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雪山偈(『大般涅槃經卷第十三 聖行品之下』より) 全文

本文

善男子。過去之世佛日未出。我於爾時作婆羅門修菩薩行。悉能通達一切外道所有經論。修寂滅行具足威儀。其心淸淨。不爲外來能生欲想之所破壞。滅瞋恚火。受持常樂我淨之法。周遍求索大乘經典。乃至不聞方等名字。我於爾時住於雪山。其山淸淨流泉浴池。樹林藥木充滿其地。處處石間有淸流水。多諸香花周遍嚴飾。衆鳥禽獸不可稱計。甘果滋繁種別難計。復有無量藕根甘根靑木香根。我於爾時獨處其中唯食諸果。食已繫心思惟坐禪。經無量歳。亦不聞有如來出世大乘經名。善男子。我修如是苦難行時。釋提桓因等諸天人。心大驚怪即共集會。各各相謂而説偈言
  各共相指示  淸淨雪山中
  寂靜離欲主  功德莊嚴王
  以離貪瞋慢  永斷諸愚癡
  口初未曾説  麁惡等語言
爾時衆中有一天子名曰歡喜。復説偈言
  如是離欲人  淸淨勤精進
  將不求帝釋  及以諸天耶
  若是求道者  修行諸苦行
  是人多欲求  帝釋所坐處
爾時復有一仙天子。即爲帝釋而説偈言
  天主憍尸迦  不應生此慮
  外道修苦行  何必求帝處
説是偈已復作是言。憍尸迦。世有大士。爲衆生故不貪己身。爲欲利益諸衆生故。而修種種無量苦行。如是之人見生死中諸過咎故。設見珍寶滿此大地諸山大海。不生貪著如視涕唾。如是大士棄捨財寶所愛妻子頭目髓腦手足支節所居舍宅象馬車乘奴婢僮僕。亦不願求生於天上。唯求欲令一切衆生得受快樂。如我所解。如是大士淸淨無染衆結永盡。唯欲求於阿耨多羅三藐三菩提。釋提桓因復作是言。如汝言者是人則爲攝取一切世間衆生。大仙。若此世間有佛樹者。能除一切諸天世人及阿修羅煩惱毒蛇。是諸衆生住是佛樹陰涼中者。煩惱諸毒悉得消滅。大仙。是人若當未來世中作善逝者。我等悉當得滅無量熾然煩惱。如是之事實爲難信。何以故。無量百千諸衆生等。發於阿耨多羅三藐三菩提心。見少微縁於阿耨多羅三藐三菩提即便動轉。如水中月水動則動。猶如畫像難成易壞。菩提之心。亦復如是難發易壞。大仙。如有多人以諸鎧仗牢自莊嚴欲前討賊。臨陣恐怖則便退散。無量衆生亦復如是。發菩提心牢自莊嚴。見生死過心生恐怖即便退散。大仙。我見如是無量衆生。發心之後皆生動轉。是故我今雖見是人修於苦行無惱無熱住於險道其行淸淨。未能信也。我今要當自往試之知其實能堪任荷負阿耨多羅三藐三菩提大重擔不。大仙。猶如車有二輪則能載用。鳥有二翼堪任飛行。是苦行者亦復如是。我雖見其堅持禁戒。未知其人有深智不。若有深智當知則能堪任荷負阿耨多羅三藐三菩提之重擔也。大仙。譬如魚母多有胎子成就者少。如菴羅樹花多果少。衆生發心。乃有無量。及其成就少不足言。大仙。我當與汝倶往試之。大仙。譬如眞金三種試已乃知其眞。謂燒打磨。試彼苦行者亦當如是。爾時釋提桓因。自變其身作羅刹像形甚可畏。下至雪山去其不遠而便立住。是時羅刹心無所畏勇健難當。辯才次第其聲淸雅。宣過去佛所説半偈
 諸行無常  是生滅法
説是半偈已便住其前。所現形貌甚可怖畏。顧眄遍視觀於四方。是苦行者。
聞是半偈心生歡喜。譬如估客於險難處夜行失伴。恐怖推索還遇同侶。心生歡喜踊躍無量。亦如久病未遇良醫瞻病好藥後卒得之。如人沒海卒遇船舫。如渴乏人遇淸冷水。如爲怨逐忽然得脱。如久繫人卒聞得出。亦如農夫炎旱値雨。亦如行人還得歸家人見已生大歡喜。善男子。我於爾時聞是半偈。心中歡喜亦復如是。即從座起以手舉髮。四向顧視而説是言。向所聞偈誰之所説。爾時亦更不見餘人。唯見羅刹即説是言。誰開如是解脱之門。誰能雷震諸佛音聲。誰於生死睡眠之中而獨覺寤。唱如是言。誰能於此示道生死饑饉衆生無上道味。無量衆生沈生死海。誰能於中作大船師。是諸衆生常爲煩惱重病所纏。誰能於中爲作良醫。説是半偈啓悟我心。猶如半月漸開蓮花。善男子。我於爾時更無所見。唯見羅刹。