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レイテ沖海戦の経過について解説:栗田艦隊の機動に注目

レイテ沖海戦は日米あわせて280隻もの艦艇が投入され、戦域や規模のうえで世界戦史上でも類を見ない大海戦となった。

そのため戦術的経過は大変わかりにくいものとなっており、海戦図も複雑なことこの上ないものとなっている。

従って本稿でもその艦隊機動をすべて網羅することは不可能である。そこでスリガオ海峡夜戦やエンガノ沖海戦など他の解説すべき諸局面については別の機会に譲り、

今回は海戦の主役たる栗田艦隊の機動に絞って解説してみたい。

1.計画

マリアナ沖海戦で惨敗後、サイパン・グアム・テニアン島を米軍に奪取され絶対国防圏が崩壊した大日本帝国はついでビアク・パラオを喪失し、米国は日本占領地域のどの方面にも進出することが可能となった。

米首脳部は、当初フィリピン攻略は戦略上必要でないと考えていたが、フィリピンの大地主として利権を握っていたマッカーサー大将が強硬にフィリピン解放を主張したため、フィリピン攻略が決定された。

日本軍は米軍のフィリピン上陸を当初11月中旬と考えていたが、実際にはマッカーサーは周到な用意と電撃的な素早さで10月中にレイテ島に上陸したため、日本軍は予想外に早期の決戦を強いられたといえよう。

大本営は米軍がフィリピン以外の地域に上陸する可能性も考慮し、主作戦地域ごとに作戦計画を作成した。

捷一号作戦はフィリピン方面、捷二号作戦は台湾・南西諸島方面、捷三号作戦は日本本土、捷四号作戦は北海道および千島列島方面、というようにである。特に情勢から鑑みて次期作戦は捷一号作戦である可能性が高かった。

以上のような大本営の作戦要領に基づき、海軍でも捷一号作戦に向けた大綱を作成した。それは概ね以下のとおりである。

 

1.決戦地域において陸軍と共同し必勝不敗の信念で本作戦での敵必滅を期す。

2.陸上航空兵力・海上兵力はその全力をフィリピンに投入し、攻撃目標は敵空母ならびに上陸船団の輸送船とする。

3.海上兵力の中核となる連合艦隊は第二艦隊を決戦兵力としてレイテ湾に突入、第三艦隊・第五艦隊で敵機動部隊を北方に牽引するを眼目とする。

4.第二艦隊を中核とする第一遊撃部隊はリンガ泊地、第五艦隊を中核とする第二遊撃部隊および第三艦隊は日本内海で待機し、敵来攻の折を見て進出すること。

 

2の作戦目的については曖昧な決定しかなされなかった。敵艦隊との決戦を志向する第二艦隊にとっては輸送船団よりも戦艦や空母といった大型艦艇を撃沈したい意図があったからだ。

そのため連合艦隊参謀・神重徳大佐と第二艦隊参謀長・小柳富次少将の間では作戦目的に関する論争があったといわれている。

マリアナ沖海戦で第三艦隊の空母戦力を著しく減じたため、戦艦・巡洋艦主体の第二艦隊を決戦兵力とせざるを得なくなったが、これには多大の無理を強いることは明白であった。相手は空母航空兵力、これに上空直掩もない艦隊をたたきつけるのであるから。

そこで第二艦隊・栗田健男中将では旗艦を愛宕から防御力・通信能力で艦隊中最高を誇る大和型戦艦へと移譲することを何度も連合艦隊に提案したが、第二艦隊は同時に水雷戦隊でもあるという事情から許可されなかった。

さて、敵の制空権下に長時間にわたり艦隊を晒し続けるには、各艦の間隔を狭くし対空火力を密に出来、かつフレキシブルな回避運動を可能とし同時に対潜哨戒を容易とする陣形でなければならない。そこで導き出されるのは輪形陣である。

