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与謝野鉄幹「友を恋ふる歌」(雑誌『伽羅文庫』による) 全文

友を戀ふる歌 與謝野鐵幹

妻をめとらば才たけて
顔うるはしくなさけある、
友をもとめば書を讀んで
八分の俠氣二分の熱。

戀のいのちをたづぬれば
名を惜むかな、男ゆゑ。
友のなさけをたづぬれば
義のあるところ火をも踏む。

斟めや、うまざけ。歌ひ女に
をとめの知らぬ意氣地あり。
簿記の筆とるわか者に
まことのをとこ君を見る。

嗚呼われコレッヂの奇才なく
バイロン、ハイネの熱なきも、
石を抱きて野に歌ふ
芭蕉の寂(さび)をよろこばず。

人やわらはむ、業平が
小野のやまざと雪を分け
夢かと泣きて齒がみせし
むかしを慕ふむらごころ。

見よ西北にバルカンの
それにもにたる國のさま、
あやふからずや雲裂けて
天火ひとたびふらん時。

妻子をわすれ家を捨て
義のため耻を忍ぶとや。
遠くのがれて腕を摩す、
ガリバルヂーやいま如何。

四たび玄海の浪を踰え、
韓(から)のみやこに來て見れば、
秋の日かなし。王城や、
むかしにかはる雲の色。

玉をかざれる大官は
みな北道(ほくだう)の訛音(なまり)あり。
慷慨よく飲む三南の
健兒は散じてかげもなし。


嗚呼われいかにふところの
つるぎは鳴(なり)をしのぶとも、
むせぶ涙を手にうけて
悲しき歌の無からめや。

わが歌ごゑの高ければ
酒にくるふと人は云へ。
われに過ぎたる希望をば
君ならではた誰か知る。

「おなじ憂への世にすめば
千里の空も一つ家。
おのが袂といふなかれ。
やがてふたりの涙ぞや。」

はるばる寄せしますらをの
うれしき筆を袖にして
けふ北漢の山の上
駒立てゝ觀る、日の出づる方。

 

補足

 

 

(注)1.上記の「友を戀ふる歌」の本文は、雑誌『伽羅文庫』第1巻第2号(中央文壇社、明治
32年12月5日発行)によるものです。これは、雑誌叢書7「硯友社系雑誌集成」『伽羅
文庫』(ゆまに書房、昭和60年4月23日発行)によりました。
2.詩中のふりがな(ルビ)は、ここでは括弧に入れて示しました。
3.この「友を恋ふる歌」という詩は、明治32年12月25日発行の雑誌『國文學』(国文学
雑誌社発行)・明治33年2月20日発行の雑誌『よしあし草』・明治34年3月15日発行
の詩歌集『鐵幹子』には、「人を恋ふる歌」という題に改められて掲載されています。
4.雑誌『国文学』、雑誌『よしあし草』、『紫紅集』、詩歌集『鉄幹子』による本文が次の
資料にあります。
→資料431:与謝野鉄幹「人を恋ふる歌」(雑誌『国文学』による)
→資料429:与謝野鉄幹「人を恋ふる歌」(雑誌『よしあし草』による)
→資料432:与謝野鉄幹「友を恋ふる歌」(『紫紅集』による)
→資料428:与謝野鉄幹「人を恋ふる歌」(詩歌集『鉄幹子』による)
5.明治34年3月15日発行の『鐵幹子』は、『国立国会図書館デジタルコレクション』
と国文学研究資料館の『電子資料館』に収録されていて、それぞれ画像で見ること
ができます。(国文学研究資料館の『電子資料館』の画像のほうが、鮮明です。)
(1)『国立国会図書館デジタルコレクション』→『鐵幹子』(明治34年発行)

