてもよいが、手品師のトリックは暴いてはいけない。手品は素直に楽しむべきものだ。)

人を信ずれば、人に制せられる

 

 君主を襲う禍の種は、人を信ずることにある。人を信ずれば人に制せられる。

 臣下はその君に対して、骨肉の親しみがあるわけではない。君の権勢に縛られて仕えざるをえないのである。だから、人臣たる者は、君主の心を覗き見ることを一瞬たりとも止めないのに、君主の方は緩んだ気持ちでその上にふんぞり返っている。これが、世に君を脅かしたり殺害したりする事件が起こる原因である。

 君主としてあまりに我が子を信じれば、姦臣がその子を利用して私欲を満たそうとする。だから、李ダはチョウ王について主父{恵文王の父、武霊王}を餓死させた。また、君主としてあまりに妻を信じると、姦臣が妻に取り入って私欲を満たそうとする。だから、優施は麗姫のおきにりとなって、太子の申生を殺し、麗姫の子ケイ生を太子に立てた。いったい最も身近な人間である妻と最も親しい存在である子供でさえ、信ずることができないのだから、それ以外で信ずべき人間は一人もいない。

 のみならず、天子、諸侯の后妃、婦人で、その生んだ嫡子が太子となっている場合、彼女たちの中には君が早く死ぬことを願っている者もいる。いった妻は夫に対して、骨肉の恩愛がある存在ではない。愛情があれば親密であるが、愛情が失せれば疎遠となる。世に「母親が美人で愛されておれば、その子は抱き上げられる」ということばがあるが、これを裏返せば、母親が憎まれればその子は打ち捨てられる、ということだ。男子は五十になっても色好みは止まないのに、婦人は三十になると、はや容色が衰える。容色の衰えた婦人が好色の男子に仕えるとなると、当然その身は疎んじ卑しめられ、我が子が君位を継承できないのではないかと疑うようになる。しかし、わが子が位につき、母親が太后となりさえすれば、どんな命令も行われないことはなく、禁じて止められないことはない。男女の楽しみごとも先君のときより減ることはなく、なにためらうことなく万乗の国を思いのままに動かせる。これが、君主の毒殺、絞殺が行われる理由である。yふえに、『桃左春秋』に言う、「君主で病死する者は半数にも満たない」と。君主がこの事を自覚しないのなら、乱亡の種はたくさんある。だから言う、君が死ぬことで利を得る者が多ければ、その君は危うい、と。

 かの王良(しんの名御者)が馬をかわいがり、越王の勾践が人民を大切にしたのは、走らせる、あるいは戦場で戦わせるためである。医者が進んで人の傷口を吸ってその血を口に含むのは、骨肉の親しみによるのではなく、それが利益をもたらすからである。だから、車大工は車を作ると、もっといい車を作ってもらいたいと人が富貴となることを願い、棺桶職人は棺桶を作ると、人が早く死ねば良いと思うものである。なにも、車大工が人の出世を喜ぶ心の広い人間で、棺桶職人が冷酷な人間だというわけではない。人が貴人とならなければ車は売れず、人が死ななければ棺桶は売れない。棺桶職人は人が憎くてこのように思うのではなく、人の死が利益につながるからである。よって、君主は、己の死を利とする者に対して注意を怠ってはならない。(備内篇)

国を管理する方法

 

 参伍の道とは、三人を一単位としてそれぞれの意見を聴取し、五人を一組として過失に対し連帯責任を取らせる方法である。

 三人を単位として一つのことを相談させれば、必ず意見が割れる。五人を一組として連帯責任性にすれば、一人が罪を犯した場合、他の四人は怒って必ずこれを責める。もし三人の意見が割れないようなら、馴れ合っているということで、結局は君主を汚していることになる。

 また、罪を犯しても四人が責めないようなら、これはすでに罪を犯した者が居るということで、結局は獅子身中の虫を飼っていることになる。で、相談が始まってすぐに意見が割れるようなら、彼らの能力の多寡が分かる。また、罪もほんの過失程度のときに怒るようなら、他に悪事を犯している者はいないことが分かる。

 さてこのように、君主が臣下の行動を見たり、意見を聞いたりするその目的は、馴れ合っている者を罰し、しっかりした見解を持っている者を賞するところにある。

 なお、邪な者や罪を犯している者を知っていながら告発しない者も、馴れ合っているとみなして罰する。で、臣下の言葉を聞く場合には、大勢の評価を参考にしたうえで、言っていることが地の利を得ているか、天のときを得ているかを考え、道理に適っているかを試し、思いやりがあるかどうかをあわせて調べる。