これは旗艦を中心に幾重かの円形に艦を配置する陣形であるが、40隻にのぼる第二艦隊の全てをひとつの集合体として運用することは運動性を著しく損ねるので、それぞれ第一部隊と第二部隊、そして第三部隊に分割して運用することになった。 第一部隊と第二部隊を附した通称が栗田艦隊で、第一・第二部隊とは別行動をとることになった第三部隊を西村艦隊と呼ぶ。

第二艦隊の陣容は以下のとおり。(ただし第三部隊・西村艦隊を除く。西村艦隊の戦艦山城・扶桑は元々第二艦隊所属ではなく連合艦隊付属あつかいだった。)

 

第二艦隊

第一遊撃部隊第一部隊

第一戦隊:司令官:宇垣纏中将、戦艦・大和、武蔵、長門

第四戦隊:司令長官直率、重巡洋艦・愛宕、高雄、摩耶、鳥海

第五戦隊:司令官:橋本信太郎中将、重巡洋艦・妙高、羽黒

第二水雷戦隊:司令官:早川幹夫少将、軽巡洋艦・能代

第二駆逐隊:司令:白石長義大佐、駆逐艦・早霜、秋霜

第三十一駆逐隊:司令:福岡徳治郎大佐、駆逐艦・岸波、沖波、朝霜、長波

第三十二駆逐隊:司令:大島一太郎大佐、駆逐艦・浜波、藤波、島風

第一遊撃部隊第二部隊

第三戦隊:司令官:鈴木義尾中将、戦艦・金剛、榛名

第七戦隊:司令官:白石萬隆中将、重巡洋艦・鈴谷、熊野、利根、筑摩

第十戦隊:司令官:木村進少将、軽巡洋艦・矢矧

第十七駆逐隊:司令:谷井保大佐、駆逐艦・浦風、磯風、雪風、浜風、清霜、野分

 

2.出港、会敵

栗田健男司令長官の指揮する第二艦隊は、1944年6月のマリアナ沖海戦敗北後、燃料のストックがない本土ではなく南方のリンガ泊地に停泊していたが、

捷一号作戦の発動により10月18日午前1時、リンガ泊地を出港し10月20日、ボルネオ島ブルネイに到着して待機、同時に連合艦隊司令部は25日黎明にレイテ湾に突入すべしと発令した。

連合艦隊司令部指定の日時に突入するためには22日には出港しなければならない。燃料補給の割り当て時間はわずかに20時間しかなかったが給油艦がまだ到着していなかった。

そこで駆逐艦は巡洋艦に、巡洋艦は戦艦から燃料を受け取り、最後に到着した給油艦から戦艦が燃料を受け取った。

22日午前8時、ブルネイを出撃した第一、第二部隊は対潜警戒航行序列で北上、一路レイテ島沖に向かった。 昼間はずっと之字運動を繰り返しつつ航行し、潜水艦の攻撃に備え、夜間のみ速度を減速し之字運動を停止した。

25日夕刻のレイテ突入を命ぜられた第二艦隊の取る進路には4つの案があった。①は、パラワン諸島を大きく迂回する進路だが、これは突入時刻が遅延するため不可能で、

②は米潜水艦が存在すると考えられる危険水域を通過するが、距離は短縮できる。③、④は敵空母航空群または敵陸上機の航続距離内に入る時刻が早いため不可。

結局②の航路を選択したわけだが、結果は案の定、23日午前6時30分、アメリカ潜水艦「ダーター」および「デース」から発射された魚雷が旗艦・愛宕に4本が、ついで高雄に2本が命中し、56分には摩耶が雷撃を受け、愛宕と摩耶は沈没し高雄は帰投を余儀なくされた。

第二艦隊は貴重な重巡三隻を一挙に喪失し、栗田長官は旗艦を大和に移して作戦を継続し、午後11時20分には南東に転進してミンドロ海峡へと向かい、24日未明にはシブヤン海に進出した。この24日こそは栗田艦隊が大空襲に晒され、戦艦「武蔵」が沈没するその日である。 ※以下加筆予定

3.対空戦闘

4.戦艦武蔵の最後

5.サマール沖海戦

6.反転

7.帰港

8.戦略・戦術的総括

参考文献