復作是念。將是羅刹説是偈耶。覆生疑惑。非其説耶。何以故。是人形容甚可怖畏。若有得聞是偈句者。一切恐怖醜陋即除。何有此人形貌如是能説此偈。不應火中出於蓮花。非日光中出生冷水。善男子。我於爾時復作是念。我今無智。而此羅刹或能得見過去諸佛。從諸佛所聞是半偈。我今當問。即便前至是羅刹所。作如是言。善哉大士。汝於何處得是過去離怖畏者所説半偈。大士。復於何處而得如是半如意珠。大士。是半偈義乃是過去未來現在諸佛世尊之正道也。一切世間無量衆生。常爲諸見羅網所覆。終身於此外道法中。初不得聞如是出世十力世雄所説空義。善男子。我聞是已。即答我言。大婆羅門汝今不應問我是義。何以故。我不食來已經多日。處處求索了不能得。飢渴苦惱心亂謬語。非我本心之所知也。我今力能飛行虛空。至鬱單越乃至天上。處處求食亦不能得。以是義故我説是語。善男子。我時即復語羅刹言。大士。若能爲我説是偈竟。我當終身爲汝弟子。大士。汝所説者名字不終義亦不盡。以何因縁不欲説耶。夫財施者則有竭盡。法施因縁不可盡也。法施無盡多所利益。我今聞此半偈法已。心生驚疑。汝今幸可爲我除斷。説此偈竟我當終身爲汝弟子。羅刹答言。汝智太過但自憂身。都不見念今我定爲飢苦所逼實不能説。我即問言。汝所食者爲是何物。羅刹答言。汝不足問。我若説者令多人怖。我復問言。此中獨處更無有人。我不畏汝何故不説。羅刹答言。我所食者唯人暖肉。其所飲者唯人熱血。自我薄福唯食此食。周遍求索困不能得。世雖多人皆有福德。兼爲諸天之所守護。而我無力不能得殺。善男子。我復語言。汝但具足説是半偈。我聞偈已當以此身奉施供養。大士。我設命終如此之身無所復用。當爲虎狼鵄梟鵰鷲之所噉食。然復不得一毫之福。我今爲求阿耨多羅三藐三菩提。捨不堅身以易堅身。羅刹答言。誰當信汝如是之言。爲八字故棄所愛身。善男子。我即答言。汝眞無智。譬如有人施他瓦器得七寶器。我亦如是捨不堅身得金剛身。汝言誰當信者。我今有證。大梵天王釋提桓因及四天王能證是事。復有天眼諸菩薩等爲欲利益無量衆生修行大乘具六度者。亦能證知。復有十方諸佛世尊利衆生者。亦能證我爲八字故捨於身命。羅刹復言。汝若如是能捨身者。諦聽諦聽。當爲汝説其餘半偈。善男子。我於爾時聞是事已心中歡喜。即解己身所著鹿皮。爲此羅刹敷置法座。白言。和上。願坐此座。我即於前叉手長跪而作是言。唯願和上。善爲我説其餘半偈令得具足。羅刹即説
 生滅滅已  寂滅爲樂
爾時羅刹説是偈已。復作是言。菩薩摩訶薩汝今已聞具足偈義。汝之所願爲悉滿足。若必欲利諸衆生者。時施我身。善男子。我於爾時深思此義。然後處處若石若壁若樹若道書寫此偈。即便更繫所著衣裳。恐其死後身體露現。即上高樹。爾時樹神復問我言。善哉仁者欲作何事。善男子。我時答言。我欲捨身以報偈價。樹神問言。如是偈者何所利益。我時答言。如是偈句乃是過去未來現在諸佛所説開空法道。我爲此法棄捨身命。不爲利養名聞財寶轉輪聖王四大天王釋提桓因大梵天王人天中樂。爲欲利益一切衆生故捨此身。善男子。我捨身時復作是言。願令一切慳惜之人悉來見我捨離此身。若有少施起貢高者。亦令得見我爲一偈捨此身命如棄草木。我於爾時説是語已。尋即放身自投樹下。下未至地時。虛空之中出種種聲。其聲乃至阿迦尼吒。爾時羅刹還復釋身。即於空中接取我身安置平地。爾時釋提桓因及諸天人大梵天王。稽首頂禮於我足下。讚言善哉善哉。眞是菩薩。能大利益無量衆生。
欲於無明黑闇之中然大法炬。由我愛惜如來大法故相嬈惱。唯願聽我懺悔罪咎。汝於未來必定成就阿耨多羅三藐三菩提。願見濟度。爾時釋提桓因及諸天衆頂禮我足。於是辭去忽然不現。善男子。如我往昔爲半偈故捨棄此身。
以是因縁便得超越足十二劫。在彌勒前成阿耨多羅三藐三菩提。善男子。我得如是無量功德。皆由供養如來正法。善男子。汝今亦爾。發於阿耨多羅三藐三菩提心。則已超過無量無邊恒河沙等諸菩薩上。善男子。是名菩薩住於大乘大般涅槃修於聖行
大般涅槃經卷第十三     