 この四つ(地の利、天の時、物の道理、人情)の聴取結果は、割符のようなものであるから、この四つを合わせれば、言っていることの是非善悪が判断できる(四つが割符を合わすときのようにぴったり合えば是、合わなければ非ということになる)。

 また、他の人の言葉を聞いて、それと比較してみると忠誠の度合いが分かる。そもそも君主は、臣下の注視するところであるから、ふだんの態度を変え、親近の者を疎遠にしたり、疎遠の者を親近にするなど恩沢を改めてみても忠誠の度合いが分かる(疎遠にされようが親近にされようが、忠臣は態度が変わらない)。

 注意すれば臣下の持ち物、行動など、目にみえるものからも、推察しにくい点(かくれた悪事など)を見ることが出来る。馴れ馴れしくなりあれこれ他人の仕事まで手を出しがちな近習たちには、謹んで本務を遂行するようにさせる。遠くに使いするものとの関連のあるものを特に用がないのに再三呼び出して使者に何となく恐怖の念を持たせ、出先での悪事を牽制する。

 また臣下の過去を調べ上げて、その前歴を知り尽くす。また、近習の地位につけて心の内側を知り、地位を遠く{地方官などに}してその外側(外に対する態度)を知る。全てを承知しながら、とぼけて尋ねてみると隠れた面が分かるし、謀を以って人を送り込み、相手の悪事や秘密を握って侮りを退ける。何か疑いがあるときは、使者に反対のことを言わせて(誉めるところをけなし、けなすところを誉めるなどして)疑問を確かめる。事が起こった場合、背後にあって利益を得た(得をした)者を探し出して調査すると隠れた悪事が出てくることがある。

 諌め正す官を設けて、独断権を持っている役人の専横を取り締まり、あえて忠誠とは言えない人間を登用して、回りの邪な動きを観察する。法が公平無私なものであることを細かに説明して、仕事を怠りがちな者や反対にでしゃばりがちな者を指導し、説きにはへりくだり、説きには迎合したりして、正直か、おべっか使いか、人間を見分ける。小耳にしたことやちょっとした噂話を利用して、それとなく探りを入れると思いがけないことが分かるし、偽の情報を流して臣下を対立させれば、馴れ合いになっている仲間を解散させることが出来る。

 また、ある事に精通することによって、臣下を恐れ入らせる。極秘事項がもれそうな場合は、わざと別のことをもらして相手のねらいをそらす。人間は欲望や私怨、出世や保身などのために人を陥れることがあるが、こういう問題は複雑で紛らわしい。そこで、紛らわしい問題が起こった場合は、同じような出来事を参考にして詳しく調べ、罪を告白したらその理由を明らかにし、罪を確認した上で処罰して君主の意向をただす。時々隠密の使者を派遣して地方を巡視させ、民がまじめに働いているかどうか調べる。働いていないようなら(仲間を使って横着を決め込んでいるのであるから)、だんだんんい制度を改革していって、横着の元(仲間)をばらばらにする。

 下部の管理(取り締まり)体制を整え、そして徐々に上部の管理体制を整えていけば、いやでも宰相は高官を取り締まり、高官は自分の部下を取り締まり、将校は兵士を取り締まる。使節はその福祉を取り締まり、県令は配下を取り締まり、近習は左右の者を取り締まり、そして皇后は侍従の女官を取り締まるようになる。これを有機的国家管理の道(条達の道)という。話が間違って広がっていたり、大事がもれるようでは法術による統治の道は難しい。(八経篇)

使いこなせない者とは

 

 もし人が衣服を着ることもなく、食事をとることもないのに、餓え凍えることがなく、また死もこわくないとすれば全て満ち足りており、お上に仕える気はとんとならないであろう。すると、君主によって支配されることを嫌う気持ちになる。そのような人物は、臣下として使いこなすことはできない。(八説篇)

姦された上、犬のくそを浴びせかけられた男

 

 燕国の人で、物の怪に取り付かれたわけでもないのに、犬の糞を浴びるはめになった男の話がある燕のある男、妻が若いツバメとこっそり不倫を行っていた。この男、予定より早く外出から戻って来たところ、帰る若いツバメとちょうど出くわした。

