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「吾党有直躬者」(『論語』子路第十三より)

吾黨有直躬者『論語』子路第十三より

 

葉公語孔子曰、吾黨有直躬者。其父攘羊、而子證之。
孔子曰、吾黨之直者、異於是。父爲子隱、子爲父隱。
直在其中矣。

書き下し文 

葉公(せうこう)孔子に語(つ)げて曰(いは)く、「吾が党に直躬
(ちよくきゆう)といふ者有り。其の父羊を攘(ぬす)みて、而(し
かう)して子之(これ)を証せり」と。孔子曰く、「吾が党の直
(なほ)き者は、是(これ)に異なり。父は子の為に隠し、子は
父の為に隠す。直(なほ)きこと、其の中(うち)に在り」と。


※語句の注釈は、後の注3、4をご覧ください。

 

 補足

 

(注)1.上記の「吾党有直躬者」(『論語』子路第十三より)の本文は、新釈漢文大系1
の『論語』(吉田賢抗著、明治書院・昭和35年5月25日初版発行)によりました。
「吾党有直躬者」という見出しは、引用者が仮につけたものです。
2.新釈漢文大系の本文から、返り点を省略してあります。
3.「直在其中矣」の訳について。
吉田賢抗氏……かく親と子が、庇い合うところに、真の正直の精神が存しております。
(そのままでは正直といえないが、正直の意義は、このうちに存している。)
諸橋轍次氏……この隠すというところには、正直の道が存しないようにも考えられます
が、実はその隠す中にこそ自己の真情を偽らぬ直の精神が存しておるので
あります。
(『掌中論語の講義』昭和28年12月25日初版発行、昭和31年2月5日第9版発行)
ここで、『掌中論語の講義』の諸橋轍次氏の解説を引かせていただく。
要するに、直とは自己を偽らぬことである。然るに子として父の悪を露(あら)わし、
父として子の悪を露(あら)わすことは、人情の自然を偽ることである。隠すことは必
ずしも直であるとはいえぬにしても、その間おのずから人情を偽らざる美しさがある。
而して孔子はその人情の自然を偽らざる美しさの中に正道を観じた訳である。漢代
の法律或は唐律などに容隠(よういん)という制度があった。これは隠せる者を容(ゆ
る)すことであるが、全く孔子のこの章の教に基くものであった。もちろん今日の法治
国の精神から見れば、或は若干の異見もあろうが、人情を害わぬことが政治の要道
であるとすれば、これも一応考えなければならぬものであろう。(同書、301頁)
引用者注:容隠(よういん)=肉親の犯罪をかばい隠したという罪をゆるして罰しない
こと。▽他人の犯罪を隠すことは、犯罪の一つであるが、唐代の法律にも、日本の
大宝律令にも、自分の父や子のためである場合は特別にゆるされるという容隠の
条項があった。(『改訂新版漢字源』学習研究社、2002年4月1日発行による。)
吉川幸次郎氏……正義は、おのずから、その中に存在します。
(新訂中国古典選『論語下』岩波書店、昭和41年1月1日第1刷発行)
ここで、新訂中国古典選『論語下』の吉川幸次郎氏の解説を引かせていただく。
国家共同の利益をより重んずべきか、家庭内の愛情を、より重んずべきかは、
中国でも古くから論争のあるところであるが、前者の立場に立つのが法家であ
り、後者の立場に立つのが儒家である。中国の後代の法律は、儒家の立場を
取り入れ、近親の間の罪状湮滅は罪にならない。(同書、126頁)
宮崎市定氏……それが自然の性質に従った行為と言うべきではありませんか。
(『論語の新研究』岩波書店、1974年6月20日第1刷発行)
4.語句の注釈。
葉公(しょうこう)……「葉」は、人名・地名などの場合は「ショウ」と読む。葉は春秋時代の
楚の一地方で、葉公はその地方の長官。
黨(党)……1.仲間2.むら。村里。原義は、「二十五軒一組のむら。」3.同じ村里に
集まって住む人々。郷里の人々。郷党。
直躬(ちょくきゅう・ちょっきゅう)……躬という名の正直者。正直者の、躬という名前の人。
これを、自分の行いを正しくする者、正直者、ととる人もいます。(朱子は「直レ
躬者(躬(み)を直(なお)くする者)」と読んで、「身を直くして行う者」と注している
由です。吉川幸次郎氏は、新訂中国古典選『論語下』で、「躬(み)を直(なお)く
する者」と読んで、「正直一方の者」と訳しておられます。)
つまり、「躬」を人名ととるか、「我が身」という普通名詞にとるかで、解釈が分
かれるわけです。あるいは、「直躬」全体を名前(呼び名)ととる人もいるようで
す。「(正直者の)直躬さん」という感じで。吉川氏の本に、〈この話は、有名な話
であったと見え、呂氏春秋の巻十一当務篇その他にも見え、呂氏春秋では、「直
躬」の二字を固有名詞とする〉とあります。
5.著者の吉田賢抗氏は、「余説」で、「孟子の中に次のような話がある」として、
次のような話を紹介しておられます。
桃応という人が、「聖天子舜の父が人を殺しました。かかる時、舜はどうしましょうか」と
先生に問うた。孟子は「舜は天子と雖も天下の法を無視することはできないから、父を逮
捕する」と答えた。更に、「では殺人罪として処刑しますか」と問うと、孟子は、「舜は天子
の位を破れ草履のように捨て、殺人罪を犯した父を背負って海浜にのがれ(当時は海浜
は治外法権の地域)、欣然として父に事(つか)えて、一生を終ったであろう」と答えた(尽
心上)。天子の位よりは、父子の情が大切であるという、人情の自然に生きるヒューマニ
ズムが、孟子の根本思想である。天子となって政治をする人は他にもあろうが、父と子の
代役を果たすことのできる者は誰もない。父子の間は絶対である。この真理を無視しては、
倫理道徳は成り立たないところに儒家の学説の根本がある。(289~290頁)
6.資料369に「「桃応問曰」(『孟子』尽心章句上より)」があります。
7.この話に関連して、資料367「三浦梅園「理屈と道理との弁」(『梅園叢書』より)」
があります。