●田村家 1568年 (1歳) 陸奥国磐城三春城主、田村清顕の一人娘として生まれる。
●伊達氏 1579年 (12歳) 出羽国羽前米沢城主、伊達輝宗の嫡男、伊達政宗に嫁ぐ。
1584年 (17歳) 夫伊達政宗、家督を相続。
1585年 (18歳) 人取橋の戦で、伊達家が佐竹、蘆名連合軍に勝利。
●誅殺事件 1586年 (19歳) 実父、田村清顕が急死。 これにより田村家では、伊達派と相馬派が対立。
伊達政宗毒殺を企てたという理由により、愛姫の乳母や侍女が全員誅殺される。
実家、田村家の跡継ぎ争いに夫、伊達政宗が介入、田村宗顕が当主に。
●奥州南部平定 1589年 (22歳) 伊達政宗、摺上原の戦で蘆名義広を破り、奥州南部を制圧、周辺の諸族を支配下に置き、出羽国羽前南部、陸奥国岩代、陸奥国陸前南部など合計114万石の太守に。
陸奥国岩代の黒川城(会津若松城)に本城を移す。
●毒殺未遂 1590年 (23歳) 伊達政宗、実母の義姫に毒殺されそうになるが回避。この事件を発端に、家督を狙っていた弟の伊達政道(小次郎)を成敗。(異説あり)
●人質 伊達輝宗、小田原城攻めを行っていた豊臣秀吉に、ギリギリのところで伺候し臣下につく。
1591年 (24歳) 伊達家は、 惣無事令違反や領内での一揆(葛西大崎一揆)を煽動した疑いなどから、米沢など約150万石から陸奥国陸前玉造郡など58万石に減封に。
愛姫、人質として豊臣秀吉の住む京都聚楽第の伊達屋敷へ移る。
伊達政宗、岩出山城(岩手沢城)に入る。
その後、夫の行動や考えを理解するように。
●出産 1594年 (27歳) 長女、五郎八姫を出産。
●伏見 1595年 (28歳) 秀次事件により破却されることになった聚楽第から、伏見城の伊達屋敷へ移る。
1600年 (33歳) 関ヶ原の戦。
長谷堂城の戦。
1601年 (34歳) 伊達政宗、仙台城(青葉城)を築城し居城とし、初代仙台藩主に。(60万石)
●江戸 1603年 (36歳) 江戸城の伊達屋敷へ移る。
卯松丸を出産。
1605年 (38歳) 娘の五郎八姫が、徳川家康六男松平忠輝と結婚。
1607年 (40歳) 嫡男、虎菊丸(伊達忠宗)、徳川家康の娘、市姫と婚約。
1609年 (42歳) 竹松丸を出産。(やがて夭折)
1613年 (46歳) 大久保長安事件。
1614年 (47歳) 大坂冬の陣。
1615年 (48歳) 大坂夏の陣。
1616年 (49歳) 松平忠輝が改易となり、五郎八姫が仙台に戻る。
●夫の死 1636年 (69歳) 伊達政宗が死没。
仙台に移り落飾、陽徳院と名乗る。
1653年 (86歳) 死没。 |