 男は妻に尋ねた、「どういう客だ」。妻は、「お客様などいらっしゃいませんよ」という。回りの者に聞いてもいなかったと言う。まるで口裏を合わせたようにである。

 妻が言う、「あなた、物の怪に取り付かれておかしくなったのではありませんか」と。そこで男に、犬の糞を使って行水させた(当時、犬の糞の汁を浴びれば、憑き物が落ちると信じられていた)。

 一説に言う。燕の人李季は好んで遠出した、妻は若いツバメとこっそり不倫の最中。さて李季が急に帰ってくる。若いツバメは寝室に。妻はあたふたひやひや。

 そこで、妻づきの女中が言う、「あの方を{物の怪のように}裸にして髪をふり乱し、門からまっすぐに出て行かせなさいませ。私たちは見なかったことにいたします」と。

 そこで、若いツバメ、そのとおりにして急いで門から出ていった。

 李季は、「あれは何だ」というが、家中しらんぷり。李季は「はてさて、わしは鬼{物の怪}を見たのじゃろうか」という。かの女中、「そうでございます」と答える。

「こういうことになってしまって、どうしたものだろうか」。「五牲(牛・羊・豚・犬・鶏)の糞をもちいて湯浴みなさいませ」。「おおそうじゃ」と、李季は糞を浴びた。これは、一説では蘭の湯を浴びたとも言う。(内儲説下篇)

召し使いの女・出戻り女

 

楊朱は宋国の東を通ったとき、宿屋に泊まった。そこには召し使いの女が二人いたが、同じ召し使いでも醜い方が各が上、美しい方が各が下だった。

 不思議に思った楊朱がわけを尋ねると、宿屋の主人がこう答えた、「美しい女は、自分でも自分のことを美しいと思うておるもの。わしにはそんな女、美しいとは思えなんだ。一方醜い女は、自分でも自分は見にくいと思うておる。わしにはこんな女を醜いとは思えなんだ」と。

 これを聞いた楊朱は弟子に言った、「行いがりっぱであり、しかも決して自分のことを立派だと思わぬような人は、どこへ行っても必ずその真価が認められようぞ」と。

 衛国の人が娘を嫁に出すとき、こう諭した、「向こうの家では、必ずこっそり物をため込むのじゃぞ。嫁に行ったものが嫁ぎ先から追い出されるのはしょっちゅうのこと。嫁ぎ先に居続けられれば、それは運が好かったというもんじゃ」。

 こうして娘は、嫁ぎ先でいろいろとこっそりため込んだ。

 すると姑が、自分勝手な嫁じゃといって娘を追い出したが、娘が嫁ぎ先から実家に持ち帰った財産は、嫁入り道具の倍もあった。娘の父は、自分が娘に誤ったことを教えたと悪く思いもせず、かえって財産が増えたことを自分の知恵からだと自慢する始末。近ごろの官僚連中も、みなこれと同じ穴のムジナだ。(説林上篇)

中行文子の明察

 

 晋国の大臣の中行文子が亡命しようとして、領地を通った。

 従者が言う、「ここの代官はご主人様の昔からのお知り合いではございませんか。どうしてここでしばらくお休みになって、後から来る車をお待ちになりませぬのでございますか。」

 中行文子は次のように言った、「以前わしは音楽を好んだ。すると、あの代官はわしに琴を献上してまいった。また、わしが珮(はい。腰にさげる玉おびだま)に夢中になると、代官は玉環(玉の輪。腰にさげる飾り)を献上する。これこそ、わしの過ちを助長させる人物であって、わしに取り入ろうとするものである。こんどは、わしを利用して別の人にとりいろうとするのを恐れるのじゃ」と。そこで、そこを立ち去った。

 果たして、代官はおくれてきた二台の車を捕らえて、君主に奉った。

王のお気に入りを見抜く

 

セツ(草冠に呂と辛)公が斉国の宰相であったとき、君主の威王の正室が亡くなった。そのとき、宮中には十人の側室がいたが、どれもみな王に可愛がられていた。

 セツ公は、王がどの側室を新たな正室に立てようと思っているかを察知し、その側室を正室にするよう自分から進言しようと考えた。

 もしこの進言が聞き入れられれば、新しい正室を擁立したことで王から重んじられる。だが、もし聞き入れられなければ、擁立失敗で王に軽んじられることになる。そのため、何としてもまず王が正室に立てようと思っているのが誰なのかを知った上で、その側室を正室に推薦しなければならない。