 

補足

 


1.上記の「雪山偈(『大般涅槃經卷第十三聖行品之下』より)」の本文は、『大正
新脩大藏經第十二巻寶積部下・涅槃部全』(大正新脩大蔵経刊行会・大正14
年6月15日発行、昭和42年11月30日再版発行)所収の「三七五大般涅槃經(三
十六巻)宋・慧厳等依泥洹経加之」によりました。
(「泥洹(ないおん)経」とは、『大般泥洹経』のことで、法顕がインドで入手して持ち帰って訳した
『涅槃経』6巻のことです。)

2.この本文は次のサイトでも読む(見る)ことができます。
(1)『大正新脩大藏經テキストデータベース』(東京大学大学院人文科学系研究科
インド哲学仏教学研究室の「大藏經テキストデータベース研究会」が管理)

TOPページで「『大正新脩大藏經』テキストデータのオンライン検索」をクリック
→「寶積部・涅槃部」→「寶積部・涅槃部Volume12」
→大般涅槃經(0375、慧嚴譯)→上にある数字を移動して、691をクリック
→0375_12_0691b03~0375_12_0693b07が該当部分
(2)東京大学総合図書館万暦版大蔵経(嘉興蔵)デジタル版
大蔵経(嘉興蔵)デジタル版のページで「大般涅槃経」と入力して、出て来た「検索
結果」から「大般涅槃經巻13慧嚴譯」をクリック→「大般涅槃經巻13」の画像
(「善男子過去之世佛日未出」の本文は、「十四丁」の右頁の中程から始まって
います。ただし、画像の本文には「乃昔」が入っていて「之世」がなく、「善男子乃
昔過去佛日未出」となっています。)
(3)『中華電子佛典協會』の「大正新脩大藏經第十二冊No.375《大般涅槃
經》CBETA電子佛典V1.41『大般涅槃經卷第十三』」
(4)国立国会図書館の『近代デジタルライブラリー』に『大正新脩大蔵経』が入っ
ていて、そこで慧嚴訳の「大般涅槃經」を映像で見ることができます。
上記本文の該当部分は、『大正新脩大蔵経』[第12冊]第12巻691~693頁(画像
の353~354/571)です。(353を選んでクリックしてください。)
お断り:残念ながら、国立国会図書館の『大正新脩大蔵経』は、現在は国立
国会図書館内でしか見られないようです。(2016年2月2日)

