人質の伊達輝宗とともに射殺された |
誕生 | 1552年(天文21年) |
生誕地 | |
父 | 畠山義国 |
母 | |
幼名 | |
元服名 | |
名 | 七郎、二本松義継、畠山義継、 |
官名 | 左京亮、右京大夫 |
近親など | 正室:新城直継の娘 子:畠山義綱、畠山義隆 |
ゆかりの地 | 陸奥国岩代 二本松城 |
略歴 | ●奥州畠山家 1552年 (1歳) 奥州畠山家当主で二本松城主、畠山義国の嫡男として生まれる。 1574年頃 (23歳) ●家督 1580年 (29歳) 1582年頃 (31歳) ●伊達家との対立 伊達政宗が田村家と示し合わせ大内定綱を攻め、その際、大内家と婚姻関係のあることから二本松城も攻められる。 伊達政宗に降伏するが、所領の多くを没収される。 宮森城にいた伊達政宗の父、伊達輝宗のもとに所領の返還交渉の斡旋を依頼に赴くが、政宗が返還に応じなかったため、輝宗を拉致し城外へ連れ出す。 駆けつけた伊達政宗に対し輝宗は「自分もろとも義継を撃て」と命じたことから、射殺される。(粟之巣の変事)(異説あり) |
死没 | 1585年11月29日(天正13年10月8日) (享年34歳) |
レクイエム | 変事の後怒りの納まらない政宗は、義継の遺体を斬り刻んだ上、藤の蔓で繋いで吊るした。 |