 そこでセツ公は、玉の耳飾りを十組作り、その中の一つを特に美しいものにしておいて王に献上した。王はさっそくそれを十人の側室に分け与えた。次の日セツ公は座ったまま、どの側室がとくに美しい耳飾りをしているか見極め、その側室を王に推薦し、正室に立てることに成功した。(外儲説右上篇)

母の愛より必要なもの

 

 母の幼子に対する愛情は、何よりも深い。しかし幼子が良くない行いをするようならば、先生につかせて修養をさせるし、悪い病気にかかるならば、医者にみせて治療をしてもらう。もし先生につかなければ刑罰を受けることにもなりかねず、医者に見せなければ死んでしまうかもしれない。母がいくら我が子を愛しても、愛情などは、刑罰から、また死から救うのに役に立たない。つまり子供を無事に育てるものは、愛ではないのである。子と母とを結ぶ絆は愛である。また君臣関係を結ぶものは計算ずくである。母でさえ愛を以って家庭を無事に存続させることが出来ないのに、どうして君主が愛などと言うもので国家を保持することが出来ようか。

 名君が富国強兵の法に通じておれば、望みのもの全て手に入れることが出来る。だから政治の方策に本気で耳を傾けるのである。富国強兵の方とは、法律や禁令を明らかにし、計略をよく心得ることである。法律が明らかであれば、国内に事変が起こっても混乱することなく、計略が当を得ておれば、国外で戦死したり捕虜になったりする恐れもなくなる。つまり国家を存続させるものは、仁や義などではないのである。

 仁人は恵み深く、気前よく財産をばらまいてしまう。暴者は心が強くて動かされず、簡単に罰を与えてしまう。慈しみの心が深いと、厳しく罰することが出来ず、気前が良いと、人に与えることを好み、心が強いと、臣下どもに対して憎しみの心が現れ、簡単に罰を与えると、むやみに人を死刑にしてしまう。その結果、厳しく罰することができなければ、罪を多めに見ることが多くなり、人に与えることを好めば、功績の無い物にまで恩賞を与えてしまう。また、憎しみの心が現れれば、下々の者はおかみを怨むようになり、むやみに人を死刑に処したならば、民衆は謀反を起こそうとする。

 だから、仁人が君主の位につくと、下々の者は好き勝手に振る舞い、軽々しく法律に違反して、お上に対して一時の幸福をむさぼることを望のである。また暴人が君主の位につくと、法律は気まぐれで君主と臣下の仲は不和になり、民衆は怨んで謀反の心を生じる。そこで私は、仁人にしても暴人にしても、ともに国を滅ぼすものだと主張するのである。

 スープを用意できないのに、餓えた人に食事を進めるのでは、餓えた人を生かすことにならない。草地を切り開き穀物を作ることもできないのに、民に物を貸し、施し、また褒美をあたえることを勧めるのは、民衆を豊かにさせることにならない。今の学者の言葉は、根本を論じないで、末端にこだわり、空虚な聖人のことばを唱えて民衆を悦ばすことしか知らない。これは絵に描いた餅と同じである。このような議論を、名君は決して受け入れたりしない。(八説篇)

どういうことを、過って忠臣の言に従わないというのか。

 

 どういうことを、過って忠臣の言に従わないというのか。

 昔、斉国の桓公は覇者となって、あわせて九回、諸侯を会合させ、天下の秩序を正し、五伯(春秋時代の五人の覇者)の筆頭となった。宰相の管仲(かんちゅう。名宰相と名高い)がそれを補佐した。

 その管仲が年をとって、政治を執ることができなくなって、家に隠居した。

 桓公は出かけていって問うた、「仲父(ちゅうほ。管仲を尊んで言う)は隠居して病気になってしまった。もし不幸にしてこの病気が回復しなければ、だれに国を治めさせればよいだろうか」。

 管仲が言う、「わたくしは、老いさらばえてしまいました。お尋ねになっても仕方のないこと。ですが、わたくしは『臣のことは君が一番よく知っている。子供のことは父親が一番よく知っている』というふうに学んでおります。殿様、ご自身の思うままにお決めになってはいかがですか」。

 桓公は言う、「鮑叔牙(ほうしゅくが)ではどうだろう」。

 管仲、「だめです。鮑叔牙は剛腹で勇ましいことを好みます。剛だったら?#92;力で民を扱います。片意地ですので民の心を得られません。勇ましいので下々のものが言うことを聞きません。その心持ちは畏れることを知りません。覇王の補佐たるべきものではありません」。