3.『大正新脩大藏經』のテキスト本文に施してある返り点は、省略してあります。また、
ここでは「三七五大般涅槃經」の最初の部分は省略して、途中から引用してありま
すのでご注意ください。

4.雪山童子(せっせんどうじ)の、いわゆる「施身聞偈」(せしんもんげ)の話についての参考
書としては、次のようなものがあります
『和訳涅槃経』(高崎直道・編著、東京美術平成5年11月30日初版第1刷発行)
『仏教を読む5自在に生きる涅槃経』(平川彰・著、
集英社1984年4月10日第1刷発行)

5.雪山(せっせん)=ヒマラヤ山脈の異称。大雪山(だいせっせん)。
雪山偈(せっせんげ)=〔仏〕涅槃経に説く「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為
楽」の偈。雪山童子が修行中、羅刹からこの偈の前半を聞き、後半を聞くた
めに我が身を捨てて供養したという。いろは歌はこの偈の意をとったものとい
う。諸行無常偈。
雪山童子(せっせんどうじ)=釈尊が過去世において雪山で苦行した時の名。雪山
大士。
(以上、『広辞苑』第6版による。)

6.大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)
(1)原始仏典の一つ。法顕訳。3巻。釈尊入滅の前後を歴史的に描いたもの。
対応するものがパーリ語長部経典にあり、また、漢訳には「長阿含経」所収
の「遊行(ゆぎょう)経」などの異訳がある。
(2)大乗仏典の一つ。北本(曇無讖(どんむしん)訳、40巻)と南本(慧観・謝霊運
ら再治、36巻)とがある。釈尊の入滅を機縁として、法身の常住と一切衆
生の成仏を説いたもの。涅槃経。(『広辞苑』第6版による。)
大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)
(1)いわゆる小乗の「涅槃経」。3巻。東晋の法顕訳。釈迦の入滅前後の状
況が、事実に近い形で記される。
(2)大乗の「涅槃経」。
(ア)40巻。421年北涼の曇無讖(どんむしん)訳。釈迦の入滅の意義を明ら
かにするもので、法身の常住や衆生(しゅじょう)が仏性をそなえているこ
となどが説かれる。北本。
(イ)36巻。南朝の宋の慧観・慧厳(えごん)・謝霊運が、法顕が訳した「大般
泥洹(ないおん)経」を参照して、(2)(ア)を再治したもの。南本。
(『大辞林』第2版による。)

7.資料225に「源為憲「雪山童子」(『三宝絵』より)」があります。

8.資料210「国民学校国語教科書『初等科国語八』(本文)の中に、「修行者と羅刹」
という題で、この雪山童子の話が出ています。これは、国民学校6年生後期用の教科
書です。

9.『松阪市』のホームページの中の「文化財」のページに、曽我蕭白筆の「雪山童子図」
が出ています。また、「岡寺山継松寺」のホームページにも出ています。
○松阪市ホームページ→左下の「文化情報」→「指定文化財」の「市街地区」
→「紙本著色曽我蕭白筆雪山童子の図(継松寺)」
→紙本著色曽我蕭白筆雪山童子の図(せつさんどうじのず)11-40
○「岡寺山継松寺」のホームページの「雪山童子図」には、「せっせんどうじず」となっています。
「岡寺山継松寺」のホームページ→文化財紹介
→継松寺の宝物
「県指定文化財(非公開)」曽我蕭白筆雪山童子図(せっせんどうじず)