誕生 | 1576年4月13日(天文4年3月15日) |
生誕地 | 陸奥国陸奥 田子城 |
父 | 南部信直 |
母 | 泉山出雲の娘 |
幼名 | 彦九郎 |
元服名 | 南部晴直 |
名 | 南部晴直、南部利直 |
官名 | 従四位下、信濃守 |
近親など | 正妻:源秀院(蒲生氏郷の娘) 子:南部家直、南部政直、南部重直、南部利康、南部重信、南部利長、南部直房、七姫(最上義俊の正室)など |
ゆかりの地 | 陸奥国陸奥 田子城 陸奥国陸奥 三戸城 陸奥国陸中 盛岡城 |
略歴 | ●南部家 1576年 (1歳) 三戸城主、南部晴政の養子、南部信直の嫡男として田子城で生まれる。 1582年 (7歳) その直後、晴政の後継、南部晴継が病没。(暗殺説もあり) ●南部氏相続 これにより南部(九戸)実親の実兄、九戸政実と家中において対立。 ●秀吉への臣従 1590年 (15歳) 豊臣秀吉の奥州仕置では、本領(陸奥国陸奥南部、陸奥国陸中北部)を安堵される。 この頃前田利家から偏諱を受け、南部利直に改名。 1591年 (16歳) その後領地替えにより、九戸城を改築し居城とし福岡城と改名。 ●盛岡城 ●家督 1600年 (25歳) 石田三成ら西軍の挙兵を受け、徳川家康の東軍が関西へ転進したことや、伊達政宗に煽動され(異説有り)和賀郡や稗貫郡で一揆が起こったことから帰国。 関ヶ原の戦で東軍が勝利。 1601年 (26歳) ●藩政 1614年 (39歳) 1615年 (40歳) 1632年 (56歳) |
死没 | 1632年10月1日(寛永9年8月18日) (享年56歳) |
レクイエム | 江戸へ向かう途中の花巻で名物のそばを食した際、利直はその旨さに感激し何度もお代わりをしたという。その際そばは綺麗なお椀に入れて出された。これが「わんこそば」が生まれるきっかけとなったという。 |