「豎ジュチョウはどうじゃ」。

 管仲、「いけません。そもそも、人の情として自分自身を大切にしないものはおりません。殿様は嫉妬深く女性を好まれます。豎は自分から去勢し、宦官となって殿の女性の取締役になりました(宦官だけが後宮に出入りすることができる)。去勢するために自分の身を傷つけた者が、どうして殿様を大切にしましょうか」。

「そうすると、衛国の公子開方(かいほう)ではどうか」。

「だめです。斉と衛との距離は、十日にすぎません。開方は殿様に仕えて、殿様の意向に沿おうとするがため、十五年ものあいだ里帰りして両親に会いませなんだ。これは、人情に反しております。父母にすら親しまない者が、その君に親しむものでしょうか」。

 桓公が言う、「では、易牙(えきが)ではどうか」。

 管仲、「いけません。易牙は殿様のために厨房を執りしきっておりましたところが、殿様が食べたことがないのは人肉だけとなりましたら、易牙は自分の長男を蒸して、殿に勧めました。これは、殿様もご存じのこと。人の情としてその子を愛さない者はおりません。なのに、その子を蒸して殿の膳に差し出したのです。自分の子ですら愛さないのです、どうしてよく殿様を愛しましょうか」。

「では、いったい誰がよいのじゃ」。

「隰朋(しゅうほう)だとよいでしょう。彼は、心持ちが正しく行いが清廉で、欲が少なく信義に厚うございます。そもそも、心持ちが正しければ、人々の手本とすることができます。行いが清廉ですから、大いに任用できます。欲が少ないですから、うまく民を統治いたしましょう。信義に厚いですから、隣国ともうまくゆきましょう。これこそ、覇者の補佐というもの。殿様、隰朋をご登用なさいませ」。

桓公は、「わかった」と答えた。

 一年あまりして管仲が亡くなった。ところが桓公は隰朋を登用せずに、豎に政をまかせた。

 豎が、政治をみるようになって三年、桓公は、南方の堂阜というところに遊んだ。すると豎が易牙、衛の公子開方や大臣たちを率いて反乱を起こした。桓公は飢えて、行宮の寝室で死んだ。遺体は三ヶ月放置され、うじ虫が寝室の戸まではい出るありさまだった。

 そもそも、桓公の軍隊は天下を駆け回り、五伯の筆頭となったのに、最後には臣下に殺される。名声を台無しにし、世間のもの笑いになったのはなぜだろうか。それは管仲の忠告を聞かなかった誤りにある。だから、過って忠臣のいうことをきかず、勝手気ままを行えば、人の笑い者になる端緒となるというのである。(十過篇)

形名参同術

 

臣下に能力をうまく使わせ、しかも嘘偽りなく仕事をさせるにはどうしたらいいか。

 

始皇帝の心中(考察)

 

政(始皇帝の名)は幼いころから権謀の渦中にあって、殺されてもおかしくない状況下で捨て駒のように人質として敵国に行かされたり、我を仲父と思って頼れと言った恩人が母と寝ていて、斬り殺そうにも自分には力がないので知らぬふりを続けて満を持してから事を暴いて成敗し、自ら権力を取り戻すなど、裏切りの中で育ったために猜疑心と冷酷な心が育ちに育っていたと考えられる。人々は虎狼の心の持ち主というが、それは政の結果的一面しか見ていない。最も親密であるべきはずの肉親にも裏切られて死ねと言われ、命の恩人にも裏切られ、おまけに二度までも肉親に裏切られ、活路を切り開いたかとおもえば執拗な自助努力のみだったのである。そして周りを見渡せば、自分に取り入ろうと擦り寄る者ばかりだった。彼は孤独だった。疑うことのみが自分の立場を押し上げた。だが疑い尽くしても、真実は残らなかった。だれがそんな自分の気持ちを理解できよう。立場上、打ち明けることもできない。打ち明ければその心の弱さに付け込まれて利用される危険があった。多くの君子が猜疑心に苛まれるように、彼の中でも深刻な悩みのタネだったのである。だから隠すしかなかった。

 

