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●大友一門 |
1520年 |
1歳 |
豊後国の大名大友義鑑の一門で、水ヶ城主、臼杵長景の三男として生まれる |
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その後、二人の兄同様大友家に仕える |
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その後、主君大友義鑑から偏諱を受け、臼杵鑑景と名乗る |
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その後、臼杵鑑速と改名 |
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●二階崩れ |
1550年 |
31歳 |
二階崩れの変により、大友義鎮(宗麟)が家督を相続 |
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その後、豊後国周辺の国人や毛利家との交渉役として、吉岡長増とともに外交面中心に活躍 |
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●豊前・筑前 |
1555年頃 |
36歳 |
兄、臼杵鑑続に子がなかったため、臼杵家を相続 |
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大友家の加判衆となり、豊前国方分(守護代)、筑前国方分(守護代)を引き継ぐ |
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その後、戸次鑑連(立花道雪)、吉弘鑑理とともに大友三老と呼ばれる。 (大友三老は、臼杵鑑速、吉岡長増、吉弘鑑理とも) |
1559年 |
40歳 |
大友義鎮(宗麟)の豊前国・筑前国守護職拝命の際、幕府との交渉を行う |
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その後、守護職拝命の御礼のため上洛、将軍足利義輝に拝謁 |
1561年 |
42歳 |
門司城の戦(豊前国)で、大友家は毛利家に大敗 |
1562年 |
43歳 |
大友宗麟(義鎮)が臼杵城を築き、居城に |
1567年 |
48歳 |
休松の戦に参陣、秋月家と戦う |
1569年 |
50歳 |
立花城の戦に参陣 |
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●大友家の最盛 |
1570年 |
51歳 |
主君大友宗麟、豊後国、豊前国、筑後国、筑前国、肥後国、肥前国、日向国、伊予国半国を支配下に |
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今山の戦で、大友家は龍造寺隆信の家臣鍋島直茂に敗北 |
1575年 |
56歳 |
死没 |