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織田信長(おだのぶなが)のプロフィール・略歴

誕生 1534年6月23日(天文3年5月12日)
生誕地 尾張国 那古野城
織田信秀
土田御前
幼名 吉法師
元服名 織田三郎信長
官名 上総介(自称)・右近衛大将(右府)など
近親など 正室:濃姫(帰蝶)(斎藤道三娘)
側室:生駒吉乃(生駒八右衛門の娘)、お鍋の方、坂氏、土方氏など
兄:織田信広
弟:織田信行、織田信包、織田有楽斎など
妹;お市の方など
子:織田信忠、織田信雄、織田信孝、織田秀勝、徳姫(徳川信康正室)、相応院(蒲生氏郷正室)など
ゆかりの地  尾張国 那古野城(後の名古屋城)
 尾張国 清洲城
 尾張国 小牧山城
 美濃国 岐阜城(先の稲葉山城)
 近江国 安土城
 山城国 本能寺(現在の本能寺とは場所が違います)
略歴
    ●尾張
1534年  1歳 尾張国那古野の領主、織田信秀の二男として生まれる
    少年時代は大うつけ(大馬鹿者)という評判だった
    ●那古野城
1539年 6歳 那古野城(後の 
1546年 13歳 元服し、織田三郎信長と名乗る
1548年 15歳 美濃国の斎藤道三の娘、濃姫(帰蝶)と政略結婚
    ●家督相続
1551年 18歳 父、信秀の死により、家督を相続
1552年 19歳 今川家に寝返って鳴海城主となった山口教継を攻める。(赤塚の戦)
1553年 20歳 傅役の平手政秀が、信長を諫めて自害
    斎藤道三と、尾張国聖徳寺で会見
    ●尾張平定
1555年 22歳 尾張国下四郡の守護代で、主筋の織田信友を攻め追放し、 
1556年 23歳 岳父斎藤道三が、長良川の戦で自害
    信長を倒し、弟の織田信行を擁立しようとした林通勝、林美作(通具)、柴田勝家らに勝利。(稲生の戦)
1557年 24歳 お家騒動の根源であった、弟の織田信行を殺害
1558年 25歳 浮野の戦で、上四郡の守護代、織田信賢に大勝
1559年 26歳 上洛し足利義輝に拝謁
    岩倉城の戦で織田信賢を攻め追放し、尾張国を統一
    ●桶狭間
1560年 27歳 桶狭間の戦で今川義元を討ちとる
1562年 29歳 今川義元の先鋒をつとめた、三河国の松平元康(徳川家康)と清洲同盟を結成
    ●美濃攻略
1563年 30歳 美濃国攻略のために、清洲城から小牧山城に居城を移す
1566年 33歳 美濃国攻略の拠点として、<a墨俣城を木下藤吉郎(豊臣秀吉)に築城させる
1567年 34歳 この頃、近江国の浅井長政と同盟し、 妹のお市の方を浅井長政の正妻に送り込む
    斎藤龍興を攻め、念願だった美濃国を手中に。(稲葉山城攻め)
    井ノ口を岐阜と改名、稲葉山城を 
    滝川一益に命じ、伊勢国北部攻略を開始
    ●上洛
1568年 35歳 伊勢国の神戸具盛を降伏させ、三男の織田信孝を養子に送り込む。(北伊勢を平定)
    越前国の朝倉義景の元家臣、明智光秀の仲介により、足利義昭を奉じて上洛を果たす。(信長の上洛戦)
    畿内を支配していた三好三人衆(三好長逸、三好政康、岩成友通)を四国へ追い、畿内を支配下に
    三好三人衆と対立していた、大和国の松永久秀を配下に
    足利義昭を15代室町将軍につける
1569年 36歳 足利義昭、三好三人衆や斎藤龍興から襲撃される。(本國寺の変)
    二条御所を建設し、将軍足利義昭の御所に
    伊勢国の北畠具教を攻め和睦。次男の織田信雄を養子に送り込み、伊勢国を平定。(大河内城の戦)
    ●四面楚歌
1570年 37歳 将軍足利義昭を、殿中御掟で諫めたことから対立
    上洛命令に従わない越前国の朝倉義景攻めに向かうが、義弟である近江国の浅井長政の裏切りにより京都へ逃げ帰る。(金ヶ崎の退き口)
    岐阜に戻り軍備を整え、再び越前国の朝倉義景と近江国の浅井長政と北近江の姉川を挟んで戦い勝利。(姉川の戦)
