秀吉にその軍才を警戒されたほどの名軍師 |
誕生 | 1546年11月29日(天文15年12月22日) |
生誕地 | 播磨国 姫路 |
父 | 黒田職隆 |
母 | 小寺政職の養女 |
幼名 | 万吉 |
名 | 黒田官兵衛孝高、小寺孝高、如水軒、如水円清、ドンシメオン(洗礼名)など |
官名 | 従五位下、勘解由次官 |
近親など | 正妻:光(櫛橋伊定の娘) 子:黒田長政など |
ゆかりの地 | 播磨国 姫路城 摂津国 有岡城 播磨国 国府山城 播磨国 篠の丸城 豊前国 馬ヶ岳城 豊前国 中津城 筑前国 福岡城 |
略歴 | ●播磨 1546年 (1歳) 赤松家の重臣で播磨国御着城主小寺政職の家臣、姫路城代の黒田職隆の子として生まれる。 ●小寺家の家老 若いながらも先見の明があることを見込まれ、要職をまかせられるように。 ●家督相続 家督を相続し、播磨国姫路城主に。 1568年 (23歳) 1569年 (24歳) 再び赤松政秀に攻められるが勝利。(土器山の戦) ●秀吉の軍師 1576年 (31歳) 1577年 (32歳) 赤松政範の籠る上月城攻めでは、先鋒として活躍し勝利。 1578年 (33歳) 主君織田信長への謀反の噂のある荒木村重の説得に単身乗り込むが捕縛され、摂津国有岡城の土牢で1年ほど過ごす。 1579年 (34歳) 1580年 (35歳) 羽柴(豊臣)秀吉に姫路城を譲り渡し、国府山城に移る。 1582年 (37歳) 中国大返し。 山崎の戦。 1583年 (38歳) 1584年 (39歳) 1586年 (41歳) ●豊前 1588年 (43歳) 1589年 (44歳) 息子の黒田長政が城井鎮房を中津城で誅殺。 肥後国の一揆平定戦に同道していた鎮房の子、城井朝房を暗殺。 ●隠居 1590年 (45歳) ●幻の天下 子の黒田長政が筑前国52万石を拝領したことから、筑前国に移る。 1601年 (56歳) 1602年頃 (57歳) 1604年頃 (59歳) 死没。 |
レクイエム | 軍才がありすぎたため逆に秀吉に警戒され、太封を与えられなかった。 1589年に長政に家督をゆずったのも、野心ありという秀吉の疑心を晴らすためであったと言われる。 |
死没 | 1604年4月19日(慶長9年3月20日) (享年59歳) |