長篠城を守り通して信の字を拝領した
誕生 | 1555年(弘治元年) |
生誕地 | 三河国 作手 |
父 | 奥平貞能 |
母 | 牧野成種の娘 |
幼名 | 九八郎 |
名 | 奥平貞昌、奥平信昌 |
官名 | 従五位下、美作守 |
近親など | 正妻:亀姫(徳川家康の娘) 子:奥平家昌、松平家治、奥平忠政、松平忠明など |
ゆかりの地 | 三河国 作手城 三河国 長篠城 三河国 新城城 上野国 小幡陣屋(のちの小幡城) 美濃国 加納城 |
略歴 | ●今川家への臣従 1555年 (1歳) 奥三河の作手城主、奥平貞能の子として生まれる。 ●松平(徳川)家への臣従 ●武田家への臣従 1572年 (18歳) ●徳川家への臣従と家督相続 父、奥平貞昌が隠居し、家督を相続。 ●長篠の戦 戦後織田信長の賞賛を受け、信の字を拝領し信昌と名乗る。 新城城を築城し、居城に。 1576年 (22歳) 1584年 (30歳) 1588年 (34歳) ●上野国 1600年 (46歳) 戦後は、京都の治安確保や西軍の首謀者安国寺恵瓊を逮捕するなど貢献。 ●美濃国 岐阜城を破却し、加納城を築城し居城に。 1602年 (48歳) ●相次ぐ子の死 下野国宇都宮藩主で、長男の奥平家昌が病死。孫の奥平忠昌が家督を相続。 1615年 (61歳) |
死没 | 1615年(慶長20年)3月 (享年61歳) |
レクイエム | 山家三方衆のひとりとして、武田家と徳川家の勢力争いに巻き込まれた前半生だったが、家康の長女との結婚を機に、家運は大きく好転した。 |