    野田・福島の戦
    ●本願寺との対立
    将軍足利義昭の求めに応じた本願寺の顕如と対立。(石山合戦の勃発)
    宇佐山の戦
    本願寺、比叡山、浅井家、朝倉家と、周囲を敵に囲まれたことから、足利義昭に斡旋を強要し和睦に成功。岐阜へ戻る。(志賀の陣)
1571年 38歳 伊勢国長島の一向一揆を攻めるが攻略できず。(第一次伊勢長島攻め)
    浅井、朝倉軍を匿ったことを理由に、比叡山焼き討ちを行う
    ●信玄の脅威
1572年 39歳 松永久秀が謀反、配下の交野城を攻められるが、柴田勝家らを派遣し守り抜く(交野城後ろ巻き)
    武田信玄、上洛戦を開始
    三方ヶ原の戦で、武田信玄が徳川家康軍を破り、尾張国の危機が近づく
1573年 40歳 武田信玄の病死により、危機を回避
    ●形勢逆転
    将軍足利義昭を河内国に追放。室町幕府滅亡(槙島城の戦)
    越前国を攻め、朝倉義景を自害させ、越前国を支配下に(一乗谷の戦)
    小谷城の戦で、浅井長政を自害させ近江国を支配下に
    長政に嫁いでいた妹のお市の方と、その娘茶々(淀殿)、初、於江与は落ち延びる
    越前国に起こった一向一揆を、柴田勝家に攻めさせ攻略
    再び伊勢国長島の一向一揆を攻めるが攻略できず。(第二次伊勢長島攻め)
1574年 41歳 東大寺秘蔵の蘭奢待(銘香木)の切取りを奏請し、許される
    第三次伊勢長島攻めに成功し、伊勢国を完全に平定
1575年 42歳 長篠の戦で、甲斐国武田勝頼に大勝
    越前国で起こった一向一揆を攻略
    嫡男織田信忠に家督を譲り、尾張国、美濃国と岐阜城を与える
    ●安土城
1576年 43歳 近江国に 
    天王寺砦の戦で、本願寺勢に勝利
    摂津国の木津川河口で、本願寺に兵糧を運ぶ毛利輝元方の村上武吉率いる水軍と戦い敗戦。(第一次木津川の戦)
1577年 44歳 第一次雑賀攻めに成功
    反抗した大和国の松永久秀を、織田信忠に攻めさせ自害させる。(信貴山城の戦)
    ●毛利家との対立
    羽柴(豊臣)秀吉を、毛利攻め(中国方面)の総大将に任じる
1578年 45歳 家臣、荒木村重の謀反にあう(有岡城の戦)
    毛利方の村上武吉率いる水軍に、九鬼嘉隆に作らせた巨大な鉄装甲船6隻で勝利。本願寺の兵糧ルートを絶つ。(第二次木津川の戦)
1579年 46歳 荒木村重の<a有岡城を攻め落とし、村重の一族・家臣を処刑
    丹波国・丹後国を平定
    徳川家康の正室築山御前と嫡男松平信康に対し、武田家に内通した嫌疑により処刑を命ずる。(信康事件)
1580年 47歳 朝廷の斡旋を受けて、本願寺の顕如と和睦し、畿内の一向一揆を平定。(石山合戦の終結)
    重臣、佐久間信盛と子の佐久間信栄を追放
1581年 48歳 京都御馬揃えを挙行
    淡路国を平定
    伊賀国を平定。(第二次天正伊賀の乱)
    ●武田家殲滅
1582年 49歳 甲斐国へ侵攻し、武田勝頼を攻め自害させる。(天目山の戦)
    加賀国の一向一揆を鎮圧
    武田攻めの功に報いるため、徳川家康を安土へ招き接待
    ●本能寺
    中国への出陣途上、京都本能寺で明智光秀の謀反にあい自害。(本能寺の変)
死没 1582年6月21日(天正10年6月2日) (享年49歳)
レクイエム 「天下布武」を合言葉に、戦のない世の中を実現するために、弊害のある旧体制を否定し、徹底的な破壊を行った。

そのような怜悧で残酷な性格の一方、有能な人材を発掘する確かな目を持っていた。
例えば足軽の子であった豊臣秀吉や、他家に仕えていた明智光秀や荒木村重など能力のある人材を積極的に重用するなど、譜代の家臣にこだわらなかった。当時では類まれな人事を行っていた。

また、早くから兵農分離を進めて一年中出兵ができるようにしたり、鉄砲による新戦略を考案するなど、戦に関する先見性にも長けていた。