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源義経「腰越状」(『平家物語』巻十一による)

腰 越 狀 源義 經

 

源義經恐(おそれ)ながら申上候意趣者(は)、御代官(おんだいくわん)の其一(そのひとつ)に撰ばれ、勅宣の御使として、朝敵をかたむけ、會稽の恥辱をすゝぐ。勳賞おこなはるべき處に、虎口の讒言によ(ツ)てむなしく紅涙にしづむ。讒者の實否(じつぷ)をたゞされず、鎌倉中(かまくらぢう)へ入れられざる間、素意をのぶるにあたはず、いたづらに數日(すじつ)ををくる。此時(このとき)にあた(ツ)てながく恩顔を拜したてまつらず(ン)ば、骨肉同胞の儀すでにたえ、宿運きはめてむなしきににたるか、將又(はたまた)先世(ぜんぜ)の業因の感ずる歟(か)。悲哉(かなしきかな)、此條(このでう)、故亡父(こ・ばうぶ)尊靈(そんれい)再誕し給はずは、誰(たれ)の人か愚意の悲歎を申(まうし)ひらかん、いづれの人か哀憐(あいれん)をたれられんや。事あたらしき申狀(まうしでう)、述懷(しゆつくわい)に似たりといへども、義經身體髮膚(はつぷ)を父母にうけて、いくばくの時節をへず故守殿(こ・かうのとの)御他界の間、みなし子となり、母の懷(ふところ)のうちにいだかれて、大和國宇多郡(うだのこほり)におもむきしよりこのかた、いまだ一日片時(へんし)安堵のおもひに住せず。甲斐なき命は存すといへども、京都の經廻(けいくわい)難治(なんぢ)の間、身を在々所々にかくし、邊土遠國(へんどをんごく)をすみかとして、土民百姓等に服仕(ぶくじ)せらる。しかれども高慶忽(たちまち)に純熟(じゆんじゆく)して、平家の一族追討のために上洛(しやうらく)の手あはせに、木曾義仲を誅戮(ちうりく)の後、平氏をかたむけんがために、或時は峨々たる巖石に駿馬に鞭う(ツ)て、敵のために命をほろぼさん事を顧(かへりみ)ず、或時は漫々たる大海(だいかい)に風波の難をしにぎ、海底にしづまん事をいたまずして、かばねを鯨鯢(けいげい)の鰓(あぎと)にかく。しかのみならず、甲冑(かつちう)を枕とし弓箭(きうせん)を業(わざ)とする本意(ほい)、しかしながら亡魂のいきどほりをやすめたてまつり、年來の宿望をとげんと欲する外(ほか)他事なし。あま(ツ)さへ義經五位尉(ぜう)に補任(ふにん)の条、當家の重職(てうじよく)何事か是にしかん。しかりといへども今愁(うれへ)ふかく歎(なげき)切(せつ)也。佛神の御(おん)たすけにあらずより外(ほか)は、爭(いかで)か愁訴を達せん。これによ(ツ)て諸神諸社の牛王寶印(ごわうほうゐん)のうらをも(ツ)て、野心を插(さしはさ)まざるむね、日本國中の神祇(じんぎ)冥道(みやうだう)を驚かし奉(たてまつ)て、數通(すつう)の起請文(きしやうもん)をかき進(しん)ずといへども、猶(なを)以て御宥免(ごゆうめん)なし。我國(わがくには)神國也。神(かみは)非礼を享給(うけたまふ)べからず。嫖憑處他にあらず。ひとへに貴殿廣大の慈悲を仰ぐ。便冝(びんぎ)をうかゞひ高聞に達せしめ、秘計をめぐらし、あやまりなきよしをゆうぜられ、放免にあづからば、積善(しやくぜん)の餘慶(よけい)家門に及び、榮花(ゑいぐわ)をながく子孫につたへむ。仍(よつて)年來の愁眉を開き、一期(いちご)の安寧を得ん。書紙(しよし)につくさず。併(しかしながら)令省略候畢(せいりやくせしめさうらひをはんぬ)。義經恐惶(けうくわう)謹言(つゝしんでまうす)。
元暦二年六月五日 源義經
進上因幡守殿へ

