勝頼を見限った木曽谷の領主
誕生 | 1540年(天文9年) |
生誕地 | |
父 | 木曾義康 |
母 | |
幼名 | |
名 | |
官名 | 伊予守、左馬頭など |
近親など | 正妻:真竜院(武田信玄の娘) 子:木曾義利など |
ゆかりの地 | 信濃国 福島城 信濃国 深志(松本)城 |
略歴 | 1540年 (1歳) 信濃国福島城主、木曾義康の子として生まれる。 旭将軍、源義仲(木曾義仲)の末裔とされる。 ●信玄への服従 ●信玄の死 1579年 (40歳) ●武田への裏切り 武田勝頼はこれに激怒、武田信豊らに木曾攻めを命じるとともに、人質にとっていた義昌の母や子を処刑。 鳥居峠で織田信長の援軍を得て、討伐軍に勝利。 武田勝頼が天目山へ向かう途中自害。(天目山の戦) ●松本城主 ●木曽への帰還 この後、信濃国に進出してきた徳川家康に従う。 天正壬午の乱。 ●下総 1595年 (56歳) |
死没 | 1595年(文禄4年)3月 (享年56歳) |
レクイエム | 遺体は、椿の海という湖に水葬された。椿の海は現在では干拓されている。 |