(2)『国文学研究資料館』→『電子資料館』
→『鐵幹子』(明治34年発行)
→「人を戀ふる歌」
6.上の明治34年発行の『鐵幹子』よりも後に出版された、明治38年7月6日発行
の『鐵幹子』は、早稲田大学の『古典籍総合データベース』で、画像で見ることがで
きます。
『古典籍総合データベース』→『鐵幹子』(明治38年発行)
7.明治32年発行の雑誌『伽羅文庫』と、明治34年発行の『鐵幹子』と明治38年発行
の『鐵幹子』との「友を戀ふる歌」の、主な本文の異同を次に示しておきます。
(明治32年発行の雑誌『伽羅文庫』)(明治34年発行の『鐵幹子』)(明治38年発行の『鐵幹子』)
妻をめとらば才たけて妻をめどらば才たけて妻をめとらば才たけて
友をもとめば書を讀んで友をえらばば書を讀んで友をえらばば書を讀んで
八分の俠氣二分の熱。六分の俠氣四分の熱六分の俠氣四分の熱
まことのをとこ君を見る。まことのをのこ君を見るまことのをのこ君を見る
嗚呼われコレッヂの奇才なくあゝわれコレッヂの奇才なくあゝわれコレリッヂの奇才なく
人やわらはむ、業平が人やわらはん業平が人はわらへな業平が
見よ西北にバルカンの見よ西北にバルガンの見よ西北にバルガンの
ガリバルヂーやいま如何。ガリバルヂィや今いかんガリバルヂィや今いかん
嗚呼われいかにふところのあゝわれ如何にふところのあゝわれ如何にふところの
悲しき歌の無からめや。かなしき歌の無からんやかなしき歌の無からんや
「おなじ憂への世にすめばおなじ憂ひの世にすめばおなじ憂ひの世にすめば
うれしき筆を袖にしてうれしき文を袖にしてうれしき文を袖にして
(雑誌『伽羅文庫』には、「あやまらずやは眞心を……」「おのづからなる天地を……」「口をひらけば嫉みあり……」
の3節がありません。また、『鐵幹子』に「玉をかざれる大官は……」「四たび玄海の浪をこえ」の順になっている節
が、『伽羅文庫』では、順序が逆になっています(「四たび玄海の浪をこえ」「玉をかざれる大官は……」の順)。
8.語句の読みを補っておきます。()内は、歴史的仮名づかいです。
顔うるはしく……「顔」は、ルビがないので、鉄幹自身は「かお(かほ)」と読ませたものかと思われ
ますが、普通には「みめ」と読まれています。原本にルビが欲しかったところです。
松村緑氏は「鉄幹詩「人を恋ふる歌」の成立と発表誌について」という論文(『解釈』昭和43年
1月号)で、「作者自身にみめとよませる意図はなかったものと考えるべきであろう」と言っておら
れます。(注9を参照のこと)
六分の俠氣四分の熱……「六分」は、「りくぶ」。ただし、四分に対する六分なので、四分六分(しぶ
ろくぶ)で「ろくぶ」と読むのがいい、とする意見もあります。「四分」は「しぶ」。「俠氣」は、「きょう
き(けふき)」
意氣地……「いきじ(いきぢ)」。業平……「なりひら」。在原業平のこと。
見よ西北に……『鉄幹子』には、「西北」に「にしきた」とルビ。
天火……「てんか(てんくわ)」。妻子……『鉄幹子』には「つまこ」とルビ。
誰か知る……文語なので、「誰」は「たれ」と清音に読む。
憂への世……「憂へ」は、「うれえ(うれへ)」。袂……「たもと」。北漢……「ほくかん」。
日の出づる方……「方」は、「かた」。
9.「顔うるはしくなさけある」の「顔」の読みについて
松村緑氏は「鉄幹詩「人を恋ふる歌」の成立と発表誌について」という論文(『解釈』昭和43年1月号)
の中で、「この詩の「顔うるはしく」は俗間にはみめうるわしくと歌われているが、初出本文にも『鉄幹子』
所収本文にも顔の文字にはルビはついていない。(総ルビになっている『紫紅集』の「友を恋ふる歌」には
かほとルビがついている)そこで、これはやはり作者自身にみめとよませる意図はなかったものと考える
べきであろう」と書いておられます。(太字の「みめ」「かほ」は、原文には傍点がついているものです。)
鉄幹の詩として読む場合は、やはり「かお」と読むのが正しいのではないか、と思われます。
10.「石を抱きて野に歌ふ芭蕉の寂をよろこばず」の意味については、注の14.をご覧下さ
い。
11.詩の制作年について
『鉄幹子』の詩に、「明治三十年八月京城に於て作る」と注記がありますが、この注記
には疑問が呈せられています。丸野弥高氏は、論文「与謝野鉄幹作「人を恋ふる歌」につ
いて」(『東洋女子短期大学紀要』4巻〈1971年刊〉所収)の中で、
この詩は鉄幹が韓国から最後の帰国をした31年3月以降のある時期に、自分を「三十年八月」
の当時に置き、浪漫的立場で、虚実を織りまぜて作られたものではなかろうか。
と書いておられます。(詳しくは、注13に紹介した同氏の論文を参照してください。)
12.講談社文庫『日本の唱歌〔上〕明治篇』(金田一春彦・安西愛子編、昭和52年10月15日
第1刷発行)の「人を恋うるの歌」の解説に、次のようにあります。
与謝野鉄幹の詩歌集「鉄幹子」(明治34年刊)に収められている歌詞に、明治41年に曲が
付けられたものという。作曲者が不明なのは残念である。よく歌われる三高の寮歌に、大正2
年に矢野禾積(かずみ)が作詞した「行春(ぎょうしゅん)哀歌」というのがあって、
1静かに来たれ懐かしき
友よ憂いの手を取らん
曇りて光る汝(な)がまみに
消えゆく若き日は歎く
という歌詞のものであるが、この曲を借りて歌っている。矢野氏によると、この寮歌にはもともと
小川という生徒の付けた曲があったが、それが不評でさっぱり歌われない。中学時代の友人片
岡鉄兵が京都へ来た時にそのことを話したら、おれがいい節を教えてやる、おれたちがいつも
藤村の酔歌を歌う時の節だと言ってこの曲を教えてくれた、矢野氏がそれを歌って聞かせると一
同それがいいということになって「行春哀歌」の曲に固定したというのである。この曲はいろいろな
詩の節として使われたようであるが、たしかにそれにふさわしい節である。(同書、238頁)