補足

(注)1.この「源義経「腰越状」(『平家物語』巻十一による)」の本文は、日本古典文学大系33
『平家物語下』(高木市之助・小澤正夫・渥美かをる・金田一春彦校注、昭和35年11
月5日第1刷発行)によりました。
この本文の底本について、上記の『平家物語下』の凡例に、次のようにあります。
本書の本文は龍谷大学図書館所蔵の平家物語を底本とし、章節を分ち、段落を区切
り、句読点の類を施し、(中略)漢字・仮名を振り、清濁を区別し、文字を若干改めた。
校合には主として高良神社本と寂光院本とを用い、東京大学文学部国語研究室所蔵
の高野辰之氏旧蔵本を参考し、西教寺文庫本・龍門文庫本(巻一を除く)、さらに屋代本(巻
四・六の欠巻は平松家本で補う)・流布本(元和七年刊本)に及んだ場合もある。……
2.この本文の底本、龍谷大学図書館所蔵の平家物語(龍大本)は、原本が失われて伝わ
らない覚一本の転写本6本のうちの1本である由です。
3.この「腰越狀(こしごえじょう)」は、『吾妻鏡』巻第四の元暦二年(1185年)五月二十
四日の条にも出ています。
4.『吾妻鏡』巻第四の「腰越狀(こしごえじょう)」が、資料408にあります。
→資料408源義経「腰越状」(『吾妻鏡』による)
5.「腰越狀」は、源義経が兄頼朝の怒りにふれて鎌倉に入ることができず、腰越(こしご
え:相模国鎌倉郡津村郷腰越)に留まっていた時に、満福寺で心情を綴り、大江広元に
宛てて無実の罪を訴えたとされる手紙です。真偽不明。
満福寺には、弁慶が書いた腰越状の下書きとされる書状が展示されているそうです。
6.腰越状(こしごえじょう)=1185年(文治1)、源義経が平宗盛父子を俘虜として腰越
まで伴ってきたのに、頼朝の怒りにふれて鎌倉に入ることができなかった時、
大江広元に宛てて無実の罪を訴えた書状。吾妻鏡に収めるが真偽不明。
腰越(こしごえ)=(1)鎌倉市南西部、七里ヶ浜西端の地名。古い宿駅で、源義
経が腰越状を草した所。日蓮法難の地としても知られる。(2)幸若舞。義経
が腰越状を弁慶に書かせたことを作る。
源義経(みなもと・の・よしつね)=平安末期の武将。義朝の九男。幼名は牛若。7歳
で鞍馬寺に入り、次いで陸奥の藤原秀衡(ひでひら)の許に身を寄せたが、
1180年(治承4)兄頼朝の挙兵に応じて源義仲を討ち、さらに平氏を一谷・
屋島・壇ノ浦に破った。しかし頼朝の許可なく検非違使・左衛門尉に任官し
たことから不和となり、再び秀衡に身を寄せ、秀衡の死後、その子泰衡に急
襲され、衣川の館に自殺。薄命の英雄として伝説化される。九郎判官義経。
(1159-1189)
(以上、『広辞苑』第6版による。)
7.『心朽窩旧館』(やぶちゃんの電子テクスト集:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇)の中
の「新編鎌倉志巻之六」に、『吾妻鏡』所収の「腰越状」の本文と訓読文・現代語訳、満
福寺にある、弁慶が下書きしたとされる「腰越状」の本文の映像、解説その他が見られ、
大変参考になります。
上記のホームページ『心朽窩旧館』の正式の入り口は『鬼火』のようですので、付記
しておきます。→『鬼火』
参考:→龍護山満福寺ホームページ
8.フリー百科事典『ウィキペディア』に「腰越状」(こしごえじょう)の項があり、ここにも『吾
妻鏡』所収の「腰越状」の現代語訳が出ています。
9.『国立国会図書館デジタルコレクション』の中に『義経記』〔現代語訳国文学全集第18巻上〕
(漆山又四郎訳、非凡閣・昭和12年9月9日発行)があり、そこで『義経記』の「腰越状」の書き下
し文を読むことができます。
『国立国会図書館デジタルコレクション』→『義経記』〔現代語訳国文学全集第18巻上〕
→『義経記』巻第四→105-106/286
10.佐藤弘弥氏による『義経伝説』というサイトがあり、大変参考になります。
11.その『義経伝説』というサイトの中に『義経デジタル文庫』があり、そこに島津久基著
『義經傳説と文学』(明治書院、昭和10年1月21日刊)が収められています。
また、『義経デジタル文庫』には、流布本・元和9年本の『平家物語』が入っています。
12.資料410に、源義経「腰越状」(『義経記』による)があります。
13.資料411に、源義経「腰越状」(『義経物語』による)があります。
14.『Zaco'sPage』というサイトに、「国語の先生の為のテキストファイル集」というページ
があり、そこに『平家物語』の本文が入っています。(20012年5月25日付記)
『Zaco'sPage』→「国語の先生の為のテキストファイル集」