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錦帯橋と岩国城を紹介

■岩国城(山口県岩国市)は、山麓の「御土居(おどい)」と称される居館部分に加え、背後の山頂には詰の城が設けられ、3層4階・物見付の天守が建てられた。

■錦川を天然の堀とし、岩国市街を見渡す横山(標高216m)にある山城。別名「横山城」

復興天守

岩国城

岩国城

1962年(昭和37)、3層4階・物見付の天守が鉄筋コンクリートで復興。城下からみえやすくするため、旧天守台より南の山ぎわに建造。

関ヶ原の戦い後、毛利氏の減封にともない毛利一門の吉川広家(毛利元就の孫)は、石見・出雲・伯耆12万石から、1600年(慶長5)に、岩国3万石に転封された(のちに6万石)

 1602年(慶長7)から、錦川を天然の守りとする横山の南麓に居館(御土居)を構え、翌年に横山山上に長さ300m、幅200mにわたって本丸・二の丸・北の丸を構築。 

 本丸北隅に3層4階の天守を構えた。1603年(慶長8)に着工し、5年がかりで1608年(慶長13)完成。山頂の要害と山麓の居館をあわせて岩国城といった。

1615年(元和1)の一国一城令で山上の城は取り壊され、以後、明治の廃藩置県まで、山麓の居館が岩国藩庁となった。現在、居館跡は吉香神社となっている。1962年に、山上に天守が復興された。 

錦帯橋

錦帯橋

錦帯橋

錦帯橋(きんたいきょう・国名勝)は3代藩主吉川広嘉(ひろよし)が、1673年(延宝1)、藩庁と城下を結ぶために錦川に創設した。5連アーチの名橋として、城下町岩国のシンボルとなっている。

錦川に架かる錦帯橋と城山(横山)

錦川に架かる錦帯橋と城山(横山)

城下町側からの眺め

城山からの眺め

山麓の藩主居館・武家屋敷跡

城山(横山)から望む錦帯橋と山麓の藩主居館・武家屋敷跡

城山(横山)から望む錦帯橋と山麓の藩主居館・武家屋敷跡

御土居(藩主居館)を中心に藩の役所と武家屋敷が並んでいた。

錦川が「つ」の字を描くように城下町を抱いて蛇行している。城下町から錦帯橋を渡ると武家屋敷・居館跡となる。

錦帯橋からの眺め

錦帯橋からの眺め

城山(横山)から望む山麓

城山(横山)から望む山麓

武家屋敷・居館跡 写真左の像は、3代藩主吉川広嘉像(錦帯橋を創建)

武家屋敷・居館跡 写真左の像は、3代藩主吉川広嘉像(錦帯橋を創建)

 

香川家長屋門(県文化財) 岩国藩家老の香川正恒居宅の長屋門。

香川家長屋門(県文化財) 岩国藩家老の香川正恒居宅の長屋門。

旧目加田家住宅(重文)

旧目加田家住宅(重文)

錦雲閣(きんうんかく)

錦雲閣(きんうんかく)

明治18年(1885)、居館跡に吉香神社が移ったとき、絵馬堂として建てられた。藩政時代、この場所には3階建ての南櫓があった。

紅葉谷公園・吉川家墓所前の道

紅葉谷公園・吉川家墓所前の道

紅葉谷公園は吉香公園南西の城山山麓にあり、もとは寺院が集まり寺谷といった。

山上の城郭

岩国城郭案内図

城郭案内図

 岩国城ロープウェー山麓駅から山頂駅まで所要時間3分。山頂駅から天守まで徒歩5分。

 岩国城天守閣は、天守閣跡(旧天守台)より南の山ぎわに建造され、史料をもとに、桃山風南蛮造りといわれる当初の様式に復興。

 城山(横山)には、曲輪跡(本丸・二の丸・北の丸・出丸)・空堀・天守台・大釣井・大手門跡などが残る。

ロープウェー山頂駅 後方下は、山麓の藩主居館・武家屋敷跡。

天守へ至る道 搦手側の道で、この先には大釣井・空堀がある。

天守へ至る道 搦手側の道で、この先には大釣井・空堀がある。

大釣井(おおつるい)

大釣井(おおつるい)

この大井戸は、慶長13年(1608)築城と同時につくられたもので、非常時の武器弾薬等の収納をはかるとともに、敵に包囲されたり、落城の危機にさらされた場合の脱出口を備えた井戸であったとも伝えられている。

岩国城本丸下の空堀

本丸下の空堀

岩国城は、江戸時代初期に築かれた石垣造りの近世城郭である。この時代に築城された城郭の多くは平城で、岩国城のように山頂に城郭を築き、防衛を主体とした空堀を築造したものは、全国的に見ても極めて珍しい。

 この空堀は、幅約19.6m、深さ約10mと、日本最大の箱堀構造で、明らかに敵の鉄砲による攻撃を意識して造られたものである。石垣は空堀の部分には築造されていない。

東矢倉跡 空堀のそばに位置する。

東矢倉跡 空堀のそばに位置する。

出丸跡 大手門跡へ上がる階段と、後方は本丸となる。

出丸から見た大手門跡

二の丸跡

本丸跡 旧天守台側から見た本丸跡と復興天守。

城山の石垣群

復元された岩国城旧天守台<石積東側面>

復元された旧天守台<石積東側面>

旧天守台は上部が破壊されていたが、近年その部分も復元された。

岩国城跡旧天守台について

場内説明板

 岩国城は、江戸時代には珍しく、山上に築かれた近世城郭である。この城郭は、毛利氏の一族、吉川広家(きっかわひろいえ)が慶長8年(1603)に着工、同13年に完成したが、元和元年(1615)一国一城令により破却された。

 城郭の中心となる天守台は、古式穴太積み(こしきあのうづみ)と呼ばれる石積みを基本としながらも、戦国時代に、地方独自の石積みの技術が加わった形で造られた構造物である。

 天守台の石垣は、大きめの石と、すき間に詰めた小さめの石からなり、隅部の角石(すみいし)には算木(さんぎ)積みの技法が見られる。その隅部には、反りはなく、ほぼ直線上の稜線に仕上げられており、見かけの美しさよりも構造力学上の安全性に重点を置いた造りになっている。これにより、戦国武将吉川氏の石垣の力強さを垣間見ることができる。

修復・復元された岩国城旧天守台

修復・復元された旧天守台

復興天守から望む旧天守台 平屋の建物はトイレ。

岩国城復興天守

復興天守