引用者注:藤村の「酔歌」とは、『若菜集』所収の詩「酔歌」を指すものと思われま
す。次にその「酔歌」を引いておきます。

 


醉歌
島崎藤村

旅と旅との君や我
君と我とのなかなれば
醉ふて袂(たもと)の歌草(うたぐさ)を
醒めての君に見せばやな

若き命も過ぎぬ間(ま)に
樂しき春は老いやすし
誰(た)が身にもてる寶(たから)ぞや
君くれなゐのかほばせは

君がまなこに涙あり
君が眉には憂愁(うれひ)あり
堅(かた)く結べるその口に
それ聲もなきなげきあり

名もなき道を説くなかれ
名もなき旅を行くなかれ
甲斐なきことをなげくより
來りて美(うま)き酒に泣け

光もあらぬ春の日の
獨りさみしきものぐるひ
悲しき味の世の智惠に
老いにけらしな旅人よ

心の春の燭火(ともしび)に
若き命を照らし見よ
さくまを待たで花散らば
哀(かな)しからずや君が身は

わきめもふらで急(いそ)ぎ行く
君の行衞はいづこぞや
琴花酒(ことはなさけ)のあるものを
とゞまりたまへ旅人よ

 


○上記の本文は、『若菜集』(春陽堂、明治30年8月29日発行)に
よりました。
○第1連の「醉ふて」は、岩波文庫の『藤村詩抄』では、「醉うて」と
正されています。

 