そこで出逢ったのが韓非子の書籍であった。その書は実学、帝王学と興味深い内容であるばかりでなく、人間はもとより悪であって信用ならぬという主張が全面に押し出されている。政は思った。韓非子は自分と同じだ。人に裏切られるといった辛酸を舐めてきたからこそできる発想だ。韓非子は裏切られることの苦しみを誰よりも知っている。韓非子なら自分のよき理解者になってくれるに違いない。韓非子となら、自分を苦しめてきた積年の猜疑心を晴らせるかもしれない。政の心は弾んだ。韓非子が友となれば、もう孤独な思いをせずに済む。その上で自国の軍師に迎えれば、何の疑いも心配もせずに政治のノウハウを聴けるようになるではないか。そこで政は韓非子を呼びつけた。政治の能力は嘘でもよい、だから自分の心の友となってほしい、この猜疑心だらけの世界に一つでも理屈抜きの信頼関係を構築したい、苦労を分かち合いたい、と。そんな喉から手が出るほど欲しい人物を呼ぶため、「韓非子に会えたなら死んでもよい」と言ってまで協力をあおりもした。この言葉の表向きは政治熱心さを全面に出してはいるが、裏では同時に本心の叫びでもあったのだ。(中国人は昔から、一旦この人と決めたら自分の中へ入れてとことん信用したがる、という民族性がある)

 

やがて韓非子が敵国からやってきた。政治の話を聴くという名目だが、敵側の使者という立場上、有意義な話が聴けないことは始めからわかっていた。それでも歓迎したのは、腹の内をさらけ出して打ち解け合うことを切望していたからだ。ところが韓非子の態度たるや、その立場の微妙さもあるだろうが、彼の訥弁癖や出世欲も手伝って、書籍ほど弁じもしなければ、心を隠して少しも開こうとしない。政は残念どころではなかった。韓非子までも、自分に取り入ろうとしているのか。韓非子自身の理論によれば、韓非子も人間だから、やはり信用できないではないか・・・。それは皮肉にも、一抹の希望にすがっていた政を絶望の淵にたたき込む結果となった。いやまてよ、韓非子は自分の書物のなかにも、心を隠して悟らせないのが善い、と書いている。それに、会っていきなり打ち解けるというのも無理な話だ。そこで韓非子をしばらくそばに置いておくことにした。政は徐々にでも韓非子が心を開いてくれないか思って、たびたび呼び出したが、韓非子はいつまでも質問に対する必要最小限の回答か、使者として妥当な提言しかしなかった。このころになると、政もにわかに気付き始めていた。「やはりな」と。

 

そのうえ、韓非子から学ぶべき官僚までもが、彼を危険だと言い出した。これでは韓非子を抜擢することもできない。かといって、いつまでもこのままでは国の執政にも差し支える。こうなるともう面白くもなんともないばかりか、むしろ邪魔だ。お引き取り願うにも、相手は敵国。返さずに殺してしまうほうが国益に適うのは自明だった。もとより執政手法に心惹かれて呼び寄せたわけではないのだし、何かを尋ねても彼の書籍と同じ内容の回答しかしないのであれば著者など不要だ、と。

政は韓非子の能力に失望したのではなく、心の友として打ち解け絶大な相互理解と信頼関係の絆を構築することによって出生以来の猜疑心を粉砕してくれたいという、何よりも切実な期待を裏切られたことに絶望したのだ。殺してしまう事に反対する理由はもはや無かった。だが、いくら虎狼の心の持ち主で通っているからとはいえ、自分で懇願して呼び寄せた有名人を理由もなく殺せば徳に傷がつく。そこで、まずは無実の罪を着せて投獄しておいて、期を見て死刑を宣告し、後から死刑取り消し令を出したが部下が過って刑を執行してしまったということにして、殺す、という手はずを整えた。ここに政と官僚の利害が一致し、かくして韓非子は獄中で毒をあおった。

 

司馬遷は、「韓非子が自ら説難篇を記しながら、災いを避けることが出来なかったことを残念に想う」と書いた。たしかに、君主に意見を説くことの難しさを知っていた韓非子が、自国でも敵国でも採用されなかったと考えればそうなるだろう。だが私は、韓非子に簡雍の一割でも”敢えてする放漫さ”があったならと悔やむのである。ささいな心の隙をわざとみせることで、つけいらせて引き込むのである。疑い深く虎視眈々とした相手と打ち解ける手は、これしかないだろう。また韓非子の死について、「彼は二度殺されたのだ、一つは生物学的に、もう一つは思想哲学的に」という言があるが、それは違う。彼の思想は彼の生前に一度も実用化されなかったから、生まれていないものに死もなにもない。むしろ彼の思想は、彼の死後に注目を浴びて生を受けたという意味で二度生まれ、今なお生き続けている、という方が適切であろう。少なくとも法治国家にあって憲法をして法の下の平等を図る先進国の国民ならば、彼の思想が死んだなどとどうして言えよう。