13.若井勲夫氏の論文「旧制高校寮歌の言葉と表現」(『京都産業大学論集〔人文科学
系列〕』第37号(2007年)所収)に、次のようにあります。
この「人を恋する歌」は、「当時著しく一部の諷誦するところとな」り、「さかんに文学青年が感傷
の表情の間に微吟せられた」(日夏耿之介・前掲書─引用者注『改訂増補明治大正詩史』〔昭和
23年〕のこと)。書生風の熱情は青春の憂愁や悲哀に同調し、高校生にも寮歌に準ずる歌として
愛好されたことであろう。現在は全16節が3節に縮小されて一般に広がっている。志田延義氏は
この歌を寮歌史の上で初めて正当に位置付け、晩翠の「星落秋風五丈原」とともに「それ自身長く
学生間に愛誦せられ、また寮歌の類に一つの時期を画せしめるほどの詩歌として注意すべきであ
る」と評価する(『続日本歌謡集成』五)。従来、鉄幹の寮歌への作用についてあまり触れられるこ
とがなかったが、鉄幹の詩は壮士風の「ますらをぶり」で晩翠詩と共通する。しかし、晩翠は硬質
で上品に整い過ぎて、鉄幹の闊達で自由な、また悲歌的な情熱には及ばないのではないかと思
われる。(同論集、179頁)
14.『東洋女子短期大学紀要』4巻(1971年9月30日発行)に、丸野弥高氏の「与謝野
鉄幹作「人を恋ふる歌」について」という論文がります。この論文にこの詩についての
詳しい考察がなされていますが、これによれば、「人を恋ふる歌」の発表誌は、次のよ
うになっています。
雑誌『伽羅文庫』第1巻第2号(明治32年12月5日発行)……本文引用あり
雑誌『國文學』第12号(明治32年12月25日発行)……本文引用あり
雑誌『よしあし草』23号(明治33年2月20日発行)……本文引用あり
単行本『紫紅集』(明治33年10月12日発行)
単行本『鐵幹子』初版(明治34年3月15日発行)……本文引用あり
『伽羅文庫』の本文は、題名が「友を戀ふる歌」となっており、長さも16節でなく、13
節になっています(第12節「あやまらずやは真心を…」、第13節「おのづからなる天地を…」、第
14節「口をひらけば嫉みあり…」がない)。『國文學』は、『伽羅文庫』の僅か20日後の発行
ですが、題名は「人を戀ふる歌」となっています。また、『伽羅文庫』では「六分の俠氣
四分の熱」が「八分の俠氣二分の熱」となっています。
この詩の初出について筆者の丸野弥高氏は、「制作年代を31年3月以降と見るに
しても、その初出原型を「伽羅文庫」本と決定するにはまだ不安が残る」としておられ
ます。詳しくは同論文を参照してください。
なお、「石を抱きて野に歌ふ芭蕉のさ寂をよろこばず」について、丸野氏は、「冷たい
血の気のないものを相手に人の世と離れて野に歌う芭蕉の枯れた世界を退けて、憂
国慨世という、なまなましい熱血の世界を追求しようというのである」としておられます。
15.与謝野寛(よさの・ひろし)=詩人・歌人。初め鉄幹と号す。京都生れ。晶子の夫。
落合直文に学び、浅香社・新詩社の創立、「明星」の刊行に尽力、新派和歌
運動に貢献。自我の詩を主張。詩歌集「東西南北」「天地玄黄」、歌集「相聞
(あいぎこえ)」など。(1873-1935)(『広辞苑』第6版による。)
16.フリー百科事典『ウィキペディア』に、「与謝野鉄幹」の項があります。
17.時雨音羽著『日本歌謡集』(現代教養文庫443、昭和38年11月30日初版第1刷発行)には、
次の3番までの形で歌詞が示され、「明治41年(1908)頃から学生間に歌われ、現在
もつづけられている歌で、作者は明星派の詩人」と記されています。

人を恋ふる歌与謝野寛作詞

 

(1)妻をめとらば才たけて

 

 

みめうるはしく情ある

 

 

友をえらばば書を読みて

 

 

六分の俠気四分の熱

 

 

 

 

 

(2)恋のいのちをたづぬれば

 

 

名を惜しむかな男の子ゆゑ

 

 

友の情をたづぬれば

 

 

義のあるところ火をも踏む

 

 

 

 

 

(3)ああわれコレッジの奇才なく

 

 

バイロンハイネの熱なきも

 

 

石をいだきて野にうたふ

 

 

芭蕉のさびを喜ばず

 

 

 

 

引用者注:1.歌詞の仮名づかいを、歴史的仮名づかいに改めてあります。

2.語句の読みを、現代仮名遣いで記しておきます。
六分(りくぶ)俠氣(きょうき)四分(しぶ)男の子(おのこ)

3.3番の「コレッジ」は、今は普通「ダンテ」として歌っているように思います。

4.鉄幹の詩と違うところ
「顔うるはしく」→「みめうるはしく」
「書を読んで」→「書を読みて」
「をとこゆゑ」→「男の子(をのこ)ゆゑ」


18.近代文学注釈大系『近代詩』(関良一著、有精堂出版・昭和38年9月10日発行)に、
「人を恋ふる歌」が取り上げられています。
19.参考書を挙げておきます。
関良一『近代文学注釈大系近代詩』(有精堂、昭和38年9月10日発行)
関良一「人を恋ふる歌(与謝野鉄幹『鉄幹子』)」(一)(『国文学』解釈と教材の研究、
昭和39年2月号、學燈社・昭和39年2月1日発行)
関良一「人を恋ふる歌(与謝野鉄幹『鉄幹子』)」(二)(『国文学』解釈と教材の研究、
昭和39年3月号、學燈社・昭和39年3月1日発行)
松村緑「鉄幹詩「人を恋ふる歌」の成立と発表誌について」(『解釈』1968年1月号、
昭和43年1月1日発行)
丸野弥高「与謝野鉄幹作「人を恋ふる歌」について」(『東洋女子短期大学紀要』4巻
所収、1971